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■仔犬かわいやかわいや仔犬■
誰にでも苦手なものは一つはあります
そしてそれには、必ずわけがあるのです
◇
「仔犬……?」
バイト先。
帰ろうとする刀真を呼び止めた後輩が、目をぱちくりさせている仔犬を差し出しながら、平に平にとばかりに頼み込んだことは。
「しかし、よりによって仔犬か」
後輩は、旅行に出かけるのでその間、ペットの面倒を頼むと刀真に言ったのだ。
しかしわけありで犬が大の苦手の瑠宇のことを考えて、しばし刀真は悩んだ───のだが。
結局、「もしかしたら苦手を克服するいい機会になるかもしれない」と引き受けた。
以前は仔猫の霊だったが、今回は本物の仔犬である。
ペット禁止のアパートにこっそり仔犬を連れ込んだ刀真は、仔犬の鳴き声よりももっと大きな悲鳴を聞くことになった。
「やー!?」
仔犬を見るや、である。
「おかえりなさい」もなく、刀真が抱えている仔犬をばっちりと見た瞬間に、瑠宇は半泣きで逃げ出したのだ。
「瑠宇、事情を話すからちょっと来い」
「いやっ! 瑠宇、犬苦手なのトーマ知ってるくせに!」
「知ってて連れてきたから事情を話すんだろ?」
「いやーっ、来ないで来ないで!」
どたばたとアパートの中を追いかけっこした後、なんとか説き伏せて瑠宇を座らせた刀真は、とりあえず夕食の支度は置いておいて仔犬を自分の膝にのっけ、わけを説明した。
「ってわけで、俺が仕事に行っている間の世話を頼みたいんだ。───聞いてないみたいだな」
「ふーっ!!!」
まるで猫のように、仔犬に向けて威嚇する瑠宇。話を聞いているのかいないのか、仔犬と慎重に間合いをとっている。しかし仔犬のほうにはまったくその気はない。きらきらと目を輝かせ、瑠宇にも今にも飛びついていきそうな気配だ。
(先行き不安だ)
思いはしたものの、実際自分が家を空けている間の仔犬の世話は、瑠宇がするしかない。
「瑠宇、まだ仔犬だから大丈夫だ」
言葉にこめた思いを、瑠宇は少しばかり分かったようだ。怯えた瞳を、こちらに向けてくる。刀真は、小さく頷いてみせた。
───全部分かってる。
そのうえで、頼んでいるのだ。
二人の間に沈黙が流れ、けれどいくつもの思いが行き交った。
「わ……かった」
暫くして瑠宇がそう言うと刀真は少し笑い、仔犬を片手に抱いたまま立ち上がった。
「よし。じゃ、頼んだぞ。とりあえず俺は夕食の支度をするから、その間───」
ひょい
そのまま冷蔵庫へと向かった刀真だが、わずかにゆるんだ腕の力の隙をついて仔犬が飛び降りた。
「いやーっっ!!」
今度は仔犬と瑠宇の追いかけっこが盛大に始まる。
「……無事を祈ろう」
どことなく遠い目で、それを見守り今夜のおかずの材料であるジャガイモを手にする刀真だった。
◇
「じゃ、行って来るからな」
言いつつ、今日も返ってこない「いってらっしゃい」の可愛らしい声を頭の中に想像の泡としつつ、「よく頑張ってるよ」と苦笑し刀真はそっとドアノブに手をかけ、バイトに出かけた。
あれから数日が経っている。
瑠宇の態度に変化は見られず、仔犬が近づけば逃げ出し、怯えて殆ど近づかないまま、それでも餌をやり水をやり、その他の最低限の世話はちゃんとしている模様。
元来人懐っこいのか、そんな瑠宇の反応を遊びと思っているのか、仔犬はよく瑠宇にじゃれようとした。
だがそのたびに瑠宇は半泣き状態で逃げ回る。
それでも───心なしか、日に日に。
数センチ単位ではあるけれども、仔犬と瑠宇の間にあった距離が縮んでいるのを刀真は発見していた。
思わず、また苦笑が漏れる。
あれを見ていると、初めて自分が瑠宇と出逢った頃の事を思い出してならないのだ。
◇
さて一方アパートのほうでは。
瑠宇は、仔犬が、刀真の靴下などを玩具にして夢中になっている間に餌や水を足し、仔犬が眠っている間にトイレにしている新聞紙を片付ける。
それ以外はひたすら逃げ回る。部屋に閉じこもる。それが日課となっていた。
