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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


バレンタイン大作戦

【オープニング】
 その日、草間興信所を訪ねて来たのは、珍しくも零の客だった。
 彼女がよく行くパン屋の娘で、高校生のみなみである。
 草間は、一応気を利かせたのか、用ありげに外に出て行き、零は事務所の中でテーブルを挟んでみなみと向き合う。
「私にご用って、なんですか?」
 尋ねる零に、みなみは幾分ためらった後、いきなり頭を下げると叫んだ。
「お願い! 私に、美味しいチョコレートの作り方を教えて!」
「ち、ちょっと……みなみさん?」
 さすがに、零も面食らう。
 改めて事情を聞くと、彼女は最初の勢いはどこへやら、ぽつぽつと話し始めた。
 みなみは、料理が大の苦手で、卵焼き一つ作れないし、もちろんお菓子はクッキーやホットケーキの類ですら、作ったことがない。ところが、昨年の秋に初めての彼ができた。来る二月十四日は、彼氏持ちになって初のバレンタインデーである。当然ながら、彼にはチョコレートを送ろうと、今から準備をしていた。友人に相談したら、手作りにする方がいいと言われ、レシピを教わって、チョコレート作りに挑戦することになった。
 ところが。何度やっても、この世のものとは思えない凄まじい味と見た目のものしか、できないのだ。最初は励ましつつ教えてくれていた友人にも、とうとう匙を投げられてしまった。そこで彼女は、零が菓子も作れると言っていたことを思い出し、相談に来たというわけだ。
 話を聞いて、零は考え込んだ。たしかに菓子作りは嫌いではないが、人に作り方を教えたことはない。それに、みなみの話を聞いただけでも、かなり大変だろうことが予想される。
 しばし考え、零は言った。
「それなら、こうしましょう。私一人では、みなみさんにお教えする自信がありませんから、私の友人たちに、知恵をお借りして、みんなで教え合いながら、バレンタインのチョコを作りましょう」
「ええ!」
 みなみの顔が一瞬にして輝き、大きくうなずくのだった。

【みなみの作ったチョコ】
 バレンタインも近い二月十二日の日曜日。草間興信所には、零から相談を受けた「なな」ことマシンドール・セブン、綾和泉汐耶、三雲冴波、シュライン・エマ、そしてたまたま事務所へ遊びに来ていて興味を持った奉丈遮那の五人が集まっていた。
「ええっと……まずは、どんなチョコを作って、どんなふうに失敗したのかを聞いておこうかしら」
 みなみにそれぞれ自己紹介した後、口を開いたのはシュラインだ。
 たしかに目的を成功に導くためには、失敗の原因を探るのは重要なことだとセブンも考え、興味を持ってみなみを見やった。
 他の者たちも、同じように考えたのか、彼女を見詰めている。
 事務所の椅子に腰を下ろしたみなみは、少しだけ居心地悪そうに身じろぎした後、答えた。
「初めて作った時には、チョコレートを溶かすのに、お水と一緒に煮込んでしまって。……それと、間違えて生地にジャムを塗ってから焼いたんです」
「そもそも、どんなチョコレートを作ろうとしたの?」
 尋ねたのは、冴波だ。
「あ……。ザッハトルテっていう、チョコレートケーキです」
 みなみの言葉に、セブンたちは思わず顔を見合わせた。
 それは、料理が苦手で菓子作りも初めてという人間には、難しすぎるのではないか。ちなみにザッハトルテとは、簡単に言うとチョコレートを混ぜて焼いたスポンジの間にアプリコットジャムを挟み、全体をチョコレートでコーティングしたものだ。中心となるのはスポンジ作りで、これにけっこう手間隙がかかる。
 更に詳しくみなみの失敗談を聞くと、彼女は一度目を失敗した後、レシピをくれた友人に泣きついたらしい。それで、チョコを溶かす正しい方法等はわかったものの、今度は粉類の分量が、計量器の目盛りが正確にゼロ位置に来ていなかったために、全部十グラムづつ多い状態になってしまっていた。しかも、チョコを湯せんで溶かす際に、傍にあった醤油さしを倒してしまい、中身がチョコに入ってしまった。が、少しだったし大丈夫だと決めつけて、そのまま製作を続けた結果、ザッハトルテとは到底言えない味のものが出来上がった。
