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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


子連れ幽霊

●出会い

「ばいばい――!」
 下校時刻。皆と明るく挨拶しながら影沼ヒミコ(かげぬま・―)は自らも家に帰ろうと身をひるがえそうとしているところだった。
 高等部生の帰りは夕方になる。今日は、少し皆と話しこんでしまったから、帰りが遅くなってしまった――
 日が完全に落ちかけている。
 これ以上暗くならないうちに帰ろう、そう思い、ヒミコが走り出そうとした、そのとき。
「もし……」
 背後から、冷え切ったような声で呼びかけられて、ヒミコは立ち止まった。
「もし……そこのお方……」
「………?」
 振り返ると――
 そこに、ぼんやりと白く光る女性がいた。
 手に子供を引いている。指をしゃぶっている四・五歳ほどの子供だ。
 ヒミコの直感が、「二人とも幽霊だ」と告げていた。
「そこのお方……どうか話を聞いてくださいまし……」
「な、何でしょう?」
「しばらくの間……この子を預かってくださいまし……」
 女性はそう言って、子どもをヒミコの前へとそっと押し出す。
「わたくしは、しばらく用があって明日の朝までこの子の世話ができませぬ……どうぞ、その間預かってくださいまし……」
「え……そんなこと言われても……」
「よろしくお願い致します」
 言うだけ言って、女性の幽霊はそのまますうと消えてしまった。
「………」
 子供幽霊がじっとヒミコを見上げている。
 二人で残されて、ヒミコは途方に暮れた気分で暗くなってしまった空を見上げた。

●お世話

「どうしようかしら……」
 ヒミコは思案しながら子供幽霊を見下ろした。
 ヒミコには霊感がある。幽霊を見ることぐらいわけないのだが……
「ええと……あなた、お名前は?」
 とりあえず聞いてみた。
 子供は嬉しそうに、にこっと笑った。
「ぼくね、“さんら”っていうの」
「さんら?」
 随分変わった名前だ。昨今はヘンな名前をつけたがる親が多いとは言え。
 ヒミコは手を伸ばしてみた。
 ――触れない。
 首をかしげる。自分の霊感はそんなに弱かっただろうか。
「と――とりあえず……家、帰ってみましょうか……」
 ついてきてくださいね、さんら――と声をかけると、指をしゃぶった子供はとことことヒミコの後をついてきた。
 普通に歩いてついてくるのが何だかおかしくて、ヒミコは後ろを振り向いたまま笑った。
 と、
「きゃっ」
 どんっ! と、横からヒミコにぶつかってきた人間がひとり。
「あっ、ごめんなさい!」
 ぶつかってきた相手は、慌てて謝ってきた。
 両手に大きな荷物を抱えている。前が見えなかったようだ。
「いいえ……私こそよそ見をしていて――」
 ヒミコは謝りながら、目の前の少女の髪の色に見とれていた。
 綺麗に短く切りそろえられているのは、それは美しい銀髪。
 くりくりの黒い瞳が、ふとヒミコの横のさんらに向かって、「あれ?」と少女は小首をかしげた。
「その子……幽霊さんですか?」
「え、ええ。見えるのですか?」
「見えます。ファイは霊感には自信があるです」
 自分のことを「ファイ」と呼んだ少女は、両手に抱えた荷物のひとつをヒミコに「持っていてもらえませんですか?」とおそるおそる訊いてくる。
 ヒミコは了承した。少女はやっとで空いた手で、さんらの頭を撫でた。
「あ……触れるのですね」
 驚いてヒミコは少女を見る。
 銀髪の少女は笑顔でうなずいた。
「はい。ファイリア、こういうのは得意です」
「ファイリア……さん?」
「広瀬ファイリア(ひろせ・―)です」
 かわいい弟さんですね――とファイリアは言った。
「弟ではないのですけど……」
「え? じゃあなんでお傍にいるですか?」
 かくかくしかじか、ヒミコは状況を説明する。
 ファイリアは深くうなずいた。
「それはお気の毒です。……この子のお世話、ファイも手伝ってもいいですか?」
「手伝ってくださるの? それは嬉しいけれど……」
 この荷物は――と、ヒミコは今は自分が持っている大きな荷物を揺らしてみせた。
 あ、とファイリアは慌てたように、それを譲り受けた。
「ごめんなさいです。これから急いでこれを家に置いてきます。事情を話して一晩、ヒミコちゃんたちと一緒にいられるようにしてきますから――」
「そこまでしてもらわなくてもいいのだけれど――」
「いいえ」
 ファイリアは照れたように、えへへと笑った。
「ファイリアが、そうしたいのです」
 そうしてファイリアは両手に大荷物を抱え、慌てて帰宅方向へと走っていく。
 あの分じゃまた誰かにぶつかるのではないかと、別の意味でヒミコは心配になった。

