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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『因縁の指輪』
◆プロローグ
「コレと同じ指輪を探して下さる?」
 夜崎穂奈美(やざき ほなみ)と名乗った妙齢の女性は、左の中指にはめた指輪をこちらに見せながらそう言った。
「随分と年代物なんですね。で、何か手がかりは?」
「無いわ」
 即答した穂奈美に、草間武彦は持っていたコーヒーカップを落としそうになった。
「えーっと……」
 眼鏡の位置を直しながら、困ったような表情を浮かべる。
「だから、ここに来たんじゃない。こんなに優秀な助手さんがいるんですもの。何とかなるでしょ?」
 黒く艶やかな長髪を掻き上げ、穂奈美は高圧的な視線で武彦を睥睨した。続けてその後ろに控えている草間零に視線を移す。そしてどこか満足そうな笑みを浮かべた後、クッションの弱くなったソファーに深く腰掛け、指輪を外した。
「これはちょっとした曰く付きの指輪でね。怨念みたいなモノが込められているの。霊気を嗅ぎ分けられる者であれば、コレと対になる指輪を探し出せるはず」
 言われて武彦は驚愕に目を見開いた。
 零は見た目はごく普通の女の子だ。一般人が彼女の正体を知っているはずがない。
(この女も能力者か……)
 武彦は目を細めながら穂奈美を改めて注意深く観察した。
 薄い照明に照らされて黒光りする髪。新雪の様に白い肌。彫りの深い異国風の顔立ち。大きな黒目。形の良い紅い唇は微笑をたたえ、蠱惑的な雰囲気を醸し出している。黒いイブニングドレスがソレを更に際だたせていた。
「報酬は三百万。どう?」
 まるでこちらの疑念を見透かしたように、穂奈美はよく通る声で話しかけてきた。
「さっ……! 本当ですか!?」
 そてし彼女の思惑通り、武彦の不安は一気に払拭される。ニッコリと完璧な笑みを浮かべて頷く穂奈美に、武彦は鼻息を荒くして答えた。
「受けましょう。この依頼」
「有り難う。期間は今日から三日以内。期待しているわ」
 指輪を目の前のスチールテーブルに置き、穂奈美は流麗な動作で立ち上がる。
「三日……ですか」
 この小さな指輪と同じ物を三日以内で探さなければならない。かなり難易度の高い依頼だ。
 穂奈美は武彦の呟きを後目に、ヒールを鳴らして部屋を出ていった。彼女のつけていた柑橘系の残り香が僅かに鼻腔をくすぐる。
「零!」
 武彦は意を決したように叫ぶと、勢いよく立ち上がった。そして後ろを振り返り、零の両肩をガッと掴む。
「頼むぞ!」
「は、はぁ……」
 気のない返事を返す零。
(三百万も有れば……マルボロが一万個! 夢みたいだ!)
 不安げな視線をこちらに向ける零の双眸には、満面の笑みを浮かべた自分の顔が映っていた。

◆PC:シュライン・エマ
 買い物から帰ってきたシュライン・エマは武彦の話を聞いて深く溜息をついた。思わず買ってきた卵の一つでもぶつけたくなる衝動に駆られる。
「……で? 報酬はどこでどういう形で渡されるの?」
 シュラインの言及に武彦は黙したまま、年季の入った愛用のデスクの前で小さくなった。
「前金は? 必要経費は報酬とは別に貰えるの?」
 武彦は答えない。
 シュラインは嘆息しながら、眉間に皺を寄せた。
「いいわ。それじゃ今から聞くから。クライアントの連絡先を教えて頂戴」
 武彦は顔面を蒼白にして、助けを求めるように零に視線を送る。しかし零は両手を前に出して激しく首を振り、力一杯ソレを拒否した。
「武彦さん……今更こんな事言いたくないんだけど。本気で事務所立て直す気あるの?」
 子供を教育のために叱りつける母親の如く、シュラインは切れ長の目で睨み付け、武彦に確認する。
