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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


バレンタイン大作戦

【オープニング】
 その日、草間興信所を訪ねて来たのは、珍しくも零の客だった。
 彼女がよく行くパン屋の娘で、高校生のみなみである。
 草間は、一応気を利かせたのか、用ありげに外に出て行き、零は事務所の中でテーブルを挟んでみなみと向き合う。
「私にご用って、なんですか?」
 尋ねる零に、みなみは幾分ためらった後、いきなり頭を下げると叫んだ。
「お願い! 私に、美味しいチョコレートの作り方を教えて!」
「ち、ちょっと……みなみさん?」
 さすがに、零も面食らう。
 改めて事情を聞くと、彼女は最初の勢いはどこへやら、ぽつぽつと話し始めた。
 みなみは、料理が大の苦手で、卵焼き一つ作れないし、もちろんお菓子はクッキーやホットケーキの類ですら、作ったことがない。ところが、昨年の秋に初めての彼ができた。来る二月十四日は、彼氏持ちになって初のバレンタインデーである。当然ながら、彼にはチョコレートを送ろうと、今から準備をしていた。友人に相談したら、手作りにする方がいいと言われ、レシピを教わって、チョコレート作りに挑戦することになった。
 ところが。何度やっても、この世のものとは思えない凄まじい味と見た目のものしか、できないのだ。最初は励ましつつ教えてくれていた友人にも、とうとう匙を投げられてしまった。そこで彼女は、零が菓子も作れると言っていたことを思い出し、相談に来たというわけだ。
 話を聞いて、零は考え込んだ。たしかに菓子作りは嫌いではないが、人に作り方を教えたことはない。それに、みなみの話を聞いただけでも、かなり大変だろうことが予想される。
 しばし考え、零は言った。
「それなら、こうしましょう。私一人では、みなみさんにお教えする自信がありませんから、私の友人たちに、知恵をお借りして、みんなで教え合いながら、バレンタインのチョコを作りましょう」
「ええ!」
 みなみの顔が一瞬にして輝き、大きくうなずくのだった。

【みなみの作ったチョコ】
 バレンタインも近い二月十二日の日曜日。たまたま草間興信所へ遊びに来た奉丈遮那は、零から相談を受けた三雲冴波、シュライン・エマ、「なな」ことマシンドール・セブン、綾和泉汐耶の四人が集まっているのに出くわした。話を聞いて、興味を持ち、彼もとりあえず何か手助けできることがあればと、仲間に加わることにした。
「ええっと……まずは、どんなチョコを作って、どんなふうに失敗したのかを聞いておこうかしら」
 みなみにそれぞれ自己紹介した後、口を開いたのは、シュラインだった。
 遮那も、それは聞いてみたいところだ。
 高校生だが占い師でもある彼は、客からの相談に乗る参考になればと、自分でチョコレートを作ってみたことがある。といっても、溶かして型に入れて固めるだけの、簡単なものではあったが。ただ、それだけに、レシピがあってそのとおりに作るなら、それほど凄まじい味になることはないと思っている。なのでまず、そんなものになってしまった原因を、探る必要があると思ったのだ。
 他の者たちも、似たような考えなのか、彼女の答えを待ってじっとそちらを見詰めている。
 事務所の椅子に腰を下ろしたみなみは、少しだけ居心地悪そうに身じろぎした後、答える。
「初めて作った時には、チョコレートを溶かすのに、お水と一緒に煮込んでしまって。……それと、間違えて生地にジャムを塗ってから焼いたんです」
「そもそも、どんなチョコレートを作ろうとしたの?」
 冴波が尋ねた。
「あ……。ザッハトルテっていう、チョコレートケーキです」
 みなみの言葉に、遮那たちは思わず顔を見合わせる。
 ザッハトルテとはたしか、チョコレートを混ぜて焼いたスポンジの間にアプリコットジャムを挟み、全体をチョコレートでコーティングしたものだったはずだと、遮那はおぼろげな記憶をたどる。なぜ、そんなことを知っているのかといえば、あやかし荘の管理人・因幡恵美が以前、そのケーキの話をしていたことがあるからだ。スポンジ作りに手間隙がかかり、大変だと言っていた覚えもある。料理が苦手で菓子作りも初めてという人間には、難しいのではないかと、彼には思えた。
