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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


「幸福な王子」の呪い

「こちらでございます」
 武彦が案内されたのは、屋敷の地下にある一室だった。
 
 今回の依頼人は、長倉(ながくら)という老資産家である。
 裸一貫から会社を立ち上げ、様々な手段で――中には、あまりおおっぴらには言えないものもある、というのがもっぱらの噂だが――競合他社を蹴落とし、出し抜き、ついには業界有数の企業にまで育て上げた傑物であった。
 昨年の春に経営の第一線から退き、隠居生活に入ったとされているものの、その影響力はいまだ健在だと囁かれている。

 その長倉が、わざわざ地下室を指定してくるとなれば、これは厄介な話に間違いない。
 武彦がそんなことを考えていると、目の前の扉がゆっくりと開いた。





「どうやら、私は何者かに呪いのようなものをかけられたらしい」
 武彦の顔を見るなり、長倉はぽつりと一言そう口にした。
 えらく落ち込んでいるようで、気のせいか、顔色も悪いように見える。
「それで、一体どんな呪いなんだ」
 武彦がそう尋ねると、長倉は少し迷ってこう答えた。
「困っている人間を見ると、どうしても助けずにはいられなくなってしまうのだ」

 困っている人間を見ると、助けずにはいられなくなってしまう。
 はたして、この程度のことが「呪い」と言えるのだろうか?
 噂によれば、彼も昔はそれなりにあくどいことをやっていたらしい。
 その罪の意識が、今になって彼にその罪滅ぼしを強いているだけなのではないのか?

「いいことじゃないか。
 これだけ金があるなら、慈善事業の一つくらいやってもいいだろう」
 つい、そんな言葉が口をついて出た。
 すると、長倉はかすかに腹立たしげな表情を浮かべる。
「一つで済むなら、な。
 だが、それでもう『困っている人』が私の目の前に現れなくなる保証はあるか?」
 武彦がその言葉の意味を計りかねていると、長倉は深刻な表情でこう続けた。
「これは善意などという生やさしいものではない。強制なのだ。
 気が向くか向かないか、あるいは、私の手に負えるか負えないかにかかわらず、見捨てるという選択ができなくなってしまっているのだ」

 なるほど、これは確かにとんでもない呪いである。
 困っている人の話を聞く度に片っ端から助けようとしていては、身体も資金もいくらあっても足りるものではない。

「幸い、今は直接困っているところを見ない限り、なんとか見なかったことにすることもできる。
 おかげで、いきなり全財産を投げ打って難民救済事業に乗り出す、などという事態は回避できたが、それもいつまで続くかわからん」
 その言葉で、武彦はようやく長倉がこんな所に閉じこもっていた理由を理解した。
「それで、この密室なわけか」
「ああ。外部からの情報を全て遮断しておかなくては、いつ何時何が起こるかわからん」

「このままでは、いつ出られるかわかったものではない。
 これまでずっと仕事、仕事で生きてきて、隠居した後くらいは自分の好きなように生きようと思っていたのに、なんということだ」
 困り果てたように頭を抱える長倉。
 その姿を見ているうちに、武彦は自分がひどく落ち着かない気持ちになっていることに気がついた。
「ちょっと待て。まさかとは思うが、その呪いは感染するのか?」
「何のことだ?」
「そうやって目の前で困られると、なんとしてもあんたを助けなきゃならないような気がしてきた。
 とはいえ、この状態で表に出れば、多分あんたが心配していたのと同じ目に遭う」
 武彦が正直にそう告げると、長倉はますます困惑したような表情を浮かべた。
「そうやって、私の目の前で困らないでくれ!
 私が自分で雇った探偵を助けるのではあべこべもいいところだが、私も君を助けずにはいられなくなってきた。
 しかし、私にはどうしたらいいのか皆目見当もつかない……」

 困っている長倉の姿を目にしていると、どんどん焦燥感が強くなっていく。
 そして、その焦りの表情が、ますます長倉の苦悩を増大させる。

 ことここに至って、武彦と長倉は一致団結して事態の打開に当たることを決意した。
「こうなったら、応援を呼ぶしかないな。
 俺の人脈の全てを使ってでも、この呪いを何とかしよう」
「そうしてくれれば私も助かるし、君も助かる。
 私にできる事は資金を提供する事くらいだが、このための協力なら惜しまんよ」

