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零れ落ちる砂のように。
隣を歩く男の姿をチラ見しながら、曙紅は自分に預けられた大きな紙袋を片手で持ち静かに道を進む。
手にしている袋は所謂『福袋』なのだが、曙紅にはその意味がいまいち判らないらしい。
取り敢えず人ごみの中で大きな袋を奪い合う行為、と言うことだけは身をもって体験したために理解もしたのだろう。
そんな曙紅をつれて歩くのは家主である眞墨。彼は両手に持ちきれないほどの福袋を手にしたままで表情も変えずに黙々と帰路を進んでいた。
「……それ、持つ」
「いいから黙って歩け」
曙紅が眞墨を見上げながらそういうも、彼は足を止めることも無く淡々と言葉を返してくる。
相変わらずの眞墨の態度に、曙紅は少しだけ気落ちしたのか頭を垂れた。
二人の関係は、まだまだこれからと言ったところだ。
そうして人ごみを避けるかのようにして大通りを抜け、近道にもなる路地へと二人は向かう。
ここ最近、この路地近辺で嫌な噂を耳にしその為に人気も無いような場であるが、それを気にする眞墨ではなくまた曙紅にとっても別に気に止めるほどの事でもなかった。
「――――」
昼間であっても少しだけ暗い感じのするその道を、眞墨は一歩踏み入れた瞬間にわずかに眉根を寄せた。
後を着いてくる曙紅には気づけないほどの、小さな気配。
眞墨が道の向こうへと視線を向けた直後に、その気配の正体であるモノが姿を見せた。
数にすれば20体ほどになるだろうか。
一瞬だけの戸惑いがあったが、眞墨はそのままその道を進んだ。遅れずに曙紅も着いてくる。
だが、次の瞬間には。
『餌』と見なされたのだろう、細い曙紅の体に先ほどの気配――貪欲な『小鬼』たちが群がってきた。
「……え……」
ずしん、と襲い掛かる重圧。
曙紅は自分の身に何が起こったのか判らずに、首をかしげる。そう、彼には見えていないのだ。自分の体に張り付いている無数の鬼たちの姿が。
「なに、……なんか、重い……」
一歩歩みを進めれば、その分体が重くなる。
訳がわからずのままに曙紅は重い首に力を込めて、眞墨を見上げた。
前を行く眞墨はすでに足を止め、こちらに向き直っていてくれている。
「……雑魚が」
眞墨は曙紅に張り付いている小鬼を見下しながら、小さくそう呟いた。
世間を騒がしていたのは恐らくこの小鬼たちの存在。ヒトには見ることさえも出来ないモノだが、知らずに襲われて怪我人も絶えない。だからこの道はどこと無く陰気で、人が寄り付かない雰囲気があるのだ。
「…………」
どうするか、と心の中で静かに眞墨は呟いた。
蹴散らすことは容易な存在。だからこそ迂闊に手は出せない。
子鬼たちは曙紅にべたりと張り付いたままで、こちらを見ては卑しい笑いを見せるだけ。
この距離が、疎ましいとさえ感じる。
曙紅に見えていない以上、張り付いている子鬼に手を出すことが難しいのだ。
――彼を、傷つけてしまうかもしれないからだ。
「……、何を……」
「……?」
そう考えが巡った瞬間、眞墨は弾かれたように表情を変え独り言をもらした。
曙紅は圧し掛かる重みに耐えながら、眞墨を見つめる。
何を、躊躇うことがある。
以前の自分であるならば、何の躊躇いも無く目の前の雑魚どもなど一掃出来たはずだ。
それなのに。
「……う、……」
重みがさらに、曙紅を襲い始めた。
それを見て、眞墨はため息を吐きながら再び口を開く。
「片腕は上がるか?」
「え……う、うん……何、とか……」
眞墨の言葉に、曙紅はゆっくりと返事をする。
彼が視線を落とした先は、手の空いているほうの曙紅の腕。
言われるままに曙紅は、力の入らない腕をそろりと静に上げて見せる。