今日も、そろりそろりと扉を開き、そばに仔犬がいないことを見計らって、抜き足差し足で餌箱のところに行く。
眠っているのだろう、アパートの中はしんとしていた。
餌入れに餌を入れて、ふと、手を止める。
───静かすぎ、じゃないかな。
恐る恐る、あちこち探し始める。トイレにはいない。風呂場にもいない。台所にもいない。勿論部屋にもいない。
玄関にも───、
「あ!」
思わず声を上げた。
扉が、開いている。
刀真はきっちり閉めていったはずだが、そのあと瑠宇は、部屋の花瓶にいけてある花をかえに、近所の花屋に数分ほど行って留守にして───その後、鍵を閉め忘れた。
いつもなら、しない失態だ。
もしかして仔犬は、瑠宇を追って外に出たままなのだろうか。アパートを出るとき、確かに、眠っているのを確認してから出たはずだが───そういえばあの時急いで買って戻らないとと走っているとき、後ろで仔犬の鳴き声が聞こえたような───。
「どうしよう」
もしかしたら、事故にでも遭っているかも知れない。なんといってもまだ仔犬だ。
「どうしよう」
もう一度つぶやいて、瑠宇はおろおろと電話の受話器に手を伸ばした。
◇
瑠宇から半泣きの電話をもらった刀真は、このかわりは今度の休日にやりますからとバイト先に許しを貰い、仔犬探しを始めた。
探すだけだから、瑠宇ももちろん参加している。
「名前、聞いとけばよかったな」
ごちる刀真だが、今更言ってもせん無いことだ。瑠宇は「わんちゃーん!」と呼んでいる。
花屋にも行ってみたが、そんな仔犬は来ていないとのこと。
一体てくてくとどこまで行ったのか。
近所の人にも聞き込み、やっと手がかりがつかめたのは、井戸端会議を道の真ん中でしていたおばちゃん達がそれらしき仔犬が公園のほうに行くのを見た、ということだった。
「あの公園、池があるよ、トーマ」
早く行かなくちゃと瑠宇は駆け出す。
「ああ」
短くこたえ、刀真も追いかける。
「でもなんで公園なんかにいったんだろ」
瑠宇はおろおろしながらも、呟かずにいられない。刀真は思ったままを言った。
「お前の匂いを追っていったんじゃないか?」
「え?」
「前に『仔猫』拾ってきた時も、よく公園に行ってただろ。お前の香りがする場所をあちこち行ったんだ、あいつきっと」
「…………」
瑠宇の沈黙の意味が、刀真にはよく分かる。
瑠宇の犬嫌いのわけは、生半可の理由ではない。
その昔、犬に似た化け物に酷い目に合わされた経験から、だったのである。
誰もが犬恐怖症になってもおかしくないところへ、あれだけの世話をしていて探すのも厭わないのだから瑠宇は大したものだと刀真は思うのだ。
「大丈夫だ」
刀真の小さく呟いた声は、瑠宇に聞こえたはずだった。
お前のせいじゃないよ
色々な意味をこめての、裏に隠された台詞。
読み取って、瑠宇は目に涙をためながら、それでも力強く、頷いた。
◇
仔犬は池の中にいた。
だが幸い今朝から工事に入ったからとかで、池の水は殆ど抜かれており、泥だらけになっていただけで仔犬は無事だった。
作業員達に保護されているところを見たとき、二人はどっと脱力したものである。
それでも一応動物病院に連れて行き、なんの問題もないことを告げると、瑠宇は、昨日より更に、ほんのわずかでも近い位置から「よかった〜」といつもとは違う涙を流した。
アパートに連れ帰り、病院でも洗ってもらったが、別の菌を病院からもらってきてはまずいと、刀真は風呂場で仔犬を洗った。本当なら外で洗いたいところだが、そんなことをしたらアパートの住人か大家にでも見つかってしまう。
ふと、背中に気配を感じて振り向くと、瑠宇が立ってじっと見つめていた。
「トーマ、瑠宇もホントはその子がかわいいの。洗ってあげたいの」
真っ赤に泣きはらした瞳は、今まで何を思っていたのだろうか。
刀真は笑ってみせ、からかい気味にお湯を指先でピン、とはじかせて石鹸の泡ごと瑠宇の鼻先に命中させた。
「んなこと分かってる。こいつもな」
わん!