 更に詳しくみなみの失敗談を聞くと、彼女は一度目を失敗した後、レシピをくれた友人に泣きついたらしい。それで、チョコを溶かす正しい方法等はわかったものの、今度は粉類の分量が、計量器の目盛りが正確にゼロ位置に来ていなかったために、全部十グラムづつ多い状態になってしまっていた。しかも、チョコを湯せんで溶かす際に、傍にあった醤油さしを倒してしまい、中身がチョコに入ってしまった。が、少しだったし大丈夫だと決めつけて、そのまま製作を続けた結果、ザッハトルテとは到底言えない味のものが出来上がった。
 三度目に挑戦した時には、ベーキングパウダーを小麦粉と間違えて大量に入れ、苦くて食べられなかった。そして四度目の時には溶かす際、チョコレートに水をこぼしたのと、卵白がちゃんと泡立っていなかったため、これまた悲惨なことになってしまったのだ。そして、ここで友人には匙を投げられてしまった。「前の失敗が克服できても、新しい失敗をするんじゃ、私には教えるのは無理」「売ってるのを買った方が、きっと彼も喜ぶ」という、いささか胸に突き刺さる言葉の数々を残して。
「なんとも涙ぐましい努力をされたんですね」
 遮那は聞き終えて、小さく溜息をつくと言った。そして、ためらいがちに続ける。
「しかし……僕は、チョコレートは簡単なのしか作ったことがないので、なんとも言えませんが……その、お題が難しすぎたんではないでしょうか」
「私もそう思うわ」
 うんうんと大きくうなずいたのは、シュラインだ。
「そうね。初めて作るのなら、もっとクッキーとか、簡単なものにしたらいいと思うわ」
 冴波も横から言った。
「クッキーやブラウニーなら、手順が簡単で、凝って見えるわね。……一番失敗がないのは、チョコを溶かして固めるだけのものだけど、それじゃ嫌でしょうし」
 考え考え、汐耶もうなずく。
「最低限の作り方や、必要な道具、材料などのデータなら、わたくしが所有していますから、それをお教えすることができますが」
 セブンが補足するように、口を挟む。炊事洗濯など、一般生活へのサポート能力も有しているスペシャル機構体である彼女のデータには、当然しっかりとさまざまな料理のレシピも存在しているのだ。
「たしかに、クッキーやブラウニーも初心者向きだけど……生チョコなんかどうかしら。あれなら、切り口ゆがんでもココアパウダーをまぶすと気にならないし、固めるのも冷蔵庫だから、温度調節や時間の加減で失敗する心配もないし」
 シュラインが、少し考え込んだ後、言った。
 と、みなみがおずおずと口を開く。
「あの……ブラウニーとか生チョコって、どんなものですか? それと、チョコでクッキーなんて、できるんですか?」
 さすがに、この問いには、全員が目を丸くした。それを見やって、みなみは身を竦めるようにうつむいた。
「私……うちがパン屋なんですけど、両親はパンのことしか頭にないような人たちなんです。それで私、パンが嫌いで……反動で洋菓子は全般的に好きじゃないんです。食べたこともないし、友達と一緒に買いに行ったこととかもありません。だから……よくわからないんです。すみません……」
 話すうち、彼女の声は徐々に小さくなって行く。
 遮那たちは、再び顔を見合わせた。洋菓子が嫌いで、料理も苦手、菓子作りは初めてというみなみが、それに挑戦しようというのは、よほどその彼が好きなのだろう。そのけなげな心情に、いくらか感じるところがあって、遮那は優しく言った。
「謝らなくてもいいですよ。……誰だって苦手なものや、知らないことはありますから」
「そうよ。それに、チョコレート作りも準備にちゃんと時間をかけて、分量をきっちり量って、一つ一つ丁寧にやれば、大丈夫」
 シュラインもうなずいて、場を取り成すように言った。そして、尋ねる。
「そういえば、みなみさんの彼って、甘いもの大丈夫なの?」
「ええ、それは平気です。……っていうか、甘いケーキとか、大好きなんです。それで、友達にもケーキのレシピを教えてもらったんですけど……」
 うなずく彼女に、遮那はなるほどと思う。しかし一方では、やはりケーキは彼女には難しすぎるのではないかと思った。かつての恵美の言葉や、今集まっている面々の表情を見れば、あのふわふわしっとりのスポンジの食感を出すことが、意外に大変らしいことが、そんなものなど作ったことのない彼にも、なんとなく感じられるのだ。
