コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【ロスト・キングダム】逢魔時ノ巻


  逢魔時(おうまがとき)
  黄昏をいふ。百魅の生ずる時なり。
  世俗、小児を外にいだすことを禁(いまし)む。
  ――鳥山石燕「今昔画図続百鬼・雨」



 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ――

 風が唸る。風に乗って、なにかがやってくる。

(おーーーーい)
(おーーーーい)
(おーーーーい)

 かれらは山からやってくるのだ。
 そしてひそやかに、東京の都市を、この国を、包囲しつつあるのだった。

  *

 月刊アトラスは、山に棲む謎の一団『風羅族』のことを、大々的に報じている。大半の人々は、例によって例のごとく、眉唾な記事だと読み捨てるばかりで、そこに、日本を覆しかねない危機への警鐘が含まれていることに、気づくものは少なかった。
 それというのも、先日、大トーキョー放送とタイアップで製作した番組が、生放送中にトラブルにみまわれた。テレビ局とアトラス編集部は、それこそ『風羅族』の仕業だと主張したものの、あまりに出来過ぎた、あまりにドラマチック過ぎる事態に、それを鵜呑みにするものはかえって少なかったのだ。

「へ、編集長」
「なにかわかった?」
 麗香は、三下に報告をもとめる。
「はい……。この一週間で百人以上も……行方不明になった人が」
「そんなに。それが全部……?」
「ええ、例の番組の放送の後。やっぱり、マズかったんじゃないですか」
「いいから、続けて」
「……。主に十歳以下の子どもです。何人かは赤ちゃんも。十一歳以上の子や、大人の人もいますけど、十歳以下が凄く多いです。大人の場合、家族ごと消えたケースもあります。子どもの場合は、子どもだけですね」
 人が、消えているのだという。
 東京の街から、忽然と、消える人々が増えている。
 まるで、風にさらわれるように。

■風のゆくえ

「どう思う?」
 麗香が水を向けると、三雲冴波は肩をすくめた。
「まあ、十中八九、消えたひとたちは『トケコミ』か、『アズケ』られたり『トリカエ』られていた子どもでしょうね」
「でも、今までも、山に還った子どもはいたのよね?」
「かれらの習慣としては、そうね。前の、興信所の依頼から考えると、十四歳くらいで山に還るのだと思うわ」
「今回は、もっと年齢層が低いですよぉ」
 三下が首を傾げるのに、冴波は息をつく。
「だから異常事態なのよ。……本来なら、まだ里で暮らすはずの年齢の子たちも、山へ集めようとしている。それに、大人の『トケコミ』は里で暮らすのが本当よ。かれらさえも消えているとしたら」
「総力戦」
 不吉な言葉を漏らしたのは、亜矢坂9・すばる。
「国家玉砕の構えか? 皮肉なことだが、誰も風羅を国家とみとめるものなどいない」
「……例の番組も、ほとんどヤラセと思われているみたいだしね。でも、そう思わなかったものもいた……やっぱりこれって、あの番組がひきがねだったってことじゃない? かれら、電波を使って、仲間に呼び掛けたんだわ」
 一同のあいだに、暗い空気が流れた。
 その冴波の推測が正しければ、はからずも、アトラス編集部はかれらの片棒を担がされたということになるのだ。
「ま、ここで考えこんでいても仕方ないわ」
 と、冴波が席を立つ。
「どうするの?」
「とにかく、消えた人たちを探してみる。私は、そうやって、動き回っているほうが性に合っているみたい」
 すばるも、そのあとに続きかけたが、ふと、立ち止まる。
「興信所の少女の件……それと、あやかし荘での事件の話も聞いた」
「いろいろ事件が多いわね」
「分散する情報の連携は必須。そして、その漏洩を防ぐことも」
 そう言うと、彼女は麗香のデスクの上の電話を手に取ると、あっというヒマもなく、それをデスクの角に叩き付けるのだった。
「ちょっ――」
 息を呑む麗香に、すばるは、粉砕された電話器を示す。
 麗香は、決して、機械に詳しいわけではないが、その部品が異質なものであることはわかった。それに、マスコミ人としての彼女のカンが、その正体を告げている。
「…………まさか」
 すばるが頷く。
 それは1コの、盗聴器だった。

