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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>



御神渡の夜 

 客前に出したお茶も急速にお湯・水・氷と3ステップ変化する室温の草間興信所で、依頼人は「ここ、暑くないですか?」と言った。
 ――思いっきり季節感無視したセリフねぇ!
 季節は真冬。
 そして暖房器具と呼べるものは、三世代は旧式のファンヒーター一つ。
 そんな事務所の室温は限りなく外気に近いというのに、依頼人は薄っすら額にかいた汗をハンカチで拭った。
 事務員・シュライン・エマと所長の草間武彦は、別の意味で変な汗が出そうになる。
 草間は手持ちの衣類という衣類を重ね着して、この寒さに耐えている。
 一方シュラインは一見薄着だが、某国女王陛下御用達のあったか肌着に貼るカイロを隙間無く貼り付け、完全防寒仕様だ。
 足元にも抜かりは無い。
 ボアタイプのスリッパとソックスの間には、おばあちゃんの知恵・唐辛子が薄布にくるまれて仕込まれている。
 女性は冷えには弱いもの。
 しかし着膨れた姿は気になる男性の前で見せたくない、という心理もある。
 ――優雅に泳ぐ白鳥も、水の下では鬼のように足を動かしているものよ。
 最大限の努力をしつつも表に見せないのが大人の女性のたしなみ・クォリティ。
 依頼人の向かいに座った草間が言った。
「その、話をまとめると、男神を何とか社から引っ張り出して女神の所に向かわせれば良い訳だ?」
「その通りです」
 さる神社で宮司をしているという依頼人が言うには、 彼らの祀る男神が、この寒さでなかなか御神渡をしてくれないらしい。
 御神渡は凍った湖の氷が伸縮と膨張を繰り返し、せり上がった現象だ。
 それを神が渡った足跡だとする伝説もある。
 シュラインが疑問を口にする。
「毎年そんなご苦労をなさって?」
「ここ数年は暖冬でしたから」
 依頼人の男はお茶を口に運びつつ答える。
 ――……いいのかしら、普段からまるっと見えちゃってる神様って。
    伝説でもなんでもないじゃないの。
 選ばれた一握りの人間にしか見えないからこそ、ありがたみが大きいような気がする。
 けれどこの所の寒さのせいか依頼は減る一方で、こちらにそれを選ぶ余裕はない。
 しかも心の拠り所、冷蔵庫に蓄えた食糧を野良鴉の集団に荒らされた今、草間興信所は厳しい状況に立たされている。
 冷蔵庫内の温度よりも室温が低いため、一旦中の食品を外に出して庫内を掃除しようとしたら、窓の隙間から入り込んだ鴉たちに持って行かれてしまったのだ。
 ――盗り慣れてた、あれはプロの動き……!
 ぎり、とシュラインは唇を噛んだ。
 時に動物の知恵は人間を上回る。
 食べ物を前にした時、人間も鳥も同じ場所に立つ事になる。
 ――この依頼、必ずモノにするわ!
 あくまでにこやかな営業用スマイルを顔に乗せ、シュラインは固く決意した。