「……ゴメンナサイ」
 素直に頭を下げる武彦の姿に毒気を抜かれ、「まぁ、いつものことだから慣れたわ」と付け加えた。手入れの行き届いた長い黒髪をかき上げ、目元を緩めて優しげに武彦を見下ろす。
(それに、貴方のそういうところが私の母性本能をくすぐるんだけど)
 胸中で笑みを浮かべ、シュラインは零の方に向き直った。視線のあった零は、今度は自分の番かと小さく体を震わせる。
「零ちゃん。地図、用意して。とりあえず日本地図」
「え? ……あっ。はい」
 一瞬何を言い出すのかとポカンとしていた零だったが、すぐにシュラインの意図を汲み取ったのか、奥の部屋へと姿を消した。
「な、何をするつもりなんだ?」
「今日入れてたった三日しかないんでしょ? 何の手がかりもないのにどうやって探すつもりでいたの?」
「え、えーっと……それは……」
 ココまで何も考えていないと、呆れを通り越して畏怖の念すら抱く。
「あ、エマさん。ありましたー」
 間延びした声と共に零が一冊の本を持って来た。学校などで教科書として使われる地図帳だ。さすがにシュラインがやろうとしている事が分かっている。
 地図帳を受け取ったシュラインは、目の前のスチールテーブルにそれを置き、日本列島の描かれたページを開く。そして零の方に視線をやり、目で会話をした。
「それじゃ、やってみますね」
 未だ頭にハテナマークを浮かべ続ける武彦を後目に、零は左手に指輪を持ち、右手の人差し指を地図の上にかざす。瞑目し、口の中で小さく何かを呟いたのをきっかけに、零の白く細い指先が淡い光を放ち始めた。
「何をしてるんだ?」
 その様子を覗き込むようにして首を伸ばし、武彦は訊ねる。
「黙って。今、零ちゃんの集中力を乱しちゃダメよ」
 先程の事もあってシュラインに頭の上がらない武彦は、渋々と言った様子で首を引っ込めた。
 零の指が少しずつ動いていく。指先が東京で止まったのを確認して、シュラインは素早く東京の拡大地図を広げた。零の指が一点で止まったのを見計らって更にその区の拡大地図を広げる。
(ここからそんなに離れた場所じゃないようね)
 ゆっくりと移動する零の指先は、草間興信所から車で十分ほどの場所で動きを止めた。
「ココに対になる指輪があるのね。ありがとう零ちゃん。ご苦労様」
 シュラインの言葉に武彦はようやく納得したのか、何かを閃いた時の用にポンと手を鳴らす。
「零ちゃん?」
 ――と、零の様子がおかしいことに気付いた。
 血色の良かった紅い唇は紫へと変色し、凍えたように歯をカチカチと打ち鳴らしている。額からは大量の汗をかき、眦(まなじり)が裂けんばかりに両目を大きく見開いて、地図の上に置かれた自分の指先を凝視していた。
「零!」
 武彦も零の異変に気付いたのか、くわえタバコの灰が落ちるのも気にせずに、零の元に駆け寄った。
「どうしたんだ! 何が見えた!?」
 武彦は零を抱きかかえ、強引に地図から彼女の体を引き離す。
 指輪にこもっていた怨念が強すぎたのだろう。恐らく持ち主の思念が逆流して、零の頭に映像として見えたのだ。
「兄さん……危険です。あまりにも……強い邪悪が指輪を守って……」
 歯の根のかみ合わない、たどたどしい口調で言いながら、零は視線だけを武彦の方に向けた。体はまるでロウで塗り固められたように硬直して動かない。
「武彦さん……この依頼、やっぱり断……」
「っちゃーッス!」
 シュラインの言葉を遮り、底抜けに明るい声が事務所内に響いた。

◆PC:梧北斗
 梧北斗(あおぎり・ほくと)が草間興信所に足を踏み入れた時、最初に目に飛び込んできたのは武彦に抱きかかえられて辛そうしている零だった。
「あれ、どーしたんだ、零。風邪か?」
「あんた……どうしてココに?」
 横手からした声に顔を向ける。