 かくして、武彦のコネと、長倉の資金力を駆使しての「解呪方法探索大作戦」が開始されたのであった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「……と、いうわけなんです」
 零の話を聞いて、由良皐月(ゆら・さつき)は大きくため息をついた。
「なんていうか、厄介な呪いねぇ。
 言い方きついけど、善行は自分に余裕がある範囲で行ってこそでしょうに」
 人に強制されて行うのでは善行の意味がないし、自分の身の丈に合わぬ無茶な「善行」をしようとして、かえって周囲に迷惑をかけるようでは本末転倒である。
「特に、草間さんに伝染るってどうなのよ?」
 ただでさえ、武彦はロクに報酬も得られないような事件まで――本人の意志によるかどうかはともかくとして――多数手がけているのだから、これ以上の「善行」を要求されるいわれなどないはずである。

 そういった呪いの効果の方もさることながら、今回の呪いに関して一番厄介なのは、やはり「人から人へ伝染する」ということであった。
 その仕組みの方はまだよくわかっていないが、仮に二次感染者からさらなる感染拡大が起こりうるのであるとすれば、放っておけばこの呪いはどんどん広がっていくだろう。

「何にしても、これ以上被害者が出ると厄介だわ。
 まずは、呪いの感染メカニズムを早急に解明する必要がありそうね」
 シュライン・エマが冷静に事態を分析する。
 彼女も最初に話を聞いた時には困惑の色を隠せずにいたが、どうやらすでに落ち着きを取り戻しているようである。
「とりあえず、私は一度長倉さんのお屋敷に行ってみようと思うの。
 試料や情報を収集すれば、感染経路や、ひょっとしたらこの呪いの原因も見つかるかもしれないし」
 確かに、感染経路の特定には、やはり一度現場へ向かう以外に方法はないだろう。
 少なくとも現時点では武彦以外の人間には感染していないことを考えると、直接長倉や武彦と接する愚を犯さなければそこまでのリスクもあるまい。

 いずれにせよ、二人で揃っていくほどのことでもないだろう。
 そう考えて、皐月は自分のやるべきことを決めた。
「それじゃ、私の方はネットや雑誌なんかを当たってみるわ。
 ひょっとしたら、以前にもこういう呪いが使われたことがあるかもしれないし」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 シュラインから電話が来たのは、その日の夕方だった。
「……で、どうだった?」
『感染経路については、現時点ではなんとも言えないわ。
 長倉さんや武彦さんがいる部屋の空気とか、二人の汗や涙とか、そういった試料は集まったけど、分析の結果が出るまでには少し時間がかかるみたい』
 少なくとも、感染経路解明のためにできることは、すでにほとんど終わったらしい。
 人事は尽くした、後は天命を待つのみ、と言うところだろうか。
『呪いの原因に関しても、一発でクロと断定できるようなものはなかったわね。
 屋敷を改築したとか、そういうことはなかったみたいだし。
 そのころ長倉さんが手に入れたようなものは一通り分析を依頼してみたけど、これもやっぱり結果が出るには多少かかりそうなのよ』
 こちらに関しても、やはり今すぐ結果が出る、というようなことは期待できないらしい。
「何か、違和感のあるような家具や美術品なんかはなかった?
 あと、使用人が増えたり、入れ替わったりとかは?」
『分析を依頼したものまで含めても、特に違和感のあるようなものは見受けられなかったわ。
 屋敷にいる使用人は家政婦さんが二人に料理人さんが一人、あとは執事さんの合わせて四人ね。
 このうち一番最近入ったのは家政婦さんの一人らしいけど、その人が来たのも三年以上前の話で、最近新しく人を雇ったようなことはないみたい』
 皐月が懸念していたようなことも、特にはなかったようだ。
 もっとも、使用人がいるということは、当然その中に犯人がいる可能性もあるわけだが、今のところ特に疑うに足る理由を持つ者はいないだろう。

