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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


聖誕祭に想いを込めて

 主催者の挨拶が終わると、リンスター財閥のクリスマスパーティーは、すぐに和やかな歓談ムードへと移行した。モーリス・ラジアルは軽く会場内を見渡し、不備がないのを確認してから、主人に断ってそこを後にした。
 愛用の車に乗り込みんで走り出せば、クリスマスのオーナメントやイルミネーションに彩られた街並が、次々と後ろへ流れ去っていく。やがて浮き立つような街の喧噪はすっかり途切れ、余分なものの削ぎ落とされた冬の朝本来の景色が広がり始める。すっかり人に忘れ去れたような、寂しげな冷気が車の中にまで浸透してくるように思われた頃には、通い慣れた廃教会がそのたたずまいを冬の日差しにさらしているのが見えてきた。
 モーリスは車を停め、外に出た。途端に、濡れたように冷たい空気がモーリスの身体にまとわりつく。吐いた息は白く、重たい空気をわずかにかきまわした。
 この国ではクリスマスの日は恋人と過ごすという。ならばそれに倣ってみようと、おそらくいまだ夢路を漂っている恋人を訪ねてここを訪れたわけだが、すぐさまかすかな違和感に気づき、モーリスは秀麗な眉を軽くひそめた。
 冬のしっとりと湿った空気は、ほんのわずかであっても乱された形跡を隠さない。それはあたかも、一度ひっくり返したスノードームの細かい雪が、長い時間水中を漂い続けるように。
 教会の中に足を踏み入れた途端、モーリスのわずかな疑念は確信へと変わった。埃のつもった石造りの床の上に、見慣れない足跡が残っていたのだ。この人里離れた廃教会に用もなく立ち寄る人間などまずいないだろう。モーリスは軽く嘆息して、屋根裏部屋へと登った。
「……やあ、モーリス」
 この教会の住人、アドニス・キャロルが既に起きていてモーリスを迎えたのが決定打だった。
「……」
 モーリスは軽く目を細め、唇に薄い笑みを浮かべて恋人を見返した。
 人気のない教会に残された誰かの痕跡、そして朝に弱いアドニスが既に起きていること。彼に来客があったのは間違いないだろう。それも、モーリスの知らない誰かが。
 嫉妬と呼べる程人間的な感情ではなかったのかもしれない。けれど小さな刺のように胸にささる微妙な違和感と不快感は、自然と口元におどけるような笑みを形作った。
「ここは相手を追求するのが恋人らしいですか、キャロル?」
「……」
 すぐにモーリスの言わんとすることを察したのだろう、アドニスは困ったような微笑みを浮かべた。声高にモーリスの疑惑を否定するでもなく、器用に流すでもなく、気の利いた切り返しをよこすでもなく。
 誠実ながら不器用なところもある恋人は、本当にどう返すべきかわからないのだろう。モーリスはくすり、と笑みを柔らかいものに変えた。
「今日ここに来たのはですね、ミサに誘うためです。今日はクリスマスですからね」
 結局、自ら助け舟を出す形でモーリスは本題を切り出した。人の手に降りた淡雪が溶けるように、アドニスの顔から困惑の色がすっと消えた。

 来た時とは逆に、車窓の外は次第に色味を増してゆく。
 モーリスは無言のままの助手席をちらりと見やった。恋人はどこか神妙な顔をして静かに宙を見つめている。何か考え事をしているのだろうか。モーリスの胸に昨夜アドニスを訪ねたであろう訪問者の影がよぎる。わざわざあの廃教会にまでアドニスを訪ねてくるくらいだ、おそらくそれは彼にとって重要な人物だったのだろう。
 ふと、モーリスの視線に気づいたか、アドニスが振り向いた。その顔にわずかの戸惑いと、そして恋人に向けられるべき微笑みと。
 モーリスはそれに柔らかく微笑み返した。人ならぬ長い時を生きてきたゆえに、互いには埋められない時間も、背負わざるをえないものも、いくらでもある。邪推をするのも無粋というものだ。
 モーリスはそう思考を切り捨て、正面に視線を戻した。喧噪溢れかえる大通りを避けて細い道へと入り、閑静な住宅街へと車を進める。そうして、何度か角を曲がり、人気のない公園へ入ると、車を停めた。
「ここからは歩きましょうか、キャロル」
 モーリスは恋人を促した。キャロルという名は軽快に、そしてどこか甘く、初々しく、くすぐったく響く。良い名だと胸中密かに微笑み、素早く助手席側に回るとドアを開けてエスコートする。
「ありがとう、モーリス」
 アドニスも優雅な笑みを浮かべた。