 相手を挑発するかのような切れ長の目。長く艶やかな黒髪。胸元をこれでもかと押し上げる双丘と、痛々しいほどにくびれた腰、そして安定感のある臀部(でんぶ)。メリハリがきいて、均整の取れたモデル級のスタイルには見覚えがあった。
「シュラインじゃねーか。ああ、さっき武彦の奴に呼び出されてね」
 シュライン・エマ。北斗の憧れの存在だ。彼女の持つ色んな意味での『強さ』に惹かれているが、恋愛感情とは少し違う。
「久しぶりだな。『大金事件』以来か?」
 以前、大金が詰まった鞄がこの草間興信所に放置されるという事件があり、その時に一緒に居合わせたのだ。
「そうね。で、武彦さんに呼び出されたって?」
 そう言ってシュラインは武彦の横目に方を見る。武彦は零を優しくソファーに寝かせているところだった。
「ああ。何でも三百万らしいじゃねーか。それだけありゃあ、ちょっとはこのオンボロ事務所も綺麗になるんじゃねーか? って、おい、零。大丈夫か?」
 零は思っていたよりも重傷のようだ。北斗は早い間隔で呼吸をする零の元に、足早に近寄った。
「依頼の事、聞かされてるのね。それで、その依頼のことなんだけど……断ろうと思うの」
 背中で聞いたシュラインの言葉に、北斗は目を丸くして振り返る。
「どーして。三百万なんだろ? 三百万。たかが小さな指輪一つ見つけただけで」
「その指輪を探そうとした結果がコレよ」
 真剣な顔付きでシュラインは零を指さした。
 北斗も零の能力は有る程度知っている。確か怨霊の類を探したり、会話したり出来たはずだ。
「北斗。どうやら指輪の持ち主ってのは相当な怨霊らしい」
 いつになく神妙な顔つきで、武彦は北斗に話しかけた。
「零ほどの力を持った者でもこれだ。シュラインの言うとおり、この件からは手を引いた方が良さそうだ」
 零の汗を拭き取りながら、武彦は諭すような口調で北斗に言う。
「へっ。面白そーじゃねーか」
 しかし北斗は忠言を聞き入れる様子も無く、逆に意気揚々とした表情で武彦の目を正面から見据えた。
「で、場所はもう分かったのか? 俺一人で行ってくるぜ」
 左手の腕輪を学生服の上から確かめながら、北斗は不敵な笑みを浮かべた。

「ここよ……」
 シュラインと共に、北斗は寂れた神社の前に立っていた。朽ちて内部の木がむき出しになった鳥居が、不気味な雰囲気を持って北斗達を見下ろしている。
「で、いいのか? 武彦と一緒に待っててなくて」
 最初一人で行く予定だった北斗に、シュラインは自分の車で送ると言い出た。それ自体は非常にありがたいことだったのだが、送り届けた後も帰る様子はなく、結局ココまで一緒について来てしまったのだ。
「あんた一人で行かせたら危ないでしょ。すぐに無茶するんだから」
「何だ。心配してくれてんのか?」
「武彦さんに協力してくれる奇特な人材が減ると仕事がやりにくくなるだけよ」
 冷たい言葉で即答され、北斗は少し肩をすくめてみせた。
「さて、と」
 鳥居の後ろに構える二百段ほどの石階段。それを見上げ、北斗は無遠慮に足を踏み出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
 殆ど周囲を警戒すること無くズカズカと歩を進める北斗に、シュラインの慌てた声が後ろからかかる。
「あんた分かってるの!? いつどこから敵が襲ってくるのか分からないのよ!?」  「けど見えない敵にびくついててもしかたねーだろ? それによく言うじゃん。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』ってな♪」
 北斗は退魔師だ。さっきから自分に対して悪意を発する存在が、チョロチョロと周りを巡っている事くらいは知っている。
 警戒していないわけではない。むしろ今回のターゲットに対してはシュライン以上に敏感になっている。
