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2月14日
天気は晴れ。まだ雪雲の名残なのか、あちこちに雲が点在しているが、とりあえずがこの近くに雨が降るという予報は出ていない。
だがそれでもまだまだこの季節は寒く、風は身を凍えさせようとするかのように冷え切っていた‥‥‥
「まだまだ!さぁ、来い!」
「だああああ!!」
そんな寒気の中、関係ないとばかりに、熱の籠もった道場内でプロレスの稽古に明け暮れる男達。リングの中で、マットの上で、サンドバッグの前で‥‥
気合いの入った大きな掛け声と、激突する体の打撃音を聞きながら、和泉 大和はあっさり殴り倒された。
「ほら、サッサと立て!プロレスラーの売りは力とタフネスだ。これぐらいで眠るんじゃねぇぞ!!」
「はいッ!」
「ようし良い返事だ。オラァッ!」
「ッ!?」
再びハッ倒される大和。相撲で鍛えていた大和であるが、さすがに毎日鍛錬に勤しんでいるものが相手では、かなり分が悪かった。
長い間の猛稽古で鍛えた体は強靱で、それでいて大和の体を破壊しないように押さえられた拳が、大和のボディーにヒットする。
マットの上に転げる体に、先輩の体が乗っかかってきた。
自分よりも更に一回りも二回りもある重量に、大和の口から苦悶の声が漏れる。
「リハビリは順調みたいだな。だが、まだまだ手足の感覚が甘い。いくら食らって耐えてがなんぼのプロレスでも、まともに喰らいすぎると、また体を壊すぞ?ってオイ。聞いてるのか?」
「き、聞いてます!ギ、ギブ!ギブアップ!」
「しょ〜がねぇ〜な〜〜」等と言いながら、先輩は大和の上から退いて、大和が回復するのを待った。
大和は息も絶え絶えになりながら、なんとか半身を起こし、膝に手を当ててコキコキと動かしてみた。
「まだ、痛むのか?」
その様子を見て、先輩が聞いてくる。
だが大和は首を振り、苦笑しながら立ち上がった。
「いえ、もう大丈夫です。これは、癖みたいなもんで‥‥」
そう言いながら、大和は後頭部を掻いた。
プロレスへの正式な転向を決め、リハビリを始めた大和の回復力は大したものだった。
稽古を始めている今でも、まだリハビリのために病院に通ってはいるが、もう日常生活で引きずるような事はない。
‥‥‥だが、いくらリハビリと大和の驚異的な回復力を持ってしても、それを良い事にもう稽古に付き合わされたのでは回復するものもしないのである。
あんまり無理をし過ぎるのは止められているため、正直練習メニューを減らして欲しい所なのであるが‥‥‥
「三十秒休憩終了!行くぜ!」
「ちょっ、まだ早ッ‥‥グハッ!?」
今度は蹴り倒され、大和は倒れ込んだ所に監獄固め(相手の足を交差させ、自分の両膝を使ってロックし、関節を極める)で関節を極められ、悲鳴を上げた。
何だかもう、滅茶苦茶タフな先輩ばかりなのである。まぁ、そうでもなければやっていけないのだろうが、長い間マネージャー業をしていた大和についていけるものではない。
だが大和は、体に走る痛みに耐え、なんとか技から脱出しようと試みる。
「この‥‥‥これぐらいで!‥‥‥ぬわぁ!」
より一層力が籠められ、悶絶する大和‥‥
だがその痛みは、突然耳元に届いた少女の声で掻き消された。
「大和。大丈夫か?」
「え‥‥‥?あ、綾香!?なんでこんな所に?」
大和は叫びながら飛び起き、突然現れた婚約者、御崎 綾香に訊いていた。その大和の後ろで、技を極めていた先輩が「なっ、いつの間に外した!?」等と叫んでいるが、もはや大和の耳には入っていない。
それ程までに大和にショックを与えた綾香は、周りから注目される中、手に持っている包みを持ち上げて、大和に見せた。
「差し入れだ。道場の皆さんにも‥‥今日はバレンタインだから、一応チョコにしてみたんだが‥‥」
綾香の言葉を盗み聞きしていた者達が歓声を上げた。声は広い道場内を突き破り、表通りにまで響いていたのだが、そんな事に気が回る者は一人も居ない。
歓声に驚いている綾香に、大和は溜息混じりに小声で話しかけた。
「悪いな驚かせて」
「いや‥‥まさかここまで喜んで貰えるとは‥‥‥」
「まぁ‥‥ここに女が来るって時点で、滅多にない事だからなぁ‥‥‥」
と言うか見た事がない。今にも綾香の持つ包みからチョコを強奪しそうな勢いのものを妻帯者(または恋人持ち)が押さえつけ、ギリギリの線で均衡が保たれている。
