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星降ヶ丘
★序
星降ヶ丘、という小高い丘にあるペンションがある。中々予約が取れ無いと言う事で、有名なペンションだ。美味しい料理は勿論だが、評判になっている一番の要因はボタン一つで自由に開閉できる硝子張りの天井だ。
晴れた夜空に開ければ、まるで星が降るような気分になる。そして、その状況で一緒に過ごせば、ずっと仲良くいられるという噂まで立っている。
そんな超のつくほど人気のペンションに招待するという、夢のような企画があった。一組二名様まで。それはとあるチョコレート菓子についていた応募券を使っての応募である。
応募葉書は何口でも応募可能であり、また泊まるか泊まらないかという選択もできる。
そんな夢の企画の実行日は、2月14日。バレンタインデイであった。
★13日
郵便物が藤井家に届けられた。バイクの音共に響いた何かを投函された音に、藤井・せりな(ふじい せりな)は猛ダッシュで郵便受けへと走っていく。
「何か来るのか?」
その様子を見、藤井・雄一郎(ふじい ゆういちろう)が尋ねる。最近のせりなは、何かを待ちわびるように毎日ポストへと向かっていた。それも、配達人がやってくると同時に。
せりなは「ちょっとね」とだけ答え、ポストへ向かっていった。雄一郎は一瞬小首を傾げた後、ブーケ作りに取り掛かる。明日はバレンタインだから、チョコレートと一緒に花をあげる事が多くなりそうだった。
「幸せな気分になるといいなぁ」
ぽつりと雄一郎は微笑み、手にしているかすみ草を見つめた。白く、小さな花であるかすみ草。寄り添い、可愛らしい装いは、どこかしらバレンタインデイに胸を膨らませている少女達に似ているような気がする。
このかすみ草を含んだブーケを手にし、チョコレートと共に好きな男性に手渡す。男性はそんな意外な演出に驚き、嬉しく思い、そして……。
「やったわっ!」
雄一郎の妄想は、せりなの喜びの声によってぷっつりと切れてしまった。
「ど、どうしたんだ?」
嬉しそうに笑っている声を聞き、雄一郎はせりなの元へと急いだ。せりなは一枚の葉書を見つめ、にっこりと笑っていた。嬉しそうに、にっこりと。
「せりな?」
再び雄一郎が尋ねると、せりなは漸く葉書をぎゅっと抱きしめたまま、雄一郎の方に振り返った。満面の笑みだ。
「明日、出かけるわよ」
「あ、明日か?」
「そう。……ああ、たくさん出したかいがあったわ」
「ん?」
雄一郎が尋ねると、せりなはにっこりと笑ったまま「何でも無いの」と言ってぽんぽんと雄一郎の肩を叩いた。
「仕事に戻りましょう。……ああ、楽しみねぇ」
足取りも軽く、店舗に戻っていくせりな。雄一郎は、ふと思う。
(そう言えば……最近、チョコレート菓子が多かったな)
常に、一種類のチョコレート菓子が備わっていた。
(白い葉書の束を持っていたっけ)
びっくりするくらい、分厚い葉書の束を持っていた。年賀状でも出すのかと、驚いたくらいだ。
(家事が終わると、部屋にこもって何かやっていたような……)
家事を終えると同時に、せりなは自室へと戻って一歩も出てこなかった。中から何かを書くようなカリカリという音が聞こえてきたので、超大作でも執筆しているのかと思ったくらいだ。
「一体、何だったんだ?」
今回の事と、何か関わりでも在るのだろうか?
雄一郎は「うーん」と考える。年賀状でもなく、執筆でもない。いや、それらだとしたらさっきの喜びようの出来事と繋がらない。だとすれば一体……。
「お客さん、待ってらっしゃるわよー」
店舗の方からせりなの声がし、はっとする。雄一郎はそれに返事をし、慌てて店舗の方へと向かって行く。
そうして客を相手に仕事をこなしていくうちに、せりなが大喜びしていた件についての想像や妄想はぷっつりと切れてしまった。
ただはっきりしていたのは、せりなが嬉しそうに一枚の葉書を持っていたことと、明日で書けるというその事実だけだった。
★14日〜夕方
次の日。午後5時くらいになった時に、せりなはおもむろに店の片付けを始めていた。
「どうしたんだ?」
雄一郎が尋ねると、せりなは「だから」と言って微笑む。
「昨日、言ったでしょう?今日は出かけるって」
「それは聞いていたけど、今からなのか?」
「そう。もっというと、明日もお店はお休みにするのよ」
「え?」
初耳だった。雄一郎は驚いたまま、せりなを見つめる。せりなはにこにこと笑ったまま、雄一郎の背をぽんと軽く叩いた。
「ほらほら、早く準備しないと。間に合わなくなっちゃうわ」
「何に?」
雄一郎が尋ねると、せりなは片付けていた手をぴたりと止め、雄一郎の方を振り返ってそっと微笑んだ。
「今日は、バレンタインデイでしょう?」
せりなの言葉に、雄一郎は頷く。せりなはそれを見て「だからよ」とだけ答え、再び片付けを始めた。