 三度目に挑戦した時には、ベーキングパウダーを小麦粉と間違えて大量に入れ、苦くて食べられなかった。そして四度目の時には溶かす際、チョコレートに水をこぼしたのと、卵白がちゃんと泡立っていなかったため、これまた悲惨なことになってしまったのだ。そして、ここで友人には匙を投げられてしまった。「前の失敗が克服できても、新しい失敗をするんじゃ、私には教えるのは無理」「売ってるのを買った方が、きっと彼も喜ぶ」という、いささか胸に突き刺さる言葉の数々を残して。
「なんとも涙ぐましい努力をされたんですね」
 小さく溜息をついて言ったのは、遮那だった。そして、ためらいがちに続ける。
「しかし……僕は、チョコレートは簡単なのしか作ったことがないので、なんとも言えませんが……その、お題が難しすぎたんではないでしょうか」
「私もそう思うわ」
 うんうんと大きくうなずきながら、シュラインも言った。
「そうね。初めて作るのなら、もっとクッキーとか、簡単なものにしたらいいと思うわ」
 冴波が横から言う。
「クッキーやブラウニーなら、手順が簡単で、凝って見えるわね。……一番失敗がないのは、チョコを溶かして固めるだけのものだけど、それじゃ嫌でしょうし」
 考え考え、汐耶もうなずく。
「最低限の作り方や、必要な道具、材料などのデータなら、わたくしが所有していますから、それをお教えすることができますが」
 セブンが補足するように、口を挟む。炊事洗濯など、一般生活へのサポート能力も有しているスペシャル機構体である彼女のデータには、当然しっかりとさまざまな料理のレシピも存在していたのだ。
「たしかに、クッキーやブラウニーも初心者向きだけど……生チョコなんかどうかしら。あれなら、切り口ゆがんでもココアパウダーをまぶすと気にならないし、固めるのも冷蔵庫だから、温度調節や時間の加減で失敗する心配もないし」
 少し考え込んだ後、シュラインが言った。
 と、みなみがおずおずと口を開く。
「あの……ブラウニーとか生チョコって、どんなものですか? それと、チョコでクッキーなんて、できるんですか?」
 さすがに、この問いには、全員が目を丸くした。それを見やって、みなみは身を竦めるようにうつむいた。
「私……うちがパン屋なんですけど、両親はパンのことしか頭にないような人たちなんです。それで私、パンが嫌いで……反動で洋菓子は全般的に好きじゃないんです。食べたこともないし、友達と一緒に買いに行ったこととかもありません。だから……よくわからないんです。すみません……」
 話すうち、彼女の声は徐々に小さくなって行く。
 セブンたちは、再び顔を見合わせた。洋菓子が嫌いで、料理も苦手、菓子作りは初めてというみなみが、それに挑戦しようというのは、よほどその彼が好きなのだろう。
(とても真剣なのですね。……わたくしには、所有データから算出した最低限の作り方を教えるぐらいしかできませんが、きっとその想いを込めて、心のままに作れば、美味しくすばらしいチョコレートができます)
 セブンは、銀色の無機質にも見える目に励ましの光を宿して、みなみを見詰めながら、心の中で呟いた。
「謝らなくてもいいですよ。……誰だって苦手なものや、知らないことはありますから」
 優しく言ったのは、遮那だ。
「そうよ。それに、チョコレート作りも準備にちゃんと時間をかけて、分量をきっちり量って、一つ一つ丁寧にやれば、大丈夫」
 シュラインがうなずいて、場を取り成すように言った。そして、尋ねる。
「そういえば、みなみさんの彼って、甘いもの大丈夫なの?」
「ええ、それは平気です。……っていうか、甘いケーキとか、大好きなんです。それで、友達にもケーキのレシピを教えてもらったんですけど……」