(なにせ久しぶりに本気になれるかもしれねー相手だからな)
 高名な退魔師であった祖父の血が流れているせいだろうか。普段、退魔の力をあまり好まない北斗であったが、この体の奥底から沸き上がる昂奮はどうだ。高純度のドラッグでもキメたらこんな感じになるのかと想像しながら、北斗はどんどん階段を進んでいく。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよー」
 そのスピードに付いていけないのか、呼吸を荒げたシュラインの声が下から聞こえた。
「どーしたんだよ。ハイキングのつもりでいこーぜ。こんなに良い天気なんだからよー」
「……天気なのは、あんたの頭だけにして欲しいわ」

◆PC:シュライン・エマ
 社(やしろ)の前に立ち、シュラインは神経を集中させた。
 細い目を更に細めて周囲の気配を探って行く。
「何してんだよ。こっちだ」
 ぶっきらぼうな声が横手から聞こえた。見ると北斗が建物の後ろに回り込もうとしている。
「ああ、もぅ! 何であんたはそう無計画なのよ!」
「頭使うのあんま得意じゃないんでね」
 明るい声で返す北斗の後を追い、シュラインはどっと疲れが出てくるのを感じた。
 本当にこの青年だけは分からない。一見どこにでも居そうな高校生なのに、妙に度胸が据わっている。何も考えていないように見えて、時々ドキッとするほど気が利くことがある。退魔師とは聞いているが、高い霊力の保持者なのだろうか。
 シュラインはまだ彼の力を見たことはなかったが、武彦がアテにするほどの人材だ。外見に惑わされない方がいいのだろう。
「ん?」
 シュラインの視線を感じたのか、北斗が足を止めてこちらに振り向いた。
「ひょっとして、俺の背中にイタズラ書きとかしようとしてる?」
「バッ……! バカなこと言わないで! あんたじゃあるまいし!」
「そう。ま、そんな心配すんなよ。何とかなるって」
 吸い込まれそうな銀色の瞳でシュラインを見ながら、北斗は屈託無く笑う。
 まるで根拠のない自信ではあったが、僅かにシュラインの不安が軽減したような気がした。少し鼓動が早まったように思える。
(や、やだ。私ったら何照れてんのよ。こんな一回りも年の違う子に。それに、私は年上派で武彦さん一筋なのよっ)
 そう自分に言い聞かせ、シュラインは北斗の背中を追う形で足下の枯れ葉を踏みつける。歩くたびにクシャクシャと音を立てる忌々しい枯れ葉が、それほど気にならなくなっていた。そして、北斗の背中がさっきよりも大きく見えるような気がした。まるで頼もしい盾のように。
「フン。やっこさん、よーやく重い腰を上げたようだぜ」
 さっきまでとは違う語調で北斗は言い、立ち止まった。そして手にしていた布製の袋から何かを取り出す。
 ソレは弓だった。北斗の体格にあつらえたような大きさで、弓の下のほうには銀色の珠と白い羽根の飾りが付いていた。
「え? え?」
 霊力はあるものの、それほど強くないシュラインにはまだ何も感じない。
 ここは社の裏にあった獣道を五分ほど進んだ場所。更に奥には、大人が屈んでようやく通れる位の小さな鳥居が見えた。
「どーやら、コイツに勘づいたらしい」
 北斗は弓を左手に持ち替え、右手でポケットから例の指輪を取り出す。それを親指で軽く弾き、手でもって取り直した。
「シュラインはここにいな。戦いが始まったら命の保証は出来ないぜ」
 そう言い残すと、北斗は咆吼を上げながら小さな鳥居の方に走った。

◆PC:梧北斗
 北斗の目にはハッキリと『見え』ていた。
 小さな裏鳥居の奥。少し開けた場所の真ん中に有る、頭の無い石地蔵の前。
 あぐらをかき、獲物を待ち構えるように鎮座している鎧武者。そいつからは膨大な妖気と、底なしの怨念が感じ取れる。
