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今年もまた、誕生日おめでとう!
草間(くさま)興信所。
その主である草間 武彦(たけひこ)は、現在ソファの上でのんびりと初夢を見ている真っ最中であった。
寝返りを打てば、床の樹海にまっしぐらな状況で、武彦はいびきと共に、夢の世界を彷徨い続ける。
一、富士。
二、鷹。
三、――なすびがこんな音、
「たてるかあああぁああああああっ!!」
がばぁっ! と勢いよくソファの上で跳ね起きると、武彦は、夢の余韻に浸ることも忘れ、まるで悪魔に追い立てられているかのように周囲をぐるぐる見渡した。
きぃいいききき……と、何か硬いものの、擦られる音がする。
武彦の記憶によれば、なすびがこのような音をたてるはずがないのだ。
――えぇい、一体どこだ!
その原因を探すべく、ふらつく足で立ち上がる。
年末から散らかしっぱなしであった、タバコの空箱に酒瓶、くだらない雑誌を踏み分けながら、テーブルに手をつき、更に周囲を見回した。
振動に耐えられず、灰皿の山から吸殻が崩れ落ちる。
きぃぃいいい……という音は、しかし、興信所の主が飛び起きたとあっても、止むことはなかった。
一体何なんだっ! 人の事務所で失礼なっ!! しかも俺は、
「寝てたんだぞおおおおおおおおおおっ――ぉおおおおおっ?!」
怒り心頭、ようやく音の原因に気がついた武彦が、おぼつかない足取りで、窓の方へと駆け寄って行く。
しかし、窓に手をついた瞬間、気がついた。
「うわぁああああああああああああああああっ?!」
何で俺は、
正月から心霊現象に巻き込まれなきゃいけないんだああああああああっ?!
当然。
武彦がそこで見たものは、なすびなどではなかったのだ。
叫んでみたところで、現実が変わるはずもない。
窓の外には明らかに、とてつもなく恨みがましい形相の、青白い雰囲気を周囲に漂わせた少女が立っていた。窓にへばり付き、赤い瞳で武彦をじぃ……と見遣っている。
黒髪の少女の大きさは、おおよそ、一○センチ。
「誰が開けるか! 開けないぞ! 入ってこれるもんなら入ってきてみ――、」
「あら、いらっしゃい」
かたん、からから……と。
武彦の決意も虚しく、窓はあっけなく開けられてしまった。
今までそこには無かった、人の気配。
「シュライン、おまえっ!」
「新年早々、可愛いお客様じゃないの。……いらっしゃい、八重(やえ)ちゃん。それから、お誕生日おめでとう」
武彦の後ろに立っていた女性は、黒髪に青い瞳の印象的な女性、シュライン・エマであった。この興信所の事務員にして、武彦にとっては特別な存在。
彼女は早速、窓枠を飛び越えて部屋の中へと入ってきた小さな少女を、手の平の上に向かい入れた。
先ほどとは一転、笑顔を咲かせた少女――露樹(つゆき) 八重は両手を上げると、
「はいなのでぇす! ありがとうなのでぇす!!」
ぺこり、と一つ、お辞儀をする。その動きに合わせて、胸元の金時計と真っ黒いローブとが、ふわりと揺れていた。
シュラインは全く、と、武彦の肩を軽く叩くと、
「武彦さんも驚きすぎよ。ねえ、八重ちゃん?」
「あたしもそうおもうのでぇす。おぢちゃはりあくしょんがおおきすぎるのでぇす」
「えぇい煩い! シュラインっ! おまえはコイツがどー登場したか知らないからそんなこと言えるんだろうがっ! っていうかシュラインはいつからそこにいたっ?!」
「いつって、さっきよ。新年の挨拶もしなきゃいけないし、それに、」
シュラインは、武彦の肩をぎゅっと握りつけ、
「どうせ部屋もこうなってると思ってたのよ」
「……怒るなシュライン、不可抗力だ」
「そうよねぇ、不可抗力よねぇ。使った物を元に戻せないのも、そうよねぇ、不可抗力よねえ」
「スミマセンデシタ。俺が悪かったです」
「八重ちゃんもこんな風になっちゃ駄目よ?」
冷や汗を流して固まる武彦のことは忘れたように、シュラインは八重へと穏やかな笑顔を向ける。
「はいなのでぇす。それにしてもしゅらいんしゃん、あけましておめでとうございますなのでぇす」
「はい、明けましておめでとうございます。今年も宜しくね。……さぁ、」
やれ、と一息を吐き、八重をテーブルの上へと下ろすと、
「今日はお祝いね。まず部屋を片付けなくちゃあ。――武彦さん、当然手伝ってくれるわよね? これからパーティやるのよ。ゲストをこんな部屋に迎えるわけにはいかないわ」
今日は八重の誕生日なのだ。
