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Wie ist es zusammen?
◆ まずは顔合わせ ◆
「ってことで、まあざっと見たところ、俺の手助けが要るような奴はあまりいなそうだし、各自適当にやってくれ」
集まった6人を前に、田辺聖人は仏頂面でそう吐き捨てた。
バレンタインのチョコレートを試作しようという主旨のもと、会場として開かれたのは田辺の名義で建てられている別邸。都心を外れた森の奥にひっそりと佇むこの別宅は、田辺が休暇を過ごすための場でもあり、キッチン一式は流石にきちんと揃えられていた。
「ええと、材料として使うためのものはこのテーブルに並べてありますので、まあどれでもお好きなものを」
やんわりと微笑みながら腕を広げるのは侘助だ。日頃は和装でいる事の多い侘助ではあるが、この日は雰囲気というものを重視してか、簡素ながら洋服を身につけている。
「そなた、指南役としてここにおるのであろうが。そもそもそなたが試作会とやらをやるとの旨で、皆ここに集まったのではないのか?」
腰に両手をあてがって田辺を睨みあげているのは威伏神羅。田辺は神羅を見下ろして頭を掻きまわすと、やれやれといった具合に肩を竦めた。
「今回のこれを言い出したのは俺じゃなしに侘助だ」
「そうね。チョコレート菓子を作るのなら、団子しか作れなそうな侘助よりは、ヒゲの方が本職なんだもの」
並べられた材料を確かめながら、ウラ・フレンツヒェンが大きな双眸を瞬きさせる。
侘助の前にあるテーブルの上には、田辺が取り寄せたのだというクーベルチュールを初めとするあらゆる材料が並べられていた。
ウラはその中からホワイトチョコを手にとり、改めて田辺の顔に視線を向ける。
「カカオバターパウダー、カカオパウダー、パータグラッセ。普通はこんな豪勢な材料は使わないわよ。なんだかんだ言って、結構気合が入ってるのね、ヒゲ」
クヒヒと笑うウラの言葉に、田辺はそっぽを向いて息を吐いた。
「そういえば田辺さんってショコラティエの知識なんかもあるのかしら?」
ウラの向こうで、やはり同じように材料の選別をしていた綾和泉汐耶が田辺の顔に目を向ける。
「あ、私、確か田辺さんの経歴を本で見たことがあったわ」
汐耶の隣で大きくうなずきながらそう返すのはシュライン・エマだ。
「フランスのレストランでシェフパティシエを数年勤められた後、確か二年間、有名なショコラティエのもとで働いていらしたはずですよね」
「一年半だ」
仏頂面はそのままに、しかしどこか嬉しそうに目を細ませて、田辺は汐耶とエマとに一瞥する。
「ショコラティエだとか……そういうのはともかくとして……」
陰鬱な声で呟いたのは守崎啓斗。啓斗は今回の試作会において、文字通りの黒一点である。
「生クリームなんていうものも使うのか」
半ば悲痛気味にかぶりを振って、テーブルの上の生クリームを見つめた。
「湯煎で溶かしたチョコレートに生クリームを混ぜるのよ。なめらかで美味しいチョコになるわ」
啓斗を慰めるようにエマが穏やかな笑みを見せた。
「今日は兄弟一緒じゃないのね」
エマの言葉を継げるようにして汐耶が口を挟むと、啓斗はびくりと肩を震わせて、そろそろと顔を持ち上げ、汐耶の顔を確かめた。
「今日は……あいつには秘密にしてあるんだ」
ぼそりとそう告げたのと同時に、客人の到来を知らしめるためのベル音が家の中に響き渡った。
しばしの間の後、侘助の後ろについてきたのは、小学生ほどの年頃であろうかと思しき見目をした少女と、そしてもうひとり。
「あ、浅海紅珠ですっ」
緊張の余りに声が裏返ってしまっている紅珠の横で、守崎北斗がひらひらと手を振っている。
「守崎北斗でっす。兄貴、ほんとマジでずるいって。試食会なら俺に声かけてくんなくちゃ始まんねえよ?」
◆ レッツ クック……? ◆
「今時期って素晴らしい季節よね。そうは思わない?」
ジェノワーズを作るための卵と砂糖とハンドミキサーでかきまぜながら、シュラインは握り拳も固く汐耶の顔を真っ直ぐに見る。
汐耶は卵と砂糖、レモンエッセンスにバニラエッセンス、塩にラム酒といったものを混ぜたものを弱火にかけながら、シュラインの言葉に笑みを作った。
「そうね。日頃はなかなかお目にかかれないようなものも並ぶものね」
