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■現にするは遠き、けれど愛すべき大正浪漫■
時は現(うつつ)にするははるか遠き大正。
ひといきに華やかになるその頃に、多くの浪漫譚が生まれた。
◇
所は帝都、時は大正。時代はかくも華やかになったもの。
女は髪を切り、時折自動車が走る。着物と洋服が混在する。
解放感に溢れたこの時代、酔狂に走る者も少なくはなかった。
露樹故もまた、その一人と言えるのかもしれない。
靴音を鳴らし、黄昏も深くなるこの時刻に町を歩いている彼の姿は将校のもの。けれど軍に入ったことすら、彼にとってはまさに酔狂そのもの他ならない。
何を求めたわけではない。
ただ彼特有の気まぐれで入ってやろうと思っただけのこと。それも彼の常日頃の心持ちである。
「あまり面白くもないですね」
ぽつり、呟く。けれどその唇の端が少し上がっているところを見ると、言葉とは裏腹に、多少ならずとも愉しんでいる気配が窺えた。
彼はそのまま歩き続ける。用事があるわけでもなさそうなのは、靴音の速さで分かった。
時間ができたから、ただぶらぶらと歩いて人間観察でもしているのだろう。
逢魔ヶ刻の薄暗がりが迫る頃、けれど華やかな空気は失われず、未だ声をはしゃがせている者もいる。
そんな彼らを愉しげに傍目で見つつ、故はひとつの場所へと足を赴けた。
かつり
靴音が、わずかに変わる。
地均しされた道から、古い木橋の上を踏んだのだ。
ゆるりと歩き、まだ充分に冷たい空気をものともしない変わらぬ表情で、故はふと回想していた。
◇
「書生さん、おつり忘れてますわ」
立ち寄った料理屋を出た瞬間店の者に追いかけられ、彼───故は立ち止まった。
「ああ、そうでしたね」
内心では料理屋の評価を冷静にしつつ、彼は些か書生らしからぬ酸いも甘いも分かった人間のものの笑みを浮かべ、つりを受け取った。
このときの故もまた、世を忍ぶ仮の姿の一つであった。
この料理屋が近頃、書生を相手に代金を誤魔化しているらしいととある場所で噂が立ち、これまた気紛れに「一人調査」していたのである。
「いつもこうなんですか?」
唐突な故の言葉に、けれど立ち去ろうとした女には分からぬらしい。振り返り、「え?」と怪訝そうな顔をする。
「いえ、なんでもありません。また寄ります」
彼女の反応で、大方の噂の出所と原因が故には理解できた。
ゆうるり歩きながら、京の町並みを愉しげに見やり、その推理の結果が正しいことをほぼ確信した彼は、それに思いを馳せながらいつの間にかとある橋の上まで来ていた。
ふとその目に、目を引くひとりの夜鷹が立っていた。
彼女は茣蓙を抱え、手拭の端を口にくわえ残りを青い髪の豊かな頭にかぶせていた。
故はいつもどおり、自分が人間であるように見せかけ、横を通り過ぎようとした。
「もう少し年を経てからおいでなさいな」
凛とした美しい声が、夜鷹の唇から発せられた。
些かからかうような口調のそれに、故は少しばかり驚いた。彼は本当にさり気なく、完全に人間を模していたはずなのに。
ちらと夜鷹を見ると、夜鷹の、まるで子供を見るような慈しみの瞳と視線が合う。
けれど故には分かった。
この夜鷹の瞳の奥には、故と同じく何かを愉しむ質がある、と。
(からかわれてしまいました)
だがそれは、逆に故の心をくすぐった。このような出来事は滅多にない。これは思い出として残るだろう、そんな予感がした。
完全に姿が見えなくなった時にふと、苦笑いをする。
(年を経て───けれど)
「その頃あなたは辻の露となっておいででしょうに」
少しばかり惜しいと思った。
心をくすぐられることは滅多にない彼にとって、この思い出を残してくれた彼女と二度と逢うまいということに。
◇
冷たい風に、故は我に返った。
「寒いですね」
ちっとも寒くなさそうな口調で、故は歩みを止めない。
あの夜鷹はどうしたのだろうか。あれからどうしたのだろうか。
調べてもいいが、ここは帝都。書生時代にいた京ではない。幾ら自分であっても、手間も暇もかなりのものになるに違いない。
自分の思いにひょいと小さく肩をすくめ、橋のちょうど中程にかかった時。
ひゅるりと小さく、風がつむじを巻いた。
「……!」
故は目を丸くした。