雄一郎は「何だろう?」と疑問に思ったまま、それでもせりなと同じく片付けに取り掛かった。二人でもくもくと片付けていると、あっという間に店を閉める準備が整った。表に「2月15日までお休みします」という掲示をし、せりなは一つ頷いた。
「それで、今日は何処に行くんだ?」
雄一郎が、ガラガラと音をさせながらシャッターを閉めて尋ねる。せりなは少しだけ考え、くすくす笑いながら「星よ」と答える。
「星が降ってくる場所に行くのよ」
「星?」
不思議そうな雄一郎に、せりなはそれ以上答えなかった。代わりににっこりと微笑んだ。
「お洒落して、行きましょうね」
「え?あ……ああ」
呆然とする雄一郎を引っ張っていき、着替えをする。そして、気付けばタクシーに二人で乗り込んでいた。
「星降ヶ丘へ、お願いします」
せりながタクシーの運転手に行き先を告げた。運転手は一つ頷き「分かりました」と答え、車を発進する。
「星降ヶ丘って、どういう所なんだ?」
ぼそ、と雄一郎はせりなに耳打ちする。せりなは「もういいかしら?」と悪戯っぽく笑い、同じように雄一郎にこっそりと囁く。
「ペンションよ。ロマンチックな名前よね」
「そこに、どうして……」
雄一郎はそう言いかけ、はっとする。出かける前、せりなが「バレンタインデイだから」と言っていたのを思い出したのだ。
つまりは、バレンタインのプレゼントに該当するのではないか。
それを言いたくて、せりなの方を見る。せりなは漸く気づいたらしい雄一郎に、にっこりと笑ったまま頷いた。雄一郎は一瞬頬を赤らめ、小さな声で「参ったな」と呟く。
「どうしたの?」
せりなが尋ねると、ほんのり赤い顔のままで雄一郎はそっとせいなの手を握る。
「せりなに驚いたんだよ」
「私に?」
「心の準備が出来てなくて。だけど……嬉しくてね」
そんな雄一郎に、せりなは「あら」と言って嬉しそうに微笑んだ。
二人がそうやっていると、タクシーの運転手が「つきましたよ」と告げた。二人はタクシー料金を払い、外へと出た。
目の前には、ペンション星降ヶ丘があった。外装は普通のペンションと何ら変わりは無い。ぱっと見、綺麗な外装である。上の方には、名物である全面硝子張りだという天井があるという部屋の屋根があった。ちょっとしたプラネタリウムのような円形の天井で、今はそこを閉めているらしくぐるりと屋根が覆い被さっていた。
「凄いペンションだ」
雄一郎は半ば呆然としたように、目の前の建物を見つめた。せりなも同様に見つめながら「そうね」と答える。
「こんなに素敵な所だとは思わなかったわ」
せりなはそう言うと、雄一郎に「行きましょう」と言ってハンドバッグから一枚の葉書を出した。昨日、せりなが大喜びをしながら見ていた葉書である。
(ここに関係していたのか)
雄一郎は、せりなと葉書を見比べながら、ふと思う。昨日せりなが葉書を見た瞬間に、今日の話が出たのだ。ならば、あの葉書が鍵となっているに違いない。
ペンションのドアを開けると、ギイ、という重厚な音が響いた。ちりんちりん、という来客者を伝えるベルの音が涼やかに響く。
「いらっしゃいませ」
中に入ると同時に、従業員らしき青年が現れた。せりなは彼に葉書を差し出しながら、微笑む。
「これで、来たんですけど」
青年は「拝見します」と言って葉書を預かり、それを見てにっこりと微笑んだ。
「それでは、まずはお部屋に案内します。そちらに荷物を置いて頂き、すぐにお食事のご用意を致しましょう」
「はい」
せりなはにっこりと笑い、雄一郎の手を引っ張る。雄一郎は「凄いところだな」とぽつりと呟き、時計を見る。既に、夕方6時だ。
青年の先導によって辿り着いた部屋は、丸い天井の部屋だった。外から見た時に、プラネタリウムのようになっていた所だ。青年はおおよその部屋を案内した後、二人に向かって頭を下げる。
「では、準備が出来ましたら下の食堂に来てください」
青年はそれだけ言い、部屋を後にした。
「本当に、凄い所ね」
せりなは部屋に設置してあるソファに座りながら、微笑む。雄一郎もその隣に座りながら「そうだね」と答える。
「まさか、こんなに凄い所に来ると思わなかったよ」
「そうでしょう?」
二人は顔を見合わせて微笑むと、すっと立ち上がった。そしてどちらともなく手を取り合い、食堂へと向かうのだった。
★14日夕方〜
ペンション星降ヶ丘のディナーは、本格的なフランス料理だった。前菜から始まり、デザートで終わる。パンとワインのお代わりは自由で、一つ一つのものが美味しく食べられるように出来ていた。
せりなと雄一郎は、それらを一つずつゆっくりと味わいながら食べていった。普段生活していたら、食べないような料理達。
「結婚式で、食べるような料理だね」
ふと、雄一郎が話す。せりなは思わず吹き出してしまう。
「凄い表現ね」
「だって、そうだろう?こういう、贅沢な料理は殆ど食べないから」
「いつもは、私の料理だものね」
せりなが悪戯っぽくいうと、雄一郎は微笑みながらこっくりと頷く。それを見て、せりなは少しだけ頬を赤らめた。