「お前の武器があるだろう、それに俺の力を加える。お前は俺の指示通りに武器を操ればいい」
眞墨は戸惑ったままの曙紅をそのままに、口早にそう告げるとじわじわと増え続ける子鬼たちを睨み付けた。
只ならぬ雰囲気。
そこで初めて曙紅はこの空間に『何かがいる』と言う事を理解し、眞墨の言うとおりに着ているコートに忍ばせてある鋼糸を取り出した。
一瞬にして張り詰める空気。そして再び、重圧が曙紅を襲う。
「く、……っ」
がくん、と膝の力が抜けかけた。
眞墨はそんな曙紅の姿に眉根を寄せながら、自らの持ち合わせる気を放ち彼が手にしている鋼糸へ妖力を込める。すると次の瞬間には、鋼糸の周りを囲むかのようにじわりと煙のようなオーラが生まれた。
「これ……?」
「力が具現化したようなもの……だな。
あまり長居もしたくない。早々に片付けるぞ」
「――うん」
不思議そうに自分の鋼糸へと視線を落とす曙紅に、眞墨は辺りを見回しながらそう言い放つ。
彼の言葉で曙紅は己の意識を切り替えた。
長年組織に刷り込まされた、『裏の顔』へと。
それを合図に、眞墨は目配せのみで曙紅へと指示を下し始める。
彼の視線が動く先に、曙紅の鋼糸がゆらりと動く。
元々彼の能力で自在に動くその鋼糸は、さらに力を増したかのように妖しく歪曲を描いていく。
『――――!』
手ごたえを感じると同時に、曙紅の耳元に届くのは僅かな声のような音。それは子鬼の断末魔の叫びなのだがヒトにはそれが、確かな『声』には捕らえられない。
だが、確かに『目に見えない敵』を自分の手で消し去っている事だけは手に取るように判った。
それから二人は、言葉少なにこの場に蔓延る紛いモノたちを次から次へと闇に葬っていくのだった。
「――すっかり遅くなったな」
「うん」
子鬼たちを一掃した眞墨と曙紅は、気を取り直して大きな袋を手にしながら帰路を進んでいた。
まるで、何事も無かったかのように平然と。
「どうした」
「……え?」
「表情が緩んでいる。珍しいこともあるものだな」
「――、な、なんでも、ない…っ」
明らかに先ほどとは違う表情で歩いていた曙紅。自分ではどのような顔をしているのか理解していなかったのか、眞墨にそう言われると、一気に頬を赤らめて顔を背ける。
嬉しい、などと。
そう感じている自分がおかしいと思った。
人ごみに揉まれた後は、目に見えない敵に襲われかけたというのに、曙紅の心の中は何故かほわりと温かいのだ。
戦いの中にいても、彼と近かったことが嬉しかったのだろうか。それとも、自分を気遣ってくれた彼の気持ちが嬉しかったのか。
ハッキリとしたものは曙紅には判らない。
――まだ、解らない。
「…おかしな奴だな……」
そう言う眞墨の顔も、少しだけ穏やかなものだったのだが曙紅にはその表情を見せることも無く、小さくそう言葉を溢した後は視線を前方へと移す。
小さなきっかけだったり。
僅かな行動だったり。
それは目に見えるものでも、耳に捕らえられるものでもない。
だがそれでも、後退はしていない。
少しずつ少しずつ。
救い上げた砂が零れ落ちるように、気持ちは『形』になっていく。
二人がお互いを思いやるということを忘れない限り。
-了-
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田中眞墨さま&李曙紅さま
いつもご指名有難うございます。
またお二人のお話を書かせていただくことが出来て大変嬉しかったです。
納品がギリギリになってしまって申し訳ありませんでした。
お気に召していただければ幸いです。
またの機会があります時は、よろしくお願いいたします。
朱園ハルヒ
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