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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


破裏


 時は刻む。止まる事も無く、延々と動き続ける。待って欲しいなんて、どれだけ懇願しようとも適うはずも無く。
 ただただ、時は静かに刻まれていく。立ち止まる事も無く。


 二月九日。
 守崎・北斗(もりさき ほくと)は、布団と共に目覚し時計を持ってきた。じりりりり、と喧しい音がする旧式のものだ。動かすだけで軽くちりんと音がする、古い古い目覚し時計。カリカリという音をさせ、12時に設定する。
 守崎・啓斗(もりさき けいと)は布団と共に枕を二つ持ってきた。北斗が目覚し時計を持ってきたので、啓斗は北斗の分まで枕を持ってきたのである。同じような形をしているのに、何となく自分の枕がどちらか分かるから不思議だ。
 夏は蚊帳をつった記憶のある座敷に、二つの布団はひかれた。枕も並べられ、枕もとにはあの12時に設定された目覚し時計が置かれた。置く時には衝動で、じり、と一瞬音がした。
 二人は無言のまま、全てをセッティングする。そうして全てが終わった後、布団に潜り込んで枕に頭を乗せ、同じように天井を見た。
「準備完了だな、兄貴」
 北斗はそう言い、にかっと笑った。啓斗は苦笑し「そうだな」という。
「後もう少しで、また一つ年をとるのか」
 ぼんやりと啓斗がそう言うと、北斗は「当然じゃん」と胸を張る。
「俺も一つ、大人になるんだぜ?」
「心身ともに、大人になるといいんだが」
 啓斗の言葉に、北斗はじっと押し黙ってから口を開く。
「……引っ掛かる気がするのは、俺だけ?」
「ああ、お前だけだ」
「俺だけか?」
「お前だけだぞ」
「そう何度も繰り返されると、余計に怪しい気がする」
 北斗はぽつりと呟く。といっても、静かな部屋の中なのでその言葉はしっかりと啓斗に届いている。が、啓斗は何も言わずにただ頷いた。会話のキャッチボールが微妙にできていない気がしてならない。
「そういえばさぁ……」
 ふと、北斗が口を開く。啓斗は「ん?」と尋ね返す。
「去年の誕生日はさ、翌日に海へバイクで遊びに行ったよな?」
 北斗の言葉に、啓斗は「ああ」と頷く。一年前の出来事が、遥か彼方、昔の事のようだ。それでいて、ついこの間の出来事のようにも感じる。あっという間であったとも思える。時の流れというのは不思議なものだと、啓斗は苦笑する。
「……なかなか北斗が起きなくて、大変だったな」
 啓斗がいうと、北斗は不満そうに口を尖らせる。
「あれは、兄貴がちゃんと前日に教えてくれなかったからじゃん」
「急に思い立ったのだから、仕方ないじゃないか」
 さらりという啓斗に、北斗は「それに」と付け加える。
「朝の4時だしさ」
「夜明けを見たかったんだから、これも仕方の無い事だ」
 きっぱりと言い放つ啓斗に、北斗は苦笑する。
「言い切るし」
「言い切るさ」
 啓斗の言葉に、北斗はくすくすと笑いながら「それでさ」と続ける。
「今年も行くの?」
 黒の海を見つめに。そこから生み出される白の泡を捜しに。やってくる夜明けの太陽を仰ぎ見る為に。二人で何度も運転を交代し、不安なナビゲーションをやり、ライダースーツに身を包んで。
 しかし、そんな北斗の言葉に対して啓斗は天井を見つめていた目を閉じてしまった。そしてゆっくりと北斗に背を向ける。
「……目が覚めてから、決める」
 北斗は、目線を天井から啓斗へと移す。啓斗はこちらに背を向けている為、表情は分からない。ただ、その言葉が妙に啓斗らしからぬものだと言う事だけは分かった。
 嫌になるほど。
 狂ってしまいたくなるほど。
 北斗は小さく溜息をつき、啓斗の背に向かってゆっくりと口を開いた。
「あの時、俺が言った事……覚えてる?」
 北斗の言葉に、啓斗はじっと押し黙った。
『兄貴、俺から逃げるなよ』
 北斗の言葉が、頭の中で響く。忘れる筈が無い、と啓斗は密やかに思う。
『ずっと向かい合ってからこそ、だからな』
(分かっている……そんな事は分かっているんだ)
 響いてきた北斗の言葉に対し、啓斗は心内で呟く。分かっているのに、ちゃんとした答えとして口から出ない。
 口から出す事が出来ない。
 何故ならば……何故、ならば。
(……後ろめたいから)
 啓斗はそう思い、はっとする。口に出せない理由が、じわじわと自分の中で分かってきたから。
(俺は、その言葉に対して後ろめたいから)
 今の啓斗の状況が、どうして向かい合っているといえるだろうか。何故逃げていないなどといえるのだろか。
 こんなにも、こんなにも。全てから逃げているというのに。
(俺は……逃げているんだ。こうやって北斗に背を向け、北斗から目線を逸らし、逃げているんだ)
 その自覚は、啓斗の中を衝撃のように駆け抜けていった。あんなにも逃げない事を、互いに向かい合う事を、約束したというのに。
 逃げる事は、裏切りだと。
 限りなく裏切りになってしまうのだと。
 そう、ちゃんと確かめ合ったというのに……!
(どうして俺は、今、こうして北斗に背を向けている?)
