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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


火災療治

 三日前、全焼の火事があった。原因は息子の火遊びで、その少年は現在病院で意識不明の重体である。
 さすがに不謹慎なので煙草に火はつけず、ただフィルターをくわえただけで草間武彦は焼け跡を見つめていた。黒く煙る庭の隅にしゃがみこんだ少年から目が離せなかったからだ。
「おい、そこの坊主」
前にもこんなことがあった、見捨てられなくて子供を拾ってしまった、そんなことを思い出しながら武彦は少年に呼びかけた。すると少年は初めて武彦に気づいたような顔をした。右の頬から額にかけての火傷が痛々しかった。
「なにしてる」
「僕、捨てられたの」
答えた少年の体はよく見るとうっすらと背後の景色が透けて見えた。
「僕は、僕の心の傷。家を焼いてしまったことを覚えていたら辛いから、だから捨ててしまったの。心の全部、捨ててしまったの」
少年の意識が戻らないのは、傷ついた心がこの場所に残っているせいだった。
「お前がここにいちゃ、体は一生寝たきりだ。そんなんでいいと思っているのか?」
「覚えて生きるよりはきっとずっと、平気だよ」
「平気なわけないだろ。俺は知り合いに医者もいる。いろんな奴がいる。あいつらならきっとお前の傷を治せる。だから、戻るんだ」
「・・・・・・」
武彦に説得されて、火事場から少年の姿は消えた。同時刻、病院の少年には意識が戻った。だが戻っても、少年の瞳はうつろで家族の呼びかけに反応は示さなかった。顔の傷が、心の傷が消えなかった。

 後日、微妙な状況にある少年の見舞いに訪れた者たちに対し、病院は彼らを会議室へ案内した。病室へ通していいものかどうか戸惑い、そこで待機を促したのである。武彦を含めた六人は、神妙な顔つきで従った。
 大きな机に黒い事務用チェアがずらりと並び、正面にホワイトボードの貼りつけられたがらんとした内装、まさに会議のためだけに作られた部屋といっていい。
「ちょうどいいわね。ここで火災の詳細を説明するから聞いてちょうだい」
刑事として事故の原因捜査に携わっている白姫すみれはマーカーを取ってホワイトボードに手早く一軒家の間取りを描き出す。慣れた動作であった。
「発火当時の天候は晴れ、風は強く空気は乾燥していたわ。テレビのニュースでは火災に対する注意報も促していた」
状況説明をしながら黒いマーカーを赤のものに取り換え、そのマーカーでさっき描いたばかりの間取り図の一箇所に大きく丸を印す。
「そしてここが発火現場となった居間」
「なにが原因だったんだ?」
武彦が静かに訊いた。表情が少なからず陰を帯びているのは、やるせない気に晒されているからなのだ。隣の椅子に深く腰掛けた鈴森鎮はあの少年と同じ年くらい、さっきからしきりに鼻をこすっているのは院内に染みついた消毒液の匂いがくすぐったくて仕方ないのだろう。
「灯油のストーブが、燃えていたわ。炎が近くの雑誌に燃え移って、そこから広がっていったみたい」
「そのとき、お家の方はどうされてたのかしら?」
これはシュライン・エマ。訊くほうも辛かったが答えるすみれも同様であった。しかしそれでも、すみれは語ることを止めなかった。
「両親は少年を置いて出かけていたみたい。少年は夕方まで友達と遊ぶ約束をしていたんだけど、友達が風邪をひいたからって昼過ぎに帰宅しているわ」
「耐えきれなかったんだな」
「寒くてたまらなかったのでしょうね」
門屋将太郎とセレスティ・カーニンガムがほとんど同時に言った。
 火事のあった日はとても寒かった。だから少年は、灯油ストーブに火を入れた。本当は、一人のときはつけてはいけなかったのだけれど。寒かったから、親の帰ってくるのが待てなくて。
「て、ことはだ。あの子の障碍になっているのは火事を起こしたことだけでなく親の言葉に逆らったその罪悪感も関わっているな」
「たとえ目を覚ましたとしても、顔の傷を見るたび自分の行動を思い返さずにはいられないでしょう」
「あ」
ペットのイヅナ、くーちゃんを入れた小瓶を天井の光に透かし見ていた鎮が入り口のほうをぱっと見た。間髪入れず扉が開く。
「先生が、面会を許可してくださいました」
武彦とそう年の変わらない看護士が顔を出し、六人は椅子から腰を浮かせた。