 数日後。
 東京から車で数時間の距離にある湖を、草間を中心とした一行が訪れていた。
 すぐ目の前に薄く氷の張った湖を望む、赤い鳥居が夜目にも鮮やかな神社の前に一行は立っている。
 草間興信所所長、草間武彦。
 そこの事務員、シュライン・エマ。
 二人と懇意の双子である守崎啓斗・北斗。
 そして草間が顔を出すバーのマスター、ラッテ・リ・ソッチラ。
「随分早く着いてたんだな。いつ家出てきたんだ?」
 草間の運転する車には双子とシュラインが乗り、ラッテだけが現地集合という約束で集まったのだった。
 バスも一時間に一本あるかないかという山奥なのに、ラッテは朝出発した草間たちよりも先に着いていた。
「それはですねぇ、猫の道を通ってきました」
 猫の道。
 それは獣だけが知る秘密の抜け道。ショートカットルート。
 ラッテはにこにこと言葉を続ける。
「古くはニンジャマスター・ハットリハンゾウも猫の道に通じていたといいます」
「本当ですか!?」
 忍者と聞いて黙ってられない啓斗はこれでも正統派忍者。
「つうか徒歩かよ!」
 まるっきり信じていない弟の北斗がツッコミを入れる。
「ところで、あなた寒くないの?」
 シュラインがラッテに尋ねる。
 シュラインのコーディネートはテーマ『北極圏探訪・オーロラの旅』とでも言いそうな服装だ。
 足りないものは犬ぞりとハスキー犬だけ。
 スキーウェアで上下を固め、足元は浸水を防ぐ防水・防寒仕様。
 身に着けた帽子と手袋は毛皮が暖かに縁取り、もちろん服の下にはカイロを。
 草間もシュラインが見立てたので同じような服装だ。
 啓斗と北斗は軽装に見えるものの、その実、冬山登山の山男装備。
 新素材による吸汗発熱素材を随所に取り入れた、ハイテクコーディネートだ。
 耳当ての付いた大きめの帽子と手袋で露出を抑える事も忘れない。
 念入りな性格が裏目に出て、更にカイロを仕込んでしまった啓斗は密かに暑さでぼーっとしている。
 ――あ、暑い……でもこれ脱ぐと、寒いな……それじゃ脱げない……。
 が、哀しい事に誰も気が付いていなかった。
 双子の感応能力もこんなのはスルーだ。
 一方ラッテはそんな完全防寒装備の四人に対し、不自然なほどに薄着だった。
 バーにいる時とほぼ変わらない、薄めの生地が柔らかに翻るワンピース姿。
 シュラインは薄着にしか見えないラッテにライバル心を刺激された。
 ――どう見ても服装は室内仕様。一体何を中に着ているの?
「大丈夫ですよ」
 ラッテは鳥肌も立てず平然としている。
「私はこう見えて隠し事が上手なんです。
何でも隠せますよ……例えば、この『寒さ』もね」
 ラッテの隠匿能力が及ぼす範囲・対象はほぼ無限だ。
 さすが悪魔。
「私の周り、寒くないでしょう?」
 ラッテの脳裏に、かつて悪魔仲間に「お前の能力、中途半端」「正直使えねー」「リスのクルミと一緒で隠したもの忘れてるだろ?」と馬鹿にされた記憶が甦った。
 最後のセリフは悔しい事に当っている。結構な財産をどこかに隠し忘れてしまった。
 ――こんな私でも、誰かのお役に立てる日が来ましたよ!
 そんな哀しさとも今日でお別れ。涙君サヨナラ!
「……いや?」
 と草間が首をかしげ、シュラインと北斗も相槌を打つ。
「そうね」
「そうだなー」
「……うん」
 暑さで頭がぐらぐら揺れている啓斗も、一呼吸遅れて頷いた。
「え? そんなはずは……!」
 試しに手袋を脱いだシュラインがラッテの傍で手をひらひら振った。
「うーん。確かに寒くないけど……範囲身体から30cmて所ね」
「そんな〜!」
 ラッテががっくりと肩を落とした所に、今回の依頼人である宮司が現われた。
「皆さんよくおいでになりました! さ、男神様も中でお待ちですよ」
 ――中にいるのかよ神様!
 各自心でツッコミながらも、決して口に出さなかったのは大人の配慮というものだ。
 宮司に案内され、五人は鳥居をくぐった。


