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デビル・アンバランス
ふたりの悪魔が東京の片隅で出会った。事実だけを端的に言ってしまうと、誰もが物足りなさを感じるだろう。それと同時に現在のふたりの関係にいささかの興味を持つはずだ。時はわずかに遡る。物語の始まりへと向かうために……
この物語はバー『アムドゥシアス』を営む女主人が気まぐれにアルバイト広告を出したことから始まった。金色に煌く長い髪で、そして淡い色のドレスで自らを美しく飾る女性の名はラッテ・リ・ソッチラ。別に彼女は人手が欲しいわけでもなんでもなかった。ただ店のチラシ作りを楽しんだ後、適当にそれを撒いただけ。自分が気に入るような存在が現れるかどうかなどまったく気にせず、いつもと同じ毎日を過ごしていた。
ところがチラシの内容に興味津々の娘がいた。大きな夕焼けに負けないくらい大きな目をぱちくりさせながら、何度も頷いてそこに書かれた文章を理解する。そして採用条件に違反しないことを確認するとゆっくりと歩き出した。鮮やかなオレンジ色が店の壁を照らす頃、少女は誰もいないバーの中へと入っていく。
「ごめんくださ〜い。あ、あの、アルバイトのお話に来たんですけどぉ……」
「あら、あなたが?」
テーブルを拭いていたラッテは驚いた表情で希望者を見た。相手は幼子だ。彼女は自分と同じ金色の髪を振り乱しながら、店の至るところをきょろきょろと観察している。これではまるで『ちょっとビターな社会見学にやって来た小学生』だ。とてもアルバイト希望とは思えないが、話を聞かずにお引き取り願うにはもったいない美貌を持っている。ラッテは少し興奮気味だった。
腹は決まった。少女はカウンターに座れそうにないので、ラッテは入り口近くのテーブル席まで移動する。そして向かいに座るように指示すると、素直にひとつ頷いてちょこんと椅子に収まった。興奮の度が上がっていくラッテもそれに続く。鼻息はどんどん荒くなっていく。
「も、萌えるわっ。おほん、そんなことはいいとして。私はラッテ。あなた、お名前は?」
「ジーズナヤ……ジーズナヤ・ヴァダーです。」
ラッテにはその名前に聞き覚えがあった。彼女が口にした名は悪魔の中では有名だが、どうやら事実だったらしい。
「その名前って……もしかしてあなたも悪魔なの?」
「そ、そうです。もういくつか数え忘れました。あれ、ラッテさんも悪魔なんですかぁ?」
「こう見えてもね。」
「ジーズナヤでも働けるんですよね、年齢とかなーんにも書いてなかったし……」
少女の姿をしたジーズナヤがすんなりとここに来た理由、それは自分の外見と実年齢が一致しないからなのだ。今はくりくりした黒い瞳が印象的な少女だが、その正体は悪魔でしかも自分でもどれだけの年月を過ごしたかわからない……見た目は完全にボケボケ天然娘だが、ラッテの心には喜びのワルツが大音量で流れていた。ジーズナヤがチラシに書かれた『年齢不問』の文字を指差しながらわずかに小首を傾げるその仕草にもうやられっぱなしである。
動くたびに揺れる金髪!
私を見つめる大きくて黒い瞳!
そして幼女! 何よりも幼女っ!
ロリなくして悪魔は語れずっ!!
心が刻む情熱のリズムに乗って訳のわからないことを想起する主人は、少女をアルバイトとして採用することをその場で決めた。大いに喜ぶジーズナヤも雇い主に対して「がんばります〜」と意気込みを語る。その一言がラッテの心に火をつける。もはや心の中はピンク一色に染まりつつあった。とりあえずその日は店の雰囲気に合うドレスを用立て、彼女には翌日から働いてもらうことにした。その日のラッテはずいぶんとご機嫌で、お客さんにも幸せのお裾分けとばかりにサービス満点。今から次の日が来るのが楽しみだった。
ところが次の日にやってきたのは不幸だった。
ジーズナヤは用意してもらったドレスに身を包んで髪などもきれいに着飾る。少女は嬉しそうにくるんと一回転。その仕草を見たラッテは熱い熱い視線をジーズナヤに注いだ。もう片時も目を離せない。彼女は必死だった。ジーズナヤの見かけはお子様だが、ラッテと同じ悪魔である。最初に簡単なオーダー取りだけを教えた。別に他にも仕事はある。グラスを丁寧に洗ったり、ビンをゴミ箱に入れたりするのも立派な仕事だ。しかしそんなことをさせては、せっかくかわいいドレスを着せた意味がない。ラッテは店を歩き回る少女を見ながら自分がウットリすることを最優先事項にしたのだ。ジーズナヤもそれに応えるべく懸命に働く。
しかしラッテの知らぬ間に不幸の兆候が現れた。昨日までちゃんと管理していたバックバーのお酒の並びがバラバラになっているのだ。「おかしいわね」と思いつつも、彼女は記憶を頼りに並べ替え始めた。しかしビンを昨日と違う場所に差し込んだ瞬間、どこからともなく銀色の金ダライが落ちてきた!
グワァーーーァァン!
「え? え? え? な、何かしら? こ、これって……ま、間違いってこと?」
「う、うう……やっぱり。やっぱりジーズナヤ、ここにいるとご迷惑をかけるです〜。」
「ご迷惑って、まさかこれってあなたの力なの?!」
ラッテの問いかけに少女が小さく頷くと、両の瞳からいくつかの雫が零れ落ちた。ひとまず不用意にビンに触るのはやめ、その場で泣き出したジーズナヤの元に急ぐ。そして身を屈めて視線を同じにすると、ラッテは温和な笑顔で少女と接した。
「正直に言ってみなさい。別に私は怒らないわよ。」
「っく、ひっく。ジーズナヤ、ジーズナヤは勝手に不幸を振り撒くです。最初はいたずらだけど、そのうちに……」
「なるほど、そういうことね。徐々に力が増幅されていくのね。」
「ラッテさぁん。お店に迷惑がかかるの嫌だから、ジーズナヤお仕事辞めます〜。」
すっかり少女の魅力に憑かれているラッテがそんな申し出を認めるわけがない。鼻腔にまで迫った萌え鼻血をなんとか抑えながら、両肩を持ってめそめそと泣き続けるジーズナヤに言った。
「大丈夫よ。今すぐにでもあなたの能力を隠蔽するから。そうすればあなたはここで働けるわ。」
「ホントですか? ラッテさん、そんなことできるんですかぁ?」
「ホントよ。だから辞めなくていいの。ここで働いてちょうだい。」
「ありがとうございますぅ! ジーズナヤ、うれしいっ!!」
少女が喜びを弾けさせながら思いっきりラッテに抱きつく。ジーズナヤの小さな身体を受け止めた彼女はその反動でついに鼻血を垂らしてしまった……ついでに奥からどんどん血が注がれていくのが自分でもわかる。これも不幸の力なのか、はたまた自分が少女に萌えすぎなのか。しばし垂れ流しのまま抱き合うふたりであった。その後、救い主であり雇い主であるラッテを見たジーズナヤが大騒ぎしながら「ティッシュどこー!」と店中を探し回る。主人は無精ひげならぬ無精鼻血の顔を晒したまま心の中で呟いた。
『うん、その姿もいいわ……ごぷっ。』
ふたりの悪魔が東京の片隅で出会った。そして今もふたりはここにいる。
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