「ちょっとあなた!」
 迸る電撃!
 マイペースをもって任じるさすがの河南創士郎も、目の前十センチの、机の上に剣を突き立てられては、絶句するよりなかった。
 バチバチ、と、紫電をまとう霊剣の使い手は、黒澤早百合。
 艶のある長い黒髪を振り乱し、さながら鬼女の相である。もとが美しい顔立ちであるだけに、その憤怒の面はいっそう凄絶であった。
「やァ、これはこれは、美しい方。ええと……」
 剣の柄を握るのとは別の手で、早百合は、懐から取り出した名刺を放った。
「黒澤人材派遣――黒澤早百合さん、ね。どういったご用向きかな?」
 いきなり、研究室の扉を蹴り開けるや、机に剣を突き立てられておいてどういうご用向きもなにもないのだが、つとめて冷静に、河南は問い返した。
「八島さんが逮捕されたそうじゃないの!」
「あー、なんか、そんな話聞いたね」
「冗談じゃないわ。あなた、なんか知ってるんでしょ!」
「な、なにを」
「『風羅族』がらみの何かよ。何かはわからないけど、何か。直接、かかわってなかったけど、最近、そっち方面の話をよく聞くから私なりに情報収集していたわけよ。そしたら八島さんが……。八島さんの身になにかあったらただじゃおかないわよ」
「……あの、黒澤さんは八島くんとはいったいどういう関係……?」
「どうでもいいでしょ、そんなこと!」
 ぶん、と机から抜いた剣をふるえば、切っ先が、河南の胸の薔薇を散らした。
「いや、しかしね、彼が逮捕されたのは彼に原因があるのであって……」
「だから、あなたが何かからんでるんじゃないかって言ってるの!」
 第二撃。今度は、上着にうっすらと切れ目が走った。
「いくらなんでもそれは濡れ衣――」
「でも『風羅』の一件と、今度のことが関係あるのは確かでしょ。あなた、知っていることを洗いざらい喋ったほうが身のためよ!」
「そんなこと言われても」
「このあいだのヘンなテレビ、ほら、あなたも出てたやつ。あの後、行方不明の人が増えてるそうね。それはどうなの」
「ああ、あれ。風羅族がトケコミに呼び掛けたのだと思うな。それと、本来ならある程度成長するまでアズケたままになっている子どもたちも山に引き上げさせているようだ。いよいよ戦時体制に移行しているということだと思う」
「じゃあ、消えた人たちを追えば、風羅の動きを掴めるのね」
「そうだけど、そんなこと……」
「必要があれば、協力してもらうからそのつもりで。……黒澤人材派遣の――いえ、黒百合会を甘く見ないで頂戴」
 美しいが凄みを残し、黒澤早百合は一陣の黒い嵐であったがごとく、河南研究室から去るのだった。

 同じ頃。
 ひとりの少年が、都内某所の住宅街を歩いている。
 小柄な、まだ小学生と見える少年だった。いや、あるいは、少女だと見紛ったものもいたかもしれない。長く伸ばした髪をリボンで結んでいるという髪型であったし、なにより、繊細で整った顔立ちだったからだ。
 彼はリュックサックを背負っている。だが遠足というわけではなさそうだ。
 そこから取り出したのは、月刊アトラス。ぱらぱらと捲って、記事に載っている地名と、近くの民家の住所表記を確かめているようだ。
「このへんだね」
 独り言を言った。そして、周囲を見回すと、路傍の消火栓を見つけ、歩みよっていく。
(ねえ。一週間前の夜、なにがあったか教えて)
 声にはならない言葉は、誰への呼び掛けなのか。
 空を見つめるその瞳が、ほんの一瞬、ふしぎな蒼色を映した。
 リュックサックには、小学生らしく、名前が書きこまれている。
 それは夏目灰――、と、読めた。

■迎えの夜

 草間興信所のほうで、例の、風羅族の少女にかかわっているものたちから、失踪者の生まれに注意したほうがいいというアドバイスがあった。
「次に消える可能性のあるものたちをリストアップした。すなわち、先に消えているものたちの血縁や、生まれた産婦人科が同じものたちだ」
 すばるがそう言って紙束を差出したが、そのとき、麗香は机の下に潜っているところだった。他の編集部員たちも、コンセントや電話器を分解している。
 かわりに、書類を奪い取ったのは、黒澤早百合であった。
「ふうん。じゃあ、この人たちをマークすればいい?」
 早百合は言った。
 そして携帯電話を耳にあてる。
「《黒百合会》へ。百合のつぼみは左に七つ。上弦の月に刃を向けよ」
 それはなにかの暗号のようだった。
 彼女から発せられた指令に基づき……、黒澤人材派遣の、いや、女性のみで構成されるという暗殺組織《黒百合会》の女たちが、東京中に散った。
「こういうまともな仕事、久しぶり!」
「ボスったら今回は、いやに気合いが入っているのねぇ?」
「あら知らないの? あたし知ってるんだ。ボスがときどき出掛けてる宮内庁の人のためなんだって〜」
「えーっ。彼氏なの?彼氏なの?」
「そうじゃないみたいだけどぉ」
 娘たちは、そんな噂に興じながらも、裏社会の組織の一員としての任務を帯びて、それぞれの持ち場につくのであった。

