|
アパティア
本能や情感に乱されない無感動な心の状態。
超然として生きる状態。
本当に生きていると言えるのか。
草間・武彦の元に、依頼人は少女を連れてやってきた。
依頼人と少女の関係は祖父と孫だと初老を過ぎた男性が言う。
少女は何の反応も示さない、ただ言われるまま、されるがまま、連れてこられているといった雰囲気だ。
依頼はこの少女、郁の心を動かす事だ。
今までどんなに感動的な映画を見せても、すばらしいといわれる芸術を見せても、心一つ動かさず、見るだけ。しゃべる事もそんなに無く、今も何を思っているのかわからない。理性と意思によって押さえ込まれたようなこの状態、それは郁にとって幸福なのかもしれないが、それでも、自己満足でも郁には笑ってほしい。依頼人の娘夫婦は郁が赤ん坊の頃に交通事故で亡くなり、それから普通に育ててきたはずなのに、こうなってしまった。年相応の表情をとってほしいだけだと、そう依頼人は言う。
医者にかかっても駄目だった、だからここへ来た。
なんとなく放っては置けないと、この依頼を武彦は受けることとし、とりあえず一週間様子見、という形をとって。
興信所には様々な人間が来る。出会いも様々、だから何かきっかけがあるかもしれないと。
「あら武彦さん、この子どうしたの?」
「依頼人からの預かりっ子だ」
シュライン・エマは興信所に来てすぐ、武彦が接客用ソファで一人の少女と睨めっこ、のような状態でいるのを見て思わず笑ってしまった。
「映画や芸術は、見てる方が拘れる何かがなければただの画像であり塊なのよね……動物なんかとのふれあいはもうされてるだろうし……」
事の次第を武彦から聞いて、シュラインは郁の前にしゃがみこんだ。そしてじっと見る。
視線があったがそれでも表情かえず郁はシュラインをみつめ返した。
「こんにちわ、郁さん」
「こんにちわ」
抑揚無い声色で返ってくる言葉。シュラインは手を伸ばして郁の頬に触れる。
「えい」
と、いきなり突然、シュラインは郁の頬をみーっと、軽くひっぱったり撫でたりと軽くマッサージ。それにも郁は表情を変えずされるがままだった。
シュラインはにこっと笑って、そして郁の手をとった。
「私と一緒に外に散歩に行きましょう」
そう言ってシュラインは立ち上がり、郁もこくん、と頷いてソファからとん、と立ち上がった。
「任せた、俺に子供の相手は無理だ」
「みてて面白かったわよ、睨めっこ」
武彦をちょっとからかう様な、そんな雰囲気を纏わせつつ彼女は郁と手を繋いで興信所をでる。
別に行き先は無く、街をぶらぶらと歩くだけ。
会話はないけれどもゆっくりと歩く速度を郁にあわせている。そんなちょっとした心遣いが彼女らしい。
「あそこ工事してたんだ……」
ふと歩みをとめてシュラインは道路の先を見る。黄色い縦看板や作業員がせわしなく仕事をしていた。郁も、なんとなくそれを見ているようだ。
「じゃあこっちに行きましょう」
シュラインはにこ、と郁に笑いかけて、工事中の道を避けた。
そして歩きながらも猫がいるわね、あの鳥何かしらなどと独り言のようなことを呟く。それは郁の耳に届いているのかそうでないのかはわからない。
そうして散々歩き回りちょっとつかれて小腹も空いてくる。
と、丁度良いところにかわいらしい、女の子が好きそうな喫茶店がふと目に入る。
どうやら紅茶とケーキのお店らしい。
お茶にしましょう、とシュラインは言って郁とともにその店へ。先客たちは皆、女の子たちばかりだ。話に花を咲かせているのがすぐにわかる。
いらっしゃいませ、と明るい店員の声が響き、窓際の席へと通された。
窓の外には、まばらな人の流れが見える。
「はい、好きなものを選んで。飲み物とケーキ」
シュラインはメニューを開いて郁に見せる。こっそりと彼女の視線を追って何に興味を示すのか、そして好みをチェックしようと思っていた。
ゆっくりとメニューの文字を郁が追う。時々シュラインの視線に気がついて顔を上げるがにこりと笑われるだけだ。
メニュー上を行く視線がだんだんと絞られていき、シュラインは郁がプリンとチョコレートケーキで迷っているのをその視線の動きで知った。
「オレンジジュースと……プリン」
「わかったわ。すみません、注文を」
郁の注文が決まるとシュラインは店員を呼びオレンジジュースとプリン、そして自分にはアイスティーとチョコレートケーキと注文した。
注文したものが運ばれてくる間二人は特に何も話さず、ただ窓の外を眺めていた。
自転車が通って、女子高生が三人通って、のんびりと時間が流れていく。
「お待たせしました、オレンジジュース、アイスティー、プリンとチョコレートケーキです」
先ほど注文をとった店員が明るい笑顔でそれを何をどちらが注文したのか覚えていたのだろう、てきぱきと置いていく。最後にごゆっくりどうぞ、と一言つけたして。