八重の姿を見るまでも無く気づいていたシュラインが、成人指定雑誌をこそこそと隠そうとしていた武彦へと、冷ややかな声音を送る。
武彦はびくり、と体を震わせ、その場は何も言わず、シュラインの指示に従うことに決めた。
そう、そんなこんなで、これから始まるのは――、
「惨劇だ!」
「あら、誕生会よ」
台所で料理の下ごしらえをしつつ、事務所で部屋を片付けつつ、としていたシュラインが、渋々テーブルの上を掃除していた武彦に断言する。
武彦はテーブルの上を片付けながらも、散々それを八重に邪魔され、悲惨な様相を見せていた。
「おぢちゃ、しごとがおそいのでぇす!」
「煩いっ! おまえの方が仕事してないだろーがっ! っていうか何で俺がこんな惨劇に巻き込まれなきゃいけないんだっ!」
「武彦さん。誕生会よ」
「いいや! これならゾンビが襲撃しに来るほうがマシだ!!」
「そういうこと言わないの。ほら、武彦さん」
シュラインに指し示され、武彦が渋々と八重の方を見遣る。
そこには――、
「ふぇ――……、」
「あぁあああああああっ!! 泣くな! 祝ってやるから泣くな!! っていうかむしろ祝わせて頂きます八重様だから泣くなっ!! 今泣かれたら東京に雪が降るっ!!」
とりあえずその辺りに散ばっていたものを慌ててどけるなり、跪いて八重へと土下座する。
八重はそんな武彦を、にやぁ、と鼻先で笑い飛ばすと、
「でぇは、そんなおぢちゃにはごほうびをあげるのでぇす」
「えぇい何がご褒美だ! 嘘泣きかっ! このチビッ子めっ!!」
かんしゃするのでぇす、と、えへんっ、と胸を張り、
「おとーしだまなのでぇす。きょねんはちょこれぇとももらったでぇすし、おぢちゃ、あたしよりもとししたですかぁらねぇ」
ちょいちょい、と指先でおいでおいでをされ、腹を立てつつも武彦が両手を重ねて目の前に差し出す。
八重が、小さな手を二つ軽やかに叩いた。途端、
「ふざけるなぁああああああああっ!!」
ぽむり、と武彦の手の上に降って来たのは、ソフトボールであった。手の上で飛び跳ねたそれを掴むなり、武彦は烈火のごとく叫び出す。
おい、確かにおとし玉≠セろうがね!!
「こぉんの魔性のチビッコめ!! 俺の純真な期待を裏切りやがって!!」
「期待する方がどうかと思うのだけど」
「追い出してやる! コイツぜってー追い出してやる!!」
シュラインの冷静なつっこみも虚しく、武彦は八重を握り取ろうとする。
しかし八重は、その手を軽やかに飛び越えると、
「いいんでぇすかあ? こうかいしますでぇすよ?」
「何が後悔だ!――っと、ぉ?」
八重が、ぱちんと指を鳴らした。その時にはもう、武彦はもう一方の手に感じられた違和感に気づかざるを得なかった。
急に、重くなったような気がした。冷たい感触が、いくつもいくつも膨れ上がる。
玉を握っていたはずの手を、開く。
軽く甲高い音が、いくつもいくつもテーブルの上に落下した。
「おおおおおおおおおっ?!」
「おとしだまだっていったじゃないでぇすか」
ふっ、と人の悪い笑みを浮かべると、八重はライターの上に腰掛けた。
武彦の手からは、未だに一○○円玉が湧き出している。テーブルの山から崩れ落ちた硬貨は、床の上に転がり落ちて行く。
ようやく硬貨の出なくなった手を残念そうに見つめる武彦。ふと現実に返り、テーブルの上の硬貨を掻き集めた後、ご飯を探し回る猫のように床を這う武彦。
「情けない……」
今年もやっぱり、こんな調子なのかしら……。
シュラインは頭を抱え、ソファの上に座り込む。
武彦の一○○円玉探索は、まだまだ暫く終わりそうにもなかった。
武彦が何度も何度も一○○円玉の数を数えては、なにやらそれだけでは満足できなかったらしく、なぁ、これは五○○円玉にはならないのかっ?! 等と八重に詰め寄り続けて暫く、何とか片付いたテーブルの上には、シュラインの手による料理がいくつもいくつも並び始めていた。
「さってと、とりあえずこれで最後、ね」
お待たせしました。
エプロン姿のシュラインが、大きな皿を持って姿を現す。
疲れきった武彦とは対照的に、喜びのあまりに飛び上がった八重は、テーブルの上に置かれた皿の上をじぃ、と見上げた。
ほかほかの、アップルパイ。
こんがりと焼けた表面から、香ばしい欠片が少しだけ落ちた。
「うわーいっ!!」
八重はテーブルの上を見回すと、幸せな世界に目をくらませる。
おせちに、おぞうにに、それに、ぴっつぁにすぱげってぃに……ぱいまであるのでぇす!!
