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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『不良化した零を救え!』
◆プロローグ◆
「うー、寒ー」
 草間武彦はコートの襟を立て、体を震わせながら草間興信所に戻って来た。
 外は雪。天気予報では積もると言っていた気がする。
「零ー、悪いけどあったかいコーヒー入れてくれないか」
 買ってきたマルボロ五箱をスチールテーブルの上に置き、灰皿を寄せる。クッションの弱くなったソファーに腰掛け、足を組んでタバコに火を着けた。
「飲みたきゃ自分で入れろよ」
 乱暴な口調で返ってきた零の言葉に、危うくライターで鼻を焼きそうになる。
「れ、零?」
 武彦は恐る恐る零の方を見た。零は接客室の奥にあるリビングで片膝を立てて絨毯に座り、不機嫌そうな顔でテレビを見ている。
「ったく。つまんねー番組しかやってねーなー。客を舐めてんのか、テレビ局は」
 チッ、と舌打ちをして零はテレビを消した。そして据わった目を武彦に向ける。
「何だよ。アタイの顔になんか変なモンでもついてんのか?」
 双眸に壮絶なモノを浮かべ、零は武彦を下から睨み付けて凄んだ。いつもの零とは似ても似つかない。全くの別人が零の姿をしているようだ。
「あ……! お前まさか!」
 武彦は零の変貌に思い当たることがあった。再びスチールテーブルに視線を戻す。
 さっきまで置いてあった紙箱が無い。
(零のヤツ……中にあった饅頭を食べたんだな)
 綺麗な模様が施された紙箱には饅頭が入っていた。つい一時間ほど前に依頼人が来て置いていった物だ。依頼内容は饅頭の効果を調べること。何でも『アンティークショップ・レン』で仕入れた物らしいが、計画的な買い物ではなく、ただ蓮の店の物にしては破格だったので衝動買いしてしまったらしい。
 注意書きには『死ぬことはないが効果は不明』とだけ書かれてあり、具体的な効能については一切触れられていなかった。依頼人は蓮に、もし効果が分かったら報奨金を出すと言われて、武彦に相談に来たのだった。
(まぁ、一応コレで饅頭の効果は二つに絞られたわけだが……)
 一つは食べた者のガラを悪くしてしまう効果。もう一つは食べた者の性格を逆転してしまう効果。
(もう一人食べれば分かるんだろうが、俺が食べるに訳には……。それに零を何とかしないと。放って置いても治るかもしれんが、あまりに他力本願すぎるしな)
 さっきからずっとガンをくれてくる零を横目でチラチラと見ながら、武彦は頭を悩ませた。

◆PC:櫻紫桜(さくら・しおう)◆
「なるほど。そう言うことですか」
 出された緑茶を音も立てずに口に運びながら、櫻紫桜は静かに言った。幼い頃からの仕付けのせいか、お茶を飲む仕草ですら日本古来の礼儀正しさが滲み出ている。
「それで今日お茶を運んで下さったのは、零さんではなく貴女だったのですね」
 腕組みし、思案深げな表情をしているシュライン・エマに目を向け、紫桜は湯飲みを目の前のスチールテーブルに置いた。
 彼女への印象は初対面の時と変わらない。モデルのように均整の取れた体と、怜悧な視線を併せ持つ妙齢の女性だ。一見キツそうに見えるが、周囲に対する気配り――特に草間武彦に対して――は紫桜も頭が下がる。