 ファイリアが戻ってくるまで、ヒミコは神聖都学園の前でさんらと一緒に待つことにした。
「明日の朝までって言ってましたよね……」
 本当にその時間に母親が帰ってきてくれるだろうか。ヒミコはそれが心配だった。
 幽霊を置いていくなんて話、聞いたこともないけれど。

 ふと、目の前を奇妙な風体の男性が通りすぎようとした。
 何だかとても古めかしい、数百年前の日本のような格好をしている。まとう雰囲気からして古めかしい。
 何より、腰に刀を差している。
 年のころは……二十歳くらいなのだろうか? 雰囲気のせいでもっと老成して見えるのだが……
 その青年が、ふとヒミコとさんらを見て足を止めた。
「そ、その子供は?」
「あ……あなたも霊感がおありになるのですか?」
 ヒミコは事情を説明した。
 青年は、樅臣螢(しょうじん・けい)と名乗った。
「故郷に残してきた息子も、このぐらいの齢……今どうしておるのか……元気にしているとよいのだが……」
 しみじみとさんらを見つめて、螢は独り言を言う。
 故郷とはどこのことを指すのか分からなかったが、螢の横顔に、ヒミコはきゅっと胸が痛くなった。
 やがて螢はヒミコの視線に気づいたらしい、
「いや、申し訳ない。こちらの話でござる」
 とても古めかしい口調で慌てて手を振った。
「いえ……」
 ヒミコは困ったように微笑を返す。螢はにこりと微笑んで、
「拙者、子供は好きでござるよ。でも、どうやったら喜ぶのでござろうなあ……」
「え、螢さんも手伝ってくださるのですか?」
「無論。この子を見ていると……どうしても……」
「―――」
 聞いてはいけないことを聞いてしまった。ヒミコは口をつぐんだ。
 螢はかがみこみ、さんらと視線の高さを同じにして、
「殺陣はどうかな?」
 などと訊いた。
「たて?」
 さんらが小首をかしげる。
 ヒミコが慌てて、
「それは……子供にはちょっと……」
「そ、そうであるかな? 拙者が働いているアミューズメントパークではなかなか子供に人気があるのだが……」
「こ、ここでお一人でなさるおつもりですか?」
「むう……そう言えばそうであったな」
 少し考えこんでしまった螢であったが、再びぱあっと顔を明るくして、
「あ、あと『瞬間移動』も面白いかもしれぬぞ?」
「……螢さん……」
「だ、だめでござるか?」
 むむむ、と螢はさらに悩んだ。
 ヒミコは彼の提案をことごとく反対することが申し訳なくなった。
 しかし……瞬間移動を見せて喜ぶ年齢の子供ではないだろう。
「何か欲しいものはないかな?」
 螢はさんらにそう言いながら、「ええと……」
 財布の中身を確認し、
「あ、あまり高価なものでなければ……」
 たらりと冷や汗を流した。
「無理はなさらなくていいですよ」
 ヒミコは微笑ましくなって、くすっと笑った。

 と、遠くから、
「お待たせー!」
 と元気のいい声が飛んできた。
 ファイリアの声だ。ヒミコは振り向いた。
「あ、何だかひとり人が増えていますね。ファイリアは、広瀬ファイリアって言います、よろしくお願いします!」
 螢にそう言って、ファイリアはぺこりと深くお辞儀をする。
「拙者は樅臣螢でござる。よろしくでござるよ」
 螢もそう言って、頭をさげた。
 それから螢はヒミコのほうを見て、
「そうだ! 拙者がお世話になっている、アミューズメントパークに行ったら、暇つぶしになるかもしれませぬ。戦国時代の雰囲気が味わえて、きっと楽しいでござるよ。拙者がおれば、割引もききますゆえ」
 ファイリアが、「それ、いいなあ!」といってはしゃいだ。
「あの……」
 ヒミコはおそるおそる訪ねた。「そのアミューズメントーパーク……こんな時間まで、やってます、か……?」
 ――忘れ去られているが、太陽は完全に落ちかけているのだ。
 はっと螢は硬直し、それから震えて――がっくりと肩を落とした。
「ああ……そうであった。もう夜であったな……」
「気、気を落とさないでくださいね。ほら、さんらも何だかあなたを見て嬉しそう――」
 ヒミコの言葉は嘘ではなかった。
 さんらは実際、螢の服の裾をつかんできゃっきゃっとはしゃいでいるのだ。
 螢が嬉しそうに、照れたように頭に手をやる。
「あー! ファイも遊びたいですー」
 ファイリアはさんらの頭を撫でて「ねっ、ファイリアとも遊ぼっ」
 と一生懸命さんらの気を引こうとした。
 さんらはどうやら、人見知りをしないらしい。ファイリアにも嬉しそうな笑顔を向ける。
「それじゃあ――樅臣さんも一緒に、みんなでかけっこ!」
 ファイリアの提案で、神聖都学園前でかけっこをしたり、あっち向いてホイをさんらに教えてみたり。
 あっち向いてホイでは、螢がことごとくさんらに負けて、さんらを喜ばせた。
「さすが螢さん、子供を喜ばせるのお上手ですね」
 ヒミコが笑って言うと、
「いや……拙者、このゲームが苦手であるよ……」
 ……どうやら本気で負けていただけのようである。