 ともあれ、シュラインの方はそれなりの収穫はあったものの、事態を一気に進展させるような発見はなかったらしい。
 そして、それは皐月の方も同じだった。
「こっちも、とりあえず一歩前進といった感じね。
 呪術関連のデータを当たってたら、なかなか面白いものが出てきたわ」
『……というと?』
「対象の精神に影響を与える呪術の中に、『特定の感情を制御できなくする』術があるみたいなのよ。
 簡単な術じゃないみたいなんだけど、欲望の類や怒りなんかを暴走させて、対象を破滅させる、って使い方をされたことが何度かあるみたい」
 現在の所、呪術の有用性は、少なくとも科学的には実証されていない。
 よって、仮に呪いによってある人物の欲望のたがが外され、その人物が犯罪に及んだ場合、その人物は法による裁きを受けることを免れ得ない――例え、真相を知る人間によって術者が倒されるようなことがあったとしても。
 そう考えれば、これは非常に厄介な術であると言えるだろう。
 それが決して簡単なものではないことが、せめてもの救いであった。

 けれども、今回の術者は、ただこの術を使ったわけではない。
「もちろん、この術は本来伝染したりはしないから、何らかのアレンジが加えられているのは間違いないけど、ベースはこの術の可能性が高いんじゃない?」
 このただでさえ高度な術をベースに、さらなるアレンジを行い、呪いに伝染性を加える。
 呪いにあまり詳しくない皐月には、それがどれほどの苦労を必要とするものなのか、正確にはわからない。
 しかし、それが決して簡単でないであろうことは、容易に想像できる。

「いずれにせよ、今回の相手は予想以上の強敵みたいね」
『……そうね』

 一歩進んで、視界は広がった。
 だが、それによって新たに見えてきたものは、強大な敵の姿だけだった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 その翌日。
 シュラインは複数の情報屋と接触し、こういった呪術の類を得意とする術者で、最近急に羽振りの良くなった者がいないかどうか、徹底して尋ねて回った。

 ところが、その結果はあまり思わしくなかった。
 もともと呪術師などというのは、人に恨みを買いやすい職業である。
 それ故に、派手な浪費を自重しているのかもしれないが……いずれにせよ、この方法では犯人にはたどり着けそうもない。

 さらに、午後に入って次々とよくない知らせがもたらされた。

 まず、シュラインが昨日収集した試料の分析を頼んでいた相手から、その全てがシロである可能性が高いという報告が入ったのだ。
 呪いの原因についてはともかく、想定した感染経路が全て間違っていたというのは痛い。
 これで、昨日せっかく一歩前進したものが、半歩くらいに縮まってしまった。

 その上、長倉の過去について調べていた皐月からは、「長倉を恨んでいてもおかしくない相手が多すぎる」という知らせが届いた。
 どうやらこの長倉という男、本当に手段を選ばないタイプだったようで、会社が小さいうちはチキンレースの如くグレーゾーンギリギリまで踏み込んで、そして時にはグレーどころか真っ黒に近いところまで踏み入ってでも仕事をかっさらい、会社が大きくなってきてからは取引先や銀行に圧力をかけることも当たり前のようにしてライバルを屈服させ、ひたすら覇道を邁進してきた人物のようである。
 当然、途中で潰した会社、路頭に迷わせた人々の数は決して少なくなく、中には首を吊った者までいるという話であった。
 これでは、一体どれだけの人間に恨まれているかわかったものではない。

 とはいえ、もはや残るラインはそれくらいしかない。

「こうなったら、長倉さんを恨んでいるかもしれない相手を、しらみつぶしに調べるしかないわね」

 当然時間はかかるし、敵の術者に見つかる可能性も高くなる。
 そして何より、今回の相手はほぼ間違いなく全員が非協力的だ。
 それを気取られぬように探らなければならないとなると、まさに気の遠くなるような話であった。

『そうなると、草間さんは当分あそこに残しておくしかないわね。
 二人で延々と困り果ててなくてもいいように、部屋くらい別々にしてもらえてればいいんだけど』

 今の状態の武彦を表に出すわけにも行かないから、当然そういうことになるだろう。
 少なくとも武彦の衣食住は保証されているし、武彦が不在の間興信所を維持する費用くらいは長倉に請求できるだろうが……やはり、情報の一切遮断された所に閉じこもっていなければならない武彦のことを思うと心が痛む。