(みなみさんは、少しそそっかしいみたいですしね……)
 彼は、軽く眉をひそめて、胸の中で考える。
 それは、他の者たちも同じだったようだ。
 結局彼らは、粉を使わず、固めるのも簡単な生チョコを作ることに決定したのだった。

【下準備】
 必要な材料をそろえると、冴波たちはまず、慎重に生チョコ作りの下準備に取り掛かった。
 下準備に時間をかけよう、というのはシュラインが提案したことだ。
 まず、レシピを書き出してすぐに見えるところに貼り、材料は分量をきっちり量って、使う順番に並べる。もちろん、調理台の上には、必要のないものは置かない。それと、みなみの作業工程を誰かがチェックし、製作終了後に、何か問題はなかったか全員で考えてみる、といったものだ。
(たしかに、ここまできっちりやれば、大丈夫ですよね。それに、これなら僕でも作れそうなぐらい簡単ですから……)
 セブンが自分のデータから呼び出したレシピを、みなみが聞きながら懸命に書き写しているのを見やり、内容を聞くともなしに聞きながら、遮那は胸に呟く。
 レシピは、事務所にあった油性のマジックで、まるで学校や会社の壁に貼られた注意書きか何かのように、黒々と大きく書き上げられ、調理台の前の窓ガラスにテープで貼り付けられた。
 次に、これまたセブンの監督の下、材料をきっちり量る。
 その間に遮那は、零、冴波、汐耶の三人と一緒に、調理台付近と念のためテーブルの上の、菓子作りには必要ないもの――醤油やソースといった調味料から、沸騰ポットや灰皿まで、全てかたずけてしまう。
 彼らがそれを終えたころ、みなみも計量を終えて、今度は材料を順番に並べ始めた。
 生チョコは、まさに初心者向きのもので、材料自体も至って少ない。製菓用スィートチョコに生クリーム、無塩バター、ラム酒、ココアパウダーだけだ。それに、固めるための型とクッキングシート、小さい鍋、ボウル、チョコを刻むためのナイフか包丁、混ぜるためのゴムベラ、茶こし、まな板があれば事足りる。
 それらを、まるでコース料理よろしく使う順番に並べて、下準備は終わりを告げた。後は、いよいよ作るだけである。

【チョコレート作り】
 生チョコを作る手順は、だいたいこんなふうだ。
 まず、チョコレートを細かく刻み、バターは室温に戻しておく。小さい鍋に生クリームを入れて弱火にかけ、沸騰の直前に火から下ろす。ボウルに刻んだチョコレートを入れ、温めた生クリームを加えて、混ぜながら溶かす。更にバターを加えて、全体がなめらかになるまで、ゴムベラで静かに混ぜる。ラム酒を加えて更に混ぜ、粗熱がとれて表面に艶が出、とろりとしたら出来上がりだ。これを、オーブンシートを敷いた四角い型に流し入れ、冷蔵庫で二、三時間かけて冷やし固める。
 固まった生チョコは、仕上げにココアパウダーをふりかけて、二、三センチ角の食べやすい大きさに切ればいい。食べるまでは、冷蔵庫で保存しておくのがベストだろう。
 つきっきりで教えることになった冴波とシュラインに挟まれるようにして、みなみは真剣な顔でチョコレートを刻み始めた。が、料理が苦手というだけあって、その手つきはなんとも危なっかしい。
(ちょっと、見ていてハラハラしてしまいますね)
 シュラインから、彼女の工程のチェックを頼まれた遮那は、内心に苦笑しながら、その手元を見守る。
 とりあえず、生クリームを温めるあたりまでは、問題なく進んだ。次は生地を混ぜる作業だ。部屋の隅のストーブのおかげで、室内は温かい。おかげで刻んだチョコレートも、温めた生クリームを加えると、少しやわらかくなったようだ。
「気をつけて、慌てないようにゆっくりね」
 混ぜ始めたみなみに、シュラインが声をかける。
「はい」
 うなずくみなみは、真剣そのものだ。全体にチョコレートが溶けて、生クリームが茶色に染まる。
「そろそろ、バターを入れてもいいんじゃない?」
「そうね」
 冴波に言われて、シュラインがうなずいた。
「バターを入れてね」
「はい」
 うなずいてみなみは、やわらかくなって、なんとなくぐんにゃりしたバターの欠片を乗せた皿を取り上げる。やわらかいバターは、皿を傾けただけでは、なかなかボウルの中に落ちてくれない。焦ったのか、彼女は皿を軽く振ろうとした。
(え?)