「一口食べる?」
シュラインがそう言うと、郁はこくんと頷いた。
はい、とチョコレートケーキののった皿を郁に近づけてあげると遠慮がちに少し、とる。それを口に運んで、いつもの無表情が少し緩んだような気がした。
「おいしい?」
それにまた頷き返し、郁はプリンを前に出す。
「お返し……」
「あら、ありがとう」
シュラインもちょこっとプリンをもらいそれを嬉しそうに食べる。そして自分の手元にあるケーキも。
言葉は無いけれども幸せだときっと郁も感じているだろうと思った。
店をでると時間は夕方より少し前といった所、そろそろ依頼人が迎えに来るだろうと思いシュラインは興信所へ帰ろうか、と郁に言う。きっと頷き返すのだろうな、とシュラインは思いまさにその通りだった。
夕暮れになりかけの道を手を繋いで歩く。体温が伝わるのが少し心地良い。
興信所につくと、シュラインはしゃがみこみ、そして郁に言う。
「今日、プリン食べたお店から外見てたでしょ。自転車何台通ったか覚えてる?」
郁はその問いにちょっと驚いたようで瞳を丸くした。
少しだけど表情ちゃんとでるじゃないの、とシュラインは思う。
瞳を伏せて、それを思い出そうとしているのか少し眉を顰めている。
「……五台だよ」
「あたりっ! すごいわね郁さん!」
にこっと笑って、そして郁を撫でぎゅーっと抱きしめる。それは少し強いくらいの力。
シュラインはしばらくそうした後、郁を放した。
視線が合って、最初よりも距離は少しは縮まっているだろうな、と思った。
「じゃあ、また今度会ったら私と散歩、しましょうね」
「……今日はありがとうございました」
ぺこ、と頭を下げて郁は丁度迎えに来た依頼人の下へと歩む。今日は何をしたのか、と問われているんだろう。言葉少なに依頼人に話しているのがわかる。
「あの子……感情が無いんじゃなくて、出し方が弱いのか、薄いだけじゃないかしら」
彼女の日常とは違った自分のテンポに遭遇することで少しはそれが解消されると良いのだけれども。
そうシュラインは思った。
そして次の日。今日は手製の黒ゴマプリンを持ってシュラインは興信所の扉を開いた。
「こんにちわ……あら、武彦さんも郁さんもいない」
「あの子ならさっき玖珂に押し付けたぞ」
後ろからのそっと現れた武彦にちょっと驚きながらそうなの、とシュラインは言った。
「すぐ帰ってくるだろ、そんなに何時間も連れまわすなんてしないだろうし……」
煙草に火をつけつつ武彦は言う。
「そうね、じゃあ二人が帰ってくるまで雑務をしてようかしら」
そうして少しずつ色々な事をてきぱきと片付けると時間が経つのも早く。
ふと興信所の入口を見るとかちゃりと開く音、そして倒れこむ玖珂・冬夜。
「!」
驚いて傍によると穏やかに寝息をたてている。冬夜の隣で郁もしゃがみこんでじっとその顔を見ていたが眠っているだけだとわかったらしく表情を緩めた。
「大丈夫みたいね、武彦さん、玖珂さんを運んでくれる? ここじゃ邪魔になるわ」
シュラインに呼ばれて武彦はよいしょと掛け声をかけ冬夜を引っ張るようにソファへと連れて行く。その後ろを郁が歩いて、心配なのか冬夜の傍に座った。
「あら、玖珂さん好かれたようね」
そんな様子を微笑ましく眺めながらシュラインは郁に今日あったことを聞いた。
彼女は冬夜と散歩をして白鳥を見た事、ベンチに座ってぼーっとした事、そして木の枝に引っかかった風船を冬夜がとってくれた事を話す。
それはあったことを淡々と話すだけだったが、雰囲気は嬉しそうだ。
「そう、よかったわね。じゃあ私からは黒ゴマプリンをプレゼント。家に帰ってからお祖父さんと食べてね」
可愛くラッピングされた箱を冷蔵庫から取り出してはい、と渡すと郁はありがとう、礼を言った。そしてタイミングよく、話がひと段落ついたところで依頼人が迎えに来た。
まだここにいたいな、とそんな雰囲気を感じ取ったシュラインはまた明日ね、と言って笑いかける。
そして郁が帰ってから数十分後、冬夜が目を覚ましたのを武彦との会話中に気がついた。
「……れ?」
「起きたか、入口で眠りこけるから驚いたぞ」
「そうそう、郁さんもお迎えがくるまでじっと隣にいたのよ」
「あ、こんにちわ、シュラインさん」
久し振りに会ったシュラインに冬夜はやわらかく笑んで言う。
シュラインももうこんばんわの時間だけれども、と軽く笑いながら返した。
「郁さん、帰っちゃったんだねー……挨拶できなかったなぁ」
明日もまた来るぞ、と武彦が言い冬夜はそうだねと返す。
「風船、とってあげたんですってね」
「風船……あ、うん。とってあげました、木に引っかかってるのを。嬉しそうな氣を感じましたよー」
「そう、やっぱり感情がうまく出せないみたいね……」
解決策は無いかしら、と彼女は言う。
「よし、じゃあ呼び出そう、楷を」
武彦はそう言って電話の受話器をとるとどこかへ連絡をし始めた。