「そうよ。限定モノなんかも多く並ぶし、ああいうものは正直なところ自分で食してこそなものだと思うわ。ろくに味もわからないような人に贈るのはもったいないような気もするもの」
「ふふ、そうかもね。――ところでシュライン、ダミエを試作するんだって?」
「そうそう。チョコレートを塗って粉砂糖をまぶして、マルボロのカートン風に摸してみるつもり」
「やだ、それって”タバコでも食っとけ”って意味合いにも取れるかも」
「そのつもりだもの。いやみよ。ったく、何回言っても禁煙しようとしないんだから」
吐き捨てるようにそう述べたシュラインの手の中で、ハンドミキサーががっしょんがっしょんと動き、生地を泡立てる。
汐耶はその様を眺めて肩を竦め、小さな笑みを浮かべながら、今度はバターを煮とかしている。
「私なんか作ったって兄さん達にあげるぐらいなもんだし」
「そう? 汐耶はザッハトルテ?」
「うん、そう。あれ、でも私なに作るか言ってなかったよね」
首を傾げる汐耶に、シュラインは悪戯めいた笑みを浮かべて指さした。
シュラインが示したものは、瓶詰めされたアプリコットジャム。
「チョコレートを使ったケーキでアプリコットジャムといえば、ザッハトルテを連想するのは至極当然な流れだと言えるな。……シュラインと汐耶は特に指導なしでもいけそうだ」
不意に顔を覗かせたのは、ギャルソンエプロンをしめた田辺だった。
「まあ、ある程度はね。でも私の作る洋菓子って、こう、いつも一味足りないような感じになっちゃって」
汐耶が肩を竦ませる。
田辺は汐耶が選んだ材料を一望した後に、ふむと小さな唸り声をあげてうなずいた。
「後でまた覗きに来る。――ああ、シュライン。ジェノワーズ生地はハンドミキサーでたてた後、泡だて器で50回ぐらい混ぜてやるといい。泡のキメが細かくなる」
てきぱきとした口調でそう言い残すと、田辺は次のテーブルへと足を向けた。
「おまえはやっぱりヒゲにあげるの?」
ホワイトチョコレートを刻みながら、ウラは対する神羅の顔をちらりと見遣る。むろん、クヒヒという、喉がひしゃげたような笑いを語尾につけてやるのも忘れずに。
神羅もまたチョコレートを細かく刻んでいる最中だった。が、ウラの言葉に思わず吹き出し、その勢いで刻んでいたチョコがバキリと大きな音をたてて割れた。
「ひひひヒゲとはなんじゃ。どうもそなたは誤解しておるようじゃが、私と田辺はまるでなんの関係も無い間柄じゃぞ? そ、そりゃあちぃとばかり親交を持ったこともあるやもしれぬが」
「あら、あたしはヒゲっていっただけで、田辺の名前なんかタの字も出しちゃいないわよ。ヒヒヒ、あ、ほら、噂をすればだわ」
何か言いたげな笑みを浮かべるウラの顔には、三日月にも似た形の双眸が光を帯びている。その光が映している人影の主を知ると、神羅は心持ち慌て、再びチョコレートを刻み始めた。
「ここは二人ともトリュフか」
現れた田辺は二人が今しがたまで交わしていた会話など知るよしもなく、ひどくのんびりとした風にウラの横から顔を覗かせる。
「ガナッシュの作り方は分かるんだろ? 生クリームは沸騰させんなよ」
「ねえ、ヒゲ。あたしこれを練りこみたいんだけど、どうかしら」
田辺のシャツの袖を引きながらウラが差し伸べたそれは、柚子皮の砂糖漬けだった。田辺はウラが刻んでいるホワイトチョコレートと柚子皮とを見比べて、ふんと小さく鼻を鳴らした。
「和風トリュフってとこか。いいんじゃないか。練りこむポイントを間違えるなよ」
「参考にしたいから、ちょっと手ほどきしなさいよ。どのタイミングで入れたらいいのかとか、結局あたしはアマチュアだもの。プロのおまえの意見や腕前を直に見るのは、滅多に体験できない経験だわ」
ちょこんと首を傾げたウラの言葉に、田辺は渋々ながらもうなずいた。
「神羅、おまえも。トリュフは簡単に作れるが、うっかり生クリームを沸かしたりリキュール類を入れすぎたりするととんでもないもんになっちまうからな」
腕にぶらさがるようにしがみついているウラを振り払いながら、田辺は神羅の方にも視線を投げる。
「ふん。しかし、なんじゃな。そもそも板チョコを溶かしてまた固めるというその工程が不思議じゃ。そんな面倒なぞせんでも、市販のものの方が美味いに決まっておるのだから、殿方とてどうせ貰うならばそちらの方が良かろうに」
「ん? どうした? 何をぶつぶつ言ってんだ?」
独りごちながらチョコレートを刻み続けている神羅に、田辺はしばし首を傾げた。