 遮那はぎょっとして、目を剥く。
「ダメよ!」
「ゴムベラを使って!」
「おちついて!」
 同時に、冴波とシュライン、テーブルの方で自分のブラウニーを作っていた汐耶の口から、非鳴のような叫びが上がった。
「は、はい!」
 とっさに返事したものの、みなみは返って焦ってしまったのだろう。バターは皿ごとボウルの中に落下した。
「あ……」
 みなみが凍りつき、キッチンに一瞬、沈黙が訪れる。
 それを破ったのは、セブンだった。
「大丈夫です。ここにある皿は、零様やシュライン様、わたくしが清潔に保っていますから、食べ物の中に落ちても、まったく問題ありません」
 言って彼女は、調理台に歩み寄ると、どこからか取り出したトングで、ボウルの中の皿をつまみ上げた。まだ呆然としているみなみの手から、ゴムベラを奪い取ると、それできれいに皿についたチョコと生クリームの混合物、それにバターをこそげ落とす。
「これによる材料の損失は、必要量の0.05パーセント程度です。味、香り、外観などに、問題はありません」
「ななさんの言うとおりです。材料をこぼしたわけじゃないんですし、大丈夫ですよ」
 取り成すように、零も横から言った。
 それでようやく、遮那たちも我に返った。
「そ、そうね。……食べる時には、お皿に入れる場合もあるんだし」
 冴波の言葉に、シュラインもうなずいて、みなみを促す。
「ええ、問題ないわ。さ、続きをやりましょ」
「は、はい」
 みなみは、幾分泣き出しそうな顔になりながら、それでもけなげにうなずいた。
 再び生地を混ぜ始めたみなみを見やって、遮那は小さく溜息をつく。
(みなみさんって、思っていた以上に大雑把というか、そそっかしいんですね。……たしかに、あんな大声を上げたら、驚くのは当然かもしれませんが、しかし……)
 叫んだ三人の気持ちもわかると、彼は思った。彼自身であっても、あの状態ならば、ゴムベラでこそげ落とす方を選ぶだろうから。
 そんなことを考えつつも、彼はみなみの一挙一動を真剣に見詰める。
 テーブルの方では、汐耶とセブン、零の三人がそれぞれ、手作りチョコ製作の真っ最中だ。もっとも、一心不乱にそれに取り組んでいるのはセブンだけで、汐耶と零は時おり心配げに、みなみの方を見やっている。
 しかし、その後は彼ら全員の祈りが通じたのか、みなみは失敗することもなく、無事に生チョコの生地を練り上げ、型に流し込んで、冷蔵庫に収めるところまでこぎつけた。
 冷蔵庫の扉を閉めて、みなみは大きく溜息をついた。
「これで、固まるのを待てばいいんですね?」
「そうよ。ちょっと時間がかかるけれどもね」
 シュラインが、うなずく。
「それじゃあ、待つ間、お茶にしませんか?」
 そう提案したのは、零だった。
「私、チョコミルククレープを作りましたから」
「私の作ったブラウニーも、みんなに味見してもらおうかしら。たくさん作ったし」
 うなずいて言ったのは、汐耶だ。
 そんなわけで、遮那たちは、少し休憩することにした。

【休憩――お茶の時間】
 なんとなくホッとしてテーブルに腰を下ろしてから、遮那はいつの間にかキッチンが、チョコの香りで充満していることに気づいた。みなみの行動に注目していたせいで、あまり気にしていなかったが、この香りは汐耶や零、セブンの作った菓子のものだろう。
 やがてテーブルの上には、セブンの入れた紅茶と、零が切り分けたチョコミルククレープ、それに汐耶が作ったブラウニーが並んだ。
 そこへおりよく、草間が帰って来る。
「いい匂いだな」
「お兄さん。少し早いけど、バレンタインのチョコを作っていたんです」
 匂いにつられてキッチンへ顔を覗かせた草間に、零がうれしそうに言って、中へと誘う。どうやら、彼女の作ったケーキは、本来草間のためのものだったようだ。彼の前に置かれた皿のケーキには、チョコレートのバラが添えられていた。
