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<東京怪談ノベル(シングル)>


扉の向こうに待つものは?

 ファルス・ティレイラ。
 長い黒髪に、前の方の一部分のみが紫色をしていて、さらに髪をひとふさ細い紫のリボンで結んでいる。赤い瞳がいつもらんらんと楽しげに輝いている、とてもかわいい十五歳の少女である。
 そんな彼女は、実は竜族だったりもする。普段は、あたりさわりないように人間の姿をしているのだが。

 と、いうようなことはさしあたり関係もなく。

 ファルス・ティレイラ。
 彼女は現在、なんでも屋状態で色んな仕事をしていた。
 そのうちのひとつ、彼女がよく来るある魔法薬店での出来事……

     **********

 ティレイラはその日、留守番を頼まれていた。
「あ〜あ、退屈〜」
 元々“知る人ぞ知る”魔法薬店なので、客の人数は極端に少ないのだ。
 生来活発なティレイラにとって、ただの留守番はかなりの苦痛だった。
「お掃除でも勝手にしてよっかな」
 どうせお客さん来ないし! とみもふたもないことをつぶやいて、ティレイラは座っていた椅子から元気よく立ち上がった。
 右手にほうき、左手に布巾。
 たくさんの魔法薬があるこの店の掃除は、好奇心をそそられる怪しい薬――もといとても興味深い薬がたくさん発掘できて、ティレイラにとって楽しい時間だった。
 今日もほら――
「また興味深い薬品発見……」
 フラスコに入った、珍しい灰色の色の液体を見て、ティレイラはふんふんと鼻歌を歌う。
「これは何の薬品なのかなー。ちょっと、開けてみてもいいかな」
 とフラスコのコルク栓を取ろうとしたとき――
 ふと、
 店の店主から近づくなと言われていた部屋があるのを思い出した。
 何でも、特殊な空間を作り出す装飾品が置かれている部屋らしい。
 ティレイラはにやりとしながらほうきと布巾を放り出す。
「入るなと言われたら入っちゃうのが人間……もとい竜族のサガよね〜」
 ……本当に竜族にそんなサガがあるかどうかは、この際おいといて。
 とことことこ、と足早にその部屋の入り口に近づいてみる。
 と、
「………? ヘンな気配……」
 ティレイラは首をかしげた。
 元々魔術的な装飾品が置かれている部屋だ。普通とは違う気配がして当然なのだが、それにしてもおかしな気配すぎる。
 ティレイラはごくりとつばを飲み込んだ。
 そして、「えーい!」と無駄に気合を入れながら、部屋を開けた。

 ……ティレイラが自分で決めて行動したことで、後悔しなかったことなど一度もない。

 扉を開けて目の前に広がったのは、見たこともない草原だった。現代の日本では見られないかもしれないほど広大な草原。
 その草原の空中に、今ティレイラが通ってきた扉がぷかぷか浮かんでいて――
「おかしいな」
 ティレイラは慌てた。店主には、たしかに異空間に通じるような魔術具を置いていたと聞いていたが、その異空間は日本のどこかだと聞かされていたのだ。
「に、日本にも、あるのかなっ!?」
 苦し紛れにそうつぶやいてみる。
 誰も聞いてはいない。代わりに、ひゅう……と寂しく風が吹いた。
「………」
 ティレイラは肩を落とし、とぼとぼと扉へ戻ろうとした。
 と――

