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なくなった妻への手紙
●オープニング
長谷川光利(はせがわ・みつとし)の妻、澄江(すみえ)が亡くなったのは、たった半年前のこと……
四十年近くを添い遂げた妻との突然の別れは、長谷川にはなかなか受け入れがたいことだった。
ついつい思い出のアルバムをめくる。子供たちは皆ひとり立ちして傍にいないから余計に。
思い出の品をあさる。
ふと、学生時代の交換日記が出てきた。
ずいぶん古めかしいことをしていたものだ、と今となっては苦笑するような、恥ずかしいような、そして――切ないような。
「日記……」
そうだ、日記を書こう。
それも妻に宛てた内容となるように。
そう思い立ったのが三ヶ月前。それから毎日、便箋一枚分の量を書いた。
一週間経つごとに、封筒にまとめた。
そして三ヵ月後、封筒が十二個になるころ――
ちょうど、亡くなった妻の誕生日がやってきたのだ。
「一日くらいは……お墓に置いておいてもいいだろう」
長谷川はそう思った。
すべての封筒には妻と自分の名を書いた。万が一人目についても、見れば分かるだろう。
知らない人間が見ても、墓の名字と照らし合わせれば分かるはずだ。
「一日くらいは……」
命日ではなく、誕生日。そんな日だからこそ、大丈夫だと思った。
お参りにくるとしたら、よほど親しい人間だけのはずだろうと思ったから
それなのに――
次の日、手紙を回収にやってきた長谷川は愕然となった。
手紙がない。一通も封筒が残っていない。
――どうして――
昨日も今日も天気は快晴だった。どかされる理由がない。
墓のまわりをぐるぐると回って、手紙が飛ばされていないか確かめてみたが、それもない。
――手紙はどこへ行った?――
彼は訳が分からなくなって、探偵社へと足を向けていた。
そこが『怪奇探偵』と名高い草間武彦の事務所だったのは、ただの偶然だった。
●動き出す探偵社の仲間たち
いつものごとく草間興信所の事務アルバイトをしていたのはシュライン・エマ。
いつものごとく、草間に電話で呼び出されたのは門屋将太郎(かどや・しょうたろう)だった。
将太郎が着いたとき、長谷川光利はまだ事務所にいた。
他に、草間武彦本人と、草間の妹の零の姿もあった。
「奥さんの墓に置いたはずの手紙を探せだって? それだけじゃ探しようがないだろうが」
将太郎は首の後ろをかきながら、困ったように長谷川を見た。
「詳しい話を聞かせてくれ。あんたが覚えていることをなるべく事細かにだ。その中に、手紙の行方を知る手がかりがあるかもしれないんでな」
「はあ……」
長谷川は困ったように情けない顔をする。
「そう言われましても……いったい何からお話すればよいのか」
「そうですね」
シュラインが口を挟んだ。「お墓のある場所の管理状態はいかがでしょうか?」
「墓のですか?」
「いえ、お寺の境内等のです」
「そんなこと聞いてどうするんだ?」
将太郎が尋ねる。シュラインは片眉をあげて、
「そのお寺がちゃんとお墓を管理してくれているかの確認よ」
と言った。
「ははあ……」
なるほどとばかりに将太郎がうなる。
「あそこのお寺さんは……住職がとてもよい方で。代々お世話になっておりますので、私も妻もお顔をよく知っております」
長谷川の口がなめらかになった。
「お掃除も欠かさずしてくださっておりますよ。しかし……だからと言って手紙を持っていくような方ではありません」
「なるほど」
それでは、他のご家族は今どこに――? とシュラインは続けて尋ねる。
「うちの子供……長男はすでに結婚し子を持って九州にいます。長女は東京におりますが、独り身で美容院の仕事をしております」
「長谷川さんのご両親やご兄弟は……」
「私も妻も両親は亡くしております。私は生まれが北海道ですので、北海道に兄がひとり。妻はひとりっこです」
