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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


不器用と天邪鬼

「13日の晩は空いてますか? 出来れば翌日のお昼くらいまで」
 電話でとりつけた約束。
 ともすれば、初めて告白をする少女のような行動ですね――そんなことを考えながらステアリングを握るモーリス・ラジアルの表情は甘く柔らかい。
 人当たりの良さならばいつものことだが、自然と含まれる密やかな艶は決して万人に対して向けられるものではない。
 少しだけ背筋を伸ばし、バックミラーに視線を馳せる。映っているのはもちろん自分の顔。まじまじと眺めるようなものではないのだが、つい自分で見入ってしまい、我に返って小さく吹き出す。
 車内に誰もいなくて良かった――否、誰もいないからこそ外へ綻び出す気持ち。
「まったく、こんな顔をしていては何を言われるかわかりませんね」
 どことないわざとらしさをにおわせ、唇だけを引き結ぶ。けれどエメラルドの瞳に宿る、えもいわれぬ色だけは如何ともし難く。
 それに、何を言われるか分からない――なんてことはない。
 おそらく、彼の人は。
 普段は眠そうにしている切れ長の目を一瞬だけ見開き、それからどこか困ったように笑うのだろう。
 あの少々消極的な恋人は。
 意識を運転の方に切り替える。今度はさきほどとは違う、本来の意味合いでバックミラーへ目を移す。ぽっかりと異空間に落ち込んだかのように人気のなくなった一帯は、モーリスの操る車に続く影は皆無。
 と、不意に盛大な溜息を一つ。
 バックミラーにチラとだけ映った自分の額。その眉が描くカーブだけで、またしても自分の表情が読み取れてしまう。
「本当に、絶滅危惧種じゃあるまいし」
 純粋培養、世俗とは無縁で育てられた無垢な深窓のご令嬢でもあるまいに。一泊二日の小旅行を前に、思いがけず胸を弾ませている――実のところ、第三者の目から見れば常日頃のモーリスとなんら変わる所はないように見えているのだが――自分の事を胸の内側で小さく詰る。
 このままでは永遠に抜け出せないパラドックス世界の住人になりかねない。
 そう悟ったモーリスは、アクセルを踏む足に力を込める。
 加速による重力を殆ど感じさせない高級車は、茜色に染まり始めた西の空の輝きを映しつつ、目的地である廃教会を目指し疾走を続けた。


「ようこそ、いらっしゃいませ」
 簡素であるが品の漂う和服に身を包んだ女性が二人。それからその背後にも数人。畳の縁に擦りつきそうなくらいに頭を下げられ、アドニス・キャロルは困惑を隠しきれずに隣に立つ金色の髪の持ち主に救いを求める。
 けれど救いを求められた当の本人――モーリスは、余裕の態度を崩さぬまま、彼女達を見下ろしいつもの笑みを浮かべていた。
「……彼女たちは?」
「この旅館の女将さんと若女将さん。後ろの人たちは仲居さんですね。日本の旅館ではこうやって宿泊客を迎えるのがしきたりなんだそうですよ」
 なんと丁重な人種なのだろうか。
 感心する暇もなく、手にしていた小さな荷物は『仲居さん』とモーリスから説明された女性達の手に渡り、今度は靴を脱いで上がるようにと進められる。
「当旅館は全館畳敷きとなっております。ぜひ裸足で歩いてみてください。外国のお客様ならなおさら感動だと思います」
 まだ暗くなりきるには少し早い夕刻、アドニスが現在の住居としている廃教会へと訪れたモーリス。事前に約束は取り付けられていたので、特に驚くことはなかったものの、車に乗せられてから後は、何処へ向かっているのかアドニスが尋ねてみても返ってくるのは『秘密です』という悪戯っこのような微笑ばかり。
 ならば任せておこうと思ったものの、楽しげに笑うモーリスの姿が何とも言えず、つい何度か同じ質問を繰り返してしまった。
 その間にも二人を乗せた車は首都高速を抜け、都心から遠ざかる。
 やがて辿り着いたのがここ――東京から2時間ほど車で走った山間部に建てられた、日本情緒溢れる旅館。
 建物は近年建て替えられたのか、流行を取り入れた和風モダンなたたずまい。けれど旅館自体には相当な歴史があるのだろう、全体的な雰囲気から感じるひなびた風情が心の奥に染みて来る。
 既視感にも似たノスタルジー。ここで生まれたわけでも、育ったわけでもないけれど。古い歴史が持つ特有の魂の共振。
 モーリスもアドニスも、長い歴史の中に在る者だから。
「宿泊のお客様ですね。モーリス・ラジアル様と……お連れの?」
「アドニスです。今日はお世話になります」
 ぼんやりと不思議な感傷に浸っていたアドニスは、自分の名が会話に混ざる声を聞いてそちらに首を傾げた。
 どうやらモーリスが女将と宿泊の手続きを進めていたらしい。慌てて靴を仲居に預けて、畳敷きの世界に足を踏み入れた。ひんやりとした中にある不思議な温もりが、靴下越しに伝わってくる。裸足で歩けば、まるで柔らかい芝生の上を歩く心地にも似るのだろうか。
「キャロル、行きますよ」
「あ、あぁ」
 名前を呼ばれる。
 事務的な手続きは全て『アドニス』で済ませていたのに、呼ぶときは『キャロル』。親しい仲ならばよくある事なのかもしれないが、アドニスにとってはもっと深い意味を持つ。
 彼の『アドニス・キャロル』という名前は、ごく一般に知られている名・姓という区別ではないから。
 女将に先導され歩を進め始めたモーリスの後を小駆けで追いながら、前を行く凛と伸ばされた背中にアドニスは目を細めた。