 だが、事件を短期間で解決できる見通しは、どうやっても立たなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 そして、調査開始から、三日目の夜。

「犯人がわかったわ」
 長倉邸との電話で、皐月はきっぱりとそう言いきった。
『おお! それでは、呪いを解く方法も?』
 電話の向こうにいるのは、恐らくシュラインが言っていた執事だろう。
「いいえ。それは、これから犯人に聞くのよ」
 皐月がそう答えてから、返事が返ってくるまでには、一瞬の間があった。

『そうでしたか。
 それでは、私はさっそくこのことを旦那様にお知らせして参りますので、呪いの解き方がおわかりになりましたら、もう一度ご連絡下さいませ』

 ――やはり、間違いない。

「待って。まだこっちの用は済んでないわ」
 電話を切ろうとする執事を、皐月が呼び止める。
『はあ……何でしょうか?』
 困ったような声を出す彼に、皐月は一言こう尋ねた。
「あの呪いの解き方を教えてくれないかしら、犯人さん?」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 よく、「夢の中に問題を解決するためのヒントが出てくる」という話がある。
 皐月もそういった話を耳にしたことはあったが、そんな都合のいいことが本当にあり得るかどうかについては半信半疑だったし、ましてそれが自分の身の上に起きるなどとは想像したことさえなかった。

 調査が手詰まりとなった、二日目の夜。
 皐月の夢の中に、学生時代の友人が二人出てきた。
 と言っても、それが誰であったかは、実はあまり関係がない。
 重要なのは、そのうちの一人がクシャミをし、続いてもう一人も同じようにクシャミをした、ということだった。

 最初のクシャミで、もう一人に風邪がうつった――わけでは、もちろんない。
 二人が風邪をひいているのか、それ以外の理由があったのかはわからないが、二人はたまたま続けてクシャミをしただけであって、その二つのクシャミの間には何の関連性もない。

 ……と、いうことは?
 二人の人間が、いかにも関連性のありそうなタイミングで同一の症状を呈したとしても、その二つを結ぶ糸が見つからない限り、「その二つに関連性がある」という考えにとらわれるのは危険なのではないだろうか?

 そこで、皐月は目を覚ました。
 謎は、すでに八割方解けていた。





 推理を終えた皐月は、さっそくシュラインに電話をかけた。

「普通に考えてみて。
 もしあの呪いが本当にうつるとしたら、真っ先にうつる可能性が高いのは誰だと思う?」
『それは、長倉さんと一番接する機会の多い人だから……やっぱり屋敷の人たち、特に執事さんなんか危ないんじゃないかしら』

 その通り。
 もしあの呪いにそこまで強い感染力があり、相手もすぐに発症するのだとしたら、すでに屋敷にいる面々には感染していないとおかしい。

「それなのに、屋敷の使用人には呪いに感染したと思われる人はいない。なぜ?」
『呪いが本格的に効果を発揮する前に、長倉さんが自分を隔離する形になったからじゃない?
 それ以降は、誰とも直接には会ってないという話だったし』

 確かにそうとも考えられるし、昨日まではそうだと思っていた。
 だが――考えようによっては、逆のことも考えられる。

「そう。
 犯人はそうやって長倉さんを隔離し、もし呪いに伝染性があったとしても、誰にも感染しない状況を作り出したのよ」
 皐月のその言葉に、シュラインが怪訝そうな顔をする。
「『もし』って、どういうこと?
 現に、武彦さんのあの様子を聞く限り、呪いが伝染したとしか……」

 おそらく、武彦自身もそう思ったのだろう。
 しかし、その時点で、すでに犯人の思惑に乗せられてしまっていたとしたら?
 以後の捜査が、空回りばかりになってもおかしくはない。
 そう、例えば、今回のように。

「もう一つ可能性があるわ。全く同じ呪いをかけられた、という可能性よ」

 術者の力量にもよるが、一人呪うことができれば、二人呪うことができてもおかしくはないだろう。
 少なくとも、術をアレンジして感染性を持たせるよりは、簡単なのではあるまいか。

「みんながうつったと言うから、ついつい私もうつったものと思いこんでたけど。
 落ち着いて考えてみると、うつったという証拠はどこにもないのよね」

 そして、それが事実だとすると――。

「だとすると、犯人はあの屋敷の中に?」
 そう聞き返してくるシュラインに、皐月はさらに自分の考えを述べた。
「それを証明できる根拠がもう一つあるわ。
 犯人がどうしてわざわざこんな呪いをかけたのか、ってことよ」

 長倉の同情心のたがを外すというのは、復讐としてはきわめて回りくどい。
 わざわざそんな手を選ぶことにメリットがあるとすれば、一体どんなメリットがあるだろう?