もしここでその均衡が破られた場合、最も危険なのが綾香なのだと気が付いた大和は、出来るだけ皆から守れるようにと体を動かし、皆との間に立ち塞がった。
「おい五月蝿いぞ!一体何を騒いで‥‥おお!誰かと思ったら、大和の彼女じゃないか。もう来てたのか」
皆の歓声を聞き付けてきたのだろう。道場に隣接している事務所から駆け込んできたジムリーダーが、綾香を見るなり声を上げた。
途端、今まで張り詰めていた道場内の空気が、一変して再び動き出し、全員練習を再開した。
見事なまでの変わり身である‥‥‥まだ数人がこちらを睨んでいるが、ジムリーダーの手前、強く出て来る事はないだろう。
一瞬で変わった空気に脱力しながらも、大和は走り寄ってきたジムリーダーに振り向くと、溜息混じりに口を開いた。
「‥‥‥知ってたんですか?綾香が来る事‥‥‥」
「ン?ああ、知ってたぞ。昼頃に電話があったからな」
シレッと言ってのけるジムリーダー‥‥‥
大和がムスッとしていると、綾香はその顔を見て小さく笑っているジムリーダーに、手に持っていた包みを差し出した。
「これ、差し入れのチョコです。よろしければどうぞ」
「おお、ありがとうよ。ありがたく貰っておこう。今日は、このまま見学していくかい?」
「いえ。これから帰って、家の手伝いをしなければなりませんので、これで‥‥」
「そうかい。それは残念だ‥‥‥大和、「もう来るな」とか、そう言う事は言うなよ?この道場にも華が欲しいからな」
「‥‥‥‥綾香。用があるんなら、今日はもう‥‥」
「わかった。それじゃ、また今夜に」
綾香は大和に押されるようにして扉へ向かい、それから道場内にお辞儀をしてから帰っていった。
大和は扉の横についている窓からその後ろ姿を見送り、そして‥‥
「そうか‥‥‥今夜か‥‥‥‥‥‥‥‥」
「!!?」
背後から放たれる殺気に、凍り付いた。
「幸せそうだねぇ‥‥」
「なぁ、差し入れのチョコよ、全部『義理』って丁寧に書いてあるぜ‥‥‥」
「そうか‥‥‥本命は誰だろうなぁ‥‥」
「いや、あの‥‥‥その‥‥‥‥‥‥‥」
いつの間に現れたのか、トレーニングを再び中断してきた先輩達は大和の周りを取り囲み、薄ら笑いを浮かべながら躙り寄ってくる‥‥‥
その背後でやはり妻帯者や恋人持ちの先輩方が奮戦してくれているが、綾香という枷を失った今、先程のように均衡状態に持っていく事すら出来ていなかった。
大和の背中を冷たい汗が伝う‥‥
逃げたいが、四方を囲まれて逃げ場が無くなっていた。
「あー‥‥‥お前達の気持ちも分からんでも無いが、大和に構う前に、ちょっと大変な事になったぞ?」
これから大乱闘を始めようと身構えている仲間達に、ジムリーダーが包みの中に入っていた箱の中を覗き込みながら声を掛けてきた。それでも躙り寄る足は止まらなかったのだが、続く言葉を聞き、その歩みはピタリと止まる。
「ひぃ…ふぅ…みぃ‥‥‥やっぱりだ。大分数が足らないな。これじゃぁ、団体員の半分が脱落かな?」
ピタッ
大和に掴みかかってきた数人の団員を含めて、その場にいるほぼ全ての人間が凍り付いた。
逆に大和はチャンスとばかりに、そそくさとジムリーダーの背後へと移動する。
ジムリーダーはチョコの数を数えてから、考え込むように唸り、皆の顔を見渡した。
「さて、このチョコはどうするかな‥‥誰が食べるべきか‥‥‥」
「はいはいはい!俺!俺です」
「待てぇ!貴様よりもまず俺‥‥」
「いや、ここはやはり勝負で‥‥」
ワイワイガヤガヤと、怒鳴り声と悲鳴、冷静な意見等々で、あっと言う間に道場内が埋め尽くされる。
まるで工事現場のような騒々しい道場の中で、大和は耳を押さえて唸っていた。
「なんで綾香のチョコぐらいでここまで‥‥」
「大和、そんな発言を聞き付けられたら、お前本当に殺されるぞ?」
大和の隣で同じように耳を塞いでいたジムリーダーは、苦笑しながらそう言った。
「でも、これどうします?収拾付きそうにないですよ‥‥‥」
「そうだな‥‥良し。それじゃぁ、争奪戦でもするか!!」
「え?でもこの状態じゃぁ、誰も聞く耳持ったりしないと思いますが‥‥」
「任せろって。オイコラ!てめえ等‥‥‥聞けーーーー!!」
