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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


渦後


 守崎・啓斗(もりさき けいと)はあてもなく彷徨うような感覚に、ふと足を止めた。
(何だ、これは)
 そう問うてはみたものの、実のところその理由を自分内部ではしっかりと把握していた。ふらふらと彷徨する思いが、足取りが、如何して起こっているかを。
(気のせい、だ)
 そう思おうとしても、体が、心が、それを許さぬ。
 気のせいだなんていう陳腐な言葉で片付ける事を、決して許さない。
(俺は)
 もう何度目かになる言葉を、啓斗は口にする。一人でいる時、ぽつんと取り残されたような感覚でいる時、不意に襲い掛かる言葉の襲撃から、逃れたいといわんばかりに。
「違う」
 何が違うのか、何が間違っているのか、何がおかしいのか。全てを否定するその言葉だけが心地よく響くから、逃げ出したい気持ちを啓斗は言葉にして吐き出すのだ。
「違う……」
 その言葉だけが、救いの呪文のように思えた。
 そう呟きながら前を見ると、守崎家の玄関が見えた。ようやく戻ってきた現実に、啓斗は一つ大きな息を吐き出した。
 今日の夕飯は、鍋だ。
 啓斗は玄関の戸を開け、買い物袋を置いてから靴を脱ぐ。ひんやりとした床の感触に、何故だかずきりと心が痛んだ。


 涙帰界から帰ってきてから、啓斗の双子の弟である守崎・北斗(もりさき ほくと)は、ずっと啓斗に対して違和感を抱いていた。一見、何も変わりないように見える。だが、全く違う雰囲気。それを、一緒に過ごしている北斗が見逃す筈も無かった。
「どうしたんだよ、兄貴?」
 北斗はぐつぐつと煮えたぎる鍋を持ってくる啓斗に向かい、尋ねた。啓斗はガスコンロに鍋を設置しながら「別に」と答える。
「鍋には、肉は入っていないぞ。アラがあったから、身をほじってツミレにしただけだ」
「それは好きだから良いんだけどさ」
「野菜も最近は高い。……なので、望む野菜はあまりないかもしれないが」
「いや、それも別に構わねーんだけどさ」
「お代わりはいくらでもしていいが、おじやを食べたいのなら多少はご飯を……」
「兄貴!」
 要領を得ない啓斗の言葉に、ついに北斗が業を煮やした。突如怒鳴られた啓斗はびくりと体を震わせ、それから「何だ?」と答えた。
「どうしたんだよ、兄貴。何か、変じゃねーか?」
「変って……どう、変なんだ?」
「だからっ……」
 北斗はがしがしと後頭部を掻く。きっと、啓斗は分かっているのだ。北斗が何を言いたいかを分かっていて、それでいてこうして誤魔化すかのように尋ね返してくるのだ。
(畜生)
 北斗は啓斗を見つめる。が、啓斗は見つめ返しては来ない。
 啓斗の目は、北斗の方には向いていない。虚ろに、何も無い空間を見つめている。ぐつぐつという音をさせている土鍋が、永遠に止まっているかのようなその瞬間で確かに時間が流れている事を教えている。
(畜生っ!)
 北斗は心の中で毒づく。北斗の苛立ちに対し、啓斗は答えようともしない。はぐらかし、曖昧な返答で、北斗の疑問を終わらせようとしているのだ。
(俺が、気付かねーとでも思ってんのかよ?)
 北斗は啓斗を見つめたまま、思う。涙帰界での啓斗の行動、帰ってからのよそよそしさ、抱かざるを得ない違和感。全てが疑問として心に引っ掛かる原因として、申し分ないというのに。
 啓斗は、答えない。
 それどころか、よそよそしくなる一方だった。
 毎日作ってくれる食事や、やってくれる掃除や洗濯。だが、何かが違う。何かがどうしようもなく間違っている気がしてならない。
(俺は、どこかで間違えてしまったのだろうか?)
 北斗は自答し、だが答えは出なかった。どこかで間違えたのだとしても、その分岐点がどうしても思い当たらないのだ。
 何処で間違えたか、何処で選んでしまったのか。
「北斗、鍋が出来たぞ」
 啓斗はそう言い、土鍋の蓋を開けた。ふわり、と湯気が立ち昇り、辺りにいい匂いをふり撒いた。
 湯気の向こうにある緑の目が、北斗は妙に印象に残った。
 北斗を始めて真っ直ぐ見据えた、だが退廃的な光を感じさせる目であった。