 指輪がどこにあるのかは分からないが、探すのにはとりあえずコイツをどかさなければならないようだ。
「血と魂により交わされし盟約! 深淵に眠る神器の力を呼び覚ませ! 退魔弓『氷月(ひづき)』縛解!」
 鎧武者へと疾駆しながら、北斗は独特の発声を持って呪(しゅ)を紡ぐ。
 左手に持った弓から淡い水色の光が立ち上った。ソレは飴細工の様に流動的な形状を維持し、北斗の左手に植物の蔦のように巻き付く。
「我が右手に集結せしは破邪の力! 退魔針、招来!」
 右手が白い燐光を放ったかと思うとソレは一気に伸び、眩く輝く矢となって安定した。「オオっら! 喰らえバケモン!」
 矢を弦につがえて強く引き絞り、鎧武者に狙いを定めて射出する。走りながらという極めて不安定な体勢にも関わらず、光の矢は正確に鎧武者の眉間めがけて飛んだ。
 ソレが兜に触れる直前、ィンという金属糸をつま弾いたような甲高い音を立てて弾かれる。
「貴様 ソノ指輪ヲ ドコデ手ニ入レタ!」
 高速で飛来する矢を事も無げに刀ではじき返した鎧武者は、地獄の蓋を開けたかのような低い声で恫喝し、ゆっくりと立ち上がった。
「さあね! 知りたきゃ力ずくで聞き出してみな!」
 北斗の挑発に鎧武者の妖気が更に膨れあがる。
「ソウ サセテモラウ!」
 鎧武者は抜き身の刀を両手で持ち、真横に構えると北斗に向かって跳んだ。十メートルはあった二人の距離が一気に詰まっていく。超重量級の甲冑を身につけている外見からは想像も付かないほどの早さだ。
「ハァ!」
 裂帛(れっぱく)の気合いと共に、鎧武者は寝かせた刀を下からすくい上げる。その斬撃の軌道を読み、僅かに体を左へと傾斜させて北斗はソレをやり過ごした。そのまま走る速度を落とすことなく鎧武者の後ろへと周り込み、右手に光の矢を生み出す。
「隙だらけだぜ、おっさん!」
 兜の隙間から僅かに覗くうなじに狙いを定め、北斗は退魔針を打ち出した。矢は狙い通りに鎧武者の首を貫き、喉を食い破って鎧武者の前にあった岩に突き刺さる。
「やりぃ!」
 快哉(かいさい)を叫ぶ北斗。しかし次の瞬間、鎧武者の体がぶれて消えた。
「後ろよ!」
 遠くから聞こえたシュラインの声に反応し、北斗は反射的に氷月を両手に持って頭上に掲げた。それから殆ど間を置くこと無く、重い手応えが両肩にのし掛かる。踏ん張った両足が、くるぶしの辺りまで地面に食い込んだ。
(ちぃ……いつの間に後ろに。何てスピードだよ!)
 鎧武者が背後から仕掛けてきた兜割りを何とか受け止め、北斗は胸中で舌打ちをする。
(シュラインの声がなかったらやばかった。くそ! やっぱコイツ強いぞ!)
 氷月を傾けて刀から伝わる力をいなし、その時の反動を利用して体を正面を向けた。
「マダ他ニ仲間ガイタノカ」
 忌々しげに吐き捨てると、鎧武者は北斗から視線を外しシュラインに目を遣る。
 鎧武者が仮面の奥で笑った気がした。
(やばい!)
 本当的にシュラインの危機を察知し、北斗は胸前で印を組み上げる。
「我が身に宿りし炎の守護者! その咆吼は万物を鳴動させ、その巨躯は万象を遮る!」
 北斗の喚び声に応じて、目の前に手の平サイズの白い呪符が現出した。表面には赤い墨で、退魔呪文と狼の絵が描かれている。
「血と魂の盟約に従い、万能の護り手となれ! 結界符『火月(かづき)』縛解!」
 叫びながら北斗は、火月を人差し指と中指で挟み、シュラインに向かって投げつけた。
 ソレとほぼ同時に鎧武者がシュラインに向かって跳ぶ。
 しかし火月の方が僅かに早くシュラインの元に届き、彼女の周囲に結界を展開した。不可視のソレは鎧武者の繰り出した斬撃をはじき返す。
 北斗は安堵の溜息をつくと共に、激烈な憤りを感じる。
(零だけじゃなく、シュラインまで傷つけようとするなんざ絶対に許さねぇ!)