「まぁね。で、私も色々考えてるんだけど、とりあえず色んな人の意見を聞いた方がいいと思って、あんたを呼んだの」
 紫桜の視線に気付いたのか、こちらに顔だけを向けてシュラインは真剣な口調で言った。
「俺の他には?」
 聞き返す紫桜に、武彦がタバコに火を付けながら答える。
「もうすぐ忍(しのぶ)が来る。一仕事終えてから来るから少し遅れるそうだ。何をしているかは知らんが忙しい奴だよ」
「どこかの誰かさんと違ってね」
 クスクスと小さな笑いを含めながらシュラインは武彦に、まるで出来の悪い息子を可愛がる母親のような視線を向けた。
「忍って……加藤忍さんですか?」
「ああ」
 バツの悪そうな顔つきになってシュラインを見た後、武彦は頷く。
 加藤忍――以前に一度だけ会ったことがある。非常に紳士な性格で喋り方も自分とよく似ており、気が合うと直感した人物だ。初対面の人に親しい感情を抱くのは紫桜にしては珍しい。
「それじゃ忍さんが来られるのを待ちますか?」
「いや、何か良い案が浮かんだのならソレを実行しよう。零には早いとこ元に戻ってもらわないとな」
「部屋が散らかっちゃうもんね」
 と、再びシュラインが武彦の言葉尻に付け加えた。
 咳払いを一つしてタバコをもみ消すと、武彦は紫桜に目線を遣る。
「で、どうだ? 何か良い知恵はあるか?」
「そうですね……まぁ、饅頭の残りにもよりますけど、とりあえずもう一度食べさせてみるというのは? 性格が逆転するんならそれで元に戻るでしょうし」
 紫桜の言葉に武彦とシュラインが頷く。
 どうやら二人も同じ事を考えていたようだ。
「饅頭は二十個入りでな。零は一つしか食べてないから、まだ十分に余裕はある」
 新しいタバコに火を付け、武彦は立ち上がった。そしてリビングの方を見る。
 そこには、『ツッコミが甘い!』とテレビに向かって叫んでいる零が居た。三白眼になって下から睨み付け、毒を垂れ流すその姿は、見れば見るほど普段の零からはかけ離れている。
「おーい、零」
 武彦の呼び声に「あぁん?」と喧嘩腰になって零はコチラに顔を向けた。
「なんだよ」
「こっちで一緒にお茶でもしないか。その饅頭でも食べながら」
 言われて零は、足下に置いてある紙箱に視線を落とす。
「嫌だ」
 短い言葉ではねつけ、零はテレビに向き直った。そして乱暴な手つきでチャンネルを変えていく。
「ダメね。こうなるとは思っていたけど、今の零ちゃんが素直に食べてくれるとは思えないわ」
「俺が行きましょう」
 落胆する武彦とシュラインを余所に紫桜が立ち上がる。無駄のない挙措(きょそ)でリビングの前まで行き、靴を脱いで絨毯に上がった。
「なんだ、テメーは。アタイに何か用か」
 いつもの零からは想像も付かない乱暴な言葉。
(嗚呼、嘆かわしい。待っていて下さい零さん。すぐに戻してあげますから)
 あの優しくて華憐で柔和な零の姿が紫桜の脳裏をよぎる。
「俺と勝負しましょう」
 零の目を真っ正面からしっかりと見据え、紫桜は短く言い切った。
「勝負、だぁ?」
 その言葉に零の目の色が変わったのを紫桜は見逃さなかった。
(思った通りだ。こういう性格の人は『勝負』という言葉に弱い。自分の力を誇示したいからだ)
「おもしれーじゃねーか。で、方法は?」
「神経衰弱、でどうですか?」
 神経衰弱――お互いの精神を極限まで削り取り、どちらがより長く正気を保っていられるかを競うゲーム――ではない。