「な、なんでもない。単なる独り言じゃ」
わずかに頬を染めてそっぽを向いた神羅を見遣り、ウラがニマリと笑みを浮かべた。
「あら、そうかしら。バレンタインチョコは日本にしかない風潮だけど、あたしは嫌いじゃないわ。あげる相手をイメージしながら作るのが楽しいものなのよ。ねえ、ヒゲ?」
「はぁ? なんで俺だよ」
再びまとわりついてきたウラにため息を漏らしつつ、田辺は大きく肩を竦めた。
「小豆チョコっていうのはどうだろうと思うんだ」
ぼそりと呟いた啓斗の言葉に、テーブルを同じくしていた侘助が興味深げにうなずいた。
「いいんじゃないですか。ほら、なんか最近は市販の菓子なんかでもたまぁに見かけるじゃないですか」
「うん、俺も食べたことあるよ。チョコボールだけど、小豆チョコのやつでさ。すごく美味しかった」
ボウルを両手で抱え持ち、紅珠が両目を輝かせている。
「いや……チョコボールじゃなくてだな。その、出来ればケーキなんぞを作れたらと思うんだが」
紅珠の言葉に目を細ませながら、啓斗はわずかに首を振る。
「へぇ、ケーキですか。小豆を使ったチョコレートケーキってわけですね。ああ、田辺クンを呼べばいいんでしょうかね。……あれ、田辺クン、向こうで指南中のようですねェ」
シャツの袖をカフスで留めた出で立ちで、侘助はふむとため息を吐いた。
「そうですねえ。ああ、そうだ。パウンドケーキなんかはどうでしょうか、啓斗クン」
「ぱうんどけーき?」
訝しそうに侘助を見据える啓斗に、侘助は大きくうなずき、微笑んだ。
「パウンドケーキだったら俺もまあそれなりに作れますし、田辺クンの手があいたときにでも手ほどきしてもらうことにして。どうします?」
「小豆とチョコを使ったパウンドケーキにするの?」
紅珠の目が興味深げに輝きを帯びる。
「そうですねエ。ココアと、つぶ餡でもいれてみましょうか。あれだったら生クリームは必須じゃないでしょうし」
「生クリームのつかないケーキなのか」
啓斗の目にもわずかな光が宿った。侘助は大きくうなずいて笑みを浮かべる。
「それなら啓斗クンも、多少は大丈夫じゃあないですか?」
うなずいた啓斗の横で、紅珠が張り切り気味に腕をまくった。
「それじゃあ、俺、粉とか持ってくるよ。粉とバターとたまごと砂糖でオッケー?!」
「そうですね。お手伝いしますよ」
「じゃあ、俺も手伝うよ」
紅珠の言葉に、侘助と啓斗が同時に首を縦に動かした。
「シュラ姐は何作ってんの?」
覗きこんできたのは目をキラキラと輝かせた北斗だった。シュラインは北斗の顔を見やり、二枚目のジェノワーズの用意にとりかかっていた。
「ダミエっていうケーキよ」
「ダミエ? へえ、そんな名前のケーキもあるんだね。あ、俺、試食係ね。出来たらちゃんと味見するからさ、呼んでよ」
目を輝かせながら自分の顔を見据えている北斗に、シュラインは大きく肩を竦ませてから笑みを返した。
「北斗、あんた、啓斗のとこには行かなくてもいいの?」
「啓斗くんもケーキかなにか作ってるみたいじゃない? 侘助さんと、あの子は紅珠ちゃんっていったかしら。ふふ、なんか可愛らしい組み合わせね」
汐耶が首を傾げると、北斗はテーブルの上に頬づえをつき、大袈裟なため息を吐いた。
「っつうかさあ、兄貴が俺ら用になんか作るわけもねえじゃん。それに、なんか知らねえけど、すげえ一生懸命に作ってるみてえだし? だからつまみ食いすんのはやめとくかなーみたいなさ」
「……ふぅん、そうなの」
北斗の呟きに、シュラインは小さな笑みを浮かべたまま、ジェノワーズの生地をオーブンへといれる。
一枚目の生地はプレーン、二枚目の生地はチョコレートを織り交ぜて焼く。そうして焼きあがった生地に洋酒をたらし、まわりをチョコレートで塗り固めていく。そうすることで、マルボロの箱を模したダミエは完成するはずだ。
「……なに、シュラ姐。なんかエロい笑い方」
スパーン。シュラインのひらてが北斗の後頭部をはたく。
「あんたが鈍感だってことよ」
「ふふ。あ、北斗くん。杏ジャムの瓶をとってくれる?」
二人のやり取りにやわらかな笑みを浮かべた汐耶が指差したジャムの瓶を取って渡し、北斗は汐耶が用意している小鍋を見やって眉根を寄せた。
「ジャムをあっためんの?」
「そう。杏ジャムとラム酒と水を足して沸かすの」
「それで、ざるでこせばいいって言ってたわよね、田辺さん」