「もちろん、これまで長倉さんがしてきたことへの仕返しという意味もあるとは思うけど、
 それと同時に、犯人は長倉さんが急速に破滅することを望んでないんじゃないかという気がするのよ。
 そして、長倉さんが呪いの効果によって、本当に無一文になってしまっても困る。
 そう考えたからこそ、犯人はわざわざこんな呪いを選び、その上で実際には呪いが効果を発揮しないように、長倉さんを隔離した」
『そうすることにメリットがあり、また、それができるのは、長倉さんに雇われているこの屋敷の使用人しかいない――と?』

 そう。
 長倉が罪を犯して収監されるようなことになったり、家屋敷まで全て売り払うようなことをしてしまえば、当然、ここで雇われている面々も職を失うことになる。
 それを避けながら復讐を果たす方法として、長倉が「自ら望んで軟禁状態に置かれるようになる」というこの呪いは、まさにうってつけだったのだろう。

「だから、後はその四人の素性なんかを調べて、ちょっとした証拠固めをすれば、多分解決までにそんなに時間はかからないと思うわ」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 その後、二人が真犯人を割り出すまでには、ほんの半日ほどしかかからなかった。

 屋敷にいた執事が、二十五年ほど前に長倉によって会社を潰され、ついには借金を苦に一家心中したある社長の娘と恋仲であったこと。
 長倉が地下室にこもるようになった直接の原因が、紅茶をこぼして困惑する執事の姿を目にしたことであったこと。

 その他諸々の証拠をつけて、皐月は自分の推理を執事に話した。

「……というわけで、これらの証拠から判断する限り、私は犯人はあなたしかいないとふんでるんだけど」

 その言葉に、執事はしばし沈黙し……やがて、ぽつりとこう返してきた。

『あなたの推理……いくつか間違っていますよ』

 どこか、推理にミスでもあっただろうか?
 皐月は一瞬慌てたが、続けて耳に飛び込んできたのは意外な言葉だった。

『旦那様は……いえ、長倉は、手段を選ばず突き進んできました。
 家族のため、社員のため、それはわかります。
 ですが、それは他のものを踏みつけにしていい理由にはならない』

 彼が自らの主人を「長倉」と呼んだということは――つまり、彼が犯人だということ。
 そのことを、彼は一切否定しようとはしなかった。

『私はね。
 誰にも迷惑をかけたくなかったのですよ。
 だから待ったのです……長倉の下で、十五年も』

 恋人の仇の下で十五年も雌伏の時を過ごしたという彼の忍耐強さに、皐月も内心舌を巻く。
 何が、一体この男にそうまでさせたのだろう?

『あなたの言うような方法で長倉を破滅させるのは簡単でした。
 ですが、そうしたらワンマンの会社は一気に傾きかねなかった。
 多くの人が生活の不安に襲われ、悪くすれば路頭に迷う。
 それをしてしまったら、私は長倉と同じになってしまう』

 彼は、長倉を憎み――それ以上に、彼がしたことを憎んだ。
 だから、彼にはできなかったのだ。
 自分の復讐のために、他の人間を巻き添えにすることが。

『私は待ちました……長倉が表舞台を退くのを。
 仮に長倉がいなくなっても会社に大きな影響がないよう、二代目社長が体制を固めるのを。
 それでも、まだ長倉には――私はさておくとしても、コックと二人のメイドがいる。
 私が長倉を突然破滅させたら、きっと彼らが困ることになる。
 だから、私は……長倉一人に、静かに復讐を果たすことにしたのです』