「分かりました。では、お手紙を置いた時間と、次の日に確認したお時間は?」
「ええと……手紙を置いたのは、妻の誕生日の……昼の……そう、十二時少し前だと思います。お参りをしたあと、ああ昼だなと思って食事を取りに行きましたので……。それから次の日には……同じ時間に行きました」
シュラインは他にも、手紙に使った紙や封筒、長谷川の妻の名と長谷川の筆跡、妻の誕生日にまでお参りに来そうな友人知人などの詳細を確認した。
「なるほどなあ。……一昨日も昨日も、快晴だったよな」
将太郎が腕を組んで、ふーむとうなった。
ありがとうございます、とシュラインが長谷川に礼を言った。
「今のところ、もうお尋ねすることはありません。一度家に帰られて、ゆっくりお休みになったほうがよろしいですよ。後はお任せください」
「はい……」
長谷川はシュラインの言葉に感激したように涙ぐんで、何度も何度も頭をさげながら帰って行った。
「なんつーか……」
その様子を一部始終見ていた将太郎が、つぶやいた。
「ここ、草間興信所じゃなくて、エマ興信所に名前変えたほうがいいんじゃねえの?」
「ほっとけ」
ずっと口を出せなかった草間はふてくされて、零の出してくれたコーヒーをズズッと飲んだ。
「あら、でも私は武彦さんのために働いているし……」
シュラインが微笑した。「門屋さんのように、この興信所に手助けしてくれる人間が多いのも、武彦さんの人徳だわ」
「まあなあ」
将太郎はこのやろこのやろ、とからかうように草間の頬を拳でぐりぐりやる。
草間は照れたように、えへんと咳払いをした。
「と、とにかくだな、シュラインの言う通り調査を開始して――」
「っちはー!」
興信所に、元気よく入ってきた少年がいた。
明るい茶髪の中学生、草摩色 (そうま・しき)である。
「お前……また遊びに来たのか?」
ここは遊び場じゃないんだぞ、と草間がため息をつくと、
「だってほとんど遊んでるようなもんじゃん?」
色はあっけらかんとそう言ってのけた。
ずるりとソファで草間がすべり落ちる。シュラインはふきだすのをぎりぎりでこらえ、将太郎は遠慮なく大笑いした。
「で、なになに? 今なんか落ち込んだ人が出てったような気がするんだけど、ここに来てたの? 何か依頼?」
色は好奇心に瞳をきらきらさせて聞いてくる。
色には色々手伝ってもらっている手前、仕方なく、草間は長谷川の詳細を知らせてやった。
「へー!」
色はどこまでも好奇心的な目で、うんうんと聞いていた。
「宝探しっぽくてワクワウするね、不謹慎だけど。んー、これが死んだ奥さんが持ってったとかだったら美談で終わりだけど俺としてはなあんかしっくり来ないなあ」
「墓の中で眠ってる奥さんが持ち出した……? 馬鹿な、そんな非科学的なことがあるわけない」
将太郎が色に、ある意味で同意する。
「しかし誰かが持っていったわけでもなく、天候も関係ない……いや、やっぱり誰かが持っていった、というのが妥当だ」
「でもさでもさ、友人でもない、奥さんでもない、もちろん坊さんでもないだろうし――とくりゃ、一体誰が? って、それを調べろってことか! んー、一介の中学生には難しいなあ」
どこが一介の中学生なんだよ、と誰もが心の中でつっこんだ。
「……しかし、怪奇現象が起こる可能性もあるから、奥さんが持ってった筋を疑うのも間違ってる、ということもないだろう……」
将太郎はまだ考えこんでいる。
「とにかくね」
とシュラインがパンとテーブルを叩いた。
「何はともあれ現場検証と聞き込みよ。そこから始まるのよ、すべて」
草間と将太郎が同時に両手をあげて、まったく同時に「りょーかい」と言った。
●もうひとり……
「情報収集……」
そうつぶやいて、そう言やあ、と草間がふと思い出したように言った。
「情報収集ならあいつも呼ぶか……」
言って、電話を取る。
――電話から三十分もしないうちに、外からバイク音がして、
「あいよー呼んだかー?」