「テメー! いつまでも調子にのっんてじゃねーぞ!」
 北斗の声に鎧武者がこちらを向く。そして見えないはずの仮面の奥で、相手を小馬鹿にしたような笑みを浮かべたように見えた。
「コッ……! の! ヤロー!」
 北斗の理性が怒りと攻撃衝動によって駆逐されていく。
「後悔すんじゃねーぞ!」
 両目をカッと見開き、北斗は逡巡すること無く左手にはめた銀の腕輪を外した。

◆PC:シュライン・エマ
「な、なん……なの……」
 シュラインの目の前で北斗が変貌していく。
 銀色だった目は金へと変色し、瞳孔が縦に開く。髪の毛は燃えるような紅へと変わり、異様に発達した犬歯が口の端から覗いた。筋肉が膨れあがったのか、体は一回り大きくなり、学生服を窮屈そうに内側から押し上げている。
「ガアアァァァァァア!」
 獣吼を上げ、北斗は弾丸の様な早さで鎧武者へと肉薄した。さっきまで持っていた弓はもう手にない。代わりに鉤爪の様になった両手が、兇悪な息吹を撒き散らせていた。
「死ねええぇぇぇぇ!」
 右手を鎧武者へと叩き付ける。鎧武者はソレを刀で受け止めるが、北斗の鉤爪はあっさりと刀をへし折った。
「なっ……!」
 シュラインの目が驚愕に見開かれる。
 怨霊は体は勿論のこと、所持品に至るまですべて霊的な物質で構成されている。そのため、同じく霊的な武器――例えば北斗の退魔弓――でなければ触れることはおろか、ダメージを与えることなど出来るはずがないのだ。
(あの両手……。両手に霊力を宿して……? 触媒も無しに、あそこまで強力な霊気を作り上げるなんて)
 通常は杖や符、剣や刀等、何らかの触媒を通じて術者の霊力を増幅させる。しかし今、北斗は自分の両手で直接霊力を増幅させているのだ。
「ヌ、ゥゥゥ……」
 苦しげな鎧武者の声。北斗の鉤爪が甲冑の右肩を握りつぶしていた。鎧武者は力の入らなくなった右腕をダラリとぶら下げている。
 ――殺せ。
(え……)
 その時、シュラインは『声』を聞いた。
 空気の振動による物ではない。頭に直接語りかける『声』だ。
 ――そうだ。お主のような者が現れるのを、ずっと待っていた。
 『声』は鎧武者の方からした。しかし、今や一匹の獣となった北斗には届いていないのか、何の反応も示すことなく喜々として鉤爪を振るい続けている。
 ――これでようやく、彼女と一緒になれる。
 もはや鎧武者から邪悪な物は感じられない。
 有るのは、ただの慕情。郷愁に似た切なさ。解放される事への満足感。
「ま、待って北斗くん! 様子がおかしいわ!」
「わはははははは! 死ね死ね死ね死ね死ね!」
 完全にキレていた。シュラインの声も届かない。
 鎧武者の右脚を叩きつぶし、左脚を切り裂く。腹に風穴を開け、左腕を吹き飛ばした。
「あの世に行って反省しやがれ! このタコスケが!」
 血と殺戮の狂喜に、金色の双眸が輝きを増す。右の鉤爪が一際激しく光を放ったかと思うと鎧武者の顔面を掴み、右腕一本でその体を高々と掲げる。
「悪霊退散!」
 そして、力一杯地面に叩き付けた。
 ――アリガトウ。
「あ……」
 それが、鎧武者の最後の『声』となった。

「ま、まーいいじゃないか、シュライン。無事、指輪も手に入ったことだし」
 武彦になだめられ、シュラインは荒げていた声をようやく落ち着かせた。
「まったく。本当に迷惑ばかり掛けるんだから」
 そして乱暴にソファーに腰掛け、足を組む。
「なーんで、そこまで怒られなきゃなんねーんだよ。俺はシュラインを守ろうとしただけなのによー」
 納得のいかない顔つきで、北斗はそっぽを向いて口を尖らせた。
 ――あの後。
 鎧武者を倒した北斗も、糸が切れたかのように、その場に突っ伏した。力の使い過ぎが原因らしい。体の変化も元に戻り、子供のように安らかな寝顔だった。
 北斗が変貌したきっかけとなった銀の腕輪を探していた時、シュラインは頭のない石地蔵の足下に指輪を見つけた。クライアントから預かった物と全く同じ指輪だ。
「もうちょっとで、この件の裏が見えそうだったのに。あんたが暴走するから!」
 再び激昂しそうになるが、零に「まーまー、北斗さんも頑張ったんですから」と諭される。
「零の言うとおりだぜ。だいたい勝手に着いてきたのはシュラインの方だろ。ソレを護ってやったんだから、感謝の言葉の一つくらい欲しいもんだ」