 うなずく彼女に、セブンは納得しつつも、改めて初心者の彼女が最初からチョコレートケーキというのは難しすぎるだろうと、冷静な判断を下していた。
 ケーキの基本は小麦粉と砂糖とバター、卵から作られるスポンジだが、これが簡単そうでいて意外に難しく、綺麗で美味しいものを作るにはコツがいる。
(みなみ様は少し、そそっかしいようですし……)
 さっきから聞いた話を思い返し、セブンはふと眉をひそめて胸に呟いた。
 それは、他の者たちも同じだったようだ。
 結局、彼女たちは粉を使わず、固めるのも簡単な生チョコを作ることに決定したのだった。

【下準備】
 必要な材料をそろえると、セブンたちはまず、慎重に生チョコ作りの下準備に取り掛かった。
 下準備に時間をかけよう、というのはシュラインが提案したことだ。
 まず、レシピを書き出してすぐに見えるところに貼り、材料は分量をきっちり量って、使う順番に並べる。もちろん、調理台の上には、必要のないものは置かない。それと、みなみの作業工程を誰かがチェックし、製作終了後に、何か問題はなかったか全員で考えてみる、といったものだ。
「まず、材料から行きます。製菓用スィートチョコレート、百二十グラム。生クリーム、八十ミリリットル……」
 セブンは自分のデータから呼び出したレシピを、口頭で教え始めた。みなみがそれを、懸命にメモする。
 それを終えると彼女は、事務所にあった油性マジックで大きな紙に清書し、調理台の前の窓ガラスにテープで貼り付けた。
 次に、これまたセブンの監督の下、材料をきっちり量る。
 もちろん、材料はレシピどおりにすべてきちんとそろえてあった。
 その間に零、冴波、汐耶、遮那の四人は、調理台付近と念のためテーブルの上の、菓子作りには必要ないもの――醤油やソースといった調味料から、沸騰ポットや灰皿まで、全てかたずけてしまう。
 それが終わったころ、みなみも計量を終えて、今度は材料を順番に並べ始めた。
 生チョコは、まさに初心者向きのもので、材料自体も至って少ない。製菓用スィートチョコに生クリーム、無塩バター、ラム酒、ココアパウダーだけだ。それに、固めるための型とクッキングシート、小さい鍋、ボウル、チョコを刻むためのナイフか包丁、混ぜるためのゴムベラ、茶こし、まな板があれば事足りる。
 それらを、まるでコース料理よろしく使う順番に並べて、下準備は終わりを告げた。後は、いよいよ作るだけである。

【チョコレート作り】
 生チョコを作る手順は、だいたいこんなふうだ。
 まず、チョコレートを細かく刻み、バターは室温に戻しておく。小さい鍋に生クリームを入れて弱火にかけ、沸騰の直前に火から下ろす。ボウルに刻んだチョコレートを入れ、温めた生クリームを加えて、混ぜながら溶かす。更にバターを加えて、全体がなめらかになるまで、ゴムベラで静かに混ぜる。ラム酒を加えて更に混ぜ、粗熱がとれて表面に艶が出、とろりとしたら出来上がりだ。これを、オーブンシートを敷いた四角い型に流し入れ、冷蔵庫で二、三時間かけて冷やし固める。
 固まった生チョコは、仕上げにココアパウダーをふりかけて、二、三センチ角の食べやすい大きさに切ればいい。食べるまでは、冷蔵庫で保存しておくのがベストだろう。
 つきっきりで教えることになった冴波とシュラインに挟まれるようにして、みなみは真剣な顔でチョコレートを刻み始めた。が、料理が苦手というだけあって、その手つきはなんとも危なっかしい。
(包丁の握り方のバランスが悪く、力の入れ加減、切り込みの思いきりの悪さが、手つきがおぼつかない原因でしょうか)
 セブンは、ちらとそれを見やって、冷静に分析する。
 彼女の方は、最低限度のことをみなみに教えてしまうと、自分のできることは終わったと感じて、テーブルの方で自分のチョコを作り始めていた。
 彼女が作ろうとしているのは、チョコレートムースである。一応、全員の分を作るつもりにはしていたが、本命は主である草間と零、それにシュラインだ。そもそもチョコレートムースに決めたのも、コーヒー好きで甘すぎない方が好きだろう草間と、美味しく口あたりのいいスィーツを好むだろう零とシュラインの三人ともが、よろこんで食べてくれるチョコレートを……と考えた結果だった。