 そして実際、事態は彼の計画通りに進んだ。
 長倉が地下室に閉じこもった他は、ほとんど他の誰にも迷惑などかからなかったのだから。

 少なくとも、武彦が長倉に呼ばれるまでは。

「でも、あなたは草間さんを巻き込んだ」
 その指摘に、電話の向こうから小さなため息が聞こえてくる。
『長倉が草間探偵を呼べと言った時、私はどうするか迷いました。
 ですが、彼は直接草間探偵と会わないことにはどうにも納得しそうになかった。
 怪奇探偵と名高い草間探偵のこと、放っておけばきっと真相に辿り着いてしまう。
 そこで……草間探偵を迎えに行った車の中から、髪の毛を一本いただきまして……後は、ご推察の通りです』

 全てが計画通りに進むと思われた矢先に起こった、予期せぬ事態。
 そのことに、彼は少なからず動転し……そして、自ら定めた「越えてはいけない一線」を越えてしまったのだ。

『たった一人……そう思ってしまった時点で、私の負けでしたね』
 もう一度、大きくため息をつく男。

 確かに、彼のやったことは許されることではないが……事情が事情でもあるし、同情の余地はある。

「幸い、今ならまだそこまでの被害は出てないみたいだし。
 あなたが呪いを解いてくれれば、解呪方法は見つかったけど、犯人は見つからなかった、ってことにしてあげてもいいわよ?」
 皐月がそう提案すると、男は少しの間沈黙し、やがてこう答えた。
『今夜のうちに呪いは解いておきます。明日の朝にでも、偽の薬か何かを持ってきて下さい』





 翌朝。

 皐月とシュラインのでっち上げた偽薬を飲ませてから――中身については、「きっと知らない方がいいと思う」の一言で押し通したが、実際には小麦粉やらなにやらを適当に混ぜただけである――呪いの効果が残っているかを確認してみたところ、呪いはきれいに消えていた。

 そして、呪いと一緒に、あの執事の姿も消えていた。
 家政婦の一人などは「彼が犯人だったのではないか」と口にしたりもしたが、長倉はそれをきっぱりと否定した。
「あいつが私を裏切ることなどあるものか」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 帰り道。

「……呪いが効いているうちに、報酬の交渉を済ませておくんだったか」
 ぼそりと一言、武彦がそんなことを呟いた。
 長倉から支払われた報酬は、三日間で事件が解決したことを思えば決して安いものではなかったが、多すぎるというほどでもなかった。
 もちろん、捜査にかかった必要経費も別に支払われている。
「これだけもらえれば十分なんじゃない?」
 シュラインはそうなだめるように言ってみたが、なかなか武彦の機嫌は直らない。
「この三日間、俺がどれだけ辛い目にあったかを思えば、これでもまだ少ないくらいだ」

 確かに、ずっと地下室に閉じこめられて、しかも気の休まる暇もないとあっては、その辛さは想像するに余りある。

 ……が、武彦が「辛い目に遭っていた」理由は、実はとんでもないところにあった。

 彼らがいた地下室は、早い話が密閉空間であるため……この三日間、武彦は一本たりとも煙草を吸えなかったのだ。
 その上、煙草を吸えないことで武彦が困っていると、それを見て長倉が困り、その姿が今度は武彦の目に止まる。
 煙草が吸えないこと自体と合わせて、武彦にとっては二重の苦しみだったのだろうが……正直なところ、そこまで同情できる内容ではない。

「いっそ、この機会に本当に禁煙したら?
 健康のためには、その方がいいと思うんだけど」
 シュラインの冗談めかした提案を、武彦があっさりとはねつけたことは言うまでもない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 5696 /  由良・皐月   / 女性 / 24 / 家事手伝
 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

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■         ライター通信          ■
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 撓場秀武です。
 この度は私の依頼にご参加下さいまして誠にありがとうございました。

 えー……さすがにしょっぱなから誤導情報、というのは厳しかったでしょうか?

・このノベルの構成について
 このノベルは全部で八つのパートで構成されており、シチュエーションの関係上分岐はございません。

・個別通信(シュライン・エマ様)
 今回はご参加ありがとうございました。
 というわけで、今回はこのような結果になりましたが……いかがでしたでしょうか?
 もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。