しかもそれは、
「しゅらいんしゃんのてづくりなのでぇす!」
「すぐに準備できた方が良いと思って、ケーキじゃなくてパイにしてみたんだけど……後で、買いに行きましょうね? ケーキは」
八重ちゃん、きっとお腹すいているだろうしと思って。
しかし、八重は首を横に振ると、
「かまわないのでぇす! おいしそーなあっぷるぱいなのでぇす……」
微かな檸檬の香りも、心地良い。
こぉんなすてきなけぇき、ほかにはないのでぇす♪
ひとしきりに喜んだ後、八重は武彦を邪視で見据える。
さながら、憎しみすらこもっていそうな声音で、一言。
「あげないのでぇす……」
「あげるも何も、おまえ、俺が食う前に全部食っちゃうだろうが!!」
背筋に走る寒気を吹き飛ばすかのように、武彦が精一杯に叫び散らす。
「……まあまあ。武彦さんと私の分は、八重ちゃんのと別に残してあるから」
「おまえ、じゃああのデカイのが全部不条理妖精の分だっていうのかっ?!」
どう見ても、ホームパーティサイズくらいはあるぞっ?!
シュラインはあっけらかんと頷くと、
「当たり前じゃない。武彦さんだって八重ちゃんが甘いもの大好きなの、知っているでしょう?」
いや、あれは大好きとか、そういう次元の話じゃないと思うぞ……。
武彦の溜息の先で、八重は両手を組み、きららとパイを見つめながら、期待に心を膨らませていた。
「いいじゃないの。八重ちゃん、いつも本当に幸せそうなのよね。私まで嬉しくなってきちゃうわ」
料理のしがいがあるってものよね。
笑い、台所へと蝋燭を取りに行ったシュラインは、武彦の取り乱し様にもはや構おうとすらしていなかった。
武彦が重く、溜息を吐く。
「……なんだかなぁ」
「おぢちゃ」
見下ろせば、テーブルの上から八重がこちらを見上げてきていた。
頭を掻きながら、
「あー。なんだ」
「たのしくないでぇすか?」
珍しく、冗談めかすことも無く問いかけられる。
武彦は一瞬、その動きを止めてしまう。
ふ、と視線を逸らすと、
「誰がそんなこと言った」
「あたしはたのしぃのでぇす」
「そりゃあそうだろうよ。おまえの誕生日なんだからな」
「でもたんじょうびぃは、みんなでたのしむものでぇすよ」
「……まあな」
「大丈夫よ、八重ちゃん」
そこに、太い蝋燭と細い蝋燭とを抱えたシュラインが、穏やかに口を挟んだ。
「武彦さんったら、本当は今日のことを楽しみにしてたのよ。……ねえ?」
視線で、事務机の引き出しを示す。
武彦はその意味に気づき、大きく咳払いを一つ、
「別に楽しみになんてしてなかったがね。まあ――賑やかなのは、悪くないさ」
武彦は立ち上がると、シュラインの微笑みに居心地の悪さを覚えながらも、机の方へと歩み寄る。
がたつく引き出しを無理やり引っ張り出すと、ぽん、と八重の方に、小さな何かを投げやった。
それは、シュラインの料理を避け、見事に八重の目の前に落ちてくる。
「やる」
「――うわぁ!」
武彦のぶっきらぼうな一言に、八重がちょこん、と飛び跳ねた。
小さな、赤い包み紙に包まれたプレゼント。
「あけていいでぇすか?」
「ダメよ」
そのリボンに手をかける八重を制し、シュラインはくすり、と忍び笑いを漏らすと、
「まずは蝋燭を消さなくちゃ。それに武彦さんが、ハッピーバースディの歌を歌ってくれるそうよ」
「なっ! 何を勝手に! シュライン! おまえが上手いんだからおまえが歌えば……!」
「おぢちゃ、ほんとうでぇすか……?」
目をきらきらと輝かせた八重に問いかけられ、武彦は肩を落さずにはいられなかった。
あの大きなパイケーキの上にはいつの間にか蝋燭が立てられ、幾つもの輝きをたたえて、八重のことを待っていた。
その後は、もはや言うまでも無い展開であった。
テーブルの上の料理は、あっという間に八重の胃袋に吸い込まれるわ、吸い込まれるわ、吸い込まれるわ……。
「あり得ん」
