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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて


 司書業務は、案外と長時間勤務なものだ。土曜日曜も開館しているため、休暇は定まった曜日に取りにくく、帰路に着く頃には辺りはすっかり夜の色を深めている。
 この日も例に漏れず、汐耶が帰宅の途に着く頃には辺りは既に薄闇で埋め尽くされていた。その上、仰ぎ見る空は漆黒の中にも重々しい灰色をも覗かせている。
「――――今晩あたり雪かしら」
 独りごち、寒さに白い息をひとつ吐き、飾り気の少ないコートの襟をただす。
 汐耶の凛とした立ち姿は、冬の夜の肌寒さに背を丸める事はない。しゃんと背筋を伸ばして闊歩する姿はクールな印象のある女性として人の目に映るのかもしれない。
 だがしかし、当の本人はといえば。
「……明日のお休み、どうしようかな」
 そう呟いて僅かに首を捻ってみたりしていたのだった。

 年が明け、早くも初めの一月が終わろうとしている。が、初春とは云うものの、日没ともなればその寒さはまだまだ冬のそれを思わせるのに充分足るものだ。
 ――早く帰って温かいお茶でも淹れよう
 そう考えつつ、汐耶は空腹気味になりつつある腹に片手を添えた。
 明日の予定よりも、まずは暖をとるのと腹ごしらえが先だ。
 途中、コンビニに寄ってちょっとした食べ物を買ってかえろうと頷きながら、汐耶はその足を道路の角へと向けた。

 雪のようなものが薄闇の中をぼうやりと照らし出す。
 ああ降ってきたのかとぼやき、汐耶は、ふと、周りの風景が見慣れた帰路のものとは異なったものである事に気がついた。
 薄闇が広がっているという点は変わらない。辺りは夜の色を呈している。
 だが、汐耶が今立っているその場所は、今しがた歩いていたはずの道路とは明らかに逸しているのだ。
 眼鏡の縁に手をあてて、汐耶はしばし歩みを留めた。
 今、汐耶の前に広がってあるのは、道幅40メートル程だろうかと目算される大路なのだ。
 大路は舗装などといった手が施されてはおらず、ましてや車の往来などといったものも確認出来ない。軌跡も見当たらず、それどころか人間の往来の一つもないのだ。
「……そういえばさっきのあの角って、確か辻になっていたはずよね」
 思案顔でそう呟いて、夜風に揺れる髪を片手で撫で付ける。
 改めて見れば、大路の両脇には、ぽつりぽつりと点在する家屋のようなものが確認出来る。夜目に慣れた目であれば、それらが茅葺やら瓦やらの屋根を戴いた日本家屋である事が確認出来た。
 どう考えても東京とは異なる場所であろう事は、周りの風景を見れば容易に知れる。
 汐耶は小さなため息を漏らした。
「もうそろそろ、うっかり結界とか越えちゃう癖、どうにかしたいわ」
 軽くかぶりを振りつつも、汐耶は留めていた歩みを再びゆっくりと動かし始めた。
 肩越しに後ろを――自分が歩いてきたであろう路を確かめる。
 薄闇の向こう、緩やかな山型を描いた橋が架かってあるのが見える。小さくではあるが、川を流れる水音らしいものも耳を撫ぜた。
 どうやら自分はあの橋を越えてきたらしいという事を確認してから、汐耶は橋を背にして大路を進む。
 路の脇には家屋と、柳やら松やら梅やらといった木も点在している。そういった木立ちが夜風を帯びてさわさわと揺らぐのを横目に、汐耶はさらに歩みを進めた。
 見る限り、家屋には人間の気配は感じられない。電気が点いているわけでもないし、テレビや人の話し声といった音が聞こえてくるわけでもない。
 ――――その割には、先ほどから遠く近くに歌声のようなものが流れてきているようだが。
 怪しい気配を感じるわけでもないのだが、
「……油断は禁物よね」
 呟き、頷く。

 大路はやがて大きな辻へと繋がった。
 大路は汐耶が歩いて来た路の他、あと三つ同じようなものがあったようだ。辻はこの四つの大路を繋ぐ、云わば四つ辻になっているらしい。
 汐耶はふむと頷いて、そしてふと四つ辻の傍らにあるあばら家に視線を向けた。
 それは汐耶が横目に見遣ってきたどの家屋よりも鄙びていて、遠目にもほぼ半壊気味だという事が見て取れる。
 掘っ建て小屋としか思えない見目をしたその棟ではあるが、しかし、汐耶はそのあばら家に向けて足を寄せた。
 ――――あばら家の中から、賑やかな声が漏れ聞こえてきたからだ。