とドアを蹴るようにしながら入ってきたのは、真っ赤な髪をした新村稔 (にいむら・じん)だった。
「呼んだから来たんだろ」
草間は自称・十七歳を苦笑しながら見て、
「ちょっと情報収集を頼みたいんだが……お前なんで一人じゃないんだ」
「あの……」
稔の後ろからぴょこっと顔を出したのは、長い黒髪の少女・桐生まこと(きりゅう・―)である。
「稔の手伝いがしたくて、勝手についてきちゃいました」
「はは、こいつ意外と頑固なもんでさ」
稔が苦笑する。まんざらでもなさそうだ。
その場にいる誰もが、「勝手にやってろ」と思った。
「で、今度は何の調査だよ」
――詳細を聞き、稔は「へえ……」と片眉をあげた。
「そんな大事なモンなら墓に置くなよ……と言いたいところだが、……亡くした者への気持ちってぇーのは痛いくらい知ってるつもりだからな」
どこか遠い目をしながら言う。
それを見て、まことがふと目を伏せる。
「――一肌脱いでやろう。まずはその日に他に墓に来たやつがいるかどうか……手紙がいつまであったのか、だな。まあこの辺りは知り合いの情報屋に調べてもらえば正確な状況くらいはつかめるだろう」
「そう思ったんだ」
草間はにっと笑った。「お前の情報網を、ちょっと頼りにしてみようと思ってな」
「高いぜ?」
稔がにっと笑って返す。
ずりっと草間がまたソファからずり落ちそうになった。
「兄さん」
ずっとソファの後ろから様子をうかがっていた草間の妹、零が、「あんまりソファからずりずり落ちてると……服がすりきれちゃうから……」
「分かったよ! どいつもこいつもうちが貧乏なことを持ち出しやがって……」
ぶつぶつと草間は体勢を立て直しながら文句をたれる。
「だって本当のことじゃん?」
――色の言葉に、草間はやはりソファからずり落ちたのだった。
●調査開始
「しかしなあ、思うんだけど、その手紙持って行ったのって奥さんなんじゃねえの……? 墓石どかしたら出てきたりして」
稔が真顔でそんなことを言う。
「皆同じこと考えるんだな……とりあえず、それは置いといての調査だよ」
草間は言い、そして、口元に手をやって考えた。
「あー……とりあえず現場へ行くのは、門屋でいいな?」
「俺は構わんけど」
将太郎が他の面々を見渡して、「他にいねえのか、現場来るやつ?」
「あの、私……」
ずっと稔の後ろに隠れるようにしていたまことが、手をあげた。
「私も奥様のお墓に行きたいです……」
「何だ、お前行くのか」
稔がまことを振り返り、「それじゃ俺も行くしかねえじゃねえか」
「……まあいいんだが。じゃあ現場には門屋と新村と桐生さんだな」
「草摩君は私のほうを手伝ってもらってもいいのかしら?」
シュラインが色を見る。
「やだ。俺は今回はやることないし」
「……まあいいわ、じゃあ私ひとりでやるわね」
「色、お前なあ……」
草間がシュラインを気にして、色を咎める。が、
「じゃあ草間さんはこれからどうする気なんだよ?」
「そりゃあ、俺は管制塔としてこの事務所にいるから」
と答えた草間に、「ほら、動かないじゃん」と色はつっこんだ。
「何とでも言え。管制塔は動かないのが鉄則だ」
「自分だけ楽するくせに、こんな中学生を働かせる気……!」
よよよと泣きまねをする色。
うるさいな! と草間はくわえ煙草を吹き飛ばしそうな勢いで怒鳴った。
中学生相手に本気で怒っているあたり、すでにからかわれ体質決定である。
「分かった色はいい残れ! 他、何かあったら逐一俺に報告すること! 以上解散!」
草間は無理やりそうまとめた。……いや、解散させた。
「手紙があった時間のお寺へ出入りした人の目撃証言は、新村君が集めてくれるとして……」
シュラインは事務所の電話の前で、自分がやるべきことをまとめなおしていた。
「ええと……ご長男は北海道に。お参りに来たという様子はなさそうね。お誕生日にまでお参りにいらっしゃいそうなお友達は多かったというから……」