「っつうか、それでどうすんの?」
「これをケーキに塗るのよ」
タイミングよく焼きあがってきたケーキに、沸かしたジャムをざるでこしたものを塗りつけていく。焼きあがったばかりのケーキに、風味付けされたジャムがじわりと浸透していくのがわかる。
「それで、その上からチョコレートコーティングしていくの」
「そうしたら、ザッハトルテっていうケーキが出来上がり」
打ち合わせたように言葉を継げ合い、シュラインと汐耶は同じタイミングで微笑んだ。
「ふうん……ま、いいや。出来上がったら俺が味見するからさ」
「北斗は味見したいだけでしょ。あ、そういえば、コーティングするときになったら呼べって、田辺さん言ってたわよね」
そういえばと言いつつ手を打って、シュラインは神羅とウラのテーブルにいる田辺の顔に視線を向けた。
一方、田辺はといえば。
「グランマニエを使うなんて、考えたものだわね、ヒゲ」
冷蔵庫から出してきたガナッシュを指先で突きながら、ウラは満足そうにクヒヒと笑みを漏らした。
「おまえのは柚子皮……つまり柑橘類が練りこまれたガナッシュだったしな。柑橘風味のホワイトガナッシュにすれば、風味もおまえ好みの”大人風味”になるだろ?」
「ふぅん。クヒヒ、なるほどね。それで、これをコーティングしてから粉砂糖でもまぶすってわけね」
「形を整えてやればいい。ツノをつけるとかな」
田辺の指示に、ウラはうきうきとした面持ちでガナッシュを手のひらで転がし始めた。
その向こうで、神羅がコーティングのためのクーベルチュールを細かく刻んでいる。
「クーベルチュールは温度調節が大事だ。溶かしただけだと表面が白っぽくなってしまうからな」
神羅の手つきを確認しつつ、田辺は眼差しをゆったりと細めて笑みを浮かべた。
「そういえば、おまえにチョコレートをくれてやる相手がいるとはな」
この言葉に、神羅は憮然とした表情を浮かべ、ウラは「ぶは」と吹き出した。
ウラの笑みを一睨みして制しつつ、神羅は田辺を睨みやって鼻を鳴らす。
「今日は、今時の若者の恋愛事情とやらを見学してやろうと思うて冷やかしに来てみたまでのこと。出来上がったものはこの場にいる全員にくれてやるつもりじゃ」
「ははあ、なるほど。じゃあ俺もご相伴にあずかれるってわけだな」
「はっ、なにを寝ぼけたことを。そなたと侘助にはくれてはやらんわ。誰ぞからでも貰うがいい」
クーベルチュールを刻む手に力がこもり、チョコレートが大きなかけらを作って転がった。
「クヒヒ、あたしが分けてやってもいいのよ、ヒゲ」
ウラが喉を鳴らして頬を緩める。
と、そのとき。
「ねえ、田辺さぁん! ちょっと来て」
向こうのテーブルでケーキを焼いていたシュラインと汐耶が田辺を呼び招いた。
それに対し、田辺はギャルソンエプロンで手を拭きつつ、
「おまえたちのはもう完成間近だ。大丈夫だろうとは思うが、聞きたいことがあったら呼べ」
そう言い残してシュライン達のテーブルへと歩き去っていったのだった。
テーブルを移り、侘助をにわか講師とした啓斗と紅珠だったが、ここは案外と難航していた。
「パウンドケーキはですねえ、リキュールをいれると風味がちょっとばかし大人向けなものになるって言いますかねえ」
紅珠は、常温に戻したバターをクリーム状に練ったものに砂糖とバニラエッセンスとを加え、ハンドミキサーで混ぜ合わせるという作業を続けていた。
その向こうでは、啓斗が、ケーキ生地の中に小豆を投入し、漂うエッセンスの香りに眉根をしかめながらも格闘を続行中だ。
「大人っぽいケーキかぁ。……うーん、いいなあ。おいしいんだろうなあ」
紅珠の頬がかすかな紅を浮かべる。
「ああ、紅珠クン。その辺で一度ミキサーを止めてください。……ああ、そうそう。そしたら今度は卵を何回かに分けて混ぜるんですよ」
「うん、わかった。さっきは一度に全部入れちゃって、それで失敗しちゃったんだもんね」
侘助の言葉に力強いうなずきを返しながら、紅珠はとかした卵を少しだけ投入し、止めていたミキサーを動かした。
「俺のはこれでいいのかな」
焼き型の中にいれた生地の上にのせた小豆を指差しながら、啓斗が侘助を呼び寄せる。
生地を確かめてうなずき、しかし、侘助はしばしの間小さな唸り声をあげた。
「これは俺の案なんですがね、啓斗クン。せっかく和風にするんですから、小豆の他にも、ちっとばかりいれてみませんか?」
「……小豆の他に?」