 ――日が完全に落ちた。
「どうしましょう……家に帰りましょうか、それとも……」
 悩んだヒミコは、ふと、神聖都学園の部屋のひとつがまだ明るいことに気づいた。
「………?」
 あそこはカウンセリングルームだ。カウンセラーがまだ残業しているのだろうか――
「少し、あそこに寄ってみましょうか……」
 カウンセリングルームの灯りを指しながらファイリアと螢に尋ねると、二人はさんらと一緒ならどうでもいいような感じの返事を返してきた。

 ヒミコがさんらとファイリア、螢を引き連れてカウンセリングルームに入ると、
「よう、影沼」
 神聖都学園のカウンセラーたる門屋将太郎(かどや・しょうたろう)が明るい声をかけてきた。
「お前が俺んところに来るなんて珍しいな――ん? そこにいる子供、どこの子だ?」
 門屋は色々な怪奇事件に接してこちらも幽霊には慣れている。さんらが幽霊だとすぐに気づいたようだ。
 ヒミコは事情を話し、ついでにファイリアと螢も紹介した。
「なるほど……幽霊親子が現れたと思ったら、母親が明日の朝までその子を預かってくれと」
「はい、そういうことになります……」
「頼まれた以上、お前が面倒みるべきだろう」
 将太郎は素っ気なく言って、それからにやりと笑った。
「と、冷たいことは言わないよ。俺も協力してやる」
「わーい! じゃあ次は五人でかけっこしましょうね!」
 ファイリアがはしゃいだ。将太郎が慌てて、
「ちょっと待て、かけっこったってもう夜だろ」
 とファイリアを制した。
 ファイリアがつまらなそうに上目遣いになり、「ちぇーっ」と床を蹴る。
「じゃあせめて、あっち向いてホイはするですよね?」
「……お前ら今まで何やってたんだ……?」
 将太郎はぐったりと疲れたように言った。
「無論! この子を喜ばせるための努力でござるよ!」
 螢が握り拳で熱弁する。
 ヒミコは苦笑した。
 将太郎はさんらを見ながら、
「まあ、赤ん坊ならともかく、四、五歳なら大丈夫だろう……」
 とつぶやいた。
「何がでしょうか?」
「ん? いやな、俺も自信ねえんだよな。幽霊だから、腹が減るとか、トイレに行きたいとか、暑さ寒さを感じるってことはない。俺らがやれることはただひとつ。この子の傍にいて、寂しくならないようにすることだ。それに、影沼のことを母親だと思ってるだろうし――おっと、失礼」
「私を母親に……?」
 それではまるで、生まれたての鳥だ。
「この子の母親……どうしたのでしょうねえ?」
 ファイリアが、カウンセリングルームを駆け回るさんらを抱きとめながらつぶやいた。
「こらっ。指はしゃぶるな!」
 将太郎はなるべく軽く軽くさんらを叱るようにする。
 さんらは新しい顔のせいか、今度は将太郎にじゃれつき始めた。
 将太郎は何とか知識を総動員させて、昔話を聞かせてやったりした。
「本当はすごく気になっているのです」
 ファイリアが、将太郎が相手をするさんらを横目で見ながら、こそこそとヒミコと螢に言った。
「……あの子がどうして幽霊なのかとか、どうしたら成仏できるのかとか、今母親は何をしているんだろうなあ、とか」
「母親が子育てを放棄するとはけしからん」
 螢は腕組みをして、「しかしながら、なにやら事情のある様子……朝になって、戻ってきてくれればよいのであるが」
 ふと。
 将太郎が、何気なくさんらに言った。
「お前のかあちゃんが帰ってくるまで、もう少しの辛抱だからな?」
 するとさんらは、
 明るい笑顔で、こう答えた。
「さんらね、ママいない」