(いいですね、こういうの。……僕も管理人さんからの、本命チョコがもらえれば、どんなに幸せでしょう)
 遮那はそれを見やって、ついついそんなことを思う。因幡恵美からは、毎年チョコレートをもらってはいるが、それはあくまでも義理チョコだ。彼女は、毎年違ったチョコレートを大量に作り、あやかし荘の住人らや隣近所の人々に配っている。彼がもらうのは、その中の一つにすぎない。
 以前チョコレートを作った時に、作り方を教えてくれて、手伝ってくれたのも彼女だった。しかし、作り方を教えてほしいと頼んだ時には「誰か男の人にあげるの?」と、からかわれてしまった。
 いくら童顔で華奢で、外見が女の子みたいだとはいえ、けして同性が好きなわけではない――どころか、当の恵美が好きな彼にとってそれは、痛い一撃だった。
(せめて管理人さんには、ちゃんと男として認識してもらえるようになりたいです)
 そんなことを思いつつ、彼はまず、汐耶のブラウニーに手をつけた。それは、胡桃やアーモンド、干しぶどう、ココナッツなどを細かく刻んだものを、ココア入りの生地に練り込んだ、素朴だが芳ばしいケーキだった。
 一方、零のケーキは名前のとおり、ココアパウダーを混ぜて焼いたクレープの生地の間に、チョコカスタードを塗ったものを何枚も重ねて、ケーキ状にしたものだった。
 そちらにも気を惹かれながら、遮那はブラウニーを堪能する。
 ふと見ると、汐耶はずいぶんたくさん焼いたらしく、テーブルの隅にきれいにラッピングされたものが、いくつか積み上げられていた。
(あれも、義理チョコなわけですか。……汐耶さんを好きな人にとっては、残酷な仕打ちですよね。手作りで、その上こんなに美味しいのに、義理でしかないなんて)
 自分のことと考え合わせて、なんとなくすさんだ気持ちになりながら、彼はまた一切れ、ブラウニーを口に運ぶ。
 その耳に、あれを渡す相手について話している汐耶とシュラインの会話が届いて、彼は思わず小さな溜息を漏らした。

【完成――ラッピング】
 おしゃべりしながらお茶を飲むうちに、三時間があっという間に過ぎた。
 みなみが冷蔵庫から、型に入れた生チョコを取り出す。まな板の上には、茶こしでココアパウダーが広げられ、生チョコが来るのを待っていた。
「おちついて。慌てないでね」
 シュラインが、型から生チョコを取り出しているみなみに、そっと声をかける。
「はい」
 みなみはうなずいて、型から出してオーブンシートをゆっくりはがすと、生チョコをまな板の上へと乗せた。そして、その上に慎重な手つきで茶こしを小さく揺すりながら、中身のココアパウダーをふりかける。
 それが終わると、今度は包丁で切り分ける作業に入った。最初もそうだったが、どうにも彼女の包丁を持つ手つきはおぼつかない。
 チョコの切り口は、幾分いびつになってしまっているものもあった。しかし、シュラインの助言で、みなみがそこへもココアパウダーをふりかけると、それもあまり気にならなくなった。
「できた!」
 茶こしを脇に置いて、みなみが声を上げる。遮那たちも、思わず大きく息を吐き出した。
「おめでとう。よくがんばったわね」
「初心者とは思えない、素晴らしい仕上がりです、みなみ様」
「おめでとうございます、みなみさん」
 シュラインとセブン、零が次々と言う。
「あ、ありがとうございます!」
 みなみは、感激したように、彼女たちに礼を返した。
「一つ、食べてみたら? 自分で作ったチョコの味を、覚えておくのも悪くないわよ」
 汐耶がそれへ言う。
「あ……。はい」
 うなずいて、みなみはそっと一つをつまみ上げ、口に入れた。
「美味しい……」
 ややあって、その口から低い叫びが漏れる。
「私、今までチョコレートって、こんなに美味しいものだとは思いませんでした」
「それは、みなみ様の真剣な心がこもっているからだと思います」
 セブンが、ふいに優しく微笑んで言った。