新婚時代に戻ったかのようだ。
デザートに出てきたのは、苺のミルフィーユと桜のシャーベットという、バレンタインデイなのにチョコレートではないものだった。二人が珍しそうに見ていると、また従業員である青年がやってきた。
「如何だったでしょうか?」
「とても美味しかったよ」
雄一郎が言い、せりなも頷く。青年は嬉しそうに微笑み、ぺこりと頭を下げた。
「でも、デザートはチョコレートじゃないのね。バレンタインデイなのに」
せりなが不思議そうに尋ねると、青年は悪戯っぽく笑う。
「今日は、私共がチョコレートを提供する日ではありませんから」
青年の言葉に、思わずせりなと雄一郎は顔を見合わせて笑う。青年は二人が楽しそうな様子を見、軽く一礼をして去って行った。
食後の珈琲まで堪能した後、二人は部屋へと帰る事にした。気付けば、夜9時となっており、外は真っ暗になっていた。
星も、綺麗に見えるはずだ。
二人は真っ暗なまま、電気もつけずに部屋のソファに向かい合わせに座った。そして、リモコンの「開」のボタンを押した。
ざー、という音と共に、天井が開き始める。プラネタリウムのようになっている円形の天井に覆い被さっていた屋根がなくなっていき、代わりに満天の星空が二人の頭上に現れた。
まるで、星が降ってくるかのように。
「わあ……」
「素敵……」
二人はそう言った後、しばし無言になる。小高い丘の上にある為、周りにこの星たちの光を邪魔するようなものは何もない。都会特有のネオンや、イルミネーション。そんな人工的な光は一切無い。
ただあるのは、星が煌くその光だけ。
呆然としたまま見ていると、せりなの座っているソファの隣が重くなった。そちらを見ると、向かい側に座っていたはずの雄一郎が、いつの間にか移動してきていた。
二人、寄り添いながら星を眺めるために。
せりなは雄一郎を見、そっと微笑んだ。
「……雄一郎」
せりなに呼ばれ、雄一郎もせりなを見た。互いに微笑みあい、見詰め合う。せりなは鞄から箱を取り出し、雄一郎に手渡す。
「チョコレート。良かったわ、さっきチョコレートが出なくて」
「粋な計らいだったからな。……有難う」
雄一郎は答え、せりなに「開けていい?」と尋ねてから包装紙を取った。中から現れたのは、ウイスキーが入ったチョコレート。ふんわりと、ウイスキーのいい香りが漂う。雄一郎は一つだけチョコレートを手にとり、口に入れる。とろりと中からウイスキーが出てきて、口一杯に良い香りが広がっていった。チョコレートの甘味と、いい具合に混ざり合いながら。
「……旨い」
「良かった」
二人は顔を見合わせ、ふふ、と笑い合った。再び空に目線を移す。満点の星が、相変わらず二人に光を注いでいる。
(二人っきりで星を眺めるのも、いいもんだ……)
雄一郎はふと思う。
(思えば、色々あったなぁ。せりなと出会い、結婚して、娘が生まれて……)
頭の中で繰り返されるのは、今まであった出来事だ。せりなと共に生きてきた、今までの自分の人生。それらはなんとも美しく、素晴らしく、幸せであった。
恐らく、これからもそれは続いていくのだ。隣にこうして、せりながいてくれるのだから……。
ふと、雄一郎は妄想の世界から帰ってきた。雄一郎の手に、せりなの手が重なっていたのだ。雄一郎はそっと微笑み、その手を握り締めた。
(今日は、ありがとう)
降ってくるような星空の下、雄一郎は微笑む。
(今度は、俺がお返しする番だな)
隣にいるせりなの存在、温かな掌。傍にいる、幸せ。
せりなは雄一郎に手を握られたまま、じっと星空を見つめていた。そのまま目に焼き付いてしまうのではないかと思えるほど。
(今日の星空を、忘れないわ)
せりなは心の中で呟く。忘れられる筈も無いとも、付け加える。
こうして、星が降るような部屋の中。静かに、静かに時が流れていった。星の瞬き一つ一つが、幸せな時間を映し出しているかのように。
<星降ヶ丘にて幸せを感じ・了>
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 2072 / 藤井・雄一郎 / 男 / 48 / フラワーショップ店長 】
【 3332 / 藤井・せりな / 女 / 45 / 主婦 】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度は「星降ヶ丘」にご参加いただき、有難うございます。如何でしたでしょうか?
お二人が夫婦と言う事で、夫婦ならでは落ち着いた雰囲気を描けていたら、と思っております。素敵なバレンタインデイを過ごせた、と思っていただければ幸いです。
ご意見・ご感想等心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。
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