 人気の少ないこの公園には、時間が止まったかのような冬の空気が残っていた。あたかも、誰も触れたことのないスノードームのように。それを2人の足並みが、白く煙る吐息が、静かに静かに乱していく。
 まるで2人のためだけに用意されたかのようなこの空気の中で、肩が触れるか触れないかくらいの距離で並ぶ2人が黙したまま歩く。初々しい学生のカップルのようだと、モーリスは内心苦笑した。
「寒いですね」
 半ばごまかすように呟けば。
「そうだな」
 軽く目を細めて空を見上げたアドニスが返す。
 見つめ合うでもなく、互いに微笑みを浮かべ、その気配を感じ取りながら、2人はゆっくりと足を進めた。
 やがて一件のこぢんまりとした教会が見えてきた。周囲の民家に溶け込むかのように建てられていたそれは、ミサの告知が出ていなければうっかり見落としたかもしれない。
 2人は軽く頷き合うと、教会の中へと足を踏み入れた。さして広くもない質素な造りの礼拝堂には2人の他に人は数人しかいなかった。牧師も人の良さそうな初老の男で、そのせいかどこか朴訥とした家庭的な雰囲気が漂っている。
 こういうのもかえって良いかもしれないと、モーリスはアドニスと並び、隅の席に腰をおろした。
 やがて、牧師の話が始まった。傍らのアドニスは、静かに目を閉じ、それに耳を傾けながら物思いにふけっているようだった。
 モーリスは話を聞く振りをしながら、恋人の端整な横顔を密やかに見つめた。
 そういえばアドニスはいつもロザリオを身につけている。ずいぶんと敬虔なものだ、とモーリスは心中微笑んだ。
 牧師の優しげな声は、モーリスの耳にも心地よく響く。
 長生種のモーリスさえもがまだこの世に生を受けていない遥かな昔に、神の愛を説いた聖人が生まれた日。
 その本来の意味が、この小さな教会にはある。
 モーリスは再びアドニスの横顔を見つめた。
 初めて逢ったのは、遠い昔、遠い国。互いにすれ違っただけの、名も名乗り合わない出会いだった。それが長い時と距離を経て再び出会った。名乗る前に身体を重ねれば、互いにあの瑣末な出会いを覚えていた。
 それが全て、いわゆる「神の思し召し」というものだとしたら。
 信仰心とは別に、こういった雰囲気をじっくり味わうのも悪くはないと、モーリスは唇の端をほんの少し持ち上げ、軽く目をつむった。

 儀式から解放されたせいだろうか。それとも太陽が高く昇り、冷たかった空気が緩んできたためだろうか。
 ミサが終わり、教会の外に出ると、モーリスの胸はずいぶんと軽くなった。舌も滑らかになって、他愛のない世間話などがつい口をついて出る。やはり、黙って宗教的な教えを聞いているのは性に合わなかったのかもしれない。
 開放的な気分になったのはアドニスも同じらしく、表情がずいぶんと軽やかになった。モーリスの話に相づちをうち、時にくつくつと笑い声をもらす。
 話を弾ませながら足を進めれば、時間が経つのも短く感じる。来た時の半分かとも思えるほどに、2人は瞬く間に車を停めた公園にたどり着いていた。
「さて、これからどうするかな」
 幾分気分も軽くなったらしい。アドニスが軽く肩をすくめた。
「夜のために食事につきあって下さい」
 モーリスは助手席のドアを開け、にこりと微笑んだ。
 アドニスは軽く目を瞬いた。と、その銀色の瞳にいたずらっぽい光が浮かぶ。
「それじゃあここは恋人らしくキスをねだっておくのがいいだろうか?」
 言いますね、とモーリスは内心呟き、目を細めた。
「お楽しみは、とっておくものですよ」
 それがキスだと知るのは、2人だけ。触れるか触れないかのキスを交わして、2人は車へと乗り込んだ。
 車は静かに滑り出し、年に一度の祭りに華やいだ街並へと溶けて行った。

<了>