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診察室 “Letzt Nacht” **case.狐憑き
「嗚呼、今日和。……依頼を受けて下さる方ですね。」
其の声に内山・時雨は緩慢に顔を上げ、遣って来た院長と云う其の人を見た。
「秋乃侑里です、宜しく。」
低めの落ち着いた声で告げられ、名刺を渡される。
時雨は一応其れを受け取ると、肩を竦めて少し面倒そうに応えた。
「内山時雨だ。如何云うコネで以って、何故私なんか呼び附けたか知らんが――専門職じゃあ無いんでねえ。困るよ、期待して貰っても。」
「然し、蛇の道は蛇とも云いますし……、ね。」
時雨の態度にも厭な顔一つせず、処かそう云って微笑って見せた侑里を見て、時雨は「面倒な奴だ、」と思ったが然し、もう此処に来て仕舞った以上引き返すのも格好が附かないので、仕方無さそうに小さく息を吐いてから話を切り出した。
「其れで、狐の件だが。」
「ええ。」
「何、簡単だ。インフォームド・コンセントも必要あるまい。天井から吊るして下で火でも焚いて遣れば良い。ちょいと小突けば直ぐに尻尾を出すだろ。」
至極真顔で。
否、時雨にとっては其れ位が妥当であろうから、本当に真面目な提案だったのだが。
「確かに狐には有効でしょうが。出来れば宿主に為っている患者の躯の方を優先して貰いたい。」
侑里も先程の微笑みを崩さない侭そう返した。
「あん、過保護な医者め。奴等は甘やかすと附け上がるよ。」
時雨はそう云って面倒そうに頸の後ろを掻いた。
「……仕方ない、無駄な手間だが一つ交渉と行こうか。」
「ええ、是非。済みませんね。」
笑みを苦い物に変えた侑里が申し訳なさそうに呟く。
時雨は肩を竦めて立ち上がった。
「何、構わないさ。――さて、サシで話したいので人払いを頼むよ。」
時雨は教えられた病室の号数を確認すると、ノックもせずに扉を開けた。
「ちょいと邪魔するよ。」
「……何方、ですか。」
長い黒髪の少女――宮島佐和子が、少し怯えた様に小さな声で問うてきた。
然し其れを見ても時雨は表情一つ変えず……否、少し呆れた様に溜息を吐いた。
「私の前じゃ幾ら化けた振りしても無駄さ。良いからとっとと正体を出しな。」
淡々と、其れでいて鋭く云い放った言葉に佐和子の躯が揺れる。そして其の侭ベッドに倒れ込んだかと思うと、今度は先程の佐和子に化けていた時とは全く違う、少し嗄れた声で喋り出した。
「貴様ぁ……何者だ……。」
ゆらりと起き上がった佐和子の眼は据わっていた。完全に狐に支配された状態なのだろう。
時雨は其の動きを黙ってみていたが、呟かれた言葉に僅か眉根を寄せた。
「やれ、……弱い癖に礼儀を知らん餓鬼だな。」
年功序列だなんて儒家の教えに興味は無いが。時雨は何方かと云えば、元々の本能――力の強弱に因る序列に従う。
「尾も分かれてないひよっこが。」
「何ィ……、」
「文句が有るなら。……喰ろうて遣るぞ。狐何ぞそう美味いモンでも無いが喰えん事は無い。」
時雨がそう云って一瞥寄越して遣ると、明らかに狐の動きが止まった。
相手が視線を逸らすのを見てから、時雨はベッドの横に置いてあった丸椅子を引っ張って来て坐り、当初の目的を切り出した。
「のう狐よ、事情は知らんが現代社会で其れは止めておけ。」
「……何だ、……何の事だ。」
狐は突然話題を変えた時雨を訝しげに見遣る。
其れに対して時雨は狐――否、佐和子の躯を示す様に顎を刳った。
「人に憑くって事をだ。如何だ、こんな所に押し込められて窮屈だろう。卑しくも狐なら、いっそ人に化けて暮らした方が賢いと思うがね。」
そう云って時雨は少し首を傾ける。
「何を云う。憑いているだけで此の娘の生み出す美味い負の感情が喰えるのだ。人化等面倒な事をせずとも良い。」
「そんなモン、夕刻の交差点でも歩けば充分満腹に為るだろうよ。其れとも何かい、転化も出来ないのかい。」
「莫迦にするな。転化する位……人に化ける位造作も無いわ。」
「ならすれば良かろう。如何せそんな輩は掃いて捨てる程居る。其れに隣人が一人や二人増えた処で東京なら誰も気づきやせんさ。」
「……然し、人の世で人として過ごすのも窮屈だろう。」
「まぁ多少はそうだろうが、では御前は今の生活が窮屈では無いと、」
「…………。」
暫く時雨と狐の応酬が続いたが、狐が眉根を寄せて言葉を止めた。
其れを見た時雨は肩を竦めて続ける。
「嗚呼、嫌なら構わんよ。……其の代わり此の娘が死ぬる迄療養所暮らしぞ。人間と云うモノを舐めるなよ。」
其の言葉に狐の表情は更に険しくなる。
「考え……させろ。」
小さく、絞り出す様に呟かれた其の言葉を聞いて時雨は立ち上がった。
「好きにしろ、但し三日だけだ。彼の男にもそう伝えておく。私はもう此の件から降りるからね。三日過ぎたら別の奴が御前を滅しに来るだろうよ。」
其れだけ云い残して、時雨は病室の扉を閉めた。
* * *
夕刻の交差点。
時雨は飲み屋を目指してふらりと歩いていた。
人混みの中、正面から初老の男性が遣って来て、擦れ違う。
「いやぁ、……実際遣ってみると案外悪くない。」
擦れ違い様に呟かれた声は、数日前に少女の口から発せられていた其れで。
然し二人共其の侭振り返る事も無く歩いていく。
唯、此の東京に同類が増えた事を時雨は小さく笑った。
――亦一人、か。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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[ 5484:内山・時雨 / 女性 / 20歳 / 無職 ]
[ NPC:秋乃・侑里 / 男性 / 28歳 / 精神科医兼私設病院院長 ]
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■ ライター通信 ■
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改めまして御機嫌よう、毎度如何もの徒野です。
此の度は『狐憑き』に御参加頂き誠に有難う御座いました。
随分御待たせ致しました。遅れましたが此処に御届け致します。
時雨氏が、丸で私のキャラクタ達の様に動かし易くて吃驚しています。
前回のシチュエーションノベル辺りから薄々思って居たのですが……。
狐との話し合いはこんな感じで。
年の功と云いますか、狐の癖に丸め込まれちゃってます。
此の作品の一欠片でも御気に召して頂ける事を祈りつつ。
――亦御眼に掛かれます様に。御機嫌よう。
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