 あばら家の入り口と思しき戸板を前に、汐耶はしばし首を傾げる。
 中からは確かに噺声や唄などといった愉しげな声が聞こえてきているし、戸板の隙間からはぼうやりとした灯りが一筋漏れ出て、薄闇を一条照らし出してもいる。
 ――――だが、もしもこの中にいるのが人間でなかったら?
 もしもその中にいたのが悪意を持った存在であったなら、果たしてどう対処したものだろうか。
 僅かばかりの躊躇を抱え、汐耶はさらに思案する。
 と、その時。

「おや? お客さんですか?」
 
 男の声が、汐耶の背後からひどく呑気な口調で声をかけた。
 僅かに驚き、汐耶はその場から少しだけ退いて、その声の主を確かめる。
 声の主は、女性としては高身長である汐耶よりも背丈の高い、穏やかな笑みをたたえた和装の男だった。
「……人間」
 呟き、安堵の息を吐く。
 男はそんな汐耶を笑みながら見つめ、頷きながら頭を掻いた。
「はあ、まあ、見た目は人間ですがね。ああ、もしや、この中にいるのがおっかない連中だったらどうしようとか、そんな事を考えていらしたんで?」
 袖の中に腕を突っ込んだ姿勢で、男は縁のない眼鏡の奥の眼をゆらりと細め、頬を緩める。
 汐耶は返答に迷った後に、首を小さく縦に動かした。
「この中にいるのは人間? それとも」
「人間じゃあないですねえ」
 男はどこか困ったような笑みを浮かべると、戸板に手を伸べてそれを引き開けた。
 引き戸であった戸板は男の手によってすらりと開け放たれ、薄闇ばかりであった景色は一息に明るさを手に入れる。
「ま、でも、気の善い連中ばかりです。取って食ったりしませんから、どうぞ中へ。温かい飲み物でもお淹れしましょう」
 あばら家の中には、男が言うように、人間ではないものの姿ばかりが並んでいた。
 鳥山石燕の画がそのまま目の前にあるような、そんな不可思議な光景を目の当たりにして、汐耶はしばし絶句した。
 油すまし、からかさ、一つ目に八咫烏。
「……これって、全部妖怪なの?」
 呟くようにそう訊ねると、あばら家の中に片足を踏み込んでいた男っが肩越しに汐耶を見遣り、「そうですよ」と穏やかに微笑んだ。

 あばら家の中はどちらかと云えば手狭な印象のある作りをしていた。
 広さ的には6畳の部屋が二つ分程といったところだろうか。木造の、テーブルらしきものが四つ。それを囲むように、やはり木製の椅子が雑多に置かれている。
 妖怪達はそれぞれに思い思いの席に座り、愉しげに小噺やら都都逸やらを嗜んでいたが、汐耶が顔を覗かせると同時に一様に汐耶の姿に視線を寄せた。
「おんやあ、お客かい」
「人間のおなごじゃねえ」
「ささ、さっさとこっちへおいでえな。戸が開いてると寒くてかなわんわ」
 口々に言葉を掛けてよこす妖怪達に、汐耶は戸惑いながらも頷く。
「お邪魔致します」