「わたくしも、皆さんに感謝の気持ちを込めて、作らないといけないですね」
 作り始める前は、一応そんなことを言ってみたりしていた彼女だが、今はただ草間たちが喜んでくれることだけを念頭に、作業を進めている。
 一方、みなみの方も問題なく工程が進んでいるようだ。
「そろそろ、バターを入れてもいいんじゃない?」
 冴波が言う声が聞こえた。セブンは顔を上げ、そちらを見やる。みなみの手元のボウルの中には、茶色のとろりとしたクリーム状のものが出来上がっていた。温めた生クリームに、刻んだチョコレートを混ぜ溶かしたものだろう。
「そうね」
 うなずくとシュラインが、みなみに言った。
「バターを入れてね」
「はい」
 うなずいてみなみは、やわらかくなって、なんとなくぐんにゃりしたバターの欠片を乗せた皿を取り上げる。やわらかいバターは、皿を傾けただけでは、なかなかボウルの中に落ちてくれない。焦ったのか、彼女は皿を軽く振ろうとした。
 その行動の意外さに、見守っていたセブンは、かすかに眉をひそめる。
 と。
「ダメよ!」
「ゴムベラを使って!」
「おちついて!」
 冴波とシュライン、そしてセブンの隣で同じく自分のブラウニーを作っていた汐耶の三人が、同時に非鳴のような声を上げた。
「は、はい!」
 とっさに返事したものの、みなみは返って焦ってしまったのだろう。バターは皿ごとボウルの中に落下した。
「あ……」
 みなみが凍りつき、キッチンに一瞬、沈黙が訪れる。
 セブンもさすがに驚いたものの、すぐに事態を収拾するのが最優先事項だと判断した。
「大丈夫です。ここにある皿は、零様やシュライン様、わたくしが清潔に保っていますから、食べ物の中に落ちても、まったく問題ありません」
 言って彼女は、調理台に歩み寄ると、素早く引き出しから取り出したトングで、ボウルの中の皿をつまみ上げた。まだ呆然としているみなみの手から、ゴムベラを奪い取ると、それできれいに皿についたチョコと生クリームの混合物、それにバターをこそげ落とす。そして、なんの問題もないことを報告した。
「これによる材料の損失は、必要量の0.05パーセント程度です。味、香り、外観などに、問題はありません」
「ななさんの言うとおりです。材料をこぼしたわけじゃないんですし、大丈夫ですよ」
 取り成すように、横から零も言う。
 それでようやく、他の者たちも我に返ったようだ。
「そ、そうね。……食べる時には、お皿に入れる場合もあるんだし」
 冴波が言うと、シュラインもうなずいて、みなみを促す。
「ええ、問題ないわ。さ、続きをやりましょ」
「は、はい」
 みなみは、幾分泣き出しそうな顔になりながら、それでもけなげにうなずいた。
 再び生地を混ぜ始めたみなみを見やって、セブンは小さく心にうなずく。
(大丈夫。こんなことは、失敗の内には入りません。心を込めて、しっかり生地を混ぜて下さい。わたくしも、がんばります)
 そうして彼女は、自分の作業に戻った。
 その傍では、同じように零と汐耶が自分のチョコ作りに真剣な顔で取り組んでいる。といっても、二人は時おり心配そうにみなみの方を見やっていたが。
 一方、シュラインからみなみのチョコ作りの工程チェックを頼まれた遮那も、真剣な表情で彼女の一挙一動を見詰めている。
 しかし、その後は彼女たち全員の祈りが通じたのか、みなみは失敗することもなく、無事に生チョコの生地を練り上げ、型に流し込んで、冷蔵庫に収めるところまでこぎつけた。
 冷蔵庫の扉を閉めて、みなみは大きく溜息をついた。
「これで、固まるのを待てばいいんですね?」
「そうよ。ちょっと時間がかかるけれどもね」
 シュラインが、うなずく。
「それじゃあ、待つ間、お茶にしませんか?」
 そう提案したのは、零だった。
「私、チョコミルククレープを作りましたから」
「私の作ったブラウニーも、みんなに味見してもらおうかしら。たくさん作ったし」