「来てくれたんだ」
声を発したのは少年だったが、ベッドの上からではない。相変わらず半透明の体で、病室の隅に立っていた。だが、少年はなぜか武彦にしか見えず声も武彦にしか聞こえなかった。
「ああ。言ってた奴らを連れてきた」
ベッドの枕元に置かれた椅子へ武彦が腰掛け、反対の側に鎮とセレスティが回った。そして武彦の脇にシュラインとすみれが立ち、その後ろから将太郎が上背を覗かせていた。
「俺、鈴森鎮っていうんだ」
武彦に指差された辺り、少年がいる場所のほうを見ながら鎮が名乗った。
「セレスティ・カーニンガムといいます」
「シュライン・エマよ」
「白姫すみれ、よろしくね」
「門屋将太郎だ」
少年は全員の顔を見回し、そして武彦の前で視線を止めた。
「お兄ちゃんは?」
そういえば武彦はまだ名乗っていなかった。少し笑って草間武彦だ、と答えた。もしも病院で煙草が吸えたなら、迷わずくわえていただろう。
 セレスティは少年のうつろな瞳にかかる火傷の跡に、そっと手を伸ばした。傷を負ったのはもう一週間近く前のことなのに、まだ熱を帯びている。心の持ちようで傷の治りというものは変わってくるが少年の場合は悪いほう、ずるずると負の感情をひきずっているがためにいつまで経っても回復の兆しを見せない。
「傷の症状が、体内にまで沁みこんでいますね」
血の巡りに耳を傾けるセレスティ。液体に関する音ならば、聴診器では聞き取れない微妙な違いまでも彼は聞き分ける。それは単純な血栓などと違い、心の陰りによって生まれた淀みであるだけに治療が困難だった。
「人間の薬では効果が薄いかもしれませんね」
「なら、妖怪の薬はどうだ?とっておきの秘薬を持ってきたんだ。これならどんな傷だって元通りだ」
まるで香具師の口上だったが、鎌鼬参番手としての自負が言わせるのである。紫色の封を切って指先だけを鼬のそれに変え、鎌鼬の薬は鎌鼬の手で塗らなければ効果がないのである、少年の顔に爪を立てないよう注意を払いながら、火傷の上に軟膏を塗りつけた。
「毒じゃないだろうな」
「うるさいな、黙って見てろよ」
横槍を入れる武彦を睨み、鎮は薬をすり込むように柔らかな肉球の部分で少年の頬をなでる。すると時間が経つにつれ、少年の顔に盛り上がっていた火傷の傷が滑らかに変化していくのがわかった。
「すごい」
すみれがため息をつく頃には、少年の頬はすっかり以前のままであった。もちろん武彦にだけ見える半透明の少年の顔も、同様である。
「これですっかり元通りだ」
よかったなあ、と鎮。だが少年の心は相変わらず体から離れた場所に立ち止まったまま、胸の奥に刻まれた傷はまだ癒されていないことが、セレスティには聞こえていた。