 ――……

「な、何つったっけ、今……」
 呆然と将太郎が、頭をかきながら他三名に尋ねる。
「……あんまり、繰りかえしたくない感じの言葉を」
「聞いたような気がするでござるな」
 ファイリアが泣きそうな顔をし、螢が難しい顔になった。
「だって……私はたしかに……」
 ヒミコは当惑する。
 ――たしかに、この子をつれてきたのは大人の女性――
「あ……」
 思いついて、ヒミコは拳をぎゅっと握った。
「そうだ……私、あの女性がこの子の母親だなんて、一度も聞いていない……。この子があの人の子供だなんて、一度も聞いていない……です……」
「………」
「………」
「……そうか」
 将太郎がさんらの顔をじっと見つめながら、優しい声音で言った。
「それでも……任された。そうだな」
「……そうですね」
 ヒミコは微笑んだ。「皆さん、手伝ってくれますか?」
「今さらなのです!」
 ファイリアがえいっと元気に拳を上空に突き出し、
「子供はやっぱりかわいいでござるよ」
 螢がめろめろの笑顔でさんらを見た。
 将太郎が再び昔話を聞かせようと口を開く。
「昔話を聞かせたら、子供は喜ぶでござるか?」
 と螢が尋ね、
「いや、何かしら話を読み聞かせるのはいいことだしなあ」
 子供向けの本がねえから、と将太郎が言うと、
「昔話なら任せてくだされ。昔昔、ある戦国時代の戦の最中に、主君を切腹に追いやられた家臣たちが――」
「待てー! そんな物騒な話をするな――!」
「ファイリアも話すですー! 昔昔、あるところにとーっても素敵な男性がいました! その人はホムンクルスを助けて、そのホムンクルスの大好きな人になったのですっ!」
「何で子供にホムンクルスの話をするんだ――!」
 一気ににぎやかになったカウンセリングルーム。
 たまに泣き出すさんらを慌てて皆であやしてみたり、きゃっきゃと笑うさんらに皆で癒されたり。
 将太郎が「俺が責任を取るから」と、その一晩はカウンセリングルームで過ごした。
 さんらが眠らないので、皆で徹夜。
 誰も、嫌がる者はいなかった。

●お別れの時

 ふと見ると、窓の外が白みがかり始めている。
「あ……夜明け……」
 ひゅう……と、風が一陣吹きぬけた。
 全員がぶるっと震えた。そのときに、

「……ありがとう、ございました……」

 女性の幽霊がひとり――

「その子の面倒をみてくださって……」
 女性は言いながら、さんらに手を伸ばそうとする。
「待った」
 と将太郎が女を制した。
 ファイリアがさんらを抱えてけん制する。
 螢は、厳しい顔で腰の刀に手をかけようとしていた。
「……あなたはこの子の、何ですか?」
 ヒミコは真顔で聞いた。
「真剣に答えてくれよー」
「この子をヘンなことに巻き込んでるんだったら、ファイリアは許さないですっ」
「返答次第では拙者、幽霊と言えども容赦なく斬らせて頂く」
「………」
 女は――さんらに近づいた。
 ファイリアが抱えたさんらを何とか女から離そうとするが、女はさんらに向かって手をかざしただけだった。
 それだけで、
 さんらはかくんと、眠りについた。
「―――! さんらに何をしたですかっ!」
 ファイリアが泣きそうな顔で金切り声をあげる。
 将太郎がファイリアと女の間に入って、ファイリアたちをかばった。
 女は、はかない笑みを浮かべた。
「……話を聞かせたくなかったので……眠らせた、だけです……」
「話とは?」
 螢が慎重に尋ねる。
「その子の……」
 女は静かに、言葉を紡いだ。
「その子の親について……」