 日が暮れてゆく。
 かつては、日暮れを黄昏と呼び、そしてそれを逢魔時とも呼んだ。
 冴波は、すたん、と、どこかの家の屋根の上に降り立つ。
 見渡せる屋根屋根の、色や造作はさまざまだが、今は一様に、黄昏の色に染め上げられはじめていた。
 黄昏とは、「誰ぞ彼」の意。暗くなって人の顔が見分けにくくなり、すれ違う人を「誰ぞ彼」――「あの人は誰だろう」と思うような時分ということだ。そして逢魔時とは文字通り、魔があらわれる時。薄闇の中ですれ違う、顔のわからない誰か。その中に、ひそやかに人ですらない何者かが、混じっていると、人々は想像したのだろう。
 今、このときにも……、と、冴波は思う。
 文明の極みともいえるこの大都市にも、黄昏の薄闇にまぎれて、何者かが入りこみ、人知れずあやかしのわざを為しているのだろうか。
 歴史の闇に身をひそめ、生き長らえてきたというあの一族のものたちが……。
 彼女は、たん、と屋根を蹴って、跳んだ。そのまま、風に乗るように、夕焼けの空を越える。乱れた髪をすい、とかきあげながら、油断なく周辺の気配を探した。
 かれらは必ず、街のどこかにいる。
 そして、この黄昏が宵闇にかわられる頃、風の中に声を乗せてくるはずだ。
 今、冴波が遠巻きに視線を送り、そして、近くではすばると早百合が見張っているはずの家は、すばるが、「もっとも可能性が高い」と判断した家だった。その算出方法については聞いてもわからないので、冴波は関知しないことにした。自分の仕事は、ただ、追い、捕らえることだ。

 そして、夜半になった。

 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ――

 風が、鳴る。
「来た」
 すばるの表情に変化は見られない。早百合もとりたてて緊張している様子はないが、いつのまにかその手の中に剣が出現している。

(おーーーーい)
(おーーーーい)
(おーーーーい)

「家の明りが消えたわ」
 早百合の言う通りであった。
 そして、玄関から、ちいさな人影がひとり、とことこと出てくるのが見えた。
「子どもが……」
 あっと叫ぶ暇もなく、なにかが視界を横切ったかと思うと、子どもの姿はすでになかった。
 はじかれたように、すばるが動く。ちらりと上空に目を遣れば、冴波の跳躍する姿が見えた。
「先に行って。念のために家をあらためるわ」
 早百合は、すばるにそう声をかけて、家の中へと飛び込んだ。電灯が消えていて真っ暗だ。リビングのドアに手をかけたが、なぜか開かない。
 剣を振るい、電撃とともに木のドアを粉砕する。
 悲鳴があがった。
 突然、電灯がつく。
 リビングには、親子が三人、身を寄せあっていた。
「……なにがあったの」
 早百合の問いに首を振る。
「突然、明りが消えて……」
「この子……。この家の子は何人? 彼に兄弟は?」
「い、いえ……うちの子は一人だけです……」
 早百合の眉がひそめられた。
「それじゃあ、今の子どもは誰だったの……?」

(うまくいった)
 灰は思った。
 眼下に、東京の夜景が広がる。
 ふわり、と、身体が軽くなるような感覚があったかと思うと、彼は風に乗っていた。いや、彼だけではない、かれらは、だ。
 灰の身体を抱えている黒装束の人物。顔は覆面でよくわからないが、一瞬だけ目が合った。恐れることはない、と、その目が言っているような気がした。
(どこへ行くんだろう)
 夜景はどんどんうしろへと流れていく。
 家族の、心配する顔が頭をよぎって、瞬間、灰の胸を痛ませたが、もはやどうしようもない。あとで、この冒険談を話したら……最初は怒られるかもしれないけど、悪いことをしたんじゃないってことはわかってくれるはずだ。
「どこへいくの」
 そう声を出したつもりだったが、音は風にかき消される。
 しかし、運び手は聴き取ったようだ。
「案じるな」
 短い答が返ってきた。
 ちらり、と、黒装束がうしろを振り返る。
 灰もつられて後方を見たが、何も見えなかった。再び前を向けば……前方には街の明りが途切れ、黒々とした山のシルエットが、灰たちを迎え入れようとしている。