つむじ風と共にやってきたのは、まるであの時と同じ格好、同じ年頃となんら違わぬ夜鷹の姿。けれど一つ違っていたのは。
「興を懲らしてみたが楽しめたかの?」
その、口調。慣れたその口調は、それが彼女の「正体」だと故に勘付かせた。
───あの時も恐らく、この橋姫には見破られていたのだ。自分が、人の身ではないことを、既に。
けれど、彼は哂う。
「ええ。とても楽しめました。くすぐったいほどに」
「くすぐったかったか」
故の反応に、夜鷹も満足した模様。
「して書生殿、あの時あの料理屋の噂の真相は如何だったのじゃ?」
故は哂いながら、心地よいため息をつく。ここまで知られていると、晴れやかな気分だ。
「あれは、必要な噂だったんです」
「必要な?」
「ええ」
故は橋の手すりに腰掛けるようにし、片手を後ろ手に支える。
「噂の出所は書生仲間の一人。彼は、俺につり銭を持ってやってきた彼女に恋をしていたのです。あの噂は気を引くにも、接触するにも、充分です。些か店にとっても彼女にとっても不名誉な噂ではありましたが、あの後暫くしてそれも祝福の噂と相成りました」
「ほう」
夜鷹は興味深げに片眉を上げる。続きを促すわずかな沈黙に、故は再び心がくすぐったくなるのを感じた。
「何故か? それはあなたもご推測の通り。ついに噂の原因の彼と店の彼女が結ばれたからですよ」
「そのほうが噂の原因を伝えていれば、事はもっと早くに終わりを告げただろうに」
面白そうに言う彼女に、だが故は笑みを返してみせる。
「そんな無粋なことはしません。それに、あの時真相を知った時点で俺は満足しましたから」
「仲間のためでなく、自分の満足のためにした調査か」
「そうとも言いますね」
飄々とした故の笑みを伴う言いように、夜鷹は笑った。
「面白い。そのほう。私の名前を教えよう」
そして彼女はゆっくりと名乗った。空狐焔樹、と。
待っていたかのように、故は将校姿をとき、シルクハットにスーツ姿の正体を現した。といっても、身体のどこが変化するわけでもない。ただ、「いつもの格好」に戻ったのだ。
シルクハットを脱ぎ、恭しく、この世で恐らく最も気高いかつての「夜鷹」に頭を下げてみる。
「俺は露樹故と申します。お見知りおきを」
月の昇る帝都の橋の上、如何に不思議な空気を纏っていることか。
皓々と冴える月光に、二人の魔物は思う様妖しく美しく。
さらりと、顔を上げた拍子に故の艶やかな髪の毛が風に優雅に揺れる。
ゆるやかな風は、対峙する焔樹の長く美しい青い髪を泳がせる。
寒さなど何処吹く風。
二人の魔物は、互いへの興味と再びの邂逅に、ただただ笑いあうのみであった。
◇
時は現(うつつ)にするははるか遠き大正。
ひといきに華やかになるその頃に、多くの浪漫譚が生まれた。
───これもまた、その一つにまごうかたなきであろう。
《END》
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こんにちは、ご発注有難うございます。今回、「現にするは遠き、けれど愛すべき大正浪漫」を書かせていただきました、ライターの東圭真喜愛と申します。明治から大正に移り変わる時代、のはずが書いてみたら大正時代のみとなってしまい、誠に申し訳ありません;少し文学風味に、と書いてみたのですが、固すぎたら更に申し訳ありません(爆)そして読み違えていたりしたら、更に更に申し訳が……。
前回に引き続き、今回も実に楽しく書かせて頂きました。大正時代のことを書くのは実のところ初めてでしたので、いろいろと資料を集めて書いたのですが───殆ど役立たなかったような気がします(爆)
反響も心配なところなのですが「ここはこう」とか「ここは違う」とかありましたら遠慮なく仰ってくださいね。次回もしご縁がありました時の参考に致します。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで、書かせて頂きました。本当に有難うございます。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
【執筆者:東圭真喜愛】
2006/02/09 Makito Touko
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