 確かにその通りだった。実際、感謝はしている。今回、自分は足手まといにしかならなかった。シュラインも最初はまず、有り難うを言おうと思っていた。
 しかし気が付いた北斗は開口一番、
『なんだよ。王子様の目覚めは、護った王女のキスだろ?』
 と、からかい口調で言ったのだ。丸二日昏睡していた北斗を、本手で心配していた自分に腹が立ち、一気に頭に血が上った。
 その後は、口をついて次から次へと飛び出す罵詈雑言の嵐。
「私に感謝されようなんて、十年早いわよ」
 結局、素直になるきっかけも無く、憎まれ口を叩き続けるしかなかった。
「十年後には立派な行かず後家だな」
 くっく、と声を押し殺して笑う北斗に、シュラインのボルテージが一気に上昇する。
 もはや、武彦や零も止めに入ろうとはしない。
「この――!」
 シュラインが何かを叫ぼうとした時、事務所の扉がノックされた。キィ、と軋んだ音を立てて扉が開き、事務所内に柑橘系の香りが染み渡る。
 入ってきたのは妙齢の女性。
 手入れの行き届いた艶やかな黒髪。透明感さえ感じさせる白い肌。それとはあまりに対照的な黒いイブニングドレスを纏い、彼女は高いヒールを鳴らして、事務所内に足を踏み入れた。
「失礼ですが、どちら――」
「ああ、お待ちしておりましたよ。そろそろ来る頃だと思っていました。シュライン、北斗、紹介するよ。この人が今回の依頼人、夜崎穂奈美さんだ」
シュラインの言葉を遮り、武彦が女性の前に赴く。
 武彦は彼女にソファーを勧め、零にお茶を用意するよう指示した。
「じゃ、こちらがご要望の指輪と言うことで」
 武彦は二つの指輪――最初に渡された物と、シュライン達が手に入れた物――をスチールテーブルの上に並べる。
「……確かに。ありがとう」
 二つの指輪を手に取り、彼女は紅い唇を僅かに曲げて満足そうな笑みを形作った。
「夜崎穂奈美さん。すいませんが、もしよろしければその指輪について少しお話しいただけませんでしょうか」
 シュラインは武彦の隣に腰掛け、穂奈美に柔和な微笑を送る。ソレを受けて穂奈美は瞑目し、しばらく何かを思案していたが、小さく頷いて口を開いた。
「いいわ。コレを見つけだしてくれた事へのお礼と、彼を解放してくれた事へのお礼も込めて……」
 彼――というのが、鎧武者を指す言葉であることはすぐに分かった。そして鎧武者が『彼女』と言っていた人物が、目の前のこの女性である事も。
「もうすでに気付いているとは思うけど、私は退魔師よ。あなた達と同じ、ね」
 零と北斗に視線を送りながら、穂奈美はゆっくりと喋り始めた。
「将来を約束した人が居てね。彼もまた優秀な退魔師だった。私たちは二人でよく、除霊や鎮魂の仕事をすることが多かった。ある時、封魔の仕事が入ってね。当時かなり評判になっていた私たちは軽い仕事だと決めてかかったわ」
 そこまで言って零の持ってきてくれたお茶を手に取り、少し口に含む。
「ところが、かなり厄介な相手でね。落ち武者の怨霊があんなにしぶとい物だとは思わなかったわ」
(落ち武者……。それじゃあ、やっぱり……)
 シュラインは穂奈美のその言葉で、殆どすべて察した。
「ちょっとテングになってた私たちも悪かったよの。ろくな装備も持たずに、怨霊を封印しようとしたもんだから呪いが術者――私の恋人に跳ね返ってきたわ。彼は意識を取り込まれ、暴走し始めた。多くの血を求めて、ね」
「だから彼を止めることが出来る退魔師を探していた。そうですね?」
 シュラインの言葉に穂奈美は頷く。
「でもあんたも退魔師なんだろ? そんなに止めたきゃ自分で止めりゃいいじゃねーか」
 北斗がぶっきらぼうな口調で、横ヤリを入れた。
「ええ、勿論。そんなもの一番最初にやったわ。でも、出来なかった」
 悲しそうに、そしてどこか寂しそうに呟く。
 愛する者の暴走は当然自分の手で止めたい。しかし力が及ばなかった。だから仕方なく他人の手を借りることになった。
「彼の居場所はこの指輪が教えてくれる。私たちの婚約指輪が。どんなに離れても相手の場所や想いが届くように、念をかけた物だから」
 彼女も今回のような使い方は本意ではないはずだ。しかし、それでも彼を止める手助けが出来るのならば――
