|
■【くまの森】火の森、緑の原■
年が明けて早々に、この冬何度目かの雪が降った。
「良く降りますねえ」
勝手知ったる何とやら。宇奈月慎一郎は、通いなれた草間興信所の応接室に、案内も請わずに入っていった。草間零が在宅時には茶を淹れてくれるのだが、今は留守らしい。慎一郎は手際よく、普段用の湯飲みに、なみなみと茶を注ぐ。
「はー」
熱い茶で体が温まり、満足な吐息が漏れる。足元では、殺人フラワー一家がくねくねと揺らめいていた。
「ここは余所のお宅ですからね。おいたはいけませんよ」
幼生の殺人フラワー達は、そろそろいたずら盛りになってきた。
成体のように、慎一郎のカットにだけ燃えてくれれば助かるが、なかなかそう都合良くはいかない。幼くとも刃の切れ味は抜群で、鳥籠くらいは簡単に切ってしまう。
下手に留守番をさせても、帰宅後に部屋の中が、惨憺たる有様になっているだけだ。のみならず、勝手に外へ出て行って、隣近所に迷惑をかけかねない。
草間興信所なら、踊る殺人フラワーを連れて来ても驚かれはしない。
とはいえ、家財道具を切り刻むのはまずい。
「家具の弁償となると、掃除や洗濯くらいでは追いつきませんしね」
でも、この事務所に泊り込めるなら、それも良いかもしれない。
そんな考えが、ふと脳裏を掠めた。
【くまの森】に続く扉は、現時点ではこの事務所内に限られている。ウホウホと鳴く、くまと一緒でも、殺人フラワーと同居しても。慎一郎の自宅にはつながらない。
夢よもう一度。
いや、何度でも。
あの、不思議な心温まる【くまの森】を訪れたい。その願いから、頻繁に草間興信所へ足を運ぶようになってしまった。今では書斎で蔵書に埋もれているより、こちらに入り浸る時間の方が長い気がする。
(世界には、僕が見つけていない不思議なものが、まだたくさんあるでしょう)
それでも、あの【くまの森】は、特別な存在になってきていた。再訪を諦めて、新たな不思議発見の旅に、書物を漁る気にはなれない。
「宇奈月君、来ていたのか」
「草間さん。お邪魔していま……」
慎一郎は、【くまの森】への思考に沈み込んでいた。
帰宅した事務所の主に会釈をしかけて、彼が手にするコンビニの袋に目が吸い付けられる。
「あっ? いや、これは、その」
途端に、草間武彦はしどろもどろになった。
「おーでぃーん……」
聞こえるか、聞こえないか。微かな声で慎一郎は呟く。
「えーと、その、だから。うん、そうだ。おてんは温めないとな!」
ひとまずレンジに隔離して、その隙に対応策を練ろうとしたのだろうか。温めるも何も、パッケージの中で、買いたてのおでんは、ほくほくと湯気をあげている。武彦は袋を提げたまま、そそくさとレンジに向かった。
移動するおでんを、慎一郎は視線だけで追う。
彼は、無類のおでん好きである。おでんを愛するあまり、多少行き過ぎてしまった事もある。
だからといって、おでんが絡むと必ず常軌を逸するとも思えない。けれども、かつての冷蔵庫荒らしが、武彦には余程強烈な恐怖感を与えたのだろう。
(そういえば、あの件も、【くまの森】へ通じる道を探して起きたのでした)
コンビニ袋から視線を外し、ほうっと小さく息をつく。冷蔵庫に目指す扉はなかったが、その後、洗濯機で異変が起きた。そして……。
「ん? 故障か? 煙が……おわぁっ!?」
武彦が異様な叫び声を上げた。
ぶほぉぉぉぉぉっ☆
振り向くと、レンジから炎が溢れ出していた。
「消火器を」
腰を浮かせかけて、慎一郎ははっとした。
「もしや」
「危ない、下がれ」
武彦の制止を振り切り、慎一郎はレンジの正面へ回った。
「やはり」
炎の向こうに、森が見える。辺り一帯の木が火に包まれ、その火炎がこちら側に流れ出てきていた。
「呼んでいる。森が僕を呼んでいる。
おお、クトゥルフの神よ。僕にこのレンジを潜る力を」
「ぶつぶつ言ってないで、そこを空けてくれ」
消火器を手に戻ってきた武彦が、慎一郎を押しのけようとする。一瞬早く、慎一郎は天を仰いで組んでいた手を解き、火を噴くレンジへと突っ込んでいった。
「おい、何を」
武彦の言葉は途中で途切れた。彼の目前で、慎一郎がふしゅうっと、レンジに吸い込まれていった。その後を、殺人フラワー一家がくねくねと回りながら、同じように吸い込まれていく。
一人と数輪を飲み込むと、レンジの扉は音をたてて閉じた。
取り残された武彦は、呆然と数秒間立ち尽くした。やがて、おもむろにレンジに歩み寄り、消火器を構えたまま中を覗き込む。
外から見る限り、全く異常は無い。一歩横にずれて、息を吸い込み、扉を開く。
「何も起こらないな」
安堵の息をつく。が、すぐに困惑が顔に浮かんだ。
「まあ良いか。宇奈月君なら、何とかするだろう」
とりあえず、レンジの扉は開け放っておく。そして、取り落としたコンビニの袋を拾い上げ、武彦は自分のデスクへと向かった。
一方、念願叶って【くまの森】へ紛れ込んだ慎一郎だが。
「一体どうしたと言うのでしょう」
森は火の海だった。周囲を、小さなくま達が転げている。