 目線から逃げ、言葉から逃げ……北斗から逃げ。その裏にある真実から逃げている。密やかに抱く全てから逃げ、何もかもから逃げている。
 逃避という行動が、その先にあるものを示唆している事を知りながら。
(知っていて、俺はやっている。俺は、知りつつもやっているんだ)
 心の中で呟く。胸の奥にあるもどかしさが、なんとも苦しい。かと言って、知らないふりはもう出来ないし、逃げ出す事を止めると言う事も難しい。
 何度も波のように押し寄せる苦痛が、啓斗を苛める。喉の奥が、妙に息苦しかった。
 啓斗がそんな苦しみにじっと押し黙っていると、北斗がそっと口を開いた。
「なぁ、兄貴」
 北斗の問いかけに、啓斗は答えない。だが、北斗もその問いに対する答えを聞かないまま、言葉を続ける。
「昔、小さい頃なんだけど。兄貴、俺に兄が良いか姉が良いか聞かなかった?」
 北斗の問いに、啓斗はびくりと一瞬体を震わせる。一つ息を吐き出してから、北斗の方を振り返った。
「よく、覚えていたな。そんな事」
 苦笑交じりに北斗へと言うその顔は、夜の帳によってよく表情が見えない。満月でもない夜は光が乏しく、夜目に慣れたとはいっても細やかな表情までは分からない。
 いつしかの夜は光が溢れていたから、全てがはっきりと見えていたというのに。今はこんなにも、こんなにも……暗い。
「俺さ、なんて答えた?」
 北斗は更に尋ねる。啓斗が答えた言葉によって、尋ねた事は間違いないと判断できたから。あとは、それに対する自分の答えを知るまでだ。
 どうしても思い出せぬ、その言葉を。
 知っていると、思い出していると言い放たれたのに、やっぱりどうしても自分では思い出せない言葉。それが妙にもどかしく、腹立たしく、苦しい。
 北斗は、啓斗がその言葉を知っていると確信していた。そして、その言葉が根本的なキイワードに成り得るものなのだと、殆ど直感で察していた。だからこそちゃんと知りたかった。
 自分が言った、その言葉を。
 北斗の問いに対し、啓斗は暫く押し黙った後「それは」と口を開く。
「それは……自分で思いだせ」
 啓斗の言葉に、北斗はぐっと拳を握る。布団の中、啓斗には分からないように。掴み損ねたものを、再び掴んでやろうとするかのように。強く、強く握り締める。
(俺達は……俺達の妄想は)
 啓斗は思う。北斗をぼんやりと見つめながら。
(複雑に絡んでいる。曲がりくねり、奇妙な形となり、歪な格好をし)
 それは、涙帰界という異空間で得た答えだった。啓斗の妄想と北斗の妄想は違うものであり、それでも複雑に絡みあっている。どうしても相容れないような、それでいて求め合うかのような、はっきりとした姿を見せる事なく。
 じわりじわりとした、泥のような空気がその場を包み込んでくる。カチカチという時計の音さえ、暗く重く圧し掛かってくるかのように。ただただ、時だけが流れて行く。時だけが、時間だけが、深く深く刻み込まれ……。
 じりりりりり!
 突如したその音に、二人は同時にびくりと体を震わせた。誕生日を迎えるその瞬間の為に12時にセッティングした、旧式の目覚し時計だ。北斗は怪訝な顔をし、手を伸ばしてベルを止めた。じり、という余韻を残しつつ、音は止んだ。
 音は止んでも、北斗が強く握り締めていた掌には爪の跡がじんわりと残っていた。
 北斗は目覚し時計を止めた手を布団に戻し、じっと啓斗を見つめていた。日が変わったから、また一つお互いに年をとったのだ。
 また、一つ。
 同じ場所にいて、同じ瞬間に向かえた誕生日で、同じだけ年をとった。互いは別個のものだが、それでも同じように存在している。
 啓斗はぐっと奥歯を噛み締め、北斗から目線を逸らして目を閉じた。ゆっくりと口を開く。見に秘めている全てを、ぐっと押さえつけるかのように。
「……明日も、早い」
 そんな啓斗に対し、北斗は溜息交じりに口を開く。
「……啓」
 だが、啓斗に返事は無い。目を閉じる事により、全てから遮断したかのように。
(また、俺は逃げたんだな)
 心の中で、啓斗は呟く。逃げた啓斗のことを、北斗も分かっている筈だ。だからこそ呟くような「啓」という言葉から、何も言葉を発さないのだ。
(だが……逃げられない)
 それが北斗も分かっている事だろうことは、容易に想像できた。自分達が置かれた状況が、逃げる事すら適わぬ針の筵の上だという事が。
 逃げられない。
 走れない。
 遮断できない。
 そんな、針の筵。一歩踏出せば無数の針が、小さく尖った針達が、容赦なく自分たちを突き刺す。当然のように流れる赤き血を、貪りながら。
(俺達は、こうして同じ所に存在しているんだ)
 啓斗は思う。北斗も同じように思っているのかもしれない。
 同じような事を、だが全く違う頭で。何故ならば、お互いに別個の存在だから。別々に生きているから。
 手を伸ばして、目覚し時計を止めるのは簡単だ。だが、そんな簡単な事ばかりじゃないことは百も承知なのだ。
 それこそ、嫌になるほど。
(逃げられない)
 啓斗は思う。きっと、北斗も感じている。別でありつつも、同じような状況となった自分達の事を。
(逃げられない)
 目を閉じたままでいると、だんだん真の闇が覆い被さってくるのを感じた。じわじわと、だが確実に。
 びり、と心で何かが破れるような気がした。

<裏にて破れた小さな綻びを思い・了>