ジムリーダーは怒鳴りながら、未だに騒がしく争っている団員達掻き集め始めた。必死になって混乱を押さえようとしている者達も手伝って、なんとか場の騒ぎは収まり、そして全員が大きなリングの上に集まった。
そして‥‥
「ぁ〜っと‥‥俺はそのチョコはいらないので、見学という事で―――」
「よし!まずは大和!お前で百人抜きしろ!!」
「無理だぁ!?」
何故か差し入れのチョコを辞退した大和もリングに上げられてしまい、一番手酷くやられたのだった‥‥‥
「大和………大丈夫か?」
「‥‥大丈夫だ。少しスパーがきつかっただけ‥‥痛っ」
帰宅早々玄関先にへたり込む大和に駆け寄ってきた綾香は、心配そうにその体に手を当てた。夕飯の用意でもしていたのだろう。綾香はエプロンを着けており、手は少しだけ湿っている。
あれから普段の数倍近く容赦のないスパーリングの嵐を受け続けた大和は、ようやく安心して力が抜けたのか、体から僅かに疲れが抜けていくのを感じていた。
痣と疲労でヨロヨロになりながらも立ち上がり、綾香の手を取って歩き出す。
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ。見ての通り全然敵わなかったけど、大丈夫だ。それより、夕ご飯は出来てるか?本当に一日中動いていたから、腹減ってな‥‥」
心配げな綾香に笑って返すと、大和は美味しそうな香りの漂っているリビングへと入っていった‥‥‥
それから数時間後。
大和と綾香は一緒に夕ご飯を食べ終えて片付けをし終わると、二人でリビングでくつろいでいた。今日は綾香が大和の家に泊まり込む日であるため、いつものように門限を気にするような事もなく、大和はじゃれついてくるカー助の相手をしながら、綾香と談笑している。
もっぱら出て来る話題は、今日の出来事だ。何しろプロレス道場であの騒動である。さすがに綾香のチョコでボロボロになった事は伏せておいたが、それでも話題に事欠くような事はなかった。
「まったく、明日がリハビリの日で良かったよ。そうでなけりゃ、さすがに体が保たなかっただろうからな」
「大和、その体、明日病院で診て貰うんだぞ?また体を壊されたら大変だからな」
「そうだな。折角順調に直ってきてるのに、ここで怪我してたらまた逆戻りだ」
綾香は大和の話を聞きながら笑い、微笑んでいた。大和も普段の昼行灯さを感じさせずに、楽しそうに談笑を楽しんでいる。
そうこうしている内に時間は経ち、やがてもうそろそろ寝ようかという頃合いになった頃‥‥‥綾香は眠りに着いたカー助を確認してから、小さな包みをコッソリと持ち出し、お風呂から出て一息ついている大和の背後に回り込んだ。
「はい。これ」
「ん?なんだ」
突然渡された包みに驚いていた大和だが、綾香がうっすらと赤面した顔で「バレンタインチョコだ‥‥」と呟くのを聞き、思わず頬が綻んでしまった。
「なんだ‥‥その‥‥‥神社では作った事がないから味の良し悪しは解らないが、団体の皆様へ差し入れたのとは一緒にするな。その‥‥頑張ったんだからな」
「‥‥‥‥よっと」
「なっ!?」
モゴモゴと口籠もっていた綾香を、大和は笑いながら抱きしめた。
驚きの声を出して硬直する綾香だが、それも数秒だけ‥‥‥
大和の優しい抱擁の中で、静かに目を閉じた。
「ありがとうな。早速食べさせて貰うから」
「‥‥ああ、感想を聞かせてくれ」
バレンタインチョコを手にし、優しく抱きしめてくる大和に気恥ずかしさを感じながら、綾香は笑顔で答えていた。
★★参加PC★★
5123 和泉・大和 (いずみ・やまと)
5124 御崎・綾香 (みさき・あやか)
★★ライター通信★★
毎度ご発注ありがとうございます。メビオス零です。
度々の納期遅延、本当に申し訳ありません。バレンタインに間に合わず、かなりの遅れとなってしまいました。
今回の内容はドタバタコメディー風味でありますけど、どうでしょうか?大和が大和っぽくないような‥‥‥でも道場内の先輩相手だし、敬語で良いのか。うん。
では、本当に手短ですが、またご感想の程をお聞かせ頂けたら幸いです。なんとか体調も回復してきましたので、これからは頑張らせて貰います。
風邪などに掛からぬようにお体を大事にして下さいませ。
では改めて、今回のご発注、誠にありがとうございました。(・_・)(._.)
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