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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


◆優戯◆

さらり、さらり。
音を失った部屋で、銀色が静かに流れる。
一つの方向へまっすぐ、穏やかに。清流の流れにも似たそれは、桂山・雛の銀髪だった。
一糸の乱れも感じさせない雛の髪は、驚くほどに長い。自分の背丈を越えるほどのその長さは、14,5歳という外見からはおよそ似つかわしくないものである。
しかし、そこに違和感があるわけではない。寧ろ、まるで一つの作品のようにどこか計算された美しさを感じさせる髪である。
その長髪へ、針のようなものが無数に挿しこまれた。
とても細く、同じ色をしたそれらは、ブラシの毛。
髪の根元近くへ差し込まれたブラシが、すぅっと下へ流れる。傍目から見ればすでに乱れた部分は見当たらないが、ほんの小さな乱れも許さないのか、なおもブラシは雛の髪を整える。
上から下へ、抜けては差し込まれ。背中で繰り返される日課の時間を、雛はただじっと窓の外を見つめて過ごしていた。
日の昇りきらない冬は寒い。室内は暖房が効いているが、一歩外に出れば刺すような寒さが待ち構えているのだろう。
不意に、ブラシの動きが止まる。
「・・・?」
雛が怪訝に思ったのも束の間、今度は背中越しに溜息と呟きが聞こえた。嘆息ではなく恍惚に近い吐息、同じ色を持つ呟きは、雛より若干年下という外見に相応しい活気を孕んでいる。
「いつ見てもご主人様の髪の毛は綺麗ですにゃ〜・・・とっても羨ましいですにゃ」
この家に仕えるメイドのタマ・ストイコビッチ。この家で働き始めたのは最近のことだが、雛の髪を梳くのはタマの日課ともなっている。
ゆえに雛の髪は見慣れたものであるはずだが、それでも改めてみれば見ほれてしまうらしい。長い銀髪を見るタマの目は幸せそうで、なんとなく心ここにあらず、といった様子である。
「・・・うん、ありがとう。・・・続けて」
「はいですにゃ♪」
雛の返答は淡々としたものだったが、気を害した様子もなくタマはブラッシングを再開する。雛は感情を表に出さないため、態度がそのまま真意であるとは限らない。
再び、ブラシが髪の中を行き来し始める。流れを正しているのか、流れに沿っているのか。髪がほぼ完璧に整えられているため、どちらなのかはいまいち判別がつきづらい。
窓から射し込む日で、銀色の髪が白く光る。雛が生まれた瞬間から、全く変わらない。
「生き人形」たる雛に寿命はない。100年も遠い昔に作られた体は、朽ちることなくそのままであり続けている。
有機質なのか無機質なのか、生きているのかいないのか。曖昧でおぼろげで、それゆえに、確かな存在。
「〜〜〜♪」
そんな髪の毛を、タマは心底楽しそうに梳いていく。顔は笑顔で彩られ、同調するように金色の髪も緩やかに跳ねる。
その様子を、雛は背中越しに感じ取っていた。目は、窓ガラスに映る薄い姿を捉えている。
頭の中で、何かが首をもたげる。自我を得てから幾度も感じたそれは恐らく、好奇心。
自分の中にそれを感じ、雛はタイミングを見計らって背中の笑顔に離しかけた。
「・・・ねぇ」
「何ですかにゃ?」
手を休めず、タマは上機嫌そうに応じた。雛が続ける。
「・・・私もタマの髪を梳いてみたい」
「――・・・タマのをですかにゃ?」
相当に予想外の言葉だったらしく、はたとブラシを動かす手が止まった。なんともいえない表情を浮かべ、小首をかしげるように金髪がちらと横に揺れる。
「・・・うん。 ・・・いつも・・・楽しそうに・・・やってるから・・・私も・・・それ・・・やってみたいの」
何十年もの時間を経て猫又となったタマとは対称的に、雛は「生きている」時間がまだ短い。ゆえに目に映る様々なことに興味を持つし、それを他人が楽しそうにやっていればなおのこと。とても純粋で、無垢な申し出だった。
「え、でもタマはメイドだから、ご主人様にそういう事をしてもらうのは申し訳ないですにゃ」
しかし、タマはすまなそうに断りを入れようとする。主従の関係に重きを置くメイドとして、こうしたことにはやはり迷いが生じるらしい。嬉しいような困ったような、そんな複雑な表情を浮かべている。
「・・・やってみたいの・・・お願い」
タマの正面に向き直り、もう一度繰り返す。感情の見えない表情はいつものものだが、その瞳には幾分の真剣味が宿っている。
