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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


犬飼ウ者 [前編]


∇オープニング

 草間は疲弊していた。
 零がいつの間にか町内会の慰安旅行で温泉に行くことを決めていた。それも一人で。それを聞いた時は驚きと心配もあったが、それ以上に期待が勝っていた。「命の洗濯に行ってきます」と大分人間らしい言葉を告げた零の笑顔の陰で、草間も密かにガッツポーズをしたものだ。草間との生活に慣れるに従って、こと生活習慣に関しては口うるさくなった零が二泊三日の間だけでもいなくなる…。まさに草間にとっても「命の洗濯」だ。
 だが、いざ零が旅行に出かけ好き勝手な生活を始めようとした途端、手持ちの煙草が切れた。普段なら零に買ってきてくれと頼み、零も渋い顔をしながらも買ってきてくれるのだが、今はそうもいかない。自分で買ってこなければならない。渋々よれよれのジャンパーを引っかけて外に出てみるも、都会の冷たい風はとうとう三十路に足を突っ込んでしまった草間には一際冷たく感じられた。しかも、一人暮らしの時世話になっていたたばこ屋がしばらく来ないうちにものの見事に潰れていて、人が居なくなったことで急にうらぶれた雰囲気を醸し出した窓口に張られた「営業終了しました」の張り紙が一層寒さを煽る。
 草間が知る限り、近くには煙草を取り扱うコンビニも自販機もない。喫煙者廃絶の風潮は確実に草間をも追い詰めつつあるらしい。しかし、いつも零は一体どこに買いにいっていたのだろうか…。今更、普段の妹の労をねぎらう気持ちになった草間であった。
 その後界隈を二十分ほど放浪した末にやっと煙草の自販機を見つけたが、お目当てにしていた銘柄だけが売り切れている。銘柄は選ばない草間だが、やっぱりなんとなくくやしい。はぁと深いため息をつきながら無造作にお目当ての銘柄の隣のボタンを押し、取り出し口にポトリと落ちた煙草のパッケージを乱暴に破るとあわただしく口に銜え火を付けた。病んだ煙が病んだ肺に行き渡り、やっと人心地ついた気分になる。
 草間はほうと長いため息と共に煙を長く吐き出す。どうも、今日はうまくいかない。こんな日は事務所で静かにしてるに限るな。そう思って、くるりと踵を返したその時だった。
 ドッシ!
 何か重い物が背中にのし掛かってきた。バランスを崩して転びそうになるのを必死に踏ん張り、のし掛かってきたものの正体を見極めんと後ろを振り向くと、そこには草間の背中に飛びかかる一匹の茶色い犬。一応首輪をしていて、その先には小学校の高学年くらいの男の子がくっついている。どうやら散歩中の犬が飼い主の少年を引きずってまで草間にじゃれついたらしい。ずいぶん人懐こい犬だ。
 犬はほどなく少年に引きずり降ろされた。
「ご、ごめんなさいっ。ふくよごれませんでしたかっ?」
 少年は幼いものの礼儀はしっかりしていて、よく謝ってくれた。草間も、よくあることだからと笑って、いつまでもぺこぺこと頭を下げながら犬を引きずっていく少年を見送る。だが、彼が最後に一礼してから向こうの交差点を曲がって見えなくなったのを確認した途端、草間はさっきから感じていたなんとなく嫌な予感に、二度目のため息をつくことになった。

「とりあえず、人に飛びつくのはやめろ!」
「怯えてるぞ。ダメじゃないか、お前は顔が怖いんだから」
「ごめんヨ、この子チョット気が立ってるみたいネ」
「なぜこんなことをするんだ!!ばか、ばかめっ!」
「ぎゃ―――!!噛み付いた―――!!」

 と、まあその後はこんな具合で。特に住宅街なわけでも定番散歩ルートになってるわけでもない都会の道だというのに、事務所に帰るまでに何匹の犬に飛びかかられたか解らない。じゃれつかれるならまだしも、明らかに敵意丸出しで飛びかかってくる犬や、なんで東京にいるのか解らない犬まで登場して、草間はぐったりとなって事務所の扉によりかかった。どうやら、今日はよっぽど犬と縁があるらしいな…。しかもとびきりの悪縁ときたもんだ…。
 だが、事務所の中に入ってしまえば犬とも縁が切れるはず。草間は疲れた体を引きずるようにして、事務所に入った。