大体の話をすますと受話器を置いて二人に言う。
「十分でくるそうだ」
どんな人が来るのか、そんなのは本人が来ればわかる、と武彦は言って話そうとしない。
シュラインも冬夜も会った事のない人物なのでどんな人が来るのかと想像しあったりなどしていた。
そして十分後。興信所の扉を開けたのは武彦の読んだ楷巽と出会い二人は何故呼んだのか、それを悟る。
少しばかり雰囲気が郁に、似ていなくも無い。
「おー、呼び出してすまないな楷」
「いえ……それでその子は?」
「さっき依頼人が迎えに着たので帰りました、初めまして楷さん」
すっとソファから立ち上がった女性はシュライン・エマと巽に名乗った。もう一人の少年も眠そうな表情で玖珂・冬夜と名乗る。
「初めまして、楷巽といいます。お二人も手伝っている、ということでいいんですか?」
「うん、今日は郁さんと散歩したよー」
瞳をこすりながら冬夜は言う。そして今までの様子を巽に掻い摘んで話した。
シュラインからは散歩をし、店でプリンを食べ、そして無感動なのではなくて彼女は感情の出し方を知らないだけじゃないのかと思ったこと。ぎこちないけれども、少し表情が和らぐこともあったということ。
冬夜からは彼女から見える氣はちゃんと感情があり変化も感じられたということ。
巽は得た情報を自分の持つ経験と知識とを踏まえて考えているようだった。そして武彦の方を向く。
「……とりあえず、俺もその郁さんに会ってみようと思います。彼女の家を教えてもらえますか?」
「ああ、いいけど……今から行くのか?」
「ええ、早い方がいいでしょうし」
武彦はわかった、といい近くにあった紙にさらさらと住所を書き始めた。
巽はそれを受け取って、シュラインと冬夜の方を向く。
「また経過を報告します、それでは」
「ええ、いい報告を期待しているわ」
「うん、いってらっしゃいー」
興信所から出て行く巽を見送った後、シュラインは武彦の方を向く。
「依頼人の方に知らせておいた方が良いんじゃない?」
「おーそうだな……電話するか」
シュラインの言葉に武彦はもう一度受話器を取る。
そして今から一人そっちへ向かったと簡潔に伝えて電話を置いた。
「これでいいな、二人とも明日からもよろしくな」
「ええ、最後まで付き合うわ」
「うん、人助けだもんねー」
良い方向に運ぶように。
それは誰もが思っている。
そしてそれ以後、郁は自分の感情を少しずつ表に出すようになった。
巽が何をしたのか、詳しくは聞かなかったがそれが一つのきっかけになったことは明白だ。約束の一週間がすぎて、最終日。
「郁さん、今日が最後ね」
「はい……あの、ええと……」
郁が言葉を捜すように、シュラインを見上げる。
シュラインは郁が言葉を見つけるのを待った。
「お姉さんの名前……私はずっと知らないままだから……教えて欲しいの」
「あら」
少し驚いて、だけれどもすぐシュラインは微笑んで郁をぎゅっと抱きしめる。
郁はそれに一瞬吃驚したが、どうやら落ち着くようでそれを受け入れる。
「私が毎回していた問題、最後の問題は私が聞いて欲しいことは何、だったのに先に聞かれちゃったわね。今までわざと言わなかったのよ」
「皆さんが名前呼ぶから知ってるけど……でも直接聞きたいです」
シュラインの耳元で、ぼそりと郁は呟く。
シュラインは彼女を抱きしめるのをやめ、正面から笑いかける。
「私の名前はね……」
その言葉の先は自分の名前。
<END>
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2793/楷・巽/男性/27歳/精神科研修医】
【4680/玖珂・冬夜/男性/17歳/学生・武道家・偶に頼まれ何でも屋】
(整理番号順)
【NPC/草間・武彦/男性/30歳/草間興信所所長、探偵】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
今回もありがとうございました。もう題名と内容のズレに関して自己ツッコミを放棄したライター志摩です。
皆様のおかげで無事に終えることが出来ました。きっと郁もこれから感情を表に出せるようになって行くと思います。きっと興信所にもまた遊びに来るはずで。
この『アパティア』は郁との触れ合い、そして後日という形になっております。集団作成なのに個別作成のノリなので他の方のもよければ楽しんでくださいませー。息切れしながら三つメモ帳並べて書いておりました…(笑
シュライン・エマさま
今回もありがとうございます!プレイングをいただいてみたときから終わりは絶対こうしよう…!と心に決めており達成でき大満足です…!シュラインさまのやさしさとかそのほか色々な要素をかもし出せていれば幸いです!
それではまたお会いできれば嬉しく思います!
|
|
|