「放っておけばいいんだ。心なんて、持っていれば苦痛しか生み出さない。そんなことお前が一番よく知っているだろう?」
頭の中でカネダが囁きかける。
「ああ、知っているとも」
心を瞬間的に切り替えながら、将太郎は自分自身と対峙する。カネダの言葉に納得しつつ、門屋としての自分は逆らいつつ、文字通りに心が揺れていた。
「わかっていて、あの子供を救おうとするのか?それはなぜだ?少年に対する哀れみか、それとも義侠心か、臨床心理士としてのお前のプライドか」
門屋の人格に戻っても、将太郎は黙っていた。すると再びカネダの人格が覗き
「プライドのためなら、俺は見逃してやるぜ。お前はお前のためにしか動けないんだ。人のために働くなんて殊勝な考えを持ったら、許さねえからな」
心の中で哄笑が響き、そしてすべてがかき消えた。
 将太郎はゆっくり息を吐いた。もう一人の人格になんと罵られようが今自分がすべきことは、少年に呼びかけることだけだった。
「おい、この子の心はどこにある」
「あそこだ」
細く長い指が、扉のある側の壁を指す。武彦に指を逸らすなよと命じてから将太郎は壁に向かって、見えない少年に呼びかけた。
「俺の声が聞こえるか?」
臨床心理士である将太郎の声は他の人の声となにか違っていて、直接心に響く。ことに、心だけの存在である少年には強い刺激を受けるらしくそれほど強い語気でもないのに身を竦ませた。
「聞こえているな。聞いていろよ。いいか、心だけになったからって、自分のやったことから逃げ出せやしないんだからな」
将太郎の声はまるで、逃げる子供を大股で追いかける熊のようだった。懸命に走っても逃げられない、そんな気にさせるのだ。
 だがそれでも、逃げずにはいられない。武彦の指が、窓際のほうへぱっと移る。
「おい、指を逸らすなと言っただろ」
「俺は言われたとおりにしてる。あっちが逃げ回ってるから追いかけてるんだ」
武彦の指はふらふらと動き、子供が戸惑い逃げ惑う様を描き出していた。それはあてのない、出口のない、光のない迷路に似ていた。そんな恐怖がいきつく場所はひとつだけ、母性の雰囲気を漂わせるシュラインの後ろで指は止まった。
「お前にしがみついてる」
「え?私の?」
反射的な行動で、シュラインは首を傾け武彦の指が示す辺りを覗き込む。
 将太郎の言葉によって、少年の心は揺れつつあった。誰かに救いを求めている、あのとき武彦の声が響いたように再び響かせるものを待っている。黙って武彦はシュラインを見た。
「・・・君、不幸中の幸いって言葉知ってるかしら」
少年のいる辺りを見、それからベッドの上の少年へと目を移し、小さな頭をそっと撫でながらシュラインは静かな声で語りかける。
「君は火事で大事なものがみんな燃えてしまったと思ったでしょう」
厳しい現実の台詞だった。だがシュラインの声が優しかったので、そこまで深く少年の胸を抉りはせずに、少年は傷つきながらも耳を傾けることができた。
「でもね、偶然だったけど銀行の通帳や土地の権利書なんかは無事だったのよ」
「本当に偶然だったけどね」
刑事であるすみれは多くの事件に携わってきたが、たまにこのような奇遇に立ち会う。
「お家は元に戻る、だから心配しなくていいの。・・・でも、戻らないものもある」
その場にいた六人はそれぞれ、自分にとってかけがえのないものを胸に思い浮かべた。
「あなたが笑っている写真は、全部焼けてしまったわ。もう一度あなたの笑顔が見たいとき、ご両親はどうすればいいのかしら?」
「でも・・・でも、お父さんもお母さんもきっと怒ってる。僕が勝手にストーブをつけたから」
少年の言葉をそのまま、武彦は皆に伝えた。真っ先に怒ったのは将太郎だった。
「お前、なにもわかってねえな。そりゃ父ちゃんたちは怒ってる、だけどそれはお前が目を覚まそうとしないからだ」
「そうだ!お前がここで起きないってことは、お前が今までやったどんなことよりずっとずっとずっとずっとずっと悪いことなんだぞ!」
鎮の声は将太郎ほどの威圧感はなかったが、少年を殴り倒すような勢いがあった。初対面の人間に対しこれほど皆が真剣に怒れるのは、それこそ自分の家族だったり友達だったりを本当に大切にしているからなのだろう。
「怒られるのが、そんなに怖いのですか?」
目で、セレスティは少年の返事を促した。言葉は武彦を介して、介すると非常に簡潔な愛想なしになってしまったのだが、語られた。
「怖いより、辛いんだとさ。家を燃やしちまって、合わせる顔がないんだそうだ」
「・・・今御両親も辛い思いをされています。けれどそれは家をなくしたことではなく、あなたが目を覚まさないからです」
このままでは家を焼いた何倍もの苦しみを親に与え続けることになると、セレスティは少年に淡々と語った。
「時計を見てごらんなさい。もうすぐ二時よ」
少年の両親は、毎日少年に会いに来る。いつ少年が意識を取り戻してもいいように、うつろな目の傍に付き添っている。
「足音が聞こえてくるでしょう」
「・・・聞こえてくるよ」
六人にも聞こえた、いや、それは足音ではなく少年の声がだ。少年はベッドの上から、自分の声で喋っていた。
「お母さんの足音だ。お母さんの」
シーツを握りしめる少年の指に力がこもる。涙の伝う頬へは赤みがさしてきた。少年は裸足のまま床に降りると母親より先に扉を開いて廊下へ飛び出し、その胸に飛びついていった。
 六人はそれを見守り、気づかれないよう静かに病室を後にした。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1522/ 門屋将太郎/男性/28歳/臨床心理士
1883/ セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
2320/ 鈴森鎮/男性/497歳/鎌鼬参番手
3684/ 白姫すみれ/女性/29歳/刑事兼隠れて臨時教師のバイト

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
今回、将太郎さまの言葉で少年の心が逃げ回る場面は
「考えていることを見抜かれた心ってこんな反応を
しているんだろうな」
と思いながら書いていました。
そしてカネダのひとでなし人格、実は結構書くのが
楽しいかもしれません・・・。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。