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『チョコレート・パニック!』
○オープニング
バレンタインを前にして、とあるチョコレート工場に、水にそっくりなスライムが紛れ込んだ!
工場の機械を麻痺させてしまう能力を持つそのスライムのせいで、このままでは、チョコレートを作る事が出来ない。どうにかして、このスライムを退治し、チョコレート工場を動かさなくてはいけないのだが。
「ほぉ、工場のスライム・パニックを解決してくれるというのだな。それは頼もしい」
今回の騒動を聞きつけ、ついでに調理用のチョコレートも準備しようと思い、工場にやってきたシュライン・エマ(しゅらいん・えま)と最初に顔を合わせたのは、井上・空雄であった。
「随分と大変のようね。出来る限りで、お手伝いさせて頂こうかと思っているわ」
「お、ホームページ見てくれたんだな!工場は広いから、沢山人がいると助かる」
今度は井上・大地が、エマを見て安心したような表情を見せた。
「ええ、もうすぐバレンタインだものね。こんな騒ぎがあったら、工場主さんも困るでしょう?それに、私チョコレート大好きなの!チョコならいくらでも入っちゃうのよね」
と言って、沢山のチョコレートを思い浮かべ、エマがうっとした表情を見せると、井上兄弟の後ろから、一人の温厚そうな青年が現れた。
「貴方がお手伝いの方ですね。良くいらしてくれました。僕が、工場主の加賀・益男です。どうぞよろしくお願いしますね」
「初めまして。シュライン・エマよ。こちらこそ、よろしく。早く、そのスライム達をどうにかしないとね」
益男の穏やかな表情に、エマも笑顔を浮かべて挨拶をした。
「チョコレートを好きなだけ食べてもいいって聞いたけど、本当に宜しいの?」
「はい。今年も、色々なチョコレートを作りましたので、試食を兼ねて、エマさんには是非食べて頂きたいのです。特に、女性の方の意見は聞きたいですしね」
そう言って益男はにこりと笑ったが、すぐに表情を曇らせた。
「もちろん、あのスライムをどうにかしてから、という事になりますけどね」
「機械に、スライムが入り込んでしまっていると聞いたけど」
益男の顔を見て、エマも首を傾げて問い掛けた。
「すでにカカオ豆を清浄機にかけてあるのですが、チョコレートのかたまりを作る段階で機械にスライムが入り込んだのです。やつらは工場内を動き回っているようですが、僕にはどこをどう動いているのかさっぱりわからないので困っているんです。機械もデリケートですから、無理やり動かして壊れてしまったら大変な事になりますし、今年のバレンタインには間に合わなくなってしまいますからね」
「そうなの。それなら、早くスライムを見つけないとね。今も工場内にいるのでしょう?」
「やつらはずっと工場内にいますから。エマさん、どうぞよろしくお願いします。バレンタインなのにチョコがないなんて事には、したくありませんから」
眉を寄せている益男に、エマはにこりと安心させるように答えた。
「ええ、こちらに任せて。チョコレート食べ放題の為にも、早く工場からスライムを追い出さないとね」
「それで、その例のスライムって、随分臆病な性格なのね?特に何かに襲い掛かるわけではなく、近づくと逃げてしまうのでしょう?」
「そうなんです。だから逆に困っているのですよ。しかもあいつらは、自在に体の色を変化させて、まわりの景色に溶け込んでしまいますから」
益男に連れられて、エマはチョコレート工場の中へと案内された。
「こちらが工場内です。まわりの機械には気をつけて下さいね。機械が壊れたら、修理するのに時間がかかってしまいますから」
「ええ、そんな乱暴な捕獲はしないつもりだから。安心してちょうだい」
そう言ってエマは、チョコレート工場の中へと入った。
「でも、そのスライムって、元々はどこに居たコ達なのかしら」
「さあ、それは僕にも何とも」
益男は首を左右に軽く振った。
「この工場のどこかに潜んでいるはずなんです。窓の隙間とか、壁の穴とか、そういう間から入ってきたのでしょうが」
工場内に入ったとたん、チョコレート特有の甘い匂いが鼻をついた。あちこちにローラーのような機械やタンク、何かを混ぜる機械などがあるが、これらは全て、チョコレートを作る為の機械なのだろう。
今は機械は動いておらず、ここで働いている従業員もいないので、工場内はとても静かであった。
「問題が解決するまでは、何も出来ませんから」
益男は工場内を見つめながら、苦笑を浮かべていた。
「この工場は、建つ前はどんなところだったの?」
エマは、益男の横顔に問い掛けた。
「空き地でしたよ。不動産屋の話だと、前に大きな家があったそうですが、その家が引っ越して空家になったのですが、誰も買い取り手がいなくて、家を壊して平地にしたとかで。でも、それが何か?」
「もしかしてスライム達、工場が建つ前この辺りに住んでて、工場の工事が終わって戻ってきた、とかいうのじゃないかと思って」
「ああ、なるほど」