■山の一団

「どうする」
「なにが?」
 屋根から屋根へ、跳躍を繰り返しながら、すばると冴波のあいだで言葉が交わされた。
「山へ行く前に止めることもできるが」
「子どものことを思えば、そのほうがいいような気もするけど……やっぱり、尻尾は掴みたいわね。今までに消えた子たちも集団で行動していると思うから」
「では合流したところを叩く」
「OK」
 文字通り風のように、ふたりはその場所へたどりついていた。
 さほど大きな山ではないが……人家がないので、闇が斜面を覆っている。
「探知できる?」
「やってみよう」
「私はこれを」
 冴波は、テープレコーダーを取り出した。
 意識を集中すれば、彼女のまわりに風が集まってくる。ただの風ではない、彼女の意を受けて手足となってくれる精霊たちだ。それらが、この音を、山中に届けてくれるだろう。うまくゆくといいが。祈るように、彼女はテープレコーダーのスイッチを入れた。

(おーーーーい)
(おーーーーい)
(おーーーーい)

 弾かれたように、黒装束がふりかえる。
 灰は手を引かれ、山の上へと続く長い石段を登りはじめようとしていたところだった。
「どうしたの?」
「先へ行け」
「え、でも」
「すぐに仲間がいる」
 黒装束の指が、石段の上を指した。
 まるでそれが合図ででもあったかのように、石段の両側に、一定間隔を置いて立っていた(らしい。それまでは暗くて見えなかった)石灯籠に火が灯ってゆき、彼を招くような灯火の列をつくった。
 灰を置いて、男(なのだろう)はもと来た方向へと駆け出していった。
 仕方なく、灰は段を登っていく。
 この先に、消えた人々がいるのだろうか。そして、かれらを誘ったものたちも。
「…………」
 ここはなんという山だろう。
 灯籠が灯っているのに、妙に暗い。そして、風はなまぬるいのだ。ざわざわと、草木の揺れる音がした。
(え?)
 くさむらから、季節に合わぬ虫のすだく声が聞こえたような気がして、灰は驚く。それだけではない。耳を澄ませば、人の話し声さえするようだ。
 いや――
 あるいはそれは人ではなく、この山と、闇そのものの声であったかもしれぬ。
(来たか)
(来た来た)
(よく来たね、坊)
(おかえり)
(ようこそ、おかえり)
(山へおかえり)
 灰は、足早に、階段を登っていった。まだ先は見えてこないが、登るほどに、異様な気配が彼を取り囲み、周囲の闇が濃密になっていく気がする。

 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ――

 風が、鳴った。
(あ――)
 ふと気がつくと、そこは石段ではなかった。
「よくぞ来た」
 闇の中に、ぼう、といくつもの光が灯る。姿をあらわしたのは、無数の人間たちだ。手に手に堤灯を持ち、そして顔には一様に、狐面をかぶっている。
「百段坂の結界を越えられたからには、山に迎えるに充分な力を持っておるようだ。めでたいことよ」
 誰かが言ったが、面をかぶっているので、誰の発言だかわからない。
 一団の、半分は、背格好からして子どもか、せいぜい少年と見えた。むろんかれらも顔は狐面だったけれど。
「あのう……」
 灰は、おずおずと口を開きかけたが、それより先に――
「や、や、や!」
「ヤゾウさま! 違いまする。このお子は、予定の子ではありませんぞ!」
「なんだと!?」
 狐面たちのあいだにどよめきが起こる。
「しかし、結界を越えてきおったではないか」
「で、ですが……」
「あのー、すいません。僕、身替わりになりました」
 あっさりと、灰は認めた。
「みなさんに会いたかったんです。風羅の人たちでしょ? このあいだのテレビ観ました」
「こ、こやつ!」
 潮が引くように、一団の姿が闇に溶けてゆく。堤灯の火が、消えてゆき……
「あっ、待って! 話したいことが!」
 そのときだ。

(おーーーーい)
(おーーーーい)
(おーーーーい)

 響き渡る、声ならぬ声。
「なんだ!?」
「おかしいぞ。合図ではない。気をつけよ!」
「ヤゾウさま!?」
「里人め、たばかりおったわ!」
 闇の中に、混乱が広がる。
 そして、夜を貫くサーチライト!
「風羅族に告ぐ」
 すばるの声だ。
「すみやかな停戦を勧告する。日本国は貴君らを独立国家とは認めまい。この戦いは無意味だ」