「お、悪いね〜。寒い所わざわざ」
 防寒装備を解いて通された広い板の間、一段高い上座に青年が座っていた。
 やたらフレンドリィな口調の神様――らしい青年が、神棚の下カップ入りのアイスクリームを食べている。
 暖かい部屋でアイス。
 これ以上の贅沢があるだろうか。いや、ない(反語)。
 しかも男神は裸足で着物と袴姿だった。
「……ねぇ、神様寒がりだったんじゃなかった?」
 シュラインが隣に座った草間に耳打ちする。
「何て言うか、神様らしさが欠けてるよな。ご利益とかありがたみが。」
 ぼそぼそと北斗と啓斗も男神の第一印象を口にする。
「こいつトシいくつなんだ?」
「それは秋津島の神として、それなりの年齢だろ。
……恥ずかしくないのか、いい年をして」
 胡散臭そうに男神を見る北斗に、啓斗が「はあ」とため息をついた。
 そこにお茶を運んできた宮司が咳払いする。
「聞こえてますよっ」
「あ、スイマセン……」
決まり悪そうに草間は笑ってごまかした。
「御神渡をされないのは、寒いだけですか? もっと他に理由があるのでは?」
 一応気を遣って、宮司の手前もあり丁寧に草間が尋ねる。
「んー……寒いのはもちろんだけど、しいて言えばめんどくさいんだよな。
長く夫婦やってるとさ、こう、だれてくる時もあるんだよ」
 だるそうに男神は言った。
 しかも長年連れ添った倦怠期特有の陰りを見せながら。
 千年単位で夫婦をしているとこんなものなのだろうか。
「うっわ、生々しい発言ですねぇ」
この国の神はなかなか人間らしい感覚を持っているようだ。
 ――勉強になりますね。
 ラッテは多くの時間をヨーロッパで過ごしていたので、男神の言葉が新鮮に聞こえる。
「んじゃあっちに来てもらえば? 男のメンツ丸つぶれだけどさ〜」
 北斗がわざとらしく嫌味なトーンで言う。
 挑発に上手く乗ってくるかは微妙な賭けだが、北斗には大いなる野望・ワカサギ釣りが待っている。
 男神なんか放っておいて今すぐ氷に穴を開けたいのだが、釣り穴を開けるには一つ条件があったのだ。
 ――この湖、氷の厚さ御神渡で測ってるんだよな。
 つまり御神渡が起こらなければ、氷の厚さは十分ではないと見なされワカサギ釣りも解禁されない。
 日頃上げまくっているエンゲル係数を北斗自ら下げるためにも、男神には湖を渡ってもらわなくてはならない。
 宮司がおずおずと北斗に言葉をかけた。
「残念ながら、女神様がなされた御神渡は無効なのですよ」
「何ー!?」
 ――無効って……! 
 北斗はワカサギ爆釣計画がどんどん崩れていく気がした。
 ちなみに北斗の計画は、ワカサギ大量捕獲→その場で調理・揚げたてを満喫→間欠泉で大自然の雄大さに触れるというものだった。
 湖の傍に温泉があるのは予め下調べ済みだ。
 一方啓斗の心もワカサギで一杯だった。
 そこの所はやはり双子。
 むぅ、と無表情を更にグレードアップさせて啓斗は考えていた。
 眉間に深く入った縦皺が、親しい者だけにわかる不機嫌ポイント。
 ――このままでは折角の天ぷら鍋が無駄になってしまうな。
 カセットコンロと小さめの天ぷら鍋を持参してきた啓斗だ。
 油を切るバットとペーパータオル、抹茶塩、南蛮漬け用の漬け込みダレも出発前日から用意して来た。
 ――これが……全部無駄に……。
 啓斗の煩悶は深い。
 が、無表情ゆえにやっぱり誰もそれに気が付かないのだった。
「……冷えた関係、って奴か?」
 ぼそりと煙草をくわえた草間が言った。
 この場合洒落なのか本気なのか判断に困る発言だ。
「もう、冗談言ってる場合じゃないでしょう!」
 シュラインが草間をたしなめる。
 シュラインも湖でアフターを楽しむ計画を練っていた。
 湖の傍には小さいながらも露天風呂を備えた温泉宿があり、草間と風雅な雪見酒を楽しむのも良いかと思っていたのだ。
 ――これは草間興信所の、財政建て直しへの一歩だけじゃないわ!
 さんざん気の回らない男に待たされている気持ちがわかり過ぎるだけに、シュラインが握る拳にも力が入る。
 ちら、と該当者を横目で見つつ、シュラインはバッグから防寒衣装セットを取り出す。
 全てを着込めば外気に触れる部分は目と鼻、口だけという豪華耐寒フルセット。
 カイロもあったかさ倍増の特強タイプだ。
 この装備で南極点やK2だって目指せる。
「女性を待たせるなんていけないわ。さ、これ着て 今 す ぐ 湖渡って下さいね」
 やや『今すぐ』に圧力をかけながらシュラインは言った。
 無言の圧力を感じ取った草間があたりを見回す。
「な、何だ? 急に冷えてきたぞ?」
「気のせいじゃないかしら」
 シュラインが浮かべるのは、あくまでにこやかな営業用スマイル。
 ――この人もプロですね……! 奥深いわ、日本の女性って。
 密かにラッテは胸の内でシュラインに感嘆の声を上げる。
「……わ、わかった」
 腰の引けた男神がシュラインから防寒服を受け取った。
「それじゃ気が変わらないうちに、外へ出ますか!」
 ばたばたと防寒服を着せ、一同は社の外へと男神を押しやった。


