コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


光雪


 チャイムを目の前にし、高柳・月子(たかやなぎ つきこ)は一つ息を吐いた。手にはたくさんの食材と料理道具が入った袋。寒い外の空気に触れた息は、白くふわりと広がる。
「……うん」
 小さく頷き、月子はチャイムを押した。ぴんぽん、という軽やかな音が目の前の邸宅内に響いていく。都心を離れた森の中にある邸宅は、チャイムの音が思いの他響いていった。
 月子は何度か深呼吸をし、どくどくと鳴響く心臓を落ち着かせようとする。大丈夫、と何度も言い聞かせながら。
 そうしていると、がちゃり、と音がしてドアが開いた。ドアの向こうには、優しい落ち着いた笑顔を浮かべた城ヶ崎・由代(じょうがさき ゆしろ)がいた。
「寒かっただろう?早く、入りなさい」
「はい」
 月子は微笑み、室内へと入る。外の刺すような冷たい空気とは違い、柔らかく包み込むような温かな空気が月子を出迎えてくれた。思わずほっとするような、空間。
 まるで由代のようだと思い、気付かれないように月子はそっと微笑む。
「まるで、雪でも降りそうな天気だね」
「ええ。もし降ったら、ロマンチックですね」
「そうかな?」
 小首を傾げる由代に、月子は苦笑しながら口を開く。
「だって、今日はバレンタインデイだから」
 月子はそう言い、今日来た経緯を思い出す。
 バレンタインデイだから、月子は由代に手料理とチョコケーキをご馳走したいと申し出たのだ。由代の自宅の台所を使って。由代はそれを、微笑みと共に承諾してくれたのだ。
「早速、作りましょうか」
 月子はそう言い、着てきた和服の上に割烹着をつける。髪をアップにしている為、料理中に髪の毛が落ちることは無いだろう。
「僕も手伝おう」
 由代はそう言いながら、着ている開襟シャツとズボンの上からエプロンをつける。
「いいんですか?」
 きょとんとする月子に、由代は悪戯っぽく笑う。
「僕だって、中々の腕なんだよ」
 月子はそっと微笑み「そんな感じがします」と言う。由代はそれに微笑んで返し、二人で台所へと足を踏み入れた。
 台所は、8畳ほどのごくごくありふれたダイニングキッチンだった。シンクは広く、ガスコンロは二口ある。勿論、チョコケーキには不可欠のオーブンもちゃんとある。
「今日は何を作るんだい?」
「あ、和食を」
「和食。……いいね」
 嬉しそうに微笑む由代に、月子はにっこりと微笑んだ。いいね、と言ってもらえる事が妙に嬉しくて仕方が無い。
 恐らくは、自分が作ろうとするものに好意を寄せてくれているから。自分に、ではないかもしれないが、自分が作ろうとするものを、いいね、と言ってくれたから。
 和食にして良かった、と自分の選択を喜ぶ。
 月子は持ってきた食材を、袋から取り出す。大根や里芋、人参に白菜等といった数々の野菜。今の時期の魚は何でも美味しいが、今日は白身の魚を使いたかったので、タラを選んだ。刺身用のイカがあったので、それも購入。そして、欠かせなかったチョコレートや小麦粉。
「たくさん持ってきたんだね」
 ずらりと並んだ食材たちに、由代は思わず呆然とする。
「だけど、料理に使うのは全部じゃないですよ」
「それはそうなんだけど。何だか、これだけ並ぶと圧巻だね」
 豪勢な料理が出来そうな気分がした。和食とチョコケーキ、というそれだけでは終わらないかのように。
 月子はそんな由代を見て、くすくすと笑う。
「余ったら、お友達にでもあげてください。煮物とか少量で作ろうとするんですけど、つい作りすぎちゃうんで」
「ああ、僕も時々やっちゃうよ」