きょとんとする瑠宇に、腕の中から泡だらけになった仔犬らしきものが顔を出し、可愛い声で瑠宇に向けて鳴いた。
その格好がおかしくて、思わず瑠宇は吹き出した。
「あはは、わんちゃん、へんだよそのかっこう」
「本邦初公開、泡の着ぐるみを着た仔犬」
「あははは、トーマってば、わらいすぎて瑠宇、おなかが痛くなっちゃうよー!」
悪戯っぽく言った刀真と泡だらけの仔犬との絵がよほど可笑しかったらしい。見事ツボにはまってしまった瑠宇は、憂いなど吹き飛ばしてしまったようだった。
◇
それでも瑠宇の「苦手」は原因が原因だけになかなか治らず変わらず。
ドタバタとした日々はあっという間に過ぎていき、仔犬を飼い主に返す当日となった。
(結局最後まで距離はあのままか)
少しは抱っこでもするかなと期待してみたが、駄目元の思いが殆どだったので、刀真は今日も追いかけっこをしている瑠宇と仔犬とを呼んだ。
追いかけるのをやまない仔犬を半ば無理矢理抱き上げ、瑠宇を救ってやる。
「う〜、やっぱり最後までこわかったよ〜」
目にたまる涙を手の甲で拭う瑠宇。このままでは別れの挨拶もまともに出来ないだろう。
───仕方ない。
「じゃ、行って来る」
刀真が扉を開きかけた、その時。
まさに瑠宇が「いってらっしゃい」を言おうとしたその瞬間に。
するりと、既に心得たと言わんばかりに仔犬が刀真の手元から抜け、瑠宇めがけて一心不乱に駆け出した。
「や!?」
驚き、慌てて窓から外に逃げる瑠宇。ここなら安全だろう。そう思って振り向いた瑠宇の目に、
なんと。瑠宇を追って窓から飛び出した仔犬の姿が映った。
「わんちゃん!」
瞬間、落下中の仔犬に瑠宇は飛びつき、しっかりと抱きとめていた。
「大丈夫か!?」
刀真が部屋から出て、瑠宇と仔犬の元に走ってくる。
ぎゅっと閉じた瞳をそろそろと瑠宇が開くと───仔犬もまた、目を閉じていた。
瑠宇は仔犬を抱いたまま、そうっと手を伸ばし、頭をなでようと───した瞬間。
わんわん!
ぱちっとつぶらな瞳を開いた仔犬がはしゃぎ、瑠宇の顔をぺろりとやった。
「───」
(あ。硬直した)
顔をひきつらせたまま微動だにしない瑠宇を見て、刀真はぼんやりと、どこか冷静に……けれど、苦笑していた。
これは既に気絶もしているだろう。
ともあれ、瑠宇は精一杯頑張った。
ここは奮発して、ケーキでもご馳走してやろう。
そう心に決めた刀真だった。
◇
後日、のことではあるが。
休日、街を歩く機会があると、瑠宇は可愛いショップを見つけては、仔犬の置物や仔犬で出来た小物を見るようになった。
それだけでも大した進歩だ、と刀真なりに思うのである。
《END》
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こんにちは、ご発注有難うございます。今回、「仔犬かわいやかわいや仔犬」を書かせていただきました、ライターの東圭真喜愛と申します。ご意見を頂いてから、何度も頭の中で「これはだめだ」と繰り返しては、中身のわりに苦労した作品であります。また勝手にエピソードを入れてしまい、ご気分を害してしまう点もあるかもしれませんが、以前より少しでもご希望に沿ったものであることを祈ります。因みにタイトルは、瑠宇さんのお気持ちを表したもの、という設定でつけてみました。可愛いと思っているのに、ともどかしく思う瑠宇さんの気持ちです。
「ここはもっとこう」「こんなことはしない」などありましたら、遠慮なく仰ってくださいませ。今後またご縁がありました時の参考にさせて頂きます。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで書かせて頂きました。本当に有難うございます。
お客様にも少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
【執筆者:東圭真喜愛】
2006/02/09 Makito Touko
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