「そうね。……真剣に作ったから、きっと美味しかったのよ」
 冴波も、うなずいて言う。遮那もそれへ同意して言った。
「みなみさんの彼氏も、きっとよろこんでくれますよ。だって、こんなに一生懸命作ったんですから」
「はい。ありがとうございます」
 みなみは、もう一度、遮那たちに向って、頭を下げた。
 その後、遮那たちもみなみに勧められて、一つづつ味見をした。たしかにそれは、口溶けのやわらかな、美味しいものに仕上がっていて、文句のつけようがなかった。
 やがて、完成品を箱に詰め、きれいにラッピングする。みなみは、けして不器用なわけではないらしい。四角い箱を丁寧に包装紙に包み、リボンをかけた。
 それを見やって、シュラインが口を開いた。
「ところで、作業中の反省点だけど……。失敗の一番の原因は、注意力が足りないというか、ちょっとそそっかしいところじゃないかしら」
「あ……。工程をチェックしていて、僕もそう思いました」
 遮那もうなずいて言う。
「その……別に、時間が決められていて、大急ぎで作らなくちゃいけないってわけじゃないんですから、一つ一つ自分で確認しながら、丁寧にやって行けば、そんなに失敗はしないと思います」
「そ、そうでしょうか……」
 みなみは、神妙な顔で二人の言葉を聞いていたが、おずおずと言った。
「そうね。レシピのあるものは、おちついてそのとおりにやれば、大丈夫なんじゃないかしら。もしかして、料理も今まで、慌てすぎて失敗していたとか?」
 汐耶に問われて、みなみは少し頬を赤らめた。
「そ、そうかもしれません。学校の調理実習でも、塩と砂糖を間違えたりとか、水の分量を間違えたりとか、よくしてました」
 その言葉に遮那は、ふと彼女が雑談の中で、両親はパンの工房はおろか、台所へも自分を入れてくれない。だから家では、料理の手伝いもしたことがなく、そんな両親への反発から自分はよけいにパン嫌いで、料理が苦手になったのだと話していたことを、思い出した。そして、ふと気づく。
(もしかしたら、ご両親がみなみさんを台所にも入れないのは、このそそっかしさを心配してのことだったのかもしれませんね)
 たいていの料理は火を使うし、パンの方は売り物だ。みなみに危険なことがあっても、パンに問題があっても困る。彼女の両親は、そう考えているのではないか。
 彼がそんなふうに考えていると、冴波が言った。
「みなみさん、一度、お母さんと一緒に料理を作ってみたらどうかしら。事前に、何を作るのかお母さんに聞いて、材料や手順のことも覚えて、今日やったみたいに。そしたら、お母さんも食事の手伝いをするのを、許してくれると思うけど」
「え……」
 みなみが、驚いたように顔を上げる。
「ああ、それはいいですよね。そしたらきっと、料理の技術もつくし、慣れたら最初からおちついてできるようになりますよ」
 遮那も、大きくうなずいた。みなみは、そんな彼を見やり、それから零たちを順番に見やった。そして、うなずく。
「はい。やってみます」
 その顔には、明るい笑顔が浮んでいた。

【エンディング】
 そして、二月十四日。
 遮那は客足が途絶えたのを機に、ふと息をついて、みなみはどうしただろうかと考えた。
 学校が終わった後、彼は両親の営む占いの店で、占い師としての仕事に励んでいた。
(ななさんの作ったチョコレートムースも、美味しかったですね)
 みなみのことを考えたせいで、あの日の帰り際、セブンにもらった菓子のことも連鎖的に思い出し、彼は思わず苦笑する。もっとも、セブンの本命は草間と零、シュラインだったらしいが。
 そういえば汐耶は、あのラッピングしたブラウニーをいくつか、顔見知りに渡してほしいと、興信所に預けて帰ったようだ。遮那と草間の分は、あの場で食べたからか、その中にはなかったようだが。