「って言っても、クリームじゃあありません。クリームもあったほうが、出来上がった後の見栄えなんかに映えるでしょうがね」
「じゃあなにをいれるの? チョコチップとか?」
「いいえ、紅珠クン。小豆にチョコチップじゃあなんだか見目もアレになっちまうかもしれませんし。ってことで、ここはひとつ、これを」
やんわりと微笑みながら差し伸べたそれは、栗の甘露煮が詰まった瓶だった。
「シュラインと汐耶組ももうほとんど完成か。……あんまり俺の出番は必要なかったな」
焼きあがったジェノワーズを確かめて、田辺は小さなため息をひとつ吐く。
それは感嘆を表したものであったが、その意味を汲んでか否か、シュラインは軽く肩を竦め、かぶりを振った。
「2種類のダミエを作りたいの。ひとつはお酒がダメなひとが食べてもいいようなもので、もうひとつは大人向けなもの」
「大人向けにしたいならジェノワーズに洋酒をふったらいいだろう」
「そうなんだけど、普通のものも、やっぱりちょっと趣向をこらしたいっていうかね」
シュラインの申し出に、田辺はふむとうなずいてから口を開ける。
「だったらフランポワーズピュレでも混ぜ込んでみたらどうだ? 一枚はプレーンにして、もう一枚をフランポワーズ風味にする。それをコーティングするガナッシュにもフランポワーズを練りこむ。そうするとピンクを基調にしたダミエが完成する」
「ピンクとプレーンの格子柄ね。……うん、かわいいかも。……試してみるわ」
持参してきたメモ帳に記入しながら、シュラインは大きくうなずいた。
「ねえ、コーティングしたいんだけど、普通にガナッシュでやっちゃってもいいのかしら?」
メモ書きに集中し始めたシュラインに代わり、汐耶が田辺に問いかけを始めた。
「ああ、ザッハトルテだったよな。……いや、ガナッシュじゃなくてだな」
言いつつ火にかけた小鍋の中には、ココア、砂糖、牛乳、バターに塩、バニラエッセンスが投入されていく。
「これを煮ていくんだが、沸騰はさせるなよ」
そう述べて小鍋を汐耶の手に渡す。
小鍋の中のものはひとしきりふつふつと小さな泡をたて、やがてとろりとした状態へと変化した。
「完成?」
問いた汐耶に、田辺は言葉なく水をはったコップを持ち寄った。
掬い上げられたファッジは水の中に落ちるとやわらかな玉へと姿を変え、それを確かめた田辺は「火を止めろ」と一声汐耶に告げた。
その後のいくつかの工程を済ませ、ようやく完成したそれは、焼きあがっていたケーキの上へと一気に流しかけられる。
「おおおおおお」
歓声をあげたのは脇で見学していた北斗だった。
「すげえー。これってもう食えんの?」
喜びに目をきらきらと輝かせ、北斗は田辺を見上げる。
が、田辺は黙したままでかぶりを振った。
「これを冷やし固める。ファッジが固まったら完成だ」
「おおおおおおお」
またもや歓声をあげる北斗を横目に、田辺はきびすを返してテーブルを移る。
向かう先では、侘助を中心とした啓斗と紅珠が、ようやく焼きあがってきたパウンドケーキを前に、それぞれ違った面持ちで立っていた。
「うん、イイ感じですね」
焼きあがったケーキを一口食し、侘助が小さな笑みを浮かべる。と、紅珠が飛び上がらんばかりの勢いで万歳をした。
「やった! すごいねえ! 小豆入りのチョコレートケーキだよ!」
「……小豆と栗の入ったチョコレートケーキだ」
ぼそりと返した啓斗の目には、うっすらと涙が滲んでいる。
啓斗の手は、大量の生クリームを泡立てていた。
「……生クリームは使わないって言ったじゃないか」
ぼそりと続け、侘助を恨めしげに睨み付ける。
「ハハハ、いや、だって」
「お皿にもったとき、クリームがあった方がぜったいに素敵だってば。それにお誕生日ケーキも兼ねてるんでしょ? だったら余計に」
満面の笑みと共に告げた紅珠の言葉は、慌てた啓斗の言葉によって遮られる。
「そ、それは秘密だと」
「紅珠クン、それは秘密にしておきましょうね」
啓斗の言葉を継げた侘助がやんわりとした笑みを浮かべた。
「パウンドケーキか。侘助が講師したのか?」
ひょっこりと顔を覗かせた田辺の言葉に、侘助は穏やかな笑みを浮かべてうなずく。
「ええ。だって、田辺クン、こっちに来てくれそうになかったですしねえ」
ニコニコと笑いながら首を傾げる侘助に、田辺はしばし眉根を寄せ、そして小さなため息を漏らした。