念のためここから始めようかしら、とシュラインは長谷川から聞いた、長谷川澄江の友人たちに連絡を取った。
あいにくと、その中に誕生日にお墓へ出向いた人間はいなかった。そこからまたいもづる式に他の人間の名前も出してもらったが、「行ってきた」という人間が出てこない。
シュラインは連絡をとる都度、ひとりひとりに、「最近、特に澄江さんに関して何か変わったことがないか」を聞いていった。
こちらも、大した情報は得られなかった。
シュラインは「友人知人がいった可能性は、ほぼないわね」とノートにメモしていく。
「それにしてもお友達が多いこと……武彦さん、澄江さんという方は、決して活動的とは言えないわりに人とはすぐ仲良くなれる人だったって皆さんおっしゃるわ」
事務所で色にまとわりつかれながら、煙草をふかしている草間にそう伝える。
「なるほどなあ……そういうタイプの人間は――あまり人から恨まれるタイプでもないだろうな」
「そういうイメージを持つのはよくないけれど、まあそうでしょうね」
応えてから、再度自分がやるべきことを考える。
「ええと……墓地自体は門屋さんがちゃんと調べてきてくれるとして……そうね」
誰か別人が持っていったとしたら――
「返信を書くためにとか、手紙を大量購入したりするかもしれない」
シュラインは立ち上がった。コートを手にしながら、
「私、文房具屋等当たってみるわ」
と草間に言った。
寺に行った将太郎が電話で草間に連絡し、草間が文房具屋その他を回っているシュラインを電話で呼び戻し、そして全員が草間興信所に戻ってきた。
「とりあえず、全員の集めてきた情報をひとつずつ聞いていくからな?」
シュライン、と草間は呼ぶ。
「私が調べた結果は……澄江さんがとてもいい人柄で、お友達が多かったってこと、でもお友達で一昨日にお参りに行ったという人間は今のところ現れていないということ、それから……長谷川さん宅やお墓近辺の文具屋、デパート等で手紙類を大量に買った人間はいないということ……ね」
門屋、と草間は呼ぶ。
「墓石に何の異変も見られないということ、一昨日以降誰も来た様子がないということ、シュラインに見ろって言われた足跡は、下が小石が敷き詰められてるタイプなせいで分からなかったということ、花は長谷川のおっさんが持っていったと言っていた花以外なかったということ、住職は――あー、人がいいっつーか、にこにこしてるっつーか、ぼけぼけしてるっつーか」
言葉に困ったらしい将太郎を制して、次に新村、と草間は呼ぶ。
「……情報屋からの情報。くだんの手紙の目撃情報は二人、娘さんと、隣の墓石に参りにきた他人」
「あん?」
「だから、誕生日当日の午後に長谷川の娘さんが母親のお参りに来てて、手紙を見てるんだよ。それが午後二時。それから、その後夕方五時に隣の墓石にお参りにきたまったくの他人が見てる」
「娘さんっていうと……東京で美容師をやっているって方ね」
シュラインがつぶやいた。
「となると、誕生日当日の夕方五時まではたしかに手紙があったってこった。それ以降の目撃証言はない。そうだな新村?」
「まあ、今分かってる分ではな」
そして全員が――
視線をまことに集中させる――
まことは、いまだ視線を泳がせていたが、やがて意を決したように、
「あの、」
と口を開いた。
●翌日
次の日の昼前、草間はシュラインと色をつれて長谷川光利の家に行った。
長谷川は快く家に入れてくれた。子供がひとり立ちして、妻も亡くなって以降、この家はひとりで住むにはでかすぎる、といって悲しそうに笑った。
色をつれてきたのは、万が一彼の能力が必要になったときのためだ。色は人の心を見通す能力がある。
長谷川がいそいそと淹れてくれた茶を飲むのは後回しにして、草間は話し出した。
「実は、ですね」
「はい」
長谷川は正座をして聞いていた。真剣そのものに。
「我々の仲間に、亡くなった方と会話できる者がおりまして――」