 それは慣れない…いや、慣れられない「臭い」だった。

 事務所に一歩足を踏み入れた途端、激しく脳を刺激した「臭い」。その剣呑さに、草間は咄嗟に身構える。素早く視線を飛ばし、事務所の中の異常を見つけようとした。だが大きな異常は認められない。ただ、一つ…。
 いつも依頼人の話を聞くために使っているソファの背もたれに一人の青年が座っていた。服装はラフなジーンズにジャケットコート。両手で清涼飲料水の缶を弄んでいる。年の頃は二十歳か…もしかしたらもう少し若いのかも知れない。
 草間が彼をじっと見据えていると、彼はふと顔を上げにこりと微笑んでみせた。その笑顔は見る者に人懐こいイメージを与える。だが、草間は警戒を解かなかった。青年が発している「臭い」が、そうさせた。
 それは未だ乾かない血の臭いだ…。
 草間がその「臭い」に気づいて警戒していることを、彼は解っているようだ。それでも微笑みを崩すことなく彼は立ち上がり、草間に小さく一礼する。
「こんにちは、探偵さん…ですよね?」
 小首を傾げてそう訊ねる青年。そのあどけない仕草と血の臭いのアンバランスさに草間は恐怖を覚え、一瞬怯み後じさりそうになる。が、辛うじて踵を地面にこすりつけるだけにとどめてじっとりと汗をかいた拳を握りしめた。
「…何の用だ?」
 意を決してそれだけ言葉にすると、青年は極めて楽しそうに微笑った。
「僕、犬飼圭祐(いぬがい・けいすけ)っていいます。探偵さんとお話したいんですけど、少し時間をもらえますか?」
 はきはきと告げられたその言葉に、草間は心の中で激しく舌打ちした。どうやら、今日はよっぽど犬と縁があるらしいな…。しかもとびきりの悪縁ときたもんだ…。


∇翻訳家は大忙し

 都内某所にあるごく一般的なマンションの一室。そこには一組の若い男女がいた。…といっても、恋人だ夫婦だという色っぽい関係では全くない。若き翻訳家と、その原稿を取りにきた担当編集者なのだ。
 若き翻訳家、シュライン・エマはようやく仕上がった翻訳原稿をまとめて机の上でとんとんと揃え、後ろで待機していた担当に差し出した。若く、少しだけ肉付きのいい担当はそれを受け取り、丁寧に文章を確かめ始める。うんうん、と満足そうに原稿を見る彼の姿に、シュラインは内心ほっとしてかけていた遠視用眼鏡を外し、胸に落とした。
「いいですね。若い人にも取っつきやすい文章になってるし、それでいて原本の重厚さを失ってない。いつも通り、いい仕事されますねぇ」
 人の良い微笑みを浮かべてそう褒めちぎってくれる担当に、シュラインは小さく苦笑する。今回は危なかったのだ。思った以上に時間がかかって、今日は〆切ギリギリ。辛うじて人らしい生活を放棄することはなかったが、ここ一週間近くは缶詰めの生活が続いていた。
「では確かに原稿頂きました。お疲れ様です」
「はい、おつかれさま」
 担当は原稿を綺麗にまとめて書類封筒に仕舞い、シュラインに軽い一礼をする。シュラインもずっと後ろで詰めていた彼を労って微笑んだ。それが済んでしまえばこの場での仕事は終わり。
「今回の本はどうでしたか?」
 担当はさっきまで手持ちぶさたに見ていた今回の仕事の原本をちらりと見ると、興味津々といった風にシュラインに訊ねてくる。彼がどういう反応を期待しているのかは解らない。
 今回シュラインが翻訳したのは、アメリカの大御所小説家が書いた推理小説。主役の探偵が殺人事件の謎を解き犯人を追い詰めるという、至ってシンプルな内容。展開もトリックも目新しい感じはしない。大御所が書いたというだけあって文章はしっかりしていたが、それを除けばはっきり言って、小粒な作品だな、と思う。
 シュラインが言葉に詰まったのをどう解釈したのか、担当は少しだけ声をひそめて続きを話しだした。
「平凡な作品ですよね。僕もそう思いますよ。でもね…」
 そう言って喉の奥で笑う。もったいつけた言い方に少し苛つく。これは彼のくせのようなもので、何かと話にためを作りたがる。純朴でいい人なのだが、シュラインは彼のこのくせだけはあまり好きでない。
「でも、なんなの?」
 先を促すように訊ねると、担当はニヤリ笑う。本人はニヒルに笑ったつもりかもしれない。だがその丸い頬のせいか、あまり格好良くはない。
「…でも、この犯人の犯行動機と心理は面白いと思いませんか?」
「そうかしら?」
 シュラインは軽く肩をすくめた。そのつれない反応に担当は少しだけ落胆した素振りを見せたが、それでも諦めきれないのか、また口を開く。
「推理小説の殺人犯ってういうと、やれ敵討ちだの保身だの嫉妬だの、金だの立場だの、色々な人を殺す理由がつけられますけど、この本の犯人は特に何の理由もなく殺人を繰り返している。強いて理由をあげれば『殺したいから』となるでしょうね。僕は面白いとおもいましたよ。そのかわり、推理小説としての膨らみには欠けてしまったようにも感じるけど……っと、何処かへお出かけですか?」
 長くなりそうな気配を察して、シュラインがちらちらと時計を見たのに気づいたのだろうか。こういう気の付くところはこの男のいいところだ。シュラインはほっとして頷く。
「ええ、いつも事務のお手伝いにいっている所に…。最近行ってなかったから顔出しがてら片づけをしようと思って…」
「ああ、聞いてますよ。なんでも興信所の事務をなさってるとか。…でも、あれでしょ。現実に探偵なんていったって、浮気調査とか家出人捜しとか、悪ければペット捜しとか。殺人事件の調査なんて夢のまた夢ってところなんでしょう?」
「…そう…ね」
 どこか夢破れた少年のように残念そうな顔をして訊ねる担当に、シュラインは少し困ったような顔で答える。実際は草間興信所には「怪奇」絡みとはいえ人の死に絡む事件が舞い込むこともあるのだが、あまり自慢に出来るようなことではない、とシュラインは思う。それに、それを話せばそれこそ話が長くなる。
「ですよねぇ。…あ、お引き留めして申し訳ない。僕もそろそろお暇しますので、どうぞ支度なさってて下さい」
 担当は冷めたお茶の残りを急いで飲み干し、コートと原稿の入ったカバンを持って部屋を辞する用意をする。ぱたぱたと音をたてながら玄関に向かった彼を見送るためにその後を追うシュライン。
「それでは、失礼します」
「はい、原稿よろしくお願いね」
 そういって担当の後ろ姿を見送ってしまうと、シュラインは一度小さなため息をついてからドアを閉めて、自身の身支度を始めた。
(確か零ちゃんが慰安旅行に行くって言ってたわね。きっと洗濯物や洗い物も溜まってるでしょうね…)
 一仕事去って、また一仕事。気合いをいれなければ、ね?