「やっぱり私の目に狂いはなかった。貴方に頼んで良かったわ、草間さん。二百年ぶり報われた気持ちになれた」
「いやぁ、そう言っていただけると……って、二百年!?」
 照れたように頭を掻きながら、武彦はビックリしたような表情で聞き返す。
 この指輪は古さは、ここ十年や二十年の代物ではない事を雄弁に物語っていた。
(やっぱり、そう言う事ね)
 シュラインや北斗、武彦や零の見ている中で穂奈美の姿がだんだん希薄な物になっていく。蠱惑的な笑みを口元に張り付かせた彼女の白い顔がさらに透明感を帯び、周囲の景色と同化していった。
「貴女、彼に殺されたのね」
 シュラインの言葉に穂奈美は目で肯定する。
 彼の暴走を止めようとして穂奈美は立ち向かった。しかし、返り討ちに会い――殺された。
「これでようやく彼と一緒になれる。長かったわ。二百年以上も、この瞬間を待ちこがれた」
 二つの指輪を大切に両手に持ち、穂奈美の透明化は進む。
 ――アリガトウ。
 完全に姿が見えなくなる直前、風に混じって『声』が聞こえた。穂奈美と――あの鎧武者の『声』が。
「あああああああああああ!」
 しばらく達成感の余韻の浸っていたシュラインだったが、ソレを武彦の叫声が打ち破った。
「報酬! 三百万! マルボロ一万個!」
 シュライン、そして北斗と零の声が事務所内に響き渡ったのだった。

◆エピローグ
「結局、こーなるのよねー」
 シュラインは家計簿とにらめっこしながら、電卓を叩いていた。
 北斗と零はさっき二人で出ていってココには居ない。
「すまんっ、シュライン! 俺がちゃんと前金だけでも貰っておけば!」
 額が床に擦れそうになるまでくっつけながら、武彦はシュラインに土下座していた。
「いいのよ武彦さん。いつものことだし、もう慣れたわ」
 やっぱりこの人には私が付いていないとダメだ。シュラインは心の底からそう思った。それは自分の居場所がまさにココにあるということであり、武彦への想いが揺るぎない物であることを再確認させてくれる。
(やっぱり青臭いガキより、ちょっとドジな中年よねー。男は三十からよっ)
 一向に頭を上げようとしない武彦の髪を優しく撫でてやりながら、シュラインはそんなことを思った。
「武彦さん」
 シュラインの包み込むような言葉に、武彦はようやく頭を上げる。泣き出しそうになっている頼りなさ気な顔つきがまた、シュラインの母性を鷲掴みにした。
「いつか――」
 二人っきりの事務所内。今なら何となく言える気がした。
「事務所、建て直そうね」
「あ、ああ」
 何故そんな言葉を今掛けられるのか、少し困惑した顔つきになりながらも、武彦は頷いた。
 『いつか、私をもらってくれる?』
 その言葉はまだしばらく言えそうにない。

【終】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号:0086 / PC名:梧・シュライン・エマ (しゅらいん・えま) / 性別:女性 / 年齢:26歳 / 職業:翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【整理番号:5698 / PC名:梧・北斗 (あおぎり・ほくと) / 性別:男性 / 年齢:17歳 / 職業:退魔師兼高校生】


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■         ライター通信          ■
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 初めまして、シュライン・エマ様。飛乃剣弥と申します。お仕事、どうもありがとうございました。
 最初、整理番号の若さと、所持アイテムの多さにビックリしました。こんなOMCの常連の方に発注指定ていただけるとは本当にうれしい限りです。
 今回、エマ様のプレイングを見て、「あ、そういう指輪の見つけ方もありか」と感心させられました。
 きつそうな外見なのに、家庭的で、ゴキブリが苦手というギャップがツボにはまりました。武彦に尽くす様子は、ほほえましいですね。
 また、お会いできれ幸甚です。では。