 紫桜は左手のカラーボックスの上に乱暴に置かれたトランプのケースを取り上げ、ソレを自分と零の間に置く。
「俺が勝ったら貴女にその饅頭を食べていただきます」
 確かめるように言って、零の側に置いてある紙箱を指さした。
「いいぜ。じゃ、アタイが勝ったらテメーがコレを食べるんだな」
「いいでしょう」
 一瞬の逡巡もなく紫桜は頷く。
 そんな潔い態度が気に入ったのか、零は不敵な笑みを浮かべて紫桜に一瞥をくれた後、自らトランプのケースを取って一枚一枚絨毯の上に並べ始めた。
 紫桜が神経衰弱を選んだのには理由がある。幼い頃から教養の一つとして教え込まれた百人一首。そこで培われた抜群の記憶力。トランプを一度でもめくれば、その位置と絵柄を忘れることはまず無い。
「お前から先にやらせてやるよ」
 余裕の顔つきで零は紫桜に先手を譲る。だが神経衰弱は後手の方が有利。先手が一度目で同じトランプを二枚当てられるはずはないが、後手はその情報を活かすことが出来るからだ。
(まぁ、それでも微々たる差。長期戦にもつれ込めば、そんなハンデは消えて無くなる)
 意を決し、紫桜は二枚トランプを表にする。
 ハートのキングとクラブのエース。
 二枚の場所と模様をしっかりと記憶し、紫桜はトランプを裏返した。
「よーし、じゃアタイの番だな」
 柔らかそうなエプロンドレスを腕まくりし、両手にぺっぺっと唾をまぶした後、雄叫びを上げて零は二枚のトランプをめくる。
 二枚ともハートのキング。
(くそ、一度目で俺が与えた情報が……)
 胸中で悪態をつく紫桜を後目に、零は続けてトランプを表にした。
 二枚ともクラブのエース。
(そんな……またしても俺が最初にめくった物と……)
 ――と、ここまで来て紫桜の背中に冷たい物が走る。そして直感が告げた。
 コレは偶然ではない、と。
「テメーの負けだよ」
 口の端をつり上げ、極悪な笑みを浮かべて零は次々とトランプをめくっていく。
「コレとコレ! コレにコレ! そんで、コイツとコイツだぁ!」
 零が表向けるトランプはすべてがペア。
 ものの数分もしないうちに、すべてのトランプが零の手元に揃っていた。
「そんな……どうして……」
 為す術(すべ)もなく敗退した紫桜はガックリと両手を絨毯に付き、深々と頭(こうべ)を垂れた。
「アタイにトランプをならべさせたのはまずかったな。アタイの体には優秀な霊能者が何人も宿っている。五十二枚くらい記憶するのは訳ないんだよ」
 そういえば随分と丁寧トランプを並べていた。粗雑になっている今の零の行動してはおかしいと気付くべきだった。
(裏を見ながら並べていたのか……不覚)
 『勝負は始まる前からすでに決着している』
 誰が言ったのか、そんな名言が紫桜の頭をよぎった。
「さぁ、食べて貰うぜ。このクソ不味い饅頭をよ」
 紫桜は視線を武彦とシュラインの方に向ける。
(あとは、頼みましたよ……)
 僅かに目元をおさえながら頷く二人。
 目線で最期の言葉が伝わった事を確認し、紫桜は紙箱を開けた。中には整然と並べられた十九個の饅頭。こんがりと褐色の焦げ目が付き、見た目はおいしそうだ。
「では」
 中から一つを抜き取り、口に運ぶ。
 口腔に広がる甘味。やや遅れてくる酸味と苦味。そして饅頭の中心に内包されていたドロリとした液体が、壮絶な食感を紫桜にもたらす。
(コレは……! そうか! 分かった! この饅頭の正体は……!)