 しん、と家の中が静まり返っていた。夜の帳が下りたのだ。冬の夜は他の季節に比べ、静かに静かに時を刻む。
(……俺の手)
 啓斗は自らの手を見る。赤い気がする。いや、本当は赤くなんて無い。肌色の、人間の手だ。
(赤い光をこの手にしていた)
 その所為で赤かったのだと、どうして言えようか。それは単なる言い訳にしか過ぎず、手が赤いというその事実は変えようも無いのだ。
(力なんて、いらない……)
 ぎゅっと手を握り締める。目も閉じる。これ以上、赤い手なんて見たくも無かったし、絶えず襲い掛かってくるような現実が妙に息苦しかった。
(北斗も、俺を疑っていた)
 涙帰界から戻ってきてから、北斗は絶えず心配そうな顔つきで啓斗を見ていた。そんなに何を心配するのか、とこちらが不思議に思う程。
 そうして、だんだん分かってきたのだ。北斗が自分に対して抱いているのは心配ではなく、疑惑なのだと。勿論、心配もあるだろう。だが、それ以上に北斗は啓斗に対して疑ってかかっているような気がしてならないのだ。
(俺が、お前の……)
 啓斗は考えかけ、ぶんぶんと頭を振った。
 涙帰界で再現された自らの妄想を、北斗が知るはずは無いのだ。あの異界での出来事で、他の人間に自分の事が知れると言う事は無いのだから。
(他の人間には……。でも、北斗は)
 双子の弟である北斗ならば、違うというのだろうか。
(いや、そんな事は無い)
 慌てて啓斗は思い直す。もしそうであれば、北斗の体験だって啓斗が知り得るはずだから。それが無いと言う事は、やはり北斗に啓斗の妄想が伝わっていないと言う事だ。
(それなのに……)
 どうして、と啓斗は改めて思う。どうして、北斗はあのような目を啓斗に向けてくるのだろうか?
 まっすぐに見てくる青の目が、啓斗を苛めてたまらない。つい、目を逸らしてしまう。
「……本当なら、お前についていた目だから?」
 啓斗ははっとして振り返る。そこには、北斗がいた。にこやかに笑い、じっと啓斗を青の目で見据えていた。
 羨望してたまらない、真っ直ぐに前を見る青の瞳。
 北斗は笑んだまま、ぐいっと啓斗の傍に寄った。これ見よがしに、青の目を啓斗の目の前に持っていく。
「ほら。これが本当なら、お前に付いていた目」
 青の目、真っ直ぐな目、綺麗なものを映す目。今は、啓斗を映しているが。青の瞳に映る顔が、苦しそうに歪んでいるのを確かに確認する。
 次に、北斗はすっと手を伸ばす。すらりと伸びた手は、赤くなんて無い。健康そうな、明るい未来をも掴み取ろうとする光の手。
「これが、お前に付いていた手」
(……てくれ)
 北斗は足をぱんと叩き、啓斗の方を見て笑う。しっかりと地に付いている、頼もしい足だ。堂々と立ち、全てを真っ当から受け止める為にある実直な足。
「これが、お前に付いていた足」
(やめてくれ……)
 北斗は、たんたんとリズム良く飛び跳ね、啓斗の後ろに立つ。ぞくりとする感触に、啓斗は思わず身動きできなくなる。
 8センチ上から、北斗が啓斗の耳元に口を寄せる。そうして、囁く。
「どれも……お前のものじゃない」
(あ……ああ)
 分かっている言葉だ。もう何度思ったか分からない、身に染みている言葉だ。それでも、はっきりと言葉として言われる事が、こんなにも苦しい。
「本当に……良かったのか?」
 北斗は啓斗を嘲りながら、くつくつと笑った。涙帰界で下した啓斗の判断を根本的に覆すかのように、北斗は啓斗を見下しながら笑うのだ。
(うおお……おおおお!)
 啓斗は吠え、その場に蹲った。喉の奥から、自然と叫びが溢れた。行き場の無い苦しさが、どうしようもない辛さが、声となって露出したかのように。
(……の、所為だ)
 駄目だ、と一瞬思う。それでも、出てきた言葉の方が重く重く圧し掛かり、啓斗の口から出ていく。
「北斗の、所為で」
 ついに出てしまった言葉は、啓斗の頭を鮮明にする事に大いに貢献した。その一言で、どろりとした泥のような考えが、かさかさと砂に変わって風に消えていくような、そんな感じまでした。
(そうか……そういう事か)
 北斗が笑っている。くつくつと、笑っている。啓斗が欲しいものを持って、目の前に立っている。笑っている、立っている、存在している……。その事が、啓斗をこうして苛めている。苛め続けているのだ。
「……いつか俺は、喰らい尽くそう」
 それは優しく求め合うような、柔らかな気持ちではなく。
「お前という存在を、俺が羨んでたまらないお前というその存在を、喰らい尽くそう」
 明るく輝く太陽を、喰らい尽くすかのように。日食という現象の名が、しっくりくるような狂気。
「お前が消えてしまった時、俺の時間はやっと動き出すのかもしれない」
 啓斗はそう言い、ふと目の前の北斗がヴヴヴと震えているのに気付いた。だが、手は出さない。北斗は、喰らうべき対象だから。
 啓斗の口元は、小さく笑んでいた。


「……兄貴っ!」
 激しく揺り動かされていた事に気付き、啓斗はようやく覚醒した。目の前には、心配しながら自らを呼ぶ、北斗の姿があった。
「あ……」
「大丈夫かよ?随分、うなされていたけど」
 啓斗はそこで、先程まで自分が見ていたのが夢だとようやく気付いた。あの狂わんばかりの世界が、恐ろしい判断を下した自分が、夢だったのだと。
(夢で、良かった)
 ほっとした気持ちが、全身に行き渡る。北斗はまだ、心配そうに啓斗を見ていた。
「……大丈夫だ」
 啓斗はふっと笑う。北斗を心配させまいと、出来得る限りの笑みを見せてやる。
 北斗が一応は納得したのを確認し、ふと啓斗は障子の向こうから差し込む月明かりが、翳ったのに気付いた。
(まるで、喰らわれたようだ)
 篭に見える障子に囲まれた部屋で、差し込む月明かりを喰らう影。その中心にいるのは啓斗であり、そんな啓斗を北斗は真っ直ぐに見据えている。
(喰らわれた……か)
 そんな事は無いと思いつつも、頭をよぎったのはそんな言葉だった。同時に心の中を黒くどろりとしたものが支配しているのを、確かに感じた。
 まるで、渦のように。

<篭の鳥は泥を渦巻く・了>