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<東京怪談ノベル(シングル)>


●初花月に咲いたはな

 2月という季節。
 安易な発想なのかもしれない。
 けれど、生徒の求めに応じる形で、バレンタインも近いこの日の調理実習は、チョコレート菓子の作成となった。
 甘い香りと楽しげに作る少女達の笑い声が満ちる場所で、優名もまた課題の作成に勤しんでいた。

 様々な形に型抜きされたチョコレートが、優名の手により皿に並べられていく。
「ゆ〜なのチョコ、綺麗に固まってるね。ホワイトチョコとのマーブルも綺麗に出来てる。いいなぁ……」
 横合いから覗き込み呟かれた羨ましげなクラスメイトの言葉に、優名は微苦笑を浮かべた。
「そうかな? 上手く出来てるならいいんだけど……」
 謙遜するように控えめに答えた優名の目の前に並ぶのは、ホワイトチョコと2色の模様が綺麗に彩る動物の形を模したものや、花弁の形を模した苺チョコもあった。
「皆、片付け時間も忘れないで。そろそろ仕上げに入りなさい」
「あ、私も自分の分仕上げないと。ゆ〜な、後でね」
 実習時間の残時間を告げる教師の声に、完成間近のチョコレート菓子の状況報告を交わしていた生徒達は慌てて仕上げの手を動かし始めた。
 味見も兼ねたチョコレートの交換を、クラスメート達と交わしていた。後でという言葉にゆっくり頷く優名を見届けて、慌てて仕上げを始めたクラスメイトの様子に、小さく笑みを零した優名も、道具の片付けを始めるのだった。

 先ごろ降った雪が、溶けきれず凝って残る並木道。
 綺麗にラッピングされたチョコレートを手に、優名は寮への道を歩いていた。
 優名の手元に在るチョコレートは、先ほどの実習で作ったチョコレート。
 手元に残された1個だけのチョコレートを見つめ、優名は迷っていた。
 交換を約束したクラスメイト達の分と、実習時間の試食の分だけしか作らなかったはずなのに。
 遠縁のおじさんへ贈ろうか……。
 いつも世話になっているおじさんに感謝の気持ちをこめて……暫く考え込んでいた優名が、そう気持ちに結論をつけようとしていた時。
「……っ?!」
 考え込み歩いていた為か、凍った道に足を取られ、優名の小柄な身体が傾いだ。
 咄嗟に手をつこうとしたが、その手にあったチョコレートを思い出した。潰れてしまう……という僅かな躊躇いの間に近付く地面との距離。
 転ぶ――優名がそう思った瞬間、不意に腕を強く引かれ、彼女の身体の傾ぎが止まった。
「大丈夫か?」
「……あ、ありがとうございます……」
「雪が残っている道を、ぼうっと歩いてると……まあ、身をもってわかったか。気をつけろよ」
 知らない顔。けれど、優名を支えてくれた男子生徒はそんな優名の戸惑いなど気にする様子も無く強い調子で、注意を促す。
「聞いてるか?」
「……えと……あの……はい。すみません、気をつけます」
 なぜ、謝らなければいけないのだろう……優名は疑問に思ったものの、謝罪を口にすると、男子生徒は途端に顔を曇らせた。
「あー、いや、責めてたわけじゃないんだけど。……言い方きつかったんだったら、その……ごめん」
 考え事をしている様子で歩いていた優名とすれ違い、いま自分が通ってきた道の状態から心配で振り返ってみたところ……だったらしい。
 すれ違った事にも気付かなかったのだから、そう思われても仕方ない様子で歩いていたのかもしれない。
 ぽんぽんと、気安く言葉を発する男子生徒に優名は、小さく笑った。
 きつく聞こえる言葉は、見も知らぬ優名をただ心配する気持ちから発せられていたものだと、わかったから。
 微笑む優名に、男子生徒は少しだけほっとした表情を浮かべた。
「大丈夫そうだな、それじゃ今度は転ばないようにしろよ」
 言葉と共に離れるぬくもり。男子生徒が、優名の腕を解放したのだ。
 優名には、なぜかそれがとても寂しく感じられた。
 このまま背を見送れば、縁はこれきりで切れてしまうかもしれない……。
「……あのっ」
 掛けられた声に振り向いた彼。優名の意図を察しかね、きょとんとした顔をしている。
 声を掛けてどうするのだろう、どうしたかったのだろう。
 かさり揺れた手にある包みに、優名は気付いた。
 優名が差し出したのは、春には未だ早い今。目に鮮やかな薄紅の花だった。


 口よりも先に手が出てしまう性質で。何より言葉も荒っぽい男子生徒は、良かれと思ってやった事の結果が伴わない事がよくあるのだと言っていた。
 優名の驚いた表情に、転ぶ所を支えたつもりが、かえって驚かせてしまったのではと思ってしまったのだと。
 優名が差し出してくれたお礼が意外で。けれどその気持ちが嬉しいのか、男子生徒は差し出された花を見て、照れたような笑顔をみせたのだった。
 優名が、後で知った事。
 お礼のつもりで渡したチョコレートを、逆に嬉しそうに『ありがとう』と笑って受け取ってくれた男子生徒は、3年生。
 生徒数の多い神聖都学園。
 同じ学年でも見慣れない顔も多いのだから、先輩であるならなおの事、彼の事を知らなかったとしても仕方なかった。
 そして、彼は神聖都学園から離れる人。
 新しい道を見つけ、この学園から巣立ち、夢のために進むのだという。

 ほんのわずかな間、ほんの少しだけかわした言葉。
 それだけの仲でしかなかったけれど、出会ってしまったがために胸に生じたモノに、優名は並木道を見上げた。
 彼と交わした言葉も、出来事も、本当にあったことなのだろうか。
 いいえ、いいえ。確かに彼は、あたしのチョコを受け取ってくれた。
 いつか、並木道に本当の薄紅の花が咲く頃までに、また彼の姿を見送る事ができれば……。
 きっとこの胸の想いも、彼と共にこの身から離れ、巣立つのだろうか。