迷うように雛と視線を交わしていたタマだが、僅かな逡巡の後に心を決めた。
「分かりましたにゃ・・・ご主人様の命令には従いますにゃ」
よほどの内容でない限り、主人の命令に従うのはメイドの鉄則である。ブラシを雛に手渡し、座り場所を交替した。
タマの後ろに座る形となった雛は、少しだけタマの長い金髪を見つめる。「生」に満ち満ちた金色の髪は、雛のそれとは別種の美しさを持っている。
やがて、恐る恐るといった感じでブラシを金色の中へ埋めて、手前にすっ、と引き寄せ始める。
しなやかなブラシの毛が金の流れをかき分け、さらに整った形へと変えていく。毛先からブラシを引き抜くと、緩やかで優しい感覚が雛の手に残った。
「・・・・・・・」
その余韻を味わって、またブラシを金色に埋める。差し込んでは引き、抜けては差し込みという単調な作業だが。何処となく楽しい。タマがああした笑顔でこれをしている理由が、雛にもなんとなく分かった気がした。
「・・・そういえば・・・タマって・・・猫みたいな耳なのね・・・」
「元々猫ですからにゃ。今みたいに人へ化けても、これだけは残ってしまうんですにゃ」
整えられた金髪の流れの中にぴょこんと生える猫耳。髪を梳いているうちにふと気になったらしい。
「・・・・・・・」
少しだけ考えるような仕草をしてから、雛は不意にタマの耳を撫でた。獣毛独特のふさふさで柔らかい感覚が、指や掌に心地よく感じられる。
「はふっ!? く、くすぐったいですにゃ」
驚いたようにタマの体がびくっと小さく跳ね上がり、髪が少し遅れて上下する。
「・・・くすぐったいんだ・・・でも・・・すごくふわふわしてて・・・気持ち良い」
と言ってまた雛がタマの猫耳をふわりと撫でる。種族的な性なのか個人的な弱点なのか、撫でられるたびにタマが小さく跳ねたり体をよじったりする。
「・・・あ・・・髪が乱れちゃった」
「ご主人様が耳で遊ぶからですにゃ〜・・・」
タマが弱ったような声で抗議するが、原因は何もそれだけではない。元々じっとしていられない猫の性か、ブラッシングだけのときからタマは体のあちこちを動かしていた。それで髪が乱れるわけではないが、少しブラッシングはやりづらい。
「・・・分かったから・・・少しだけ動かないでいてね」
それを考えて、雛は自身の持つ異能力「人形繰り」を発動させる。見えない糸がタマの体に絡まり、その動きを縛りつける。
「ん〜・・・動けないですにゃ〜・・・」
何とか動こうと体に力を入れている様子だが、その体はぴくりとも動かず、豊かな金髪も毛先一本たりとも動かすことができない。すでにその動きは、不可視の糸の主―雛―の支配下にあった。
「・・・髪の毛・・・ちゃんとしてあげるから・・・ジッとしててね」
そう伝えて、雛がブラッシングを再開する。細かな動きがなくなった分、先程よりも綺麗に流れを整えられる。何度も何度も、ブラシが金の海の中を寄せては返す。
すぅっ、とブラシが髪の中を流れるたび、乱れがまた一つ、また一つとなくなっていくのが分かる。嬉しいような、楽しいような、そんな感覚。
(・・・これからも・・・たまに・・・やらせてもらおう・・・かな・・・)
心中でそう呟きつつ髪を梳き続ける。タマは先ほどから黙ってブラッシングを受けている。
それからどれくらい経ったろうか。最後の一梳きを終えて、雛が横にブラシを置く。近づいて目を凝らしても、髪の乱れは見当たらない。初めてにしては上手くできたかなと、雛は頭の中で自己評価を下す。
「・・・終わったよ・・・タマ」
タマの体を縛る「人形繰り」を解除する。拘束から解かれたタマだが、なぜかリアクションがない。
「・・・タマ?」
と話しかけた途端、ころんとタマが寝転んだ。穏やかな顔に、小さく立てる寝息。いつからかは分からないが、ブラッシングの最中で寝てしまったらしい。
安らかで幸せそうなタマの寝顔を見た後、窓越しに空を眺める。最初よりも日は高くなっていて、これから少しずつ日差しは強くなってくる。昼寝には丁度良い、かもしれない。
そう考えているうちに、雛にも睡魔が襲ってきた。白基調の部屋の中を探し、二人が寝られるサイズの毛布を引っ張り出す。
「・・・おやすみ」
タマの上に毛布をかけ、その中にもぐりこむ。仲の良い姉妹のように身を寄せ合わて、ゆっくりと目を閉じる。
柔らかい陽射しと暖かさの中で、意識は少しずつまどろみ、やがて夢の世界へ落ちていく。
銀の少女と金の少女の一日は、こうして過ぎていった。

―fin