■激突

 狐面たちの手の中で、堤灯が、ごう、と炎を上げて燃え出す。それが手榴弾のように一斉に放り投げられた。
 だが、炎は一陣の突風にさらわれ、闇を咲く電撃に木っ端みじんにされていく。
 サーチライトの中に、冴波と早百合のシルエットがあった。
「子どもたちを頼むわ」
 冴波が飛び出していった。早百合は、
「ちょ、ちょっと。……私、子守は苦手よ。ったく……」
 と渋ったがもう遅い。ふと、灰に目を止めた。
「あら。あなたさっきの子ね」
「こんなの駄目だよ。止めなくちゃ」
 灰は言った。
「喧嘩したって何も解決しないもの」
「あー、はいはい。いいから、ここで大人しくしててね。……うちの娘たちを連れてくればよかったわ。……はーい、子どもたちは集合ー。ちゃっちゃと集まんなさいよ、ほら!」
 灰は、腰を落して、地面にてのひらをつける。
「お願い」
 しっとりと濡れたような土の感触がある。彼は、そこに自分の声が届くことを知っていた。
「みんなを止めて」
 土が……壁として盛り上がり、早百合の行手を阻んだ。
「な――」
 早百合だけではない。
 疾風を操って、狐面たちと渡り合っていた冴波や、すばる、そして、風羅たちのもとにも、その影響は及んでいた。あるものは木の根に足を掴まれ、あるものはふいに伸び上がった岩に攻撃の邪魔をされる。
「駄目!」
 もう一度、灰は叫んだ。
「誰も痛くしないで!」
「小癪な!」
 狐面の、頭目らしき男が、手をあげると、その中に炎が生まれた。
「させないわ」
 冴波がつくりだす真空の刃が、男を襲う。
 だが――
「えっ」
 冴波は足がいつのまにか地面に埋まっているのに気づく。引き抜こうと力を入れるが、大地の戒めは強固だった。まるで……、喧嘩する友だちを止める子どもように、必死に、土そのものが彼女を掴んでいる。
 狐面の男も、同じ目に遭っているようだ。
「やり方はともかく、少年も、私たちと大きな目標は同じか」
 すばるが言った。
「なんでこんなことをするの?」
 灰は、狐面へ呼び掛けた。
「日本を乗っ取るの? 乗っ取ってどうするの? それが、風羅のひとたちの、全員の意思なの?」
「……」
 土や木に自由を奪われ、もがいていたものたちも、しばし、少年の叫びに耳を傾けた。
「答えられるか。この少年の問いに」
 と、すばる。
「小賢しい」
 狐面の下から、嘲るような声が漏れた。
「われらはただこの国に奪われたものを取り戻そうとしているだけだ」
「風羅の社会構造そのものが現在の日本とは相容れまい。国家は風羅の存在を黙殺し、隠蔽してきたかもしれないが、それによって風羅は生き延びてきたのではないのか」
「生き延びた、だと」
 男は笑った。
「そうとも。生き延びたのだ。そしてこれからも生き延びるために戦うことを決めた」
「どうやって戦う。皇室を廃するか。それは無意味だ。日本は帝政ではない。では政府を倒すか。それも無意味だ。風羅に現代日本の社会を御することは不可能だからだ。戦うことに益はないと何故気づかない」
「何か方法があるよ。みんなが、うまくいく方法が。誰も怪我したり、悲しい思いをしない方法が」
 そう言ったのは灰である。
 冴波が息をついた。
「正論だわ。……でもそちらが攻撃してくるなら、私たちだって戦うしかないでしょ?」
 足止めされていても、風を操ることはできる。ふたたび、精霊たちが彼女のまわりに集まりはじめていた。
「不明だな」
 低い声で、男は呟いた。
「まこと不明なのは里人よ。弦から放たれた矢はもう戻りはせぬ」
 男の足元の、土が弾け飛んだ。
 次々と、土中から姿を見せる、もうおなじみの……黒装束に首輪のものたち――《ツチグモ》だ。
「だが、今宵は戦うために来たのではない。そして、われらは、決して拒むものを攫いはせぬぞ。……山に呼ばれし子らよ。今一度選ぶがいい。里に残りたくば残れ」
 大人の狐面たちは、《ツチグモ》に助けられて、闇の中へとひとり、またひとりと退いていく。子どもらは顔を見合わせ、とまどった風だ。
「家族を残して来た子もいるでしょ」
 冴波が呼び掛ける。
「友だちだって心配してるわ」
 幾人かは、心動かされたようだった。そっと、面を外す。下からはまだ幼さの残る子どもの顔があらわれた。
 しかし、それでも残りのものたちは、闇へ消えることを選んだのだ。