草間の言葉に、長谷川はいぶかしそうな顔をした。それはそうだろう。
「昨日、その彼女が、奥様とお話をさせて頂いたのです」
「妻と……ですか」
ぽかんと口を開ける長谷川。草間の両側で、シュラインと色は深刻な顔をしている。
「それで、彼女が言うには、奥様は『手紙は自分で持っていった』とおっしゃったそうです」
「―――!」
長谷川が目を見張った。
「たしかにそうおっしゃったと言うんです」
草間は重々しく繰り返す。
「……そうですか、妻が……」
長谷川はどこかしまらない口のまま、そうつぶやいた。
「――妻が、持っていった、と……」
そうならば……、と長谷川は苦笑した。
「そうならば……いいのですが……」
その様子を、草間たち三人はじっと見つめた。
――話はここでは終わらない。
「長谷川さん」
言葉をつないだのは、シュラインだった。「実は、続きがございまして」
「……はい……」
長谷川はシュラインを見る。
「奥様と話した者によりますと、奥様は確かに『自分で持っていった』とおっしゃったそうです。ですが――」
シュラインはまことの真剣な顔を思い出しながら、言った。
「聞いた感じでは、嘘をついているようにしか聞こえなかった、と……」
「これは奥様とお話させて頂いた者による判断です」
どうでしょうか――と草間は長谷川に尋ねた。
「奥様のお言葉として、ありえるとお思いになりますか?」
「………」
長谷川は長い間、うなだれていた。
色が、突然声を出した。
「しっくりこないんです」
どこか不機嫌な様子で。
「奥様が持っていった、じゃしっくりこないんです、俺らも」
長谷川は、すでになぜ色のような学生がその場にいるのか訊くのも忘れているらしい。
「……そう……ですか……」
ずず、と誰より一番先に、自分が出した茶を飲んで。
ほう、と息をついて。
「……なら、おそらく嘘でしょうな」
と、長谷川はつぶやいた。
草間たちは黙って聞いていた。
「あれは……昔から誰とでもすぐに仲良くなれる。笑顔がよかったんです。代わりに――嘘がつけない。嘘がとても下手だった」
「そうですか」
草間は背筋を伸ばした。
「では、捜索を続けてもよろしいでしょうか? 奥様が持っていった、と言ったことで、捜査を打ち切ることもできるのですが」
「――……」
長谷川は視線を虚空へやった。
ひどく悩んだようだった。
――妻が嘘をついたなら、それ相応の理由があっただろうから。
「それでも……」
上を向いた長谷川の目じりに、たまった光る何かがあった。
「見つけて……欲しいと……思います……」
「……分かりました」
「私は自分勝手でしょうか」
上を向いたまま問うてきた長谷川に、立ち上がりながら草間は答えた。
「人は誰でも、自分勝手ですよ」
●再捜査
「かーっこつけちゃって!」
長谷川光利の家を出て、色が早速草間をからかい始める。
「黙ってろ、馬鹿」
草間は赤くなりながら色を殴った。
「痛っ。子供を殴っちゃいけないんだぞ!」
「大人でもいけないけれどね」
シュラインが口を挟んだ。「どうする? 武彦さん」
「再捜査だ。桐生さんの勘にかけよう」
――墓石を媒体にして、長谷川澄江と会話をした桐生まこと。
そして、『自分が持っていった』という言葉を聞いたのも桐生まこと。
「その桐生さんが、『嘘をついてるようにしか聞こえなかった』と言うのですからね」
シュラインが自分の紅唇を指でつついて、
「昨日新村君に頼んだ情報、今頃出ているかしら?」
「事務所に帰れば分かるだろう」
三人は事務所へと直行した。
草間の事務所では、思ったとおり新村稔と桐生まことが待っていた。
「学校はいいのか、お前ら」
「こっちが気になって授業にならねえだろ。つーか中学生を捜査に連れてって何言ってやがるんだ」
稔は不機嫌そうだった。
どうだった、と草間は尋ねる。
「……隣の墓石は、本当に真っ赤な他人の墓石みたいだぞ」