 うなずいて言ったのは、汐耶だ。
 セブンのムースは、みなみの生チョコよりも少し前に、冷蔵庫に入れてある。これも、型に入れた後は、二、三時間冷やし固める必要があるのだ。
 そんなわけで、セブンたちは、少し休憩することにした。

【休憩――お茶の時間】
 セブンは手早くお茶の支度をして、汐耶がかたずけてくれたテーブルに、カップを並べた。キッチンには、チョコの香りが充満している。
 全員がテーブルに着き、零が切り分けたチョコミルククレープと、ブラウニーをそれぞれ皿に入れて運んで来た。
 そこへおりよく、草間が帰って来た。
「いい匂いだな」
「お兄さん。少し早いけど、バレンタインのチョコを作っていたんです」
 匂いにつられてキッチンへ顔を覗かせた草間に、零がうれしそうに言って、中へと誘う。どうやら、彼女の作ったケーキは、本来草間のためのものだったようだ。彼の前に置かれた皿のケーキには、チョコレートのバラが添えらえていた。
(わたくしも、今お出しできればいいのですけれど……食べられるまでには、もう少しかかりますから、しかたありませんね)
 セブンは、それを見やって胸に呟き、まずは零の作ったケーキをありがたくいただくことにする。
 零のそれは、名前のとおり、ココアパウダーを混ぜて焼いたクレープの生地の間に、チョコカスタードを塗ったものを何枚も重ねて、ケーキ状にしたものだった。しっとりした口当たりが美味しく、またチョコカスタードは上品な味に仕上がっていた。
(さすが零様。とても美味しく仕上がっています。……これには、零様の思いが、たっぷりとこもっているに違いありません)
 じっくりとその味を堪能しながら、セブンはうっとりと呟く。
 一方の汐耶のブラウニーは、胡桃やアーモンド、干しぶどう、ココナッツなどを細かく刻んだものを、ココア入りの生地に練り込んだ、素朴で芳ばしいケーキだった。
 彼女はずいぶんたくさん焼いたらしく、テーブルの隅には、きれいにラッピングされたものがいくつか積み上げられていた。
 セブンは、まだそちらには手をつけないままに、その山を見やる。
(あれは、どういった方々にあげるものなのでしょう?)
 紅茶で喉を潤しながら、彼女は内心に小さく首をかしげた。
「あれ、全部誰かにあげるの?」
 その耳に、シュラインが訊いているのが聞こえる。
「ええ。義理チョコだけど……ここでよく顔を合わす人たちと、草間さん、それに妹尾さんと三月うさぎさんにもあげようと思って」
「ああ……」
 答える汐耶に、シュラインが納得したようにうなずいた。
(ああ、なるほど、そうでしたか)
 セブンも、胸の中でうなずく。
 妹尾というのは、この事務所にも時おり顔を出す、セラピストの青年だ。三月うさぎは、彼と親交のある「時空図書館」と呼ばれる不思議な場所の管理人だという。セブンは会ったことがないのだが、草間や零、シュラインとは旧知の間柄らしかった。
(わたくしも、他のお世話になっている方々に、義理チョコを贈る方がいいのでしょうか。……でも、材料がもうありませんし……何より、あれは草間様たちのためのもの)
 セブンはしばし逡巡した後、決定を下す。
(贈り物は、心がこもっていればいいのですから……他の方々には、買ったものを贈ることにしましょう。ラッピングを自分でして、カードをつければ、問題ありません)
 そして、すっきりした顔で、零のケーキの最後の一欠片を口に入れた。

【完成――ラッピング】
 おしゃべりしながらお茶を飲むうちに、三時間があっという間に過ぎた。
 みなみが冷蔵庫から、型に入れた生チョコを取り出す。まな板の上には、茶こしでココアパウダーが広げられ、生チョコが来るのを待っていた。
「おちついて。慌てないでね」
 シュラインが、型から生チョコを取り出しているみなみに、そっと声をかける。
「はい」
 みなみはうなずいて、型から出してオーブンシートをゆっくりはがすと、生チョコをまな板の上へと乗せた。そして、その上に慎重な手つきで茶こしを小さく揺すりながら、中身のココアパウダーをふりかける。