 途中、幾分すさんだ気持ちになった遮那も、帰るころにはすっかり楽しい気分になっていた。なにしろ、思いがけず美味しいチョコレートをいくつも食べられたのだし、みなみのチョコもうまくできたのだから。
 最後に彼は、ふと思いついて、みなみの書いたレシピの紙を、折りたたんでポケットに入れて帰った。
 帰宅した彼は、因幡恵美にそれを見せて、作るのを手伝ってほしいと頼んだ。みなみの話をして、もし彼女のような悩みを持つ客が来た時に、的確なアドバイスができるようになりたいからと言って。
 翌日の夜、彼は恵美と共に生チョコを作り、一日早いバレンタインを楽しんだのだった。
(本命ではなくても、管理人さんの楽しそうな顔が見れて、僕もうれしかったです。生チョコも、美味しかったですし……)
 その時のことを思い出して、彼は小さく吐息をもらす。
 まだ夕方といっていい時間だが、外はけっこう暗くなり始めていた。店内は暖房が効いているせいで、熱いほどだ。彼は、客が来ないのをいいことに、新鮮な空気を求めて、外へ出た。と。
「遮那さん!」
 声をかけられ、ふり返る。そこには、学校の帰りらしいみなみの姿があった。
「みなみさん」
 驚く彼に、みなみは深々と一礼する。
「先日は、ありがとうございました」
「いえ……」
 思わず笑ってかぶりをふる彼に、みなみはこれから草間興信所へ行くところだと告げた。
「彼の反応はどうでしたか?」
 遮那が気になっていたことを尋ねると、彼女はたちまち頬を紅潮させた。
「とってもよろこんでくれました」
 彼女が言うには、パンや洋菓子が嫌いなことを話していなかったにも関わらず、みなみの彼はそれに気づいていたようで、だからよけいに彼女の手作りチョコに感激したらしい。また、家でもジャガイモの皮剥きや、野菜を切るなどの簡単なことは手伝わせてもらえるようになったという。
「そうですか。よかったですね」
「はい」
 微笑んで言う遮那に、みなみは大きくうなずいた。
「これもみんな、遮那さんたちのおかげです。本当に、ありがとうございました」
 もう一度頭を下げると、彼女は小さく手を振って、その場を立ち去って行く。
 それをこちらも手を振り返しながら見送り、店内に戻ると遮那はふと思いついて、タロットカードをシャッフルし、一番上の一枚を手にして表に返した。現われたのは、手を取り合って微笑み合う恋人同士の姿だった。二人の頭上では、小さな天使が祝福を与えている。
(素敵な人が彼で、よかったですね、みなみさん。どうか、お幸せに)
 そっとカードを戻しながら遮那は呟き、外へと続くドアの向こうへと微笑みかけるのだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0506 /奉丈遮那(ほうじょう・しゃな) /男性 /17歳 /占い師】
【1449 /綾和泉汐耶(あやいずみ・せきや) /女性 /23歳 /都立図書館司書】
【4424 /三雲冴波(みくも・さえは) /女性 /27歳 /事務員】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4410 /マシンドール・セブン /女性 /28歳 /スペシャル機構体(MG)】

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■         ライター通信          ■
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●奉丈遮那さま
はじめまして。ライターの織人文です。
依頼に参加いただき、ありがとうございました。
バレンタインは、好きな女の子のいる男の子にとっても、
気になる日かもしれないなと思いつつ、書かせていただきました。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。