と稔は言った。
「もちろん、昨日手紙を見たっていう人間も真っ赤な他人だ。裏は取れてる」
「……お前、どうしてそんなに不機嫌なんだ?」
「だってよ」
「私が悪いんです……」
まことが申し訳なさそうに言った。
「私が――お隣のお墓の方にも、お話を聞いてみようなんて、言った……から……」
「まことのあの技は体力使うんだぜ。そうそう何度も使わせてたまるかっての」
「うわーベタベタ」
色がけけけと笑った。
「お隣の墓、か……」
草間が煙草をくわえる。
「……そう言えば奥様、誰とでもすぐ仲良くなれるって言ってたわよね……」
「まさかな」
「まさか……」
「そのまさかかもしれねえんだよ」
今まさに火をつけようとしていた草間のライターを、稔は奪い取った。
「どういう意味だ?」
「だーかーら」
稔はライターを空中に放ってもてあそびながら、いらだったような口調で言った。
「――お隣の墓石に入ってる女性はよ。ダンナの女遊びが激しくて、その妻だった墓石の中のヤッコさんが死んで喪があけてすぐ再婚してやがんだ」
草間はぽろりと、口から煙草をこぼした。
結局、桐生まことの能力にすべてを賭けるしかなかった。
草間、シュライン、色に将太郎、稔、そしてまことの六人で向かうは長谷川澄江の墓石。
「まず、もう一度澄江さんに聞いてみます」
まことは稔が口を出せないほど真剣にそう言って、長谷川家の墓にそっと手を触れ、目を閉じる。
――教えてください、本当に手紙はあなたが?
――本当に、そうなんですか?
――誰もかばっていないと言えるんですか?
「旦那様をここへ連れてきたとしても……!」
まことが大声を出して、他五名がひるんだ。
「お、おいまこと、力の使いすぎだ――」
稔が慌てて墓石からまことを引き離した。
青く発光していたまことの髪の色が、黒に戻らずに白く褪せてしまう。
「だって……信じられない!」
まことは泣きそうになりながら言った。
「旦那様があんなに大切になさっていた手紙がどうなったかについて……本当のことを言ってくれないなんて……ひどいです……!」
「まこと、何をそんなに思い入れてる……?」
まことを抱きとめながら、稔が心配そうに顔をのぞきこむ。
まことは震えながら、そのまま目を閉じた。
「旦那が大切だから言えないこともあるかもしれない」
将太郎がつぶやいた。「あるいは、旦那以外にも大切な人間だって、いるだろうしな」
ふるふるとまことが目を閉じたまま首を振る。
「つ……伝わってきます……その方がどれだけ旦那様を大切に思っていたか……なのに……!」
「まこと、もういい、しゃべるな!」
稔がまことを抱きしめた。
見てらんないや、と色が目をそらした。
と――
ぼんやりと――
墓石の上に――
「あ……」
誰もが呆然とそこにふわりと現れた人物を見つめた。
「は、長谷川澄江さん――」
写真を見ているシュラインが、その名を呼んだ。
――すみません、お嬢さん方――
――けれど、どうしても言えないのです――
「……旦那さんは」
色がぼそりとつぶやいた。
「奥さんが嘘をついてるって聞いても、それでも知りたいって言ってたけどね」
色は澄江の幽霊から目をそらしていた。不機嫌そうに。
澄江の体が震えた。
――それで、も――
『もう、いいわ』
ふと、新しい声が割りこんできた。
『お節介はいい加減にしてちょうだいな、長谷川さん』
全員の視線が引き寄せられたのは隣の墓石。
その上空に浮かんだ――もうひとりの幽霊。
四十代かそこらだろうか、若くして亡くなった雰囲気がある。少なくとも、澄江よりは若い。とても不機嫌そうな、険のある表情をしていて、とても心安らかに墓石の下で眠っているようには見えなかった。
「あんた、まさか」
将太郎が声をかける。
たしかめる墓石の名前。石川家の墓――
「……石川百合」
稔がつぶやいた。ふん、と石川百合は長い髪を払った。
『もう石川ではないわ。石川は再婚したのでしょう』