「悪かったな、任せちまって。……でもなんだかちょっと変わったケーキになってないか?」
鼻をすんすん言わせながらそう述べた田辺に、紅珠が得意げに胸をはって笑みを浮かべた。
「小豆と栗がはいってるんだよ。ちょっと変わっててすごいでしょ?」
「小豆と栗? ……ははあ、なるほど。和風テイストのチョコレートケーキってとこか」
「その分、甘さはちゃんと抑え気味にしてありますよ」
侘助が言葉を挟み、田辺はふむとうなずく。
「なるほど、面白いな。……それで、そのクリームを添えるってわけか」
ちらりと啓斗を一瞥する。
啓斗はぎこちなく目線をそらし、生クリームを泡立てているミキサーをがっしょがっしょと動かした。
「あのね、お誕生日だったんだって。だから、弟に食べさせて、びっくりさせたいんだって」
小声でささやく紅珠に、啓斗は所在なさげに視線を泳がせる。
「ふふ、そうか。……よし、それじゃあそろそろ試食といくか」
小さな笑みを残し、田辺はキッチンにいる全員を呼び寄せ、片付けを始めるようにと指示を出した。
出来上がり、並べられたのは、
シュラインが作った「ダミエ」。
今回はリキュールを少しだけしみこませたものにガナッシュでコーティングしたものになった。
「本当はオペラか生チョコにしようかなって思ったの。でも来てみたらダミエも作れそうだったし、ちょっと試してみたのよ」
双眸を細め、シュラインはそう告げて微笑んだ。
汐耶が作った「ザッハトルテ」。
「でも私が作る洋菓子って、なんか一味足りない感じになっちゃうのよね」
そう言ってため息をひとつ漏らした汐耶が作ったものは、ザッハトルテだけに終わってはいなかった。
「そうそう。余った材料で作ったもので申し訳ないんだけど、クッキーも焼いてみたの。田辺さんと侘助さんに、ほんのお礼の気持ち」
ウラが作った「トリュフ」。
グランマニエを用いたホワイトチョコレートのトリュフには柚子皮の砂糖漬けが練りこまれ、球体というよりは少しばかりトガリ部分の多い形となっていた。
「和風トリュフよ。クヒヒ、形もちょっとこだわってみたわ。雪の結晶を模してみたの。どうかしら」
そう言って得意げに笑うウラの目は、侘助と田辺を交互に見やってもいる。
「おまえたちには特別に分けてあげてもいいのよ。特にそこのメガネ。おまえは心して食べるがいいわ」
神羅が作ったものも「トリュフ」。だがこちらはホワイトチョコではなく、ビターチョコによるものだ。形も球体でココアが振られているという、トリュフらしいトリュフをなっていた。
「ふん。洋菓子だからと思うていたが、団子を作るようなもんじゃったわ」
鼻先で笑う神羅の手には完成したトリュフを綺麗にラッピングしたものが握られている。
「まあ、なんじゃ。若干形がいびつなようにも見えなくもないが、腹におさめてしまえばおんなじじゃろう。私はそこな菓子職人どものように、細部にまで拘ったりはせんのよ」
「これは俺と啓斗さんとで作ったんだよ!」
うきうきと声を弾ませて皿を差し伸べる紅珠が示しているものは、小豆と栗の甘露煮をいれたチョコレートパウンドケーキ。皿には生クリームがたっぷりと添えられている。
啓斗は少しばかり気恥ずかしそうに頭を掻きながら、ちらりと、ほんの一瞬、北斗に向けて一瞥した。北斗はテーブルに並んだケーキやチョコを嬉しそうに眺めていて、啓斗の視線が自分に寄せられたことになど気がついてもいないようだった。
「うん、まあ、たまにはこういうのも悪くない」
言って、キッチン横の窓から外に向けて視線を投げるのだった。
◆ エンディング? ◆
「今日は特別に、私が茶を淹れてやろう」
そう告げて笑みをみせた神羅が、テーブルについた面々に湯のみを配って歩く。
「おまえ、洋菓子に緑茶って」
「む。なんじゃ、田辺。ケチをつけるつもりか」
「あら、田辺さん? 洋菓子に緑茶って、案外イケるものなのよ。知らなかったの?」
田辺を睨みつけた神羅に、シュラインがやわらかな笑みを向けた。
「そうなのよね。……うーん、やっぱり私が作る洋菓子って、こう、なにかが足りないのよね。お茶と一緒にいただくと、それが余計にみえてくるような気がするわ」
自分が作ったザッハトルテを数口食べた後、汐耶が首を傾げる。
「え、そう? すげ美味しいけど?」
1カット分をたいらげてしまった北斗が、口休めにと緑茶をすする。
「おまえはきちんと味わいながら食っているのか? そもそもそんな速さで食っていては、味など確認してはいないのかもしれんが、それでは作ってくれた相手に」