苦笑を浮かべたまま、益男は工場内に視線を戻した。
「それは何ともわかりませんけどね」
「その、工場の前にあった大きな家に棲みついていたスライムだったとか。そのスライムに困って、その家の人は引っ越したって事もあるかもしれないわね」
エマの言葉を聞き、益男は首をさらにひねった。
「そうかもしれませんけど、今はスライムをどうにかする事が先ですからね。エマさん、僕はこれから、ここのチョコレートを販売してくれるお店の方と、バレンタインのチョコ販売の打ち合わせをしないといけないのです。打ち合わせが終わり次第、ここへ戻ってきますが、一度離れさせてもらいますね」
「ええ。では、後は私の方で」
「よろしくお願いします」
それだけ言うと、益男は工場から出て行ってしまった。
「どこから出てきたスライムなのかわからないけど。とにかく、機械に入らないようにすれば良いのよね」
エマは工場内の階段を下りて、チョコレートを作る機械へと近づいた。すぐそばにタンクのような機械があり、蓋が硬く閉められている。
タンクの側面にチョコがこびりついているから、この中でチョコレートを混ぜ合わせるのだろう。
「この中にいたら、わからないわね」
エマは蓋を開けようとしたが、かなり硬く閉められている為に、蓋を開けることは出来なかった。
「やっぱり、あの手でいくのが良さそうだわ」
エマがスライムを捕獲する準備の為に、一度工場から出たところで、空雄と出くわした。
「どうだ、スライムは見つかったか?」
「いいえ、これからよ。ところで、ちょっとお願いがあるの。捕獲する為に、水の入った水槽を用意したいのだけど、どこかにあるかしら?」
エマが尋ねると、空雄は眉を寄せて返事をした。
「水槽?」
「スライムは水のそばを好むみたいだから。何かないかしら?」
「ふむ。確か、益男さんが昔、金魚を飼っていて、その時使っていた水槽が物置にあったはずだが」
「それでいいわ。貸してもらえるわよね?」
エマと空雄は、工場の裏にある物置から水槽を持ち出し、そこに水を入れて工場内へと運んだ。
その水槽に蓋をつけて、すぐに蓋を閉められるように細工をし、それを工場の隅へと置いた。
「これで準備はOKね」
「何か、手伝える事はあるか?」
空雄がエマにそう言うので、エマは工場内を見つめて答えた。
「この工場もかなり広いものね。これから、ここで音を出してスライムを驚かせて、この水槽の方に誘導させるわよ」
「驚かすのか?」
「そうよ。スライム達、色の変化は出来ても、その質感や硬さは変化しないみたいだしね。音を応用しての振動等で震え方で判断したり、大きな振動だったら、居心地悪かったり驚いて、スライムも移動するのではと思うの」
空雄はエマの言葉を聞き、納得したような顔をして見せた。
「成るほどな。では、我が弟にも手伝わせよう。皆で、この水槽の方へスライムを移動させればいいのだな」
「では早速、いきましょう!」
エマと空雄、大地の3人は、手分けをしてそれぞれ工場の隅へと立ち、そこから歩きながら音を立てて、水槽の方へスライムを追い込む事にした。
エマは得意のヴォイスコントロールでやかましい打楽器の音をまねながら、どこかに隠れているであろうスライムを驚かせるようにして工場を歩いた。
機械が壁になって、他の二人がどうしているかは見えないが、手を叩きながら移動する音と、歌に合わせてステップを踏む音が聞こえている。
「あら?」
一瞬、エマの前の床で、何かが動いたような気がした。それはすぐに見えなくなってしまったが、もしかしたらスライムなのだろうか。
「やっぱり、このあたりに潜んでいるのね」
エマはさらに音を立てながら、工場を歩き回った。
「ドンドンパンパン・ドン・パンパン」
何やら盆踊りでもしているような声がするが、空雄だろうか。楽しんでいるようにしか聞こえないのだが、彼なりに頑張っているつもりなのかもしれない。
「エマさん、水槽には何もいないみたいだな?」
大地が水槽のそばに座り、中を見つめていた。
「あら、そう?」
エマも水槽に近寄り中を見たが、揺れる水面だけが目に付き、中には何もいなかった。
「もう一度やるか?」
大地がエマを見つめた。
「そうね。相手がわかりにくい以上は、繰り返すしかないわね」
今度は、機械を軽く叩く様にしながら、工場内を歩き回った。コブシで軽く機械の側面を叩くぐらいなら、機械も壊れたりはしないだろう。
それぞれの機械をまんべんなく叩きながらエマ達は工場内を歩き回り、スライム達を驚かすようにしてみせた。
「今度はどうかしら?」
「いないみたいだな」
空雄が水槽を見下ろし、腕を組んでいた。確かに、水槽内には何もいない。
「この作戦じゃ駄目なんだろうか。それに、色を自在に変えるスライムなんだろ?人間の目になんてどこにいるかわからないな」
大地がそう言った時、エマははっとしてもう一度水槽を見つめた。
「大地君、そのあたりに、何か紙はある?」
エマがそう言うと、大地は後ろを振り返り、工場内を見回した。
「あそこに新聞紙がある」
「それでいいわ。持って来て」