「………」
『そうよ。言ってやるわよ。長谷川さんの旦那さんの手紙は全部私が燃やしたわ。全部、私がね!』
――石川さん――
二人の幽霊のトーンが、ずいぶんと違って聞こえる。
澄江の、今にも消え入りそうな声とは対照的に、百合の声はまるで生きているかのように立体的だった。
『憎かったのよ……!』
百合は唇を噛んだ。
『憎かったのよ! 死んでもなお愛されてる長谷川さんが! 動機はそれで充分でしょう!』
――旦那は女遊びが激しく、喪があけてすぐ再婚――
『憎かったのよ……!』
一ヶ月に一度では少ないくらい頻繁にお参りに来る、隣の主人。
ある日、「誕生日おめでとう」と手紙の束まで持ってきて。
『憎かったのよ……!』
――自分のところへは、旦那なんか一度も顔を見せたことがなかったのに。
この石川の墓石に入っていながら、石川家の人間はひとりもお参りに来たことがなかったのに。
『私がやったのよ! さあ、これでご満足!? 帰りなさいよ!』
百合はヒステリーのように叫んだ。
と――
「――ざ、けんなっ!!」
稔がしぼりだすような声を出した。
まことをしっかり抱きかかえたまま。
「んな理由で――他人の『大事な想い』を傷つけるんじゃねーよ!」
パンッ!
想いがはじけるように、空気を撃つ。
百合がはじけた空気によろめいて、澄江が慌てて百合に手を伸ばした。
――百合さん――
『――……』
「駄目……稔」
稔の腕の中で、まことが彼の頬をそっと撫でた。
「あなたの精神エネルギーは……彼女には強すぎる……」
「―――」
まこと、と稔はつぶやいた。
もう一度深く抱きしめながら。
「イチャラブしてる場合じゃないってば」
色が頭の後ろで手を組んだ。「だからさー、手紙が燃えちゃったんじゃもう全部おしまいなわけ。それを聞くくらいなら、奥さんが持ってっちゃったってことのままにしときゃよかったんだ」
「――私の――」
「誰それのせい、とか言ってる場合でもねえの」
聞いていた草間が苦笑した。
「一番歳下の色が、一番冷静だな……」
「参ったね、こりゃ」
将太郎が肩をすくめる。
「待って、ねえ」
シュラインが百合に詰め寄った。「本当に燃やしてしまったの?」
『だから、最初からそう言って、』
「嘘。私も女よ。桐生さんが澄江さんの嘘を見抜いたように――私もあなたの言動に不自然を感じるくらいの勘はあります」
シュラインは真顔で百合と澄江を見比べる。
日光の下、二人の幽霊はひどく輪郭が薄かったけれど。
『わ、私は――』
「あなたの家の事情は聞いたわ。たしかにあなたのお墓に、あなたのために石川家の方がいらっしゃることはないようね。それでも――」
――それでも誰かは来る。
手紙の目撃者となった誰かは、たしかに『石川百合』の霊を慰めに来たのだから。
「旦那様のことも許せないわね。でも、たたるなら旦那様にしておきなさいな。お隣を嫉妬してる場合じゃないでしょう?」
「シュ、シュライン……」
草間が頬を引きつらせるが、シュラインは構っちゃいなかった。
「――旦那さんを、たたれなかったんでしょう?」
『―――』
「そんなあなたが、長谷川さんの手紙を燃やせるわけはないと思います」
『――……」
なるほどな、と臨床心理士の将太郎があごに手を当て、
「シュラインの言うことにも一理ある。……百合さん、あんた本当はやってないんじゃないのか?」
『や、やって――』
「やったって思うことが、自分のプライドにつながると思っちゃいかんぞ。何よりあんたの優しさは、澄江さんが証明してくれちまう」
『―――』
百合が澄江を見る。澄江は百合を抱きしめるようにした。
――あなたが辛そうなのを、見るのは嫌だったの――
『―っ―っ……』
百合は薄れていく体で泣き崩れる。
『だって……っ私、どこまでも中途半端で……』
「誰もあんたを恨んでなんかいないだろ。だからな、もう全部言っちまって、楽になれ」
『………』