「ちゃーんと味もみて食ってるって。兄貴が作ったパウンドケーキ、ケーキそのものはそんなに甘くないけど、その分、クリームが甘いよな。これ、兄貴が泡立てたんだろ? すげ泣きそうなツラしてさ」
湯のみを口に運びながらニヤリと笑った北斗の言葉に、啓斗がぐうと息をのむ。
啓斗の頬がほんのりと赤く染まっていくその横で、紅珠が神羅が作ったトリュフの二つ目を食べていた。
「これ、すっごい大人な感じがするね。お茶もおいしい」
無邪気に微笑む紅珠に、神羅は思わず頬をゆるめてうなずいた。
「そうであろう? ほれ、田辺。私の腕もなかなかのものじゃろう?」
「知るかっての。おまえは俺と侘助にはくれてねえじゃねえか」
「ハハハ、まあまあ、田辺クン。ウラクンの作ったこのトリュフも、なんだかちょっと変わってて面白いですねえ」
「そうでしょ? グランマニエと柚子皮がポイントよ。グランマニエをいれるっていうのはヒゲがだした案だけど、まあ、さすがになかなかといったところだわ」
クヒヒと喉を鳴らして笑うウラに、侘助はやんわりと笑みを返し、うなずく。
侘助の手には、ウラが半ば押し付けるようにして手渡した大量のトリュフがあった。
「それで、汐耶。ザッハトルテは元々ウィーンのケーキだ。ウィーンは西ヨーロッパにコーヒーを伝えていった地なのだが、ゆえにコーヒーに合うケーキも豊富にある。おそらくおまえはコーヒー好きなのではないか?」
「え? ええ、そうよ」
「汐耶は、コーヒーとお酒に関してはザルよね」
田辺の言葉に、汐耶とシュラインが顔を見合わせる。
「おまえは多分、無意識に、コーヒーに合うケーキを作っているのではないのか。シナモンを多少効かせてやるだけで、スイーツは大分コーヒーに合う味に寄るからな」
「ああー」
汐耶とシュラインは同時にうなずいて、またもや顔を見合わせた。
「ふん、さすがに専門職といったところか」
横やりをいれたのは、シュラインが作ったダミエを食している神羅だった。
「洋酒が効いておるせいか、随分と風味が良いケーキじゃのう。それでいてべたべたとしていないのも素晴らしい」
「あら、ありがとう。本当はもう少し含めたほうがって思ったなんだけど、田辺さんのアドバイスを聞いたのよ。そしたらアタリだったってわけ。ところで神羅さん、田辺さんや侘助さんには本当にあげないの?」
シュラインが頬を緩め、神羅に向けて軽いウィンクをしてやる。
神羅はシュラインの言葉に沈黙し、わずかに眉根を寄せつつ、ダミエを口に運んでいる。
「私、お二人用にと思って、チョコクッキーを焼いてみたの。余った材料で作ったものだから申し訳ないんだけど、良かったらどうぞ」
そう述べた汐耶が、田辺と侘助に向けて小さな包みをひとつづつ手渡した。
「おや、いいんですか? ハハ、嬉しいですねえ」
礼を返しながら受け取る侘助と、伸べられた包みを黙したままで受け取って小さな会釈を返した田辺に、汐耶もまたぺこりと会釈をして笑みを浮かべた。
「いいなあ、ふたりとも。俺もクッキー食べたかったなあ」
皿に添えられた多量の生クリームを頬張りながら、北斗が羨ましげに呟く。
「おまえは今日、試食しかしていないだろう」
啓斗が睨みつける。と、北斗は口に運んでいたクリームを飲みこみ、ニヤリと笑んだ。
「じゃあ、今度はクッキーを作ってよ、兄貴」
「な、な、なにを……」
しどろもどろになってしまった啓斗の向かい側で、それまでは黙したままで洋菓子のそれぞれを頬張っていた紅珠が口を開ける。
「だって、今日は北斗さんのためにケーキ作りにきたんでしょ?」
「な……!」
「え、違うの?」
お茶をすすり、口の端についたケーキを拭いとりながら、紅珠がにこりと首を傾げた。
「……」
黙し、俯いてしまった啓斗に代わり、北斗が嬉しそうに笑う。
「な、だから今度はクッキーな」
「……クッキーはクリームを使わないか」
「ああ、使わない。サンドするなら別だがな」
「あ、兄貴。俺クリームサンドのクッキーがいいな」
「……バカ言え」
キッチンの中には洋菓子の甘い匂いがたちこめている。
菓子の甘さはそれを囲むメンバーの心をも穏やかにしていくのだろうか。
試食を兼ねたお茶会は明るい笑い声で満たされ、なごやかに進んでいくのだった。
田辺と侘助の手荷物の中には、いつの間にか皆が作った菓子がひとつづつ添えられていた。