 湖の畔に立つ男神の姿ははっきり言って怪しかった。
 もこもこと厚い防寒服の上に啓斗の持って来た貼るカイロをびっしり付け、顔のある部分は目・鼻・口だけが覗くマスクマンぶり。
「……女神様、これが誰だかわからないんじゃない?」
 シュラインが複雑な表情で言った。
 自分で用意した物とはいえ、実際合わせてみるとものすごくこの場から浮いている。
「ま、いーんじゃないのか?」
 無責任に草間が答えた。
 しかも男神は片手にラッテの手渡した、ワイルドターキー・トリビュート15年を提げている。
 冴える月光に浮かび上がるその姿は……やっぱり怪しい。
「お酒は二人の仲を取り持つエッセンスですよ」
 どこに持っていたのか知らないが、ラッテはそう言ってワイルドターキーの瓶を男神の手に押し付けた。
 神様に果たしてアルコールが影響するのか謎だったが、雰囲気作りに一役買うかもしれない。
「早く行けよなー。
何なら俺が後ろからタックルして、湖に押し出してやろうか?」
 すでに北斗の手には氷穴あけドリルが装備済みだ。
 釣る気も十分。
「いや、ありがとう少年。自分で歩けるよ」
 言葉は爽やかだが、見た目が激しく怪しい男神がそう言って湖に足を踏み出す。
 男神の足が氷に触れると、バリッと激しい音と共に足元の氷が立ち上がる。
「うっわ、スゲー!」
 北斗が氷に目を見張った。
 先端に指で直接触れれば切れてしまいそうな鋭さだ。
 決して早くはないが確実な歩みで進む男神の後を、御神渡の印が点々と追っていく。
「ありがとうございます、皆さん!」
 宮司がやっと降りた肩の荷に大きく安堵の息を吐いて言った。
 人為的だが、今年もこの地方の吉凶占いは吉だ。
 代々の宮司の勤めは、いかに男神を上手く動かせるかで決まる。
「……湖の真ん中、誰かいるな」
 啓斗の声で全員が湖の中央に視線を向ける。
 淡い若草色の着物を着た女性が湖の上立っていた。
「対岸の女神様ですよ」
 宮司が説明する。
「待ちきれずに途中までいらっしゃったんですなぁ」
 女神のそばに男神が近付き、そっと寄り添――。
 わず、ゴスッという音が遠くからでも聞こえて来そうな女神の拳が、男神のみぞおちに鋭くヒットした。
 その場で男神は膝をつく。
「おい! あれどーなってるんだよ!?」
 唖然とした草間が口から煙草を落とした。
「女神様は激しく一途な方なのです」
 宮司が見慣れている光景に肩をすくめた。
「ドメスティック・バイオレンスか……」
「そうでもないみたいよ?」
 湖の中央に立つ男女の神は、今は静かに寄り添っている。
 シュラインの耳が遠くに立つ二人の会話を捉えた。
 許すような、かすかに甘さを含む吐息に続いて、女神が男神のマスクを取る音。
「……さっきのは待たせすぎの罰。
寒いのがイヤなら、冬になったらすぐ、こっちに来れば良かったのに」
「悪かった……」
 拗ねたような女神の言葉に、反省した男神の言葉が重なる。
 ――これ以上聞くのは野暮よね。
 シュラインは湖から視線を戻した。
「さーこれでワカサギ釣り解禁だよなっ! 兄貴っ鍋の準備は!?」
「北斗、まずは穴を開けないと……いや、テントはるのが先かな?」
 守崎の双子の意識はすでにワカサギへと向けられている。
 新たなワカサギ爆釣伝説の幕開け、そして新たな料理レパートリーへの扉が開きつつあった。
 エンゲル係数は僅かだが持ち直すかも知れない。
「ラッテさんはこれからどうするの?
良かったら私たちの泊まる宿に来ない?」
 シュラインの言葉にラッテは首を振った。
「こんな夜は雪見酒も素敵かもしれませんが……私はバーに戻ります。
お客様が開店を待っていますから」
 ――私の居場所は、あの暗闇に灯った小さなお店です。
    そうですよね、まだ見ぬ未来のお客様……。
 軽くどこかに電波を送信し、夜空に笑顔でキメているラッテを、冷静な草間の声が現実に引き戻す。
「おい、こんな時間にバス通ってないだろ?」
「猫の道を戻ります」
 ――徒歩でかよ!
 にっこり笑ったラッテに、無言のツッコミが四本刺さった。


(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 5980 / ラッテ・リ・ソッチラ / 女性 / 999歳 / 存在しない73柱目の悪魔 】
【 0554 / 守崎・啓斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍) 】
【 0568 / 守崎・北斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍) 】

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様
ご参加ありがとうございます。
今回はお笑いという事で、ボケ・ツッコミの振り分けを迷ったのですが、シュライン様にはツッコミをして頂きました。
ちょっと朴念仁(って言葉もあまり聞きませんが)な男性を思う女性、という所で少しだけ女神とオーバーラップさせてみましたが如何でしたでしょうか。
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。
ご注文ありがとうごいました!