∇血臭渦巻く草間興信所にて

 草間は手にしていた煙草の箱がくしゃくしゃになっているのに気づいた。無意識に煙草を持っていた手を握り拳にしていたのだ。
 ちらりと目の前に佇む青年…犬飼圭祐と名乗ったか…を見る。相変わらず穏やかな表情で、そこに佇む彼は、だがやはり剣呑な「臭い」を発している。草間は一度、小さく深呼吸をしてから、強張った指を強引に開いて煙草を一本、取り出して銜えた。素早く火をつけて、深く吸う。
 落ち着け、落ち着け…。
 見たところ、彼は普通の人間だ。ここに出入りしている人間の多くが持っているような「特殊能力」を持っているようにも感じられない。警戒してさえいれば、草間とて易々と虚を突かれることはないはずだ。
 そう結論づけて、やっと肝を落ち着かせた刹那だった。
 コンコン…。
 草間の後ろでドアが軽くノックされ、ややあってからゆっくりと開く。入ってきたのは草間興信所の有能なる事務員であり、草間とは個人的にも浅からぬ縁を持つ女性。…シュライン・エマ。
 草間の顔が小さく歪んだ。なんというタイミング。
 だがそんな草間の心を知らずしてか、シュラインはいつものように微笑んで、草間と「客」を見た。
「こんにちは、お客さんがいらしてるのね。丁度良かったわ。行きがけに美味しいって評判のどら焼きを買ってきたの。お茶を入れるから少し待ってくださいね」
 シュラインの語尾が、気をつけていないと解らないくらいではあるが、力を失った。その視線がちらりと草間を向く。草間は小さく頷いて返した。…どうやらシュラインもこの異常な「臭い」に気づいたようだ。
 しかし、シュラインはそれ以上顔色を変えることはなかった。いつもの微笑みを崩さずに犬飼に軽く一礼すると、そのままパーテーションで仕切られた向こうの給湯室へ向かう。一見、無防備にさえ見える行動だが、草間はそのシュラインの後ろ姿から視線を逸らし、犬飼を見た。彼はにこりと微笑う。
「ここの職員の方ですか? 綺麗な方ですね」
 ちく、とうなじに痛みが走る。嫌な感覚だ。彼にはそんな気はないのかもしれないが、暗黙の脅しのようにも聞こえる。だが、草間はそれに呑まれることはなかった。
 彼女は大丈夫だ。顔色や態度こそ変えないが、事務所の異変と草間の警戒は伝わっている。信頼していい。彼女には背中を預けることが出来るのだ。
 草間はふうと息をつくと、犬飼の横をすり抜けるようにして通り過ぎ、ソファのいつも依頼人の話を聞くときに自分が座る位置にゆっくりと腰掛けた。それを見て犬飼もその草間に対面するように座る。
「さあ、話を聞こうか…」