 二人はそう言いあい、顔を見合わせて笑う。
「それじゃ、作りましょうか」
 月子はそう言い、野菜たちを洗い始めた。
「ああ、それは僕がやるから。君はそれを切って貰えるかな?」
 由代はそう言い、月子と場所を交代する。
(冷たいのに、水)
 月子はそう思い、はっと気付く。
 水が、冷たいから。冷たいから、月子ではなく自分でやる。月子の手が冷たい水で、荒れてしまってはいけないから。
「……ん?どうした」
「え?」
 由代に訪ねられ、自分が彼をじっと見ていた事にようやく気付く。月子は慌てて「何でも無いです」と言ってから、由代に聞こえないように心の中で礼を言う。
 ありがとうございます、と。
 全ての野菜を切り終え、魚やイカの下拵えまで終える。そうしておいて、いよいよ味付けに取り掛かるのだ。
「そろそろご飯を炊くかい?」
「はい」
 月子の返事を聞き、由代は炊飯器にご飯を仕掛ける。その間に、月子は野菜たちを煮物に、イカは大根と一緒に醤油で甘辛く煮る。
 煮る時間の間に、今度はチョコケーキに取り掛かった。薄力粉をふるい、片隅に置いていたバターをクリーム状に練る。チョコレートを湯煎し、粗熱を取ってからバターと混ぜ合わせる。
「手伝おうか?」
 由代が尋ねてきた。だが、月子は苦笑しながら首を横に振った。
「これは、一人で作らせてください」
 卵黄とグラニュー糖を混ぜ合わせ、更にアーモンドパウダーを加えながら答える月子に、由代は「わかった」と言って頷いた。
 いくら由代が料理を手伝ってくれると言ってくれるとしても、これだけは譲れなかった。
 バレンタインデイだから。
 月子はメレンゲとグラニュー糖を泡立て、先ほど混ぜていたものに薄力粉と一緒に混ぜ合わせていく。一気に、ではなく何回かに分けて。さっくりとなるように。
 煮物がいい匂いをさせて来た。月子はそれを型に入れてから、煮物の鍋に近寄った。鍋の蓋を開けると、いい色でぐつぐつと煮えていた。
「城ヶ崎さん、ちょっと味見して貰えますか?」
 月子はそう言い、小さな里芋を箸で取って皿に置いた。「はい」といいながら差し出すと、由代はそれをふうふうと冷ましながら口に入れた。
 口一杯に、程よい味付けが広がっていく。ふんわりと優しい、どこか懐かしい味が。
「……うん、美味しい」
「有難うございます」
 月子はそう答え、煮物の火を弱火にする。隣に置いてあるイカ大根の鍋も、いい照り具合を見せていた。
「城ヶ崎さん、こちらも」
「得した気分がするな」
 はふはふと大根の切れ端を口に入れながら、由代は笑う。
「得した気分、ですか?」
「ああ。後でちゃんと食べられるのに、こうして味見の為にちょっとだけ食べるのは、何だか得した気分がするよ」
 美味しい、と言いながら由代は笑った。月子はほっとした表情をし、こちらも弱火にした。そろそろ、とグリルにタラを入れて焼き始める。同時に、型に入れた生地もオーブンへと入れた。
「チョコケーキは、時間がかかりそうですね」
「なら、和食を食べ終えたあたりで出来上がり……かな?」
「かもしれません」
 月子がそう答えた瞬間、ピーという音と共にご飯が炊き上がった。月子はそこで煮物とイカ大根の火を止め、代わりに吸い物の鍋を火にかける。小鉢にそれぞれ煮物とイカ大根を盛り付け、吸い物を手早く作る。その頃焼き上がった魚も、皿へと盛りつけた。
「準備できました」
 月子がそう言うと、由代はぱちぱちと拍手をした。そうして、食卓の方へと運んでいく。お茶碗にご飯を盛り付け、出来上がった吸い物もお椀に入れ。
 食卓に全てが並ぶ。ご飯に吸い物、煮物とイカ大根、それにタラ。