 妖怪達は、果たして、男の言葉通り、悪意をもった者は一人として存在していなかった。
 どれもが快く汐耶を迎えた。建てつけの悪い引き戸に難儀していた汐耶に代わり、軽く笑いながら、引き戸を閉めるコツを教えてもくれた。
 勧められるままに腰を下ろした汐耶に、妖怪の一人が酒の入った湯呑を渡して笑みを浮かべた。
「あんた、酒はいける口かい?」
「ええ、まあ、それなりに」
 汐耶が頷くと、妖怪は満足げに頬を緩め、湯呑の中の酒を飲むようにと促した。
 酒は蜂蜜のような色をしていて、無骨な形の湯呑の中でゆったりと揺れている。
「洒落たグラスがあれば良かったんですがねえ」
 先ほどの男が奥の方から声をかける。
 汐耶は小さくかぶりを振って、蜂蜜色の酒を口に運んだ。
「……美味しい!」
 感嘆の言葉を口にして、思いがけない驚きに目をしばたかせる。
 汐耶のその様子が面白かったのか、妖怪達の間に笑いが起こった。
「古酒なんですが、お気に召したんなら良かったです」
 男がやんわりと笑みを浮かべる。
 妖怪達は空になった汐耶の湯呑に古酒のおかわりを注ぎにやってきては、人懐こい笑みで汐耶に言葉をかけてくる。
 その流れが一頻り落ち着いた頃には、汐耶は湯呑の古酒を数杯飲み干していた。
「いやあ、人間の娘御と顔を合わすなんざあ、久しぶりだのう」
 男が運んできた緑茶で一息入れつつ茶菓子を口に運ぶ汐耶に、差し向かいに座っていた妖怪――河童と思しき魑魅が言葉をかける。
「私以外にも人間の出入りがあるんですか?」
「たまあにな。ま、ほら、俺がここにいない時なんかに来たりしてるのもあるかもしんねえけどな。俺が人間と話すのはあんたが久しぶりだあよ」
 汐耶は興味深く頷いて、心持ち椅子を河童の側に寄せた。
「あなたから寄っていくことはないの? 人間の世界に出入りしたりとか」
 すると、河童はふるふるとかぶりを振って答えた。
「いんや、俺はもう人間の世界へは出入りしてねえよ。俺が最後に出掛けたのは、そうさな、江戸が帝都って呼ばれるようになった頃だったかなあ」
「帝都。明治とか大正の頃かしら。その頃はあなた以外にも妖怪の出入りはあったの?」
「ああ、ああ、そりゃあなあ。あの頃の帝都にはそこかしこに仲間がおったもんさ」
「へえ……!」
 河童の言葉に、汐耶は興味深げに目を輝かせた。

 河童は、それからも懐かしい話を語った。
 稜雲閣――12階とも呼ばれたその建物を、夜、人の目を盗んで見学しに行った事。
 軍人が闊歩し、文学を志す者達があちこちで酔いつぶれていた風景の事。
 中には人間に化けて廓に入り、人間に心を寄せ、半ば無理やりに常世へと旅立っていった女の妖怪の事。
 
 汐耶は、そのどれにも興味深く聞き入り、頷き、目を輝かせていた。
 河童は汐耶のその態度が気に入ったのか、酒を片手に話し続けていたが、やがて酔いつぶれて眠ってしまった。

「こういう話はお好きですか」

 眠ってしまった河童に自分のコートを毛布代わりにかけてやろうとしていた矢先、汐耶を、初めに会ったあの男が呼び止めた。
「ええ。とても興味深いわ」
 頷きつつ、男の手にある毛布を確かめる。
 男は河童にそれをかけてやると、空になった湯呑や肴の皿を盆にのせて片付けを始めた。
「そりゃあ良かった。……まあ、この場所へいらっしゃる人間は、皆さん妖怪に好意を持って接してくださる方々ばかりなので、俺としてもありがたいばかりです」
「あなたはここの主なの?」
 汐耶が問うと、男は小さく笑って首を傾げた。
「主なんてもんでもないですがね。まあ、似たようなもんでしょうか」
「そうなんですか。……初めは確かに少し驚いたけど、でもここは良い場所よね」
 笑みを返した汐耶に、男は礼を述べながら新しい酒を差し伸べる。
「お気に召したんなら良かった。もしお急ぎでなければ、どうぞゆっくりしてってください。こんな場所ですが――連中は皆あなたと話をしたがってるようですし」
 そう述べた男に、汐耶は微笑んで頷いた。
「そういえば、まだ名前を言ってませんでしたね。私は綾和泉汐耶。よろしく」
 差し伸べた手を、男は目を細めて握り締めた。
「ここの連中からは侘助と呼ばれてますが、お好きなようにお呼びください」
  
 握手を交わし、笑みを交わす。
 あばら家だとばかり思っていた茶屋の中、愉しげな唄声が響き始めた。



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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【1449 / 綾和泉・汐耶 / 女性 / 23歳 / 都立図書館司書】


NPC:侘助

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         ライター通信          
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いつもお世話様です。このたびは当シナリオへのご発注、まことにありがとうございました。

汐耶様は今回が初「四つ辻」となりますので、今ノベルでは四つ辻を訪れ、馴染まれるまでの描写にも力をいれてみました。
結果、「昔語り」部分が少々薄くなってしまった感があるのですが……
少しでもお気に召していただけていれば幸いです。

このゲームノベルシナリオは、基本、一話完結となっております。
が、二度目以降からのご参加をいただけました場合には、以降、引き続いて描写していく事も可能となっています。
もしもよろしければ、またぜひ四つ辻に遊びにいらしてくださいませ。

それでは、またお会いできますことを祈りつつ。