 それが終わると、今度は包丁で切り分ける作業に入った。最初もそうだったが、どうにも彼女の包丁を持つ手つきはおぼつかない。
 チョコの切り口は、幾分いびつになってしまっているものもあった。しかし、シュラインの助言で、みなみがそこへもココアパウダーをふりかけると、それもあまり気にならなくなった。
「できた!」
 茶こしを脇に置いて、みなみが声を上げる。セブンたちも、思わず大きく息を吐き出した。
「おめでとう。よくがんばったわね」
「初心者とは思えない、素晴らしい仕上がりです、みなみ様」
「おめでとうございます、みなみさん」
 シュラインとセブン、零が次々と言う。
「あ、ありがとうございます!」
 みなみは、感激したように、彼女たちに礼を返した。
「一つ、食べてみたら? 自分で作ったチョコの味を、覚えておくのも悪くないわよ」
 汐耶がそれへ言う。
「あ……。はい」
 うなずいて、みなみはそっと一つをつまみ上げ、口に入れた。
「美味しい……」
 ややあって、その口から低い叫びが漏れる。
「私、今までチョコレートって、こんなに美味しいものだとは思いませんでした」
「それは、みなみ様の真剣な心がこもっているからだと思います」
 セブンは、優しく微笑んで言った。
「そうね。……真剣に作ったから、きっと美味しかったのよ」
 冴波も、うなずいて言う。それへ同意するように、遮那も言った。
「みなみさんの彼氏も、きっとよろこんでくれますよ。だって、こんなに一生懸命作ったんですから」
「はい。ありがとうございます」
 みなみは、もう一度、セブンたちに向って、頭を下げた。
 その後、セブンたちもみなみに勧められて、一つづつ味見をした。たしかにそれは、口溶けのやわらかな、美味しいものに仕上がっていた。
 やがて、完成品を箱に詰め、きれいにラッピングする。みなみは、けして不器用なわけではないらしい。四角い箱を丁寧に包装紙に包み、リボンをかけた。
 それを見やって、シュラインが口を開いた。
「ところで、作業中の反省点だけど……。失敗の一番の原因は、注意力が足りないというか、ちょっとそそっかしいところじゃないかしら」
「あ……。工程をチェックしていて、僕もそう思いました」
 うなずいて言ったのは、遮那だ。
「その……別に、時間が決められていて、大急ぎで作らなくちゃいけないってわけじゃないんですから、一つ一つ自分で確認しながら、丁寧にやって行けば、そんなに失敗はしないと思います」
「そ、そうでしょうか……」
 みなみは、神妙な顔で二人の言葉を聞いていたが、おずおずと言った。
「そうね。レシピのあるものは、おちついてそのとおりにやれば、大丈夫なんじゃないかしら。もしかして、料理も今まで、慌てすぎて失敗していたとか?」
 汐耶に問われて、みなみは少し頬を赤らめた。
「そ、そうかもしれません。学校の調理実習でも、塩と砂糖を間違えたりとか、水の分量を間違えたりとか、よくしてました」
 その言葉にセブンは、ふと彼女が雑談の中で、両親はパンの工房はおろか、台所へも自分を入れてくれない。だから家では、料理の手伝いもしたことがなく、そんな両親への反発から自分はよけいにパン嫌いで、料理が苦手になったのだと話していたことを、思い出した。そして、ふと気づく。
(もしかしたら、みなみ様のご両親は、そのそそっかしさを危なく思って、立ち入らせないようにしていたのではないでしょうか)
 たいていの料理は火を使うし、パンの方は売り物だ。みなみに危険なことがあっても、パンに問題があっても困る。彼女の両親は、そう考えているのではないか。
 セブンがそんなことを考えていた時、冴波が言った。
「みなみさん、一度、お母さんと一緒に料理を作ってみたらどうかしら。事前に、何を作るのかお母さんに聞いて、材料や手順のことも覚えて、今日やったみたいに。そしたら、お母さんも食事の手伝いをするのを、許してくれると思うけど」
「え……」
 みなみが、驚いたように顔を上げる。