青い水玉のくま、黄色い横ストライプの熊、赤いくま、パッチワークのくま、くま、くま。彼らは、手に手に小さなポリバケツを提げて、懸命に火を消し止めようと努めていた。
だが、悲しいかな。非力な彼らが運べる水は、ほんの僅か。更に、近づき過ぎると、彼らの布地そのものに、火が燃え移ってしまう。
「ああ、森が。僕の愛しの【くまの森】が」
『くぴー☆』
『くぴくぽー☆』
慎一郎の悲痛な声を聞きつけて、くま達は火の向こうを指差した。
『ぶっほぉぉぉぉぉぉぉ★★』
そこには、雄たけびを上げながら炎を吐く、巨大な火のくまがいた。
「そうですか。あれが火元なのですね?」
くま達は一斉に、こくこくと頷く。そして、黒いボタンのつぶらな瞳で、うるうると慎一郎を見上げた。
「ええ、分かっています。その為に、僕はこの森に召喚されたのですから」
火のくまの足元には、祭壇らしいものがしつらえてあった。焼け落ちる寸前だったが、火のくまはそこから動けないようだ。
恐らくは、火のくまを祭る儀式の最中に、手違いがあって周囲に引火してしまったのだろう。
「あれに対抗できるのは、彼しかいない。来てください、【夜のゴーンタ】!」
肌身離さず持ち歩いている、高速モバイルに光の軌跡が走る。
「グッモオォォォォーーー!」
天を突く巨大な熊が出現した。肩を聳やかした巨大熊は、ぶんっ! と鋭い爪を振り下ろす。
「ゴーンタ。あれを抑えて欲しいのです」
慎一郎は、火のくまを指し示した。
めらり。
【夜のゴーンタ】の瞳に、闘志が燃えた。ふんっと荒い鼻息を一吹き。彼は、悠然と火のくまに向かっていく。
「さあ、次はあなた達の出番です」
久し振りの、或いは初めて知る故郷の土の感触に、くねくね、ごろごろ、転げ回る殺人フラワー達。慎一郎は、彼らに呼びかけた。
「これ以上、被害が広がらないようにしなくては。燃えている木の外側を切り開いて下さい」
殺人フラワー達は、くしゃっと目を寄せ、一斉にいぇい♪ と鋏を振り上げる。
父フラワーは、しゃきっ、しゃきっと蔓を振り、ポイントを示した。
しゃこーん☆ しゃこーん☆
程なく、あちこちから軽快な断裁音が響く。殺人フラワーは、最近は大人しく、慎一郎のヘアスタイリストに徹していた。しかし、本来は名が示す通り、一刃で人をも殺せる威力の持ち主だ。数刃浴びせれば、木でも難なく切り倒す。
「ゴーンタは」
見ると、火のくまを取り押さえた【夜のゴーンタ】が、勝利の咆哮と共にVサインを送っていた。見守る小さなくま達から拍手喝采を浴び、ご満悦である。
「森の平和は守られたようですね」
慎一郎は、満足げに頷いた。
「それで、その後どうなったんだ」
草間興信所の応接室で、武彦に促され、慎一郎は穏やかに微笑んだ。
「最初の印象ほど、焼けた部分は広くありませんでした」
それでも、焦土と化した面積はそれなりになる。そこは、不思議な力に溢れた【くまの森】。いずれは、草が根を下ろし、やがて花が咲き、元の緑に戻るだろう。
『焼け跡に草木を植えて再生を願う。良く行われる事ですが』
その時、慎一郎は閃いた。そして、殺人フラワー一家を見つめる。
父フラワーと母フラワーは、何やら深刻に話し合っているようだった。
焼け野原とはいえ、慎一郎の世界より、そこの方が子育てには遥かに向いている。今いるフラワーベビーズだけでなく、これからもっともっと伸びやかに繁殖していけるだろう。
一方で、父フラワーは慎一郎と別れがたいようだった。
『良いのですよ』
慎一郎は、父フラワーの蔓にそっと手を置いた。
『森が望めば、僕達はまたいつでも会えます。それより、この焼けた森に、あなた達の力で緑を取り戻して下さい』
最初はあれ程森に返したいと願ったのに、これで別れとなると嬉しいような、寂しいような。しかし、やはり増えてしまったフラワーズを思うと、今後慎一郎の手元で、人畜無害に養うのは、不可能だろう。
次に森を訪れた時には、この焼け跡が、花咲き乱れる場所になっているに違いない。
たとえ、それが殺人フラワーであっても。ここは、【くまの森】。それが、本来の姿なのだから。
武彦に【くまの森】での顛末を語り終え、ゆっくりと慎一郎はコーヒーを啜った。
しゃこ☆
その耳に、聞きなれた軽快な音が届く。同時に、はらりと肩から髪が一房滑り落ちた。
「え?」
恐る恐る後ろを見ると、ソファーの縁から殺人フラワーが覗いている。
「ど、どどどどどどどどうして!?」
「戻ってきたのか?」
武彦も目を見開く。そのフラワーは、チッチッチッと蔓を揺らした。よく見れば、花弁が一枚、以前と色が違う。
どうやら、慎一郎を慕うあまり、殺人フラワーは分裂を遂げ、こちらに寄越したらしい。
(まあ、良いですか。返したければ、またあの場所へ連れていけば良いですし)
嬉しいような、落胆したような。複雑な心境で、慎一郎は残りのコーヒーを飲み干した。
■ライターより■
ご発注ありがとうございました。殺人フラワーは、一家が再びこちらにおしかけてくるなり、分身を送り返すなり、このまま同居を続けるなり。お好きな世界を続けて下さい。
|
|
|