 その子は私の養子になるはずでした――と、女は言った。
 養子になるはずが、その日に二人で交通事故死してしまった――と。

「この子の本当の親はどうした?」
 将太郎が訊く。女は目を伏せた。
「……その子は捨て子で、施設にいたのです」
「施設……」
 ファイリアが感慨深そうにつぶやく。
「幽霊になって……その子の本当の親が誰なのか、感覚として知ることができました。ですから……一晩かけて……その本当の親御さんの様子を……確かめに行っていたのです……」
「だから一晩いなかったのか……」
 将太郎は振り向いて、ファイリアの腕の中を見る。
 さんらはひどく、すこやかな寝顔をしていた。
「本当の……お母様は?」
 ファイリアが尋ねる。
 女は首を振った。
「……見ないほうが、よかったと思いました……」
「それはどういう意味でござるか」
「………」
 女は微笑んだ。悲しそうに。
「私は……その子の母親になりたかった……」
「なるはずだったんだろう?」
「その直前に二人して死んでしまったから……この子は私を、一瞬も『母親』として……認識しておりません……」
「………」
 生まれたばかりの鳥のようだと思った。
 けれど実際は逆だ――生まれてから、もう五年も経っている子供。
「早く養子にして、お母さんと呼ばれたかった……お前にも親がいるんだよと教えたかった……」
「今からでも――」
 ファイリアが身を乗り出した。「今からでも遅くないですよ」
「そう、幽霊であろうと関係はなかろう」
「今からでも……遅くはねえよ」
 将太郎はファイリアに、女にさんらを返してやれと言った。
 ファイリアは従った。
 差し出された幼子ののすこやかな寝顔に、女は嬉しそうな、切なそうな笑みを見せた。
「よほど……楽しい時間を過ごしたのでございますね……」
「―――」
 ヒミコは女を見つめた。まっすぐに。
「あなたが頼みましたから。その子の世話をしてくれと」
「………」
「あなたが真剣に頼んだからです。そうでしょう?」
 女がそっとさんらの頬に触れる。
 そのとき――

「ママ――」

「―――!」
 女が大きく目を見開いた。
 幼子が眠りながらにして口にした言葉が、信じられなくて。
 そして――幼子が、自分の服をぎゅっとつかんだのが、信じられなくて。
「ね、寝ぼけて……いるのでございますね――」
「そう悪いほうにとるもんじゃねえよ」
 将太郎が笑った。「いいじゃねえか。な――仮に今は寝ぼけてただけでも、この先の可能性が残されたんだ、今」
「ファイリア、さっきから思っているですよ」
 ファイリアがにっこりと微笑んだ。
「――そうしてると、やっぱりヒミコちゃんが勘違いしたのも仕方がないくらい……親子に見えるって」
「―――」
 女はさんらを抱きしめた。
 螢が、刀の柄にかけていた手をようやく離した。
「貴方以外にその子を一番愛せる者はおらぬ……そうでござるな」
「ああ、三太、三太……」
 女は泣きながら名を呼んだ。
 ――さんた。
 幼子には発音できなかったのか、それとも正しく発音できる年齢になる前に死んでしまったのか。
「三太、か……まったく、世話かけさせやがって」
 将太郎がにやりと笑った。「世話かけるんなら自分の母親だけにしとけっての」
「でもファイはもっと遊びたかったです〜」
「拙者も……もっと喜ばせることができれば良かったのであるが……」
 ありがとうございます、と女は言った。
 その輪郭がぼやけ始めていた。
「ありがとうございます……」
 ――別れの時。
 誰もが、望まずに迎える時。
「ファイたちのことも、覚えていてほしいのです……」
 ファイリアがつぶやいた。
「母親に任せろよ」
 将太郎が女を優しく見つめた。
「母親の愛情を忘れてはならぬぞ」
 螢が真剣に女に言った。
「―――」
 ヒミコは――
「元気で……」
 そう、囁いた。

 そうして女は、三太を連れてあの世へと旅立った。

「いい……親子であったでござるな」
「ファイ、羨ましい」
「馬鹿言え」
 将太郎がファイリアの頭を撫でた。
「家族ってのは羨ましがるもんじゃねえ。……どこの家族も、いいもんだ。いいもんに、できるもんだ」
「………」
 それを聞いて、ヒミコは微笑んだ。
 記憶喪失の自分を拾ってくれた人がいる。自分もそんな環境だったから。
「いかん! 拙者、大学の宿題を忘れていたでござるよ……!」
 それでは、御免! と螢が出て行く。
「おい影沼、今日の授業寝ちまうんじゃねえぞ?」
 将太郎が笑った。

 太陽の光はいやにまぶしく、ヒミコの目に入ってきた。
 世界は、そう、まぶしいほど光輝いている――


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1522/門屋・将太郎/男/28歳/臨床心理士】
【5563/樅臣・螢/男/20歳/色々な意味で浪人・『時間旅行者』】
【6029/広瀬・ファイリア/女/17歳/家事手伝い(トラブルメーカー)】

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■         ライター通信          ■
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広瀬ファイリア様
初めまして、笠城夢斗と申します。
このたびは依頼にご参加いただき、ありがとうございました!
勝手ながら口調に特徴をつけてしまいまして……;もしご迷惑でしたら、遠慮なくお申し付けくださいませ。イメージと違っていたらすみません。
ほのぼのと、すこし寂しい、優しい感じを感じていただけましたら幸いです。
またお会いできる日を願って……