「ーーーー! ーーー! ーーーーー!」
 武彦達に伝えようと声を上げるが言葉にならない。饅頭が異常に不味く、急激に唾液を奪っていく。必死の抵抗虚しく、紫桜の意識は闇の中へと埋もれていった。

◆PC:加藤忍◆
「それはそれは……。随分とまた無茶をしたものですね」
 シュラインに出されたコーヒーをひとすすりし、忍は武彦の隣で笑い転げている紫桜に視線を向けた。続けてテレビに向かってダメ出しをしている零を見る。
 二人とも異常なまでの豹変ぶりだ。
「ああ。だがコレで饅頭の効果が、おそらくは性格を逆転させる物だと想像できる」
 武彦の言葉にシュラインと忍も頷いた。
 犠牲者がまた一人出てしまったが、それだけの価値はあった。
「じゃあとりあえず紫桜さんだけでも元に戻してあげないと。いつまでも、そのままというのはあまりにも……」
 忍の提案に武彦とシュラインが気まずそうに顔を見合わせる。
「それが、ね。もうとっくに食べさせてみたのよ。お饅頭」
 誰かに引っかかれたような傷を痛そうにさすりながら、シュラインはボロボロになった紙箱を見る。零から強引に取り上げようとしてこうなってしまったことは、想像に難くなかった。
「けど元に戻らないんだよ。それどころか笑い声が大きくなったような……」
「アッハハハハハハ! ワハハハハハ! ゲラゲラゲラゲラ!」
 武彦の肩をバシバシと力一杯叩きながら、紫桜は何かそんなに可笑しいのか腹を抱えて笑い転げている。せっかくの二枚目が台無しだ。
「ど、どう思う。忍」
 苦痛に顔を歪め、武彦は忍に救いを求めた。
「……そう、ですね。例えば一度食べると耐性が出来て効かなくなる、とか。あるいは真逆な性格になるのではなく、二回では元に戻らないか。個人差が有ることも考えられますし、私たちが想像している効果とは全然違う物なのかも……」
 頭を悩ませるが答えは出ない。ただハッキリしたのは、饅頭の効果が『ガラを悪くするもの』では無いと言うことだけ。
「ちょっと蓮さんに相談してみますよ。彼を連れて」
「ああ、そうしてくれ。こっちはこっちで何とかしてみる」
 高笑いを続けている紫桜を武彦から引き剥がすと、忍は事務所を後にした。

 『アンティークショップ・レン』にようやくたどり着いた時、忍は疲労で困憊(こんぱい)していた。
 大声で笑い続ける紫桜を連れて歩くわけには行かず車でココまで来たのだが、車内で紫桜が暴れる暴れる。ハンドル操作を誤り、危うく人を引きそうになったことが何度もあった。代わりにガードレールには、かなり擦りつけてしまったが。
「――で、結局よく分からないってわけかい」
 煙管をくゆらせ、蓮は脚を組み直して嫌そうに言った。
「そうなんですよ。ところでアレの解毒剤って無いんですか?」
 笑いながら忍を叩こうとする紫桜の手を器用にかわしながら、とりあえず聞いてみる。
「有るわけ無いだろ。効果もよく分かっていないってのに、どーやって解毒剤なんて作るんだい」
 至極当然の意見だ。忍のそのの答えは十分に予想していた。だが、せっかくココまで来て「はいそうですか」と引き下がるわけには行かない。車の修理代もバカにならないと言うのに。
「蓮さん。私が思うに、あの饅頭……性格を逆転させる物でもないような気がするんですが」
「それはあんたの得意な第六感のお告げってヤツかい?」
「ええ」
 首肯する忍に、蓮は顎に手を当てて小さく頷いた。そして煙管をカウンターの上に置き、蓮は店の奥に姿を消す。しばらくして出てきた蓮の手には一枚の薬包紙が乗せられていた。そこには丸薬が数粒ある。
「こいつは正真正銘『性格を逆転させる』薬さ」
 直径五ミリ程の黒い丸薬を指先でつまみ、蓮は目を細めた。
「コイツをその子に飲ませる。もし元に戻れば饅頭の効果はやっぱり『性格を逆転させるもの』なんだよ。けど元に戻らない場合はあんたの読み通り、何か別の効果があるのさ」