その中には、こっそりと、神羅が作ったトリュフの包みも、仲間入りしてあったのだった。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0554 / 守崎・啓斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍)】
【0568 / 守崎・北斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍)】
【1449 / 綾和泉・汐耶 / 女性 / 23歳 / 都立図書館司書】
【3427 / ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【4790 / 威伏・神羅 / 女性 / 623歳 / 流しの演奏家】
【4958 / 浅海・紅珠 / 女性 / 12歳 / 小学生/海の魔女見習】
NPC:侘助、田辺聖人
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ライター通信
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このたびは皆様お世話様でした。バレンタインゲームノベルへのご参加、まことにありがとうございました。
まずは、ひとつ。
バレンタインをテーマにしたノベルでありましたので、本来、これはバレンタイン当日前後のお届けをと予定しておりました。
が、バレンタインはとうに過ぎております。
……今後はもう少し速筆になれるよう、鋭意尽力してまいります。
>シュライン・エマ様
生チョコかオペラをという選択も用意していただいておりましたが、今回はダミエを作っていただきました。
実はダミエというケーキは今回初めて知ったのですが、可愛らしいお菓子ですね。今度ケーキ屋で見かける機会があれば、ぜひ、購入してみたいと思います。
>守崎・啓斗様
小豆を使ったチョコレートということで、なおかつ、なるべくならクリームを必要としないものをと意識してみました。
結果、小豆と栗の入ったパウンドケーキとなりましたが、いかがでしたでしょうか? 弟さんラブな感じもちょっと意識してみましたが(笑)。
>守崎・北斗様
今回はひたすら試食を担当していただきました。多分、かなりの量を召し上がっているのではないかと思われます(笑)。
わたしが書く北斗様は、啓斗様の心をよく理解した上ですっ呆けを演じていらっしゃるような、ちょっと小悪魔的な人になっているような気もしなくもありません。
>綾和泉・汐耶様
ザッハトルテ、いいですよね。個人的な話ですが、わたしは、ケーキ屋でザッハトルテが並んであると、思わず購入してしまう派であったりします。
コーヒーに合う洋菓子というのも、いろいろと興味を惹かれますね。これは次回ケーキ屋に行ったら、ちょっと危険かもしれません。むー。
>ウラ・フレンツヒェン様
合わせる洋酒はグランマニエでいいものかどうか、ちょっと自信はありません(笑)。柚子皮が入ったものには蜂蜜ですとか柚子果汁ですとかが合いそうですよね。
今回は田辺にいろいろと絡んでいただく役にまわっていただきました。ぶら下がったりしていますが、どんなものでしょう?
>威伏・神羅様
今回書かせていただき、改めて思ったのですが、神羅様ってもしかしたらツンデレキャラでしょうかね?(なにを唐突に…!)
それに気付き、今回はちょっとニヤニヤしながらあれこれ書かせていただきました。トリュフ、田辺はなんだかんだで無理にでも奪い取っていそうな気もしなくもありません(笑)。
>浅海・紅珠様
今回ご参加くださったPC様方の中で一番若い方であるということもあって、洋酒のきいたお菓子を召し上がっていただくときとか、ちょっと悩んだりもしました。
いや、わたしが、ウィスキーボンボンとか苦手な子供だったんですよね。洋酒のきいたお菓子ってなんかやたら大人なイメージがあったりしますし。紅珠様のお口には合いましたでしょうか?
皆様、ご参加まことにありがとうございました。少しでもお楽しみいただけていればと思います。
それでは、またご縁をいただけますよう、切に祈りつつ。
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