 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ――

 いつのまにか、かれらは長い長い石段の上にいる。
 そして石灯籠の火が、灯ったときとは逆順にひとつずつ消えてゆき――
 気づけば、そこは、石段も何もない、ただの山道だった。
「行ってしまったわね」
 早百合が、やれやれ、といった感じの声を出した。
 残ることを選んだ子どもたちのあいだから、誰ともなく、すすり泣きの声が漏れた。それは、安堵なのか、あるいは決別の涙なのか。
「あー、もう、泣かないで。困るのよね。ねえ、お願いだから」
「……これでよかったのよね」
 冴波が、すばるを振り返った。
「問題ない。全員を追撃するには、こちらの戦力が不安だ。……決戦のときはいずれ来るだろう」
「そんなの」
 憮然としたように灰が口を開いた。
 冴波はなだめるように、
「気持ちはわかるけど。かれら、聞く耳持たぬって感じだったわ」
 と言った。
「……ともかく、帰りましょう。私たちの街へ」

 山を降り、子どもらを連れて歩きはじめた一同のもとに、車が近付いてきた。
「ボス!」
「あら、どうしたの。あなたたちのほうはどうだった?」
 早百合の部下らしい。
「そ、それより……ボス宛てにメールです」


 そのメールは、
 草間興信所を通じ、アトラス編集部を通じ、ゴーストネットOFFを通じ……
 東京の闇にかかわる多くの人々へと届けられていた。

  挨拶抜きで失礼。こちらはササキビ・クミノ。
  『ヤシマ・ノート』を入手したので、その情報を転送する。
  これが、風羅族の侵略開始の背景と思われる。
  『ヤシマ・ノート』の内容とは、およそ十年前、
  宮内庁の秘密機関『調伏一係』によって行われた、
  大規模な作戦行動の記録である。
  すなわち――
  風羅族に対する、組織的な虐殺行為の。


(逢魔時ノ巻・了)

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1166/ササキビ・クミノ/女/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【1282/光月・羽澄/女/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1538/人造六面王・羅火/男/428歳/何でも屋兼用心棒】
【1708/夏目・灰/男/7歳/小学生】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2098/黒澤・早百合/女/29歳/暗殺組織の首領】
【2318/モーリス・ラジアル/男/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【2694/時永・貴由/女/18歳/高校生】
【2748/亜矢坂9・すばる/女/1歳/日本国文武火学省特務機関特命生徒】
【4164/マリオン・バーガンディ/男/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長】
【4424/三雲・冴波/女/27歳/事務員】
【4487/瀬崎・耀司/男/38歳/考古学者】
【4836/桐藤・隼/男/31歳/警視庁捜査一課の刑事】
【5130/二階堂・裏社/男/428歳/観光竜】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

おまたせいたしました。
『【ロスト・キングダム】逢魔時ノ巻』をお届けいたします。
便宜上、登場人物リストは同一にしておりますが、
ノベル本文は3種類あります。他のパートのノベルもお読みいただくと、また違った事件の側面があきらかになるでしょう。

お届けしました本作は、風羅族の集結を暗示する、
東京での大量失踪者事件をめぐるお話が描かれています。

>夏目・灰さま
はじめまして!
ありそうで、なさそうなアプローチのプレイングにドキっ。冒険の結果は以上のようなものになります。お父様にもよろしくお伝えくださいね。

>黒澤・早百合さま
実はこのシリーズではお初だったのですね。河南教授を多少なりともびびらせることができる人は限られていると思います(笑)。

>亜矢坂9・すばるさま
情報の漏洩に関して多少なりともプレイングで記載があったのはすばるさまだけかと。もっとはやく、誰か気づくかなーと思ってたんですけどね。

>三雲・冴波さま
いつもありがとうございます。一見、クールでいて、実は結構熱血な冴波さまであるとお見受けしましています。真正面から挑んで下さるのに、敵がいまいち搦め手な連中ですみません〜。

さて、本シリーズもいよいよクライマックスとなります。
今回の内容については、あえて語らないことにします。
もうまもなく訪れる予定の、この物語の結末を、どうぞ見守っていただければと思っています。