 妖艶な微笑を浮かべながら、蓮は紫桜にゆっくりと近づく。
「あっははは! どーしたんだよ、ねーちゃん! 変な顔して。俺っちと楽しい楽しいトークショーでも始めようってのか!?」
 無意味に高いテンションのまま、紫桜は蓮の体に触れようとする。それを流れるような動きでかわし、大きく開いた紫桜の口に丸薬を指で弾いて放り込んだ。
 喉の奥まで届いたのか、ビックリしたような表情になって紫桜は反射的に丸薬を飲み込む。喉仏が大きく上下に動いたのを確認して、蓮と忍はこれから紫桜に起こるであろう変化を見守った。
(さぁ、どうなる……)
 蓮の提案した人体実験は少々過激であったが、コレで何らかの情報は得られる。
 忍達は笑いが収まっていく紫桜をまじまじと見ながら、唾を飲み込んだ。
 俯き、肩を縮こまらせて紫桜は鼻をすする。そして顔を上げた紫桜の両目には、滝のように溢れ出る涙が盛られていた。
「ど、どーせ俺なんて……誰からも必要とされていないんだ。いいよ、いいよ。もぅ。部屋に引きこもって、妖精さんとお話ししてるから……」
 グシグシ、と涙声になって鼻を詰まらせ、紫桜はつり上がっていた目をこれでもかと寝かせる。そして忍達に背を向けて三角座りし、壁に向かって怨嗟を込めた呪詛を吐き始めた。
「うーん、効果テキメンって感じだねぇ」
 愉快そうに笑みを浮かべ、蓮は悲壮感溢れる紫桜の背中を見つめた。カウンターから煙管を取り上げ、優雅に煙を吐く。
「ちょ、ちょっと蓮さん! 『感じだねぇ』じゃないでしょ。どーするんですか!」
「うるさいねぇ。とにかくコレであんたの言ったとおり、饅頭の効果は性格逆転じゃないって事が分かったじゃないか。一歩前進だよ」
 焦ってまくし立てる忍とは裏腹に、蓮は落ち着き払って煙をくゆらせた。
「っく……」
 確かに、蓮の言うことにも一理ある。
(すまない、紫桜さん。すぐに元に戻してあげるから)
 胸中で同情しながらも、静かになった分さっきよりはましかと思う忍であった。

◆PC:シュライン・エマ◆
 武彦と二人残ったシュラインは、リビングで静かに寝息を立てる零を見ながら頭を悩ませていた。
「どういう事かしら。武彦さん」
 先程忍から連絡があり、性格逆転の可能性が消された。
「俺にもよくわからん。だが、零は今眠っている。これはある意味でチャンスなんじゃないのか?」
「チャンス?」
 武彦の真意をくみ取りかね、シュラインは聞き返す。
「眠っている時ほど無防備な状態はない。零の性格が根幹から本当に変わってしまったのか、それともただの表面的な物なのか。ソレを調べる絶好のチャンスだ」
 なるほど、とシュラインは頷く。
 もし後者である場合、饅頭の効果は根深くはなく、それほど騒ぎ立てる事はないのかもしれない。
 武彦とシュラインは零を起こさないように気を付けながらリビングへと上がる。
 零の寝顔は純真無垢そのもの。平和そうに穏やかな呼吸を一定間隔で繰り返し、胸元を小さく上下させている。
(こうして見てる分には、いつもの零ちゃんそのものなんだけど……)
 シュラインは苦笑しながら、そっと零の髪を撫でた。
「うーん、もぅお腹一杯ですぅ……」
 むにゃむにゃと小さな声で寝言を呟き、零は寝返りを打つ。
 シュラインは武彦と顔を見合わせ、視線で会話した後、互いに頷いた。
「おーい、零。そろそろお前が楽しみにしてる『ギャギャオレンジャー』の時間だぞー」
 武彦の言葉に零の顔が幸せそうに笑みを形作る。
「零ちゃん。ちょっと珍しいお茶の葉が手に入ったんだけど、お饅頭でも食べながら一緒に飲まない?」
 『お茶の葉』で微笑んでいた零の顔つきが、『お饅頭』で苦悶の表情へと変わった。
「そろそろ事務所が汚れてきたなー。誰か掃除の得意な人、居ないかなー」
 零の右手が僅かに動き、胸の横に付けて指先を天井に向けてピンと伸ばす。
 どうやら『挙手』しているらしい。