百合はうつむいた。
長い髪が、その表情を隠した。
『……私の墓石の……』
後ろの、小石の下の土の中――
「あそこか」
草間が墓石の裏をたしかめて、掘り返したような後がある一点を見つける。
「燃やしてなかったのね」
シュラインが微笑んだ。「それでいいんです。間違っていないわ」
『……本当に、燃やしたいと思った……』
「でも、やらなかった」
『本当に盗んだ』
「でも今、正直に白状した」
『………』
稔が舌打ちした。
「ふん。――もうあんたに喝入れる理由がなくなっちまったよ」
「稔。そんなこと言わないで……」
「はいそこラブモードに入らなーい」
色が草間の掘り出した手紙の束を受け取り、
「ほらっお宝発見!」
これでさあ、と色はにいっと笑いながら言った。
「この手紙の大切さイコール価値倍増? まさにお宝!」
「茶化すな」
ゴン、と草間に殴られて、
「せんせーい、ここに子供に暴力振るう大人がいまーす」
「せんせーい、ここにやたら大人をからかう子供がいまーす」
「……武彦さん、同レベルよ……」
シュラインが脱力する。
ぷっとふきだしたのは――澄江と百合だった。
ひとしきり笑って……
――ありがとう――
二人は同時に言った。
すう……と二人の姿が消えていく。
「まったく……言うだけ言って消えちゃってさ」
ねえ、草間さん――と色は言った。
「人ってほんと、自分勝手だよねえ」
「かっこつけじゃなかったのか?」
草間はそう言って笑って――煙草に火をつけた。
●エンディング
長谷川光利には、「手紙は風に飛ばされて汚れてしまっていた」と説明した。
奥さんは、風で行方不明になってしまったことを申し訳なく思って「自分が持っていった」と嘘をついたのだ、とも。
それを聞いて、長谷川は何を疑うでもなく「あいつらしい」と言い、帰ってきた土まみれの手紙の束を抱きしめた。
「ほら、大切さ倍増」
と色が言った。
「今回はまあ、順風満帆かね」
草間が満足そうに、灰皿に煙草の灰を落としていると、
「邪魔するぜー」
相変わらずドアを蹴るようにしながら、新村稔が入ってきた。
「何だ? そういや桐生さんは」
「あれ以来疲れて熟睡だ。それより」
金。と稔は親指と人差し指で円を作った。
草間は呆気にとられてその丸を見つめた。
「……何の?」
「何言ってんだ? 情報屋使やそれぐらいかかるって」
「あれ本気だったのか!?」
草間は悲鳴に近い声で叫んで――そのまま失神した。
「武彦さん!」
「兄さん!」
慌ててシュラインと零が駆け寄る。
稔は我関せずといった表情で口笛を吹く。
「――っちはー!」
相変わらずのんきな色が、学校帰りに草間興信所にやってきて、倒れている草間を見るなり言った。
「今度は草間さんが壊れたの?」
―Fin―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1522/門屋・将太郎/男/28歳/臨床心理士】
【2675/草摩・色/男/15歳/中学生】
【3842/新村・稔/男/518歳/掃除屋】
【3854/桐生・まこと/女/17歳/学生(副業 掃除屋)】
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■ ライター通信 ■
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シュライン・エマ様
お久しぶりです、こんにちは、ライターの笠城夢斗です。
今回も依頼にご参加くださり、ありがとうございました。
とても微妙な結果の話となってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。楽しんでいただけましたら幸いです。
またお会いできる日を願って……
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