 ぐるるるる……

「え?」
 振り向くと、目の前に――
 いかにも『魔物』的な、なんとも形容しがたい姿をしたおかしな物体がいた。
 サイズはティレイラよりひとまわり小さいほど。
 口元だけは狼か犬か。だらだらと唾液を流し、ティレイラに向かってあからさまな殺気を放っている。
「わわわっ! これってヤバくないですか〜!」
 ティレイラは慌てて魔物と向き直る。ここで下手に扉を開けて、一緒に入ってこられても困る。
 がうっ! と魔物は飛びついてきた。
「うぎゃ〜!」
 ティレイラは必死で避けた。
 だらだらと垂れた魔物の唾液は、地面を濡らしじゅうじゅうと煙を立てている。
「何あれ硫酸かなんかー!?」
 叫んでも誰も応えてくれない。
 がうっ! ともう一度襲いかかられ、ティレイラは慌てて火の魔法を真正面から魔物にぶつけた。
 しかし――
「火が弾かれる!? 嘘っ!」
 何度も何度も敵が襲ってくる。きゃーきゃーとティレイラは逃げ続けた。これでは扉を開けることもままならない。帰れない。
「おしまいじゃないのっ、って、きゃー!」
 ぜえはあと息を荒らげながら逃げ回る。途中、必死で魔法を放ったが、どれもこれも弾かれてしまった。
 物理的な攻撃が苦手なティレイラには打つ手がない。
「いやー! 助けてー!」
 応える声はなく、ただひゅう……と寂しい風だけが吹く。
 しかも気づくと、魔物は騒ぎに誘われたのか二匹、三匹と増えていた。
「死んじゃう! ほんとに死んじゃうってば!」
 ティレイラは頭をフル回転させ、何か役に立つものはないかと思い出そうとした。
 そして。
「……あれ?」
 今まで異変が大きすぎてまったく気づかなかったが。
 右手に、魔法薬店で見つけた灰色の液体のフラスコをしっかりと握ったままだった。
「あ、あれ。何で持ってきちゃったんだろ」
 自分で自分が不思議だったが――しかも今まで気づかなかったことがさらに不思議だったが――
 三体の魔物に一斉に襲いかかられ、
「もういや〜〜〜!」
 やけになったティレイラはフラスコのコルク栓を抜き、中の灰色の液体を魔物に向かってぶちまけた。
「いいじゃないほんの少しくらい隙作ってくれたって! 私が扉を開けて逃げ帰るくらいの時間くれたって! あなたたち心が狭すぎるわよ! そんなことじゃ日本社会は生きていけないわよ! 最近はみんな自分を守るのに必死で心が狭い人間のほうが多いなんていうつっこみはなしよ!」
 ものすごーく意味のないことを魔物に向かって必死にまくしたてていたティレイラは、
 しばらくして、ようやく気づいた。
 ――魔物三体が、石化している。
「あ、あれ……?」
 空っぽになったフラスコを持ち上げて見つめ、それからそろそろと石化したらしい魔物たちに近づいてみて、つんつんとつついてみる。
 硬い。冷たい。
 間違いなく石像化している。
「せ、石化の薬だったんだ……」
 さすがと薬の作り主を思い出し、飛び上がって喜ぼうとしたティレイラだったが――
 ふと思う。
 ――なぜこんな薬があったのか?
「ま……まさか……」
 ティレイラはわなわなと震えた――
「また私を石像にしてオブジェにするつもりだったんですかーーー!」
 大声で叫ぶ。
 返事はない。代わりにひゅう……と寂しい風が吹く。
 そしてその大声で――

 ぐるるる……

 いつの間にか、大量の魔物たちが集まってきてしまっていた。
「やば、やば、やばいってば!」
 ティレイラは逃げた。必死で逃げた。
 そして空中にぷかぷか浮いている扉にたどり着き、急いで開けて飛び込んだ。
 迫ってくる魔物が見える。慌てて扉をしめる。
 ガン! と派手に何かがぶつかったような音がした。
 きっちりと扉の鍵をしめ、そしてようやくティレイラは気が抜けたようにへなへなとしゃがみこんだ。
「ああ……なんでこうなるの……」
 ――元はと言えば自分が勝手にこの部屋に入ったことが原因。
 右手にまだ握っていたフラスコは空になってしまった。
 第一に、留守番をさぼってしまった。
 店主に知られたらどうなるか――
「ううう……でもでも……! またオブジェにするつもりだったんですか――!」
 ティレイラは店内で叫んだ。
 応える声はない。今は風さえもなく。
 代わりに――キィと店の扉が開く音がした。
 ティレイラは凍りつく。ばっと壁時計を見ると、店主が帰ってくる時間だった。
「あああああああ」
 ――もう逃げるすべはない。
 きたるお仕置きの時間に抵抗する気力さえない。
 ティレイラはがっくりと肩を落とし、刻一刻とお仕置きの時間が近づいてくるのを、時計の音を聞きながら待っていた――


 ―Fin―