エマは水槽の蓋をしっかりと閉めて、水槽のガラスの透明な側面が下になるように水槽を置いた。
すぐに、水槽の透明の底で透明のものがもぞもぞと動き、やがてそれは新聞紙の模様へと変化し、再び見えなくなってしまった。
「スライムはいたのよ。ただ、水と同じ色に変化してたから、気づかなかったんだわ」
エマは試しに水槽の底から新聞を抜いた。すると、工場の白い床の上に新聞紙の模様をした、まるっこい生物が数匹、水槽の中に現れ、数分もしないうちにそれは、今度は工場の床と同じ色へと変化していき、見えなくなるのであった。
「きっと、爬虫類なんかと同じで、保護色なんでしょうね。自分の身を守るために、見つかりにくい色をするの」
「これじゃあ見つからないよな。まだ、工場内にはスライムいるだろうか?」
大地が水槽を叩きながら、エマに問い掛けた。
「わからないわ。このスライム達は別の袋にでも移して、もう少し探しましょう」
エマ達3人は、先程と同じ方法でスライム達を追い立てて、捕獲作戦を続けた。それを何度か繰り返し、結局スライムを10匹、捕獲する事が出来た。
作戦を繰り返していくうちにスライムが捕まらなくなり、まったくスライムが捕まらなくなった時、これ以上はスライムは工場内にいないだろうと判断し、捕獲作戦を実行するのをやめたのであった。
「このスライム達、言葉は通じないみたいね。もし通じたなら、機械の中じゃなく、機械やチョコの冷却等で手伝ってもらえないか、交渉しようと思ったのだけど」
捕獲したスライムを全部水槽に入れて、エマ達は益男の下へと戻った。ちょうど、益男も業者との話し合いが終わったようで、エマ達の捕まえたスライムを見て、驚きの表情を見せていた。
「ありがとうございます。これで、チョコレートを作る事が出来ます」
益男はすぐにチョコレート工場へと入っていき、工場の機械を作動させて、チョコレート作りを再開させた。
「すぐにチョコレートを用意しますので」
「ええ、楽しみにしているわ。ところで、このスライム達はどうするの?」
チョコレート料理を作っている間、エマ達は客室でゆっくりと休憩をとっていた。益男も一緒にいたが、エマはこのスライムの事が気にかかっていた。
何しろ、機械などに入らなければ特に悪い生物、というわけではないのだ。どこから出てきたのかはわからないが、工場内を棲家にしていただけで、彼らにしてみたら行き先がなくなって困っているに違いない。
「それなら、私の知り合いを当たってみよう。我が大学は沢山の生徒や教授がいるからな。こういう生物に興味がある者がいても、おかしくはない」
空雄がテーブルに置かれた水槽を見て、ニヒルな笑みを浮かべた。
「そう。では、スライム達、よろしくお願いするわね」
エマは空雄に、にこりと答えてみせたのであった。
「こんなにチョコレート料理!これ、全部食べていいの?」
待ちに待った、チョコレート食べ放題の時間がやってきた。先程工場で作られたチョコレートを使い、益男の知り合いであるシェフがチョコレート料理を作ったのだ。
普通の板チョコからトリュフ、チョコレートパフェ、チョコレートケーキ、ブランデーの香りのチョコレートフォンデュ、生チョコにチョコレートアイス。テーブルいっぱいにチョコレートが並び、エマはどれから手をつけようか迷ったほどだ。
「どうぞ、好きなだけお召し上がり下さい。確か、調理用のチョコレートも欲しいと言ってましたね。あとで、帰る時にそれもお渡ししますので」
益男がそう言って、エマにチョコレート料理を指し示した。
「何なら、お土産用のチョコレートも用意しますよ。食べた感想も聞かせてくださいね」
「嬉しいわ。では、頂きますね」
沢山のチョコレートを、1年分と思ったぐらい、エマは楽しんだ。バレンタインが近いとはいえ、こんなにチョコレートを一度に食べたのは、エマぐらいのものであろう。
井上兄弟と楽しく話しながら、エマはこの料理を腹一杯楽しんだ。スライムを捕まえる事も出来、その上大好きなチョコレートをこんなにも食べる事が出来て、エマは満足であった。(終)
◆登場人物一覧◇
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
◆ライター通信◇
シュライン・エマ様
こんにちわ。ライターの朝霧です。バレンタインシナリオへの参加、ありがとうございました。
今回のシナリオを書くに当たって、チョコレート工場がどんなものかを、インターネットで調べてみました。かなり手間と根気がいるもののようですが、どろどろとしたチョコレートを作っているところを見ると、思わず食べたくなってしまいます(笑)
スライム捕獲作戦をする時には、井上兄弟も登場させてみました。今回はスライム捕獲がメインなので、バレンタインや恋人のノベル、という雰囲気にはなりませんでしたが、楽しく書かせて頂きました(笑)
それでは、どうもありがとうございました!
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