∇殺人者・犬飼圭祐

 シュラインが、煎れたお茶とお茶請けにどら焼きを差し出すと、犬飼は「どうも…」と軽い会釈をして、お茶に手をつけた。そんな様を見ていると、この青年はとても礼儀正しい、普通の青年に見えてくるのだが。
 だが、犬飼は湯飲みを受け皿にことんと置くと、こんなことを言った。
「…僕はさっき、人を殺してきました」
 彼の言葉に、草間もシュラインも驚かなかった。彼が発する血臭は確かにそれが真実であることを何より物語っている。きっと彼のジャケットコートの下にはまだ…いや、これは考えない方がいいかも知れない。
「人を殺したという割には落ち着いているんだな」
「…そうですね。僕が人を殺したのはさっきが初めてではありませんから。今日を含めて、今までに八人、殺してます」
 草間の質問になんと言うことはないといった風情で答えるが、その内容は常軌を逸している。
「よく…捕まらずにいるもんだな」
「そうですね。でも、特に大仰なトリックみたいなものは使ってませんよ。…ただ、証拠が残らないように細心の注意を払っているだけです。古典ミステリの世界と違って、現代の警察はとても優秀ですから、その捜査をかいくぐるには知識も必要ですし注意もいくらしても足りません。苦労しますよ」
 苦笑いでそうこぼす犬飼。まるで恋人の可愛い我が侭を愚痴る若者そのままで、草間とシュラインの背筋に嫌な薄ら寒さが走る。殺人という凶悪な犯罪を隠し通すことをまるでゲームのように楽しんでいる雰囲気が感じられた。
「ああ、それでも最初だけは…捜査が僕にたどり着けなかったのは偶然でした」
 犬飼の目が細められ、昔を懐かしむような陶然とした表情になる。
「僕が最初に人を殺めたのは、昨年の今頃のことです。幼なじみの『猿丸あかね(さるまる・あかね)』という女の子でした。当時は少し騒がれましたから、もしかしたらお二人の記憶にもあるかもしれませんね」
 そういえば…去年の今頃に若い女の子が殺害される事件があったような気もする。だが、捜査の進展が無かったためか、すぐに報道の第一線から退いてしまったという感覚があった。あれが…。
「…さっきの口振りからすると、その殺人は衝動的なものだったのでしょう? 彼女と…何があったの?」
 シュラインが訊ねるが、犬飼はこくりと小さく首を傾げた。
「いえ、特になにも…?」
「なにも…って…。どういうこと?」
「僕とあかねは幼なじみでしたけど、お互い高校生になってからは学校も違いましたし、殆ど話したこともありませんでしたし…。あの日も学校帰りに人気のない公園でばったりと出会って軽い挨拶を交わした…それだけだったんです。でも、僕はどうしても彼女が殺したくなった。気づいたら、学校の美術の時間に使った工作用の小刀を握りしめてました」
 それから、犬飼はその犯行の様子を一部始終語ってみせた。草間とシュラインは息を詰めて。語る彼はどこか楽しそうにすら見える。武勇伝を照れながら話すよな、そんな感覚なのだろうか。
「絶命した彼女が目の前に倒れていた時はさすがに驚きました。でもその彼女の死に様を見て、僕は途轍もなく愉快な気分になったのですよ」
「その…『愉快な気分』とやらの為に人を次々と殺めたの?」
 シュラインが言葉を突きつけるように言った。普通の人間ならば言葉に詰まるだろう。己の罪に少しでも気を咎めている人間ならば。だが、この青年は何処吹く風。逆にとてもいい笑顔で「ええ、そうですよ」と答えてのけた。
 彼は続けて、その後に殺していった人間のことも話し出す。
「みんな、美しい人でした。男女もタイプも違う人たちでしたけど。僕が殺したいと思うのは、何故かそういう人に限られてました」
「人間を殺す…というよりは、良くできた人形を壊すような感覚なのかしら?」
「さあ…どうでしょう? でも、僕が人を殺すのは…野生の本能なのかも知れないですね。『狩り』の獲物は、上等のもののほうがいいでしょう?」
「…まるで他人事だな」
「確かにそうですね」
 草間がぼそりと呟くと、犬飼は小さく肩をすくめて見せ、それからこう付け加えた。