「あ、そう言えば零ちゃんの大事なウサギさんのぬいぐるみ。この前、粗大ゴミと一緒に出しちゃったかしら?」
 シュラインの言葉に今度は零が大きく反応した。体をビクンと震わせた後、瞼がゆっくりと開き始める。
 徐々に紅い目が露わになっていく様を、武彦とシュラインは固唾を呑んで見守った。
 半分ほど開ききったところで零は上半身を起こし、腕を伸ばして大きくノビをする。そして眠そうな目を擦りながら周囲を見回し、ダルそうに口を開いた。
「なんだよ。アタイの顔に何かついてんのか?」
 あくびを噛み殺し、零は武彦とシュラインを顔を睨み付ける。
(やっぱり……元には戻っていない、か……)
 ほのかに抱いていた希望が音を立てて崩れ去った。
「おい、喉が渇いた。水。水、持ってきてくれ」
 ぶっきらぼうに言う零の言葉に素直に従い、武彦は肩を落としながら台所へと姿を消す。
(でも、何だかちょっと柔らかくなった? ちょっと前までは近づくことも出来なかったのに……)
 饅頭の入った紙箱を取ろうとして、零に散々引っかかれた事をシュラインは思い出した。まるで半径三メートルは自分のテリトリーだと言わんばかりに激い抵抗にあったのだ。しかし今は手を伸ばせば触れられるほどの近距離にいるにもかかわらず、零は何の反応も示さない。
(なによりさっきの寝言。あれは完全に普段の零ちゃんの反応だった)
 まるで赤ん坊のような寝顔といい、微笑ましい寝言といい、零が元に戻ってくれたのかと思わせるような態度だった。
「なに見てんだよ」
 シュラインの視線に気付いたのか、零が睨み返してくる。
「いや、可愛らしい寝顔だったなーって思ってね」
「へっ」
 微笑みながら言ったシュラインの褒め言葉に零はそっぽを向くものの、僅かに頬を紅潮させ、照れたような仕草をしてみせた。
(やっぱり、饅頭の効果が弱まってきてる。間違いないわ)
 シュラインの確信と入れ替わるようにして武彦がコップに水を入れて戻って来た。
「お、スマンな」
 武彦からコップを受け取り、ゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干す。
「っかー、五臓六腑にしみわたるねー。武彦、愛してるぜ」
 右の親指をグッと立てて、零は照れくさそうに言った。
「あ、ああ……」
 困惑しながら武彦は頭を掻き、たまりかねたように零から視線を外す。
「小腹がすいたな。よーし。じゃ、ラーメンでも食いに行くか」
 ふらつく足取りで立ち上がり、零は先頭を切ってリビングを出た。
(まさか……)
 その時、シュラインの脳裏に何かが閃いた。
 ソレは饅頭の効果。ガラを悪くするわけでも、性格を逆転するわけでもない。
(もしそうだとしたら……)
 慌てて零の後を追う武彦の背中を見ながらシュラインは一人、笑いを押し殺すのだった。

◆PC:加藤忍◆
 『アンティークショップ・レン』の隅で片膝を付き、蓮から取り上げた煙管をふかしてはむせ、ふかしてはむせを繰り返す紫桜をチラチラと見ながら、忍と蓮は頭を悩ませていた。
「どーするんですか、蓮さんっ。彼の性格元に戻るどころか、どんどん変な方向に行っちゃってますよっ」
 紫桜に聞こえないように、忍は小声で蓮に話しかける。
「あたしに聞くんじゃないよっ。あんただって途中から楽しんでたじゃないかっ」
 スペアの煙管を忍に軽く振りながら、蓮は眉間に皺を寄せた。
 ――あの後。饅頭の効果はとりあえず置いておき、紫桜を元の性格に戻す方向で話がまとまった。
 そのために、性格変化系の怪しげな薬を次から次へと紫桜に飲ませ、『治療』を行った訳なのだが……。
「おぅ、こらワレ。なに見とんじゃ。俺ぁ見せモンちゃうぞ」
 ゲホゲホと煙にむせながら、紫桜はドスを利かせた声で言い、蓮と忍を睨み付ける。
 楽天系、悲観系、オタク系、鬱系、オネエ系、萌え系と様々な性格を経て、紫桜は今ヤクザ系になっていた。
「あんた読心術とか使えるんだろ? そいつであの子の本音ってヤツを聞き出せないのかい?」