シュラインから受け取ったパイをつつきながら、げんなりと溜息を吐いたのは武彦であった。
シュラインは、焼きたての餅に砂糖醤油をつけながら、
「あり得るからこうなっているのよ」
至極冷静につっこみを入れた。
そんなの、いつものことじゃない。
うわーいなのでぇす! と、テーブルの上を舞う料理。あの小さな少女の中に、どうしてこれだけの料理が、
「収まるんだ……」
「八重ちゃんだからよ」
「いいやあり得ん。あいつの胃袋はブラックホールか?」
「でも満足そうね、八重ちゃん」
ほっと、シュラインが息を吐く。
何と無く、蝋燭を吹き消した後に、贈り物のリボンを解き、驚いていた彼女の姿を思い出す。
あの時も、満面の笑顔であった。
――うわぁ、暖かそうなコートなのでぇす!
「それにしても、武彦さんも、たまぁにはセンスの良い布を選んでくるのね」
「何がたまにだ。俺はいつでもセンスがいいだろ」
「だったら、ソファの上に埋もれてたワイシャツなんて着ないわよね?」
その小さな赤いコートは、ちんまりと畳まれ、テーブルの端に置かれている。
年が明ける前に、武彦が選んできた布。それを縫い、コートにしたのがシュラインであった。
「面倒だったんだよ、シャツを選ぶのが」
「そういう人がセンスいいだなんて、私は到底思えないわね」
「ほっとけ」
ふと、武彦も八重に視線を巡らせた。
――やれやれ。
「毎年毎年、賑やかで困る」
「本当は楽しみにしてるくせに」
「それはおまえだろ」
「あら、当たり前じゃない」
シュラインは、小さくちぎった餅を、武彦の口に放り込むと、
「いいじゃないの、新年早々こーして幸せそうな人がいると、私も幸せになっちゃうわ」
それが、大切な人の幸せならば、なおのこと。
シュラインは、あちいあちい! と大騒ぎする武彦のことは気にせずに、八重へと顔を近づけた。
「美味しい?」
「おいしいのでぇす!」
トマトソースで汚れた八重の口を、そっとハンカチで拭う。
八重は拭き取られた口をぺろり、と舐めると、
「あっ、そういえば!」
ふと、何かを思い出したかのように手を打った。
「そういえば、しゅらいんしゃんももうすこしでおたんじょうびだったでぇすよねえ?」
「ええ、確かにそうだけれど」
唐突な話に戸惑うシュラインへと、
「あたし、しゅらいんしゃんにぷれぜんとをもってきていたのでぇす! まだちょっとはやいでぇすけど、」
八重はどこからともなく、自分の体よりも大きな包みを取り出した。
にっこりと、笑顔を向ける。
「うけとってくれまぁすか?」
「……勿論」
シュラインが、テーブルの上から、桜色の包みを手に取った。
途端、
「俺だけおいてけぼりな気分だな……、」
「さみしぃんでぇすかあ?」
武彦の声音に、八重がにやり、と笑みを浮かべる。
「たしかぁに、さんにんじゃあちょおおおおっとさみしいかもでぇすねえ」
「おまえ、何考えて――!」
さっ、と八重が、両手を上げて身構える。
まるでどこから、甲高い笛の音と力強い太鼓の音が響いているかのような印象。
おまえ、まさか!!
思った瞬間には、もう遅い。なにやら季節はずれの盆踊り、のようなもの、を踊り始めた八重を止めるべく、武彦が手を差し出した瞬間にはもう、
がたんっ、がたがた……かりかりきぃい……と、窓の外から不吉な音が聞こえてくる。
武彦が恐る恐る振り返れば、そこには、
「シュライン、やめろおおおおおおおお!!」
満面の笑みで、冗談か本気か、沢山の猫が張り付いている窓へと歩み寄るシュラインの姿があった。
ちなみに、八重からの贈り物の中身は、苺味の飴玉と、繊細な細工の美しい砂時計であったのだという。
Finis
30 gennaio 2006
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
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