「…多分、僕はもう一人の僕を持ってる。とても凶悪で凶暴な狩りの本能に狂う『犬(もう一人の僕)』を心に飼ってるんですよ」
 何が可笑しいのか、犬飼はクスクスと微笑う。草間とシュラインは揃って小さく眉を顰めた。この男と話していると頭がおかしくなりそうだ、と思う。
「…今のお前も、十分狂ってるよ」
 草間の幽かな呟きに、シュラインも同調した。本当なら、色々問いつめてやりたいことは色々ある。些細なものでもいい、人を殺した時のそれぞれの動機。どんな気分で殺害を行ったのか。殺害された被害者や、その家族の気持ちを考えたことはあるか。でも、それはこの男に問いかけても無駄な質問のような気がした。この男は殺人に何の罪悪感も持っていやしない。ただランダムに起こる殺意の衝動にのうのうと従っているだけなのだ。
 シュラインは喉が急速に乾くのを感じた。自分の目の前の湯飲みを取って一口啜り、喉を湿す。お茶は既に温くなっていた。
「…あなたに、大切な人はいないの? 家族は?」
 何故、こんなことを訊こうと思ったのか。シュラインは一瞬考える。何処か、この男に人間味を見出したかったのかも知れない。例えば自分ではどうすることもできない心の隙間があったのならば…。そのせいで心に闇を生み出してしまったのならば…。
 急にそんなことを訊ねたシュラインに、犬飼は一瞬きょとんとした表情を見せる。だが、すぐに答えを返した。
「家族…ですか? 建築家の父と、専業主婦の母。あとまだ小学生の弟と妹が一人ずついますよ。みんな大切な家族です」
 シュラインの目論見は見事外れた。この男はあらゆる意味で恵まれた家庭に育っているらしい。表情から、家族との浅からぬ絆も伺えた。
「写真持ってますよ、見ますか?」
 そんなことまで言われてしまう。
「それじゃあ、友達や恋人…。それでなければ、満足感を得られる趣味みたいなものを持っている?」
「やだなぁ、僕、そんな寂しい人間に見えます? 勿論、友達はいますよ。そんなに多いとは言えないかもしれないけど、みんないい奴です。彼女は…この前うちに遊びにきました。両親も彼女のこと気に入ってくれたみたいですし、弟たちともよく遊んでくれてます。それと、あんまり趣味らしい趣味は持ってないですけど…大学で野球部に入ってるんですよ」
 犬飼は一つ一つ、丁寧に答えてみせる。嘘をついているようには見えない。彼はとても満たされた人間だ。勿論、これっくらい質問しただけでは全てを知るには不十分だけれども、それでも自分の生い立ちを話す犬飼の放つオーラは穏やかだ。
 それなのに、何故? この男はどこでこんな大きな『闇』を抱え込んでしまったのか。
 本当に…これは本能…生まれついて持っていたものなのだろうか…。
 シュラインはどこか釈然としないまま、唇を閉ざした。



<続>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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>シュライン・エマ 様
いつもお世話になっております、尾崎ゆずりはです。
今回は初の前後編仕様で、参加して下さる方がいらっしゃるかどうか不安だったのですが、シュライン様のおかげで何とか書くことができました。この場を借りて御礼申し上げます。
プレイングでして頂いた質問にはなるべく触れるようにしたのですが、ただ「どうして草間興信所に?」の質問は後編オープニングで触れようと思っているので(犬飼青年の異常さを示す最後のチャンスでもあるので)後編に持ち越させていただきました。合間にお片づけ、もしていただきたかったのですが、今回参加されたPC様がお一人だけでしたので、その間草間と犬飼だけでは間が持たないと踏んで断念しました。プレイングが生かし切れずに申し訳ありません。
相変わらず素人気分の抜けない作品ではありますが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。