「聞き出してどーするんですか?」
 相手のちょっとした仕草から深層心理を読みとる読心術。忍の得意技の一つであるのだが、今ここで使う意味が理解できない。
「だから、その……ほら。ひょっとしたらあの子も今の性格が気に入ってるかもしれないじゃないか」
「……蓮さん。面倒臭くなってきてるんでしょ」
 図星だったのか、忍の指摘に蓮はとぼけた顔つきで頬を掻く。
 その時、忍の携帯が着信を告げた。『魔王』のメロディーにのってディスプレイに表示された文字は『シュライン・エマ』。
「もしもし」
 二つ折りの携帯を開け、忍は耳を寄せる。
『零ちゃん、元に戻ったわよ』
「え……ええー!? 本当ですか!?」
 端的なシュラインの言葉に忍は思わず声を張り上げた。
 そして告げられる衝撃の事実。
(そんな物が……饅頭の効果)
 紫桜の方を見ながら、忍は取り返しの付かないことをしてしまったと、心中を闇色に染めた。

 忍が草間興信所に戻った時、最初に目に入ったのは具合悪そうに顔を青ざめさせて、シュラインに寄りかかる零の姿だった。
「頭が痛いですぅ……」
 いつもの鈴の音のような綺麗な声が耳に届く。
(確かに、元に戻っている……)
「てやんでぇ、こんちくしょー。こちとら江戸っ子でぇい!」
 忍に背負われて管を巻く紫桜の声で、武彦達三人がこちらを向いた。
「よー戻ったか、忍。で、紫桜はどうなったんだ?」
「まぁ、話せば長くなるんですが……」
 とりあえずこのままで居るわけには行かず、忍はソファーに紫桜を寝かせた。
 紫桜は乱暴な口調で意味の成さない言葉をまくし立てながら、顔を赤らめている。
 本当は饅頭を食べた直後の性格である楽天系にしたかったのだが、どうやっても巧くいかず、結局一番近そうな酔っぱらい系で妥協したのだ。
「そ、そうか。まぁ、元に戻ることを祈って」
 忍の話を聞き終えた武彦は顔を引きつらせながら、スチールテーブルの上に小瓶を置いた。
 『青天の霹靂』――中国で売られている強力な酔い覚ましの薬。以前何かの依頼の報酬として、代わりに貰った物だ。
「まさか、あのお饅頭の効果が『泥酔』だったなんてねぇ」
 はぁ、と人騒がせな饅頭に溜息をつきながら、シュラインは二日酔いで苦悶の表情を浮かべる零の頭の優しく撫でた。
 あれほど強烈な酔いを与えるにも関わらず、饅頭自体からはアルコールの匂いなど全くしなかったし、零や紫桜の口からも酒臭さなどは伝わってこなかった。
(体内の酵素で分解されて初めてアルコールになるのか。それとも酔いの作用機序自体が全く違うのか。どちらにしろ厄介な代物に変わりはないか)
 嘆息しながら、忍は紫桜に視線を落とす。
 笑い上戸であることが判明した紫桜。シュラインから饅頭の効果を聞き、酔っぱらい系でも何とかなるかと思っているが、かなり不安は残る。
(ま、なるようにしかならない、か)
 少々無責任だとは思いつつも、やってみなければ分からない。
 忍は紫桜の体を起こして口を開けさせ、その状態で固定する。そして武彦に目で合図を送った。
 忍は暴れる紫桜を何とか押さえつけ、彼の口に入った丸薬が喉を通って行くのを確かに見た。

◆エピローグ◆
「で、あれから治ったんでしょうか。紫桜さん」
 休日の昼下がり。いつものように事務所内を掃除しながら零は、ノートパソコンを渋い顔で睨んでいるシュラインに声を掛けた。
 翻訳の仕事の締め切りが近いのだ。栄養ドリンクを片手に、徹夜で作業を勧めている。その甲斐あってか大分終わりが見えてきた。
「さぁ、あれから連絡ないから」
 ディスプレイから目を離すことなく、シュラインは零に言葉を返す。
 その時、事務所の古代遺物の一つ、黒電話がけたたましいベルを鳴らした。
「はーい、今でますー」
 間延びした声で言いながら箒を置き、零が受話器を取る。
「もしもし」