「あと、これは家で作ってきたナマスです」
 月子はそう言いながら、小鉢にもりつけたナマスを由代と自分の膳前に置いた。なんとも豪勢な食事だ。
「いただきます」
 由代はそう言って、手を合わせてから食べ始める。月子も「いただきます」と言ってから食べ始める。
「……美味い」
 並んだ食べ物は、どれもこれも優しく温かな味がした。月子の人柄を表すかのような、ほろりと口に広がる味だ。
「有難うございます」
 月子はそう言い、ほんのりと頬を赤らめた。自分が作ったものを、美味しいと言ってくれる由代の様子が、何よりも嬉しいと感じて。
 由代はそんな月子を見て柔らかく微笑んだ後に、改めて「美味しいよ」と言うのだった。


 食べ終えて片付け、ザッハトルテの仕上げに取り掛かる。溶かしたチョコレートを流してパレットナイフで整えると、あっという間にチョコ糖衣が固まっていっているようだったが、念のために時間を置く事にした。
「もうちょっとしたら、できると思うんですが」
 月子がそう言うと、由代は「それじゃあ」と口を開く。
「散歩してみるかい?この周りを、だけど」
 由代の言葉に月子は満面の笑みを浮かべ「はい」と答える。
「暖かくしていかないと、外は寒いからね」
「はい」
 二人は上着を着、外へと出た。外は真っ暗で、しんと静まり返っていた。毎日の生活が嘘のように、ただただ穏やかな時間が流れているかのように。
「……静か、ですね」
 月子はそう言い、空を見上げる。月が出ていた。冬の月は、澄んだ空気の中で綺麗に光り輝いているように見えた。
 上を見ながら歩く月子の手を、そっと由代は握る。
「そこは危ないよ。暗くてよく分からないが、ちょっと段差があるんだ」
「あ、はい。有難うございます……」
 足元を確認し、月子は歩く。由代に握られた手が、暖かい。頬も、心なしか熱い。
「寒いけど、空気が澄んでいるみたいだね」
「ええ。月もあんなに……」
 綺麗、と言おうとし、月子は思わず「あ」と声を上げた。
 雪が、ふわりと舞い降りてきたのだ。
「雪……!」
「ああ、ついに降り出したのか。月も出ているというのにね」
 由代はそう言い、空を見上げる。月子も、思わずその幻想的な空に目を奪われる。
 暗い夜空に、ぽっかりと浮かぶ黄金色の月。そこから舞い降りてくるかのような、白い雪たち。真っ白な筈の雪が、月の光を浴びてきらきらと光っている。
 それ自身が、光を放っているかのように。
「……今日は、本当に有難う」
 由代が、空から目を離さずに月子にいう。
「いえ。まだ、チョコケーキも残っているし」
「うん。それも、楽しみだ」
「煮物も、やっぱり残ってしまったし。お友達にあげるよう、タッパに入れておきましょうか?」
 月子が尋ねると、由代は「それなんだけどね」と言って月子の方を見、微笑んだ。
「あのまま鍋に入れておいて貰えるかな?」
「でも、お友達にあげるのならば早めにタッパに入れた方が」
 月子の言葉は、最後まで紡がれなかった。月子の方を、由代は微笑みながら見つめていたから。何をいうまでも無く、ただ微笑んで。
 きらきらと舞い降りる雪の光を慈しむかのように。
「そろそろ戻ろうか。体が冷えてはいけないから」
「……はい」
 月子はそう答え、繋いだままになっている由代の手をぎゅっと握り締めた。由代はその意味に気付いたのか気付かないのか、ただ月子に「大丈夫だよ」とだけ答えた。
 月子は再び空を見上げる。足元は、由代に手を引いてもらっているから大丈夫だ。だからこそ、空を見上げる。
 柔らかな光を受けて舞う、雪の光を目に焼き付けるかのように。

<光る雪は静かに舞い降り・了>