「ああ、それはいいですよね。そしたらきっと、料理の技術もつくし、慣れたら最初からおちついてできるようになりますよ」
 遮那が、大きくうなずいた。みなみは、そんな彼を見やり、それからセブンたちを順番に見やった。そして、うなずく。
「はい。やってみます」
 その顔には、明るい笑顔が浮んでいた。

【エンディング】
 そして、二月十四日。
 草間の手伝いで外に出ていたセブンは、彼と共に事務所への帰路をたどりながら、みなみのチョコレートを、その彼が喜んでくれただろうかと考えていた。
(わたくしの作ったムースは、皆さんに、とても喜んでもらえました)
 ふと先日のことを思い出し、彼女は胸に呟く。
 あの日、みなみの生チョコがちゃんと完成したのを見届けてから、セブンは自分のチョコレートムースを冷蔵庫から出した。こちらもむろん出来上がっていたので、きれいに一つづつラッピングして、他の者たちが帰る時、渡したのだ。
 もちろん、草間と零とシュラインにも、渡した。三人とも、とても喜んでくれたし、実際美味しかったようなので、彼女はホッと胸を撫で下ろしたものだった。
 市販のチョコを買って贈ることにした、義理チョコの方も一日早いが昨日のうちに用意して、すでに配り終えている。
 一方、汐耶はラッピングしたブラウニーをいくつか、顔見知りに渡してほしいと、興信所に預けて帰った。草間と遮那の分は、あの場ですでに二人とも食べていたので、その中にはなかったが。
 また遮那は、思いがけず美味しいチョコレートをいくつも食べられて、うれしそうだった。ただ、最後にみなみの書いたレシピの紙を、彼が折りたたんでポケットに入れていたのが、今でもセブンには少しだけ疑問だ。
(自分で作ってみるつもりなのでしょうか)
 彼女は首をかしげたものの、真相はいまだ謎のままである。
 事務所に戻ってみると、シュラインはすでに帰宅した後だった。が、セブンは零から、みなみが礼を言いに事務所を訪れたことを聞かされた。
「みなみさんの彼、チョコレートをすごく喜んでくれたそうです。みなみさんは彼にはパンや洋菓子嫌いなことを言っていなかったそうですが、彼は気づいていたようだと言っていました。だから、よけいに感激してくれたそうです。それと、家でもジャガイモの皮剥きだとか、材料の野菜を切るとかいった、簡単なことを手伝わせてもらえるようになったそうで、改めて、みんなにお礼を言っておいてほしいと言っていました」
 その時の様子を、そんなふうに語る零に、セブンは微笑んでうなずく。
「それはよかったです。わたくしも、レシピを教えた甲斐がありました」
「はい。……それに、みなみさんの彼もいい方だとわかって、うれしいです」
「そうですね。チョコレートに込められた想いに気づける、素晴らしい方です」
 零の言葉にうなずいて、セブンも言った。
 やがて、零の作った夕食をテーブルに並べる手伝いをしながらセブンは、みなみとその彼の幸せを祈ると共に、自分が満ち足りていることをも、そっと噛みしめるのだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【4410 /マシンドール・セブン /女性 /28歳 /スペシャル機構体(MG)】
【0506 /奉丈遮那(ほうじょう・しゃな) /男性 /17歳 /占い師】
【1449 /綾和泉汐耶(あやいずみ・せきや) /女性 /23歳 /都立図書館司書】
【4424 /三雲冴波(みくも・さえは) /女性 /27歳 /事務員】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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●マシンドール・セブン様
はじめまして。ライターの織人文です。
依頼に参加いただき、ありがとうございます。
作品の方は、こんな感じになりましたが、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。