 零の声を聞き流しながら、シュラインはブラインドタッチを加速させた。このペースで行けば今日中には終わる予定だ。
「あ、あの、ウチはお金無いですけど」
 ――と、何かに怯えたような零の言葉にシュラインの手が止まる。
「いえ、ですから、その……」
 あたふたとする零の姿を見てシュラインは立ち上がり、受話器を取り上げた。
「もしもし、誰?」
 声を低くしてシュラインは刺々しい口調で言った。睡眠不足で少しイライラしているのだ。
『俺ですよ』
 電話の声は何かフィルターを介したような機械的なモノだった。例えるならテレビなどでよく聞く、プライバシー保護のために変えたような音声だ。
「だから誰よ」
 警戒心を強め、シュラインは聞き返した。
『し、紫桜ですよ。えーっと、シュラインさん、ですよね……』
「紫桜君!?」
 身代金でも要求されるかと思っていたところに、意外な人物からの電話。隣で零が驚いている気配が伝わってくる。
「ど、どーしたのよ。ひょっとして、まだ治ってないの? 『声』」
『そうなんです』
 悲壮感を声に滲ませて、紫桜は呟いた。
 結局、『青天の霹靂』を飲んだ紫桜は性格はとりあえず元に戻った。だが、すべてが元通りになったわけではなかったのだ。
 蓮の所で性格変化系の薬を見境無く飲みまくった副作用だろうか。性格は元の紫桜なのだが、声帯がおかしくなってしまったらしい。そして、そんな物を治すことが出来るのは蓮の所にある怪しげな薬でしかなく、紫桜は毎日ように『アンティークショップ・レン』に通っているのだとシュラインに伝えた。
「そう、なんだ……」
『でも全然治る気配が無くて。何だか蓮さんのオモチャにされている感じで……』
 紫桜の声を次から次へと変な物に変えて、笑い転げている蓮の姿が容易に想像できた。
『それで草間興信所に依頼したいんです。俺の声を元に戻してくれるように』
 少し涙声になりながら、紫桜は切実な思いを告げる。どうやら蓮によほど酷いに遭わされたらしい。
「わ、わかったわ。とりあえず武彦さんには伝えておくから。また近いうちにここに来て頂戴」
『はい……』
 沈んだ声を最後に、受話器の向こうからの音声が途絶えた。
(確か紫桜君の実家はかなりの名家だったはず。となれば報酬はかなり期待できる!)
 胸中で快哉を上げ、シュラインは零に向き直る。
「零ちゃん、武彦さん探し来て。お仕事よ!」
 先程までの疲れはどこへやら。シュラインはハツラツとした表情で目を輝かせた。
 草間興信所に、まともな依頼が舞い込むのはいつになる事やら……。

 【終】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号:0086 / PC名:シュライン・エマ (しゅらいん・えま) / 性別:女性 / 年齢:26歳 / 職業:翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【整理番号:5745 / PC名:加藤・忍 (かとう・しのぶ) / 性別:男性 / 年齢:25歳 / 職業:泥棒】
【整理番号:5453 / PC名:櫻・紫桜 (さくら・しおう) / 性別:男性 / 年齢:15歳 / 職業:高校生】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、シュライン様。二度目のご発注どうもありがとうございました。「因縁の指輪」では、シュライン様の性格を私が勘違いしていたようで。本当に失礼しました。
 今回はいかがでしたでしょうか。冷静に事を運ぶように書きましたが、大丈夫でしたでしょうか?(汗)
 エピローグは個別ですが、他のお二人の物と繋がりがございます。時間軸的には「櫻紫桜様→シュライン・エマ様→加藤忍様」の順です。もし、お暇があれば他の方の作品も覗いていただけると、少しは楽しめるかもしれません。
 それでは、また別の物語でお会いできれば幸甚です。