「ここの料理は随分と趣向が凝らしてあったな」
「おや、わかりますか? さすがに料理好きなだけのことはありますね」
 ちゃぷり、と会話の間に響くのは水の音。
 その会話も特有の篭りを帯びる。
「ホテル――いや、今日のここは旅館というのか? その格式は西洋においても東洋においても料理に出るというのは同じなようだな」
「そこまで言ってもらえると、頑張って探した甲斐もあったというものです。もちろん、その評価は『格式高い』と言ってるいのだと思っていいのですよね?」
「当然だ」
 それは良かった。
 ふふふっと唇に美しい曲線を描かせるモーリスの頬が、淡い紅に染まる。
 雰囲気を重視するためか、押さえられた光源が放つのは煙にくゆらせたようなオレンジ色。
 静謐さに満ちた森林の一角を丸ごと切り取ったような空間に設えられているのは、檜でできた露天風呂。モーリスとアドニスが宿泊している部屋専用のものだ。
 二人で入ってなお余裕のある広さに、どうせだから一緒に入ろうと誘いをかけたのはモーリス。他意があったわけではないのだが、現在進行形で目のやり場に困っている雰囲気が垣間見えるアドニスの様子が少し可笑しい。
 しかもそれが理由か、二人の間には微妙な間。
「そうそう、せっかくだから飲みますか? 日本人は湯船に酒を浮かべて呑むそうですよ」
「湯船に? どうやって?」
 忍び漏れそうになる笑いを誤魔化すために、モーリスは準備してあったものに湯船の中から手を伸ばす。
 白磁の徳利にお猪口が仲良く並んで二つ。
 アドニスの方も興味を惹かれたらしく、ついっと湯の中を掻き分けモーリスに近寄る。
「こうやるんですよ」
 思惑通りの展開に内心ほくそ笑みながら、モーリスが湯桶の中に酒道具を入れて湯船に浮かべた。
 ふらりふらり。
 時おり傾きそうになりながら漂う湯桶は、さながら波間を彷徨う小船のよう。はたまた、長い歴史の中をたゆとう人の姿か。
「これも『粋』というヤツか?」
「さぁ、それはどうでしょう? ま、理屈抜きに楽しむのもいいでしょう――さ、一杯どうぞ」
 でも風呂で飲む酒はまわりやすいというから気をつけて。
 言いながら日本酒をあふれんばかりに注いだ猪口を手渡す。
 触れ合う指先は、いつもより熱く――入浴中なので仕方ないことなのだが――今ではない時を彷彿させた。
 それをいちいち恥じ入るような仲ではないはずなのだが、不器用な恋人は慌てたようにモーリスから猪口を受け取り間合いを取る。それをこっそり楽しんでいるモーリスも人が悪いと言えば、そうかもしれないけれど。
「日頃はワインばかり口にしているでしょう? たまには変わったお酒というのも面白いですね」
「そうだな。ワインのような濃厚さがない分、爽やかだ。確かに気をつけないと酔いがまわるな」
 気を落ちつけるように猪口を一気にあおり、アドニスが溜息混じりに感想を口にする。どこか思案めいた様子は、漂う熱気も手伝ってか日頃感じさせる彼特有の色香を増幅させていた。
「まったく。そこで私に酔った、とおっしゃってくれれば本望なのですけどね」
 言葉尻に微細な棘を含ませる。それは中てられた自分への戒めと、相手に対する奇妙な悔しさ――これもまた、駆け引き。仕掛けられた方は、全く気付いていないのだろうけれど。
「――っ」
「冗談ですよ。そんな思いっきり吹き出さなくたって」
 今度は笑い声を盛大な音にして、モーリスは予想通りのアドニスの態度に、肩で湯を震わす。
 憮然となったアドニスからは、先ほど感じた誘蛾灯のような幻惑感が消えている。これもまた、おそらくはモーリスの思惑通り。
「ほらほら、拗ねないで下さい。せっかくなんですから、はい乾杯」
「拗ねてなんかいないぞ。それに俺がモーリスに酔っているのは事実だからな」
 空になったアドニスの猪口に酒を注ぎ、自分の手にした猪口とを、まるでワインのグラスでするように小さくぶつけていたモーリスは、思わぬ逆襲に思わず掌中のものを湯船の中へ取り落とす。
「まったく、貴方という人は」
「なんだ? 事実を事実として言ったまでだが」
 無意識のうちにまっすぐにぶつけられてくる想い。不器用だからこそ、たまに繰り出されるクリーンヒット。こうなってしまっては、モーリスでも白旗あげて降参するより他はない――いや、それもそれで癪に障るのでさらなる意趣返し。
「キャロル、貴方の猪口を貸してください。私のは湯船に沈んでしまったから」
「ん? あぁ、かまわんぞ」
 優雅だけれど、どこか強引な仕草でアドニスの猪口を奪い取る。
 まだ減っていない液面に。ちろりと舌を這わすと独特の辛味が口内に広がった。
「少し辛口ですね。でも……こうすれば、甘い」
 不意打ちで。
 一度に酒を口の中に流し込み、猪口を再び水の中へと沈める。そしてそのままアドニスの首に腕を絡めて引き寄せた。
「え?」
 睫毛が触れ合うほどの接近。
 甘味の享受まで、あと数瞬。


 翌朝、アドニスは腕の中の温もりが動く気配で目を覚ました。
「……分かった」
「おや? 起きてしまいましたか――というか、何が『分かった』なのです?」
「日本人はおそらく世界でも指折りの寝相の悪い人種なのだろう、ということだ」
「何です、それ」
 自分を腕に閉じ込めたまま、安らかな寝息をたてる恋人を、未だ覚めない夢の中にある心地で眺めていたモーリスは、起き抜けのアドニスの奇怪な意見に思わず秀麗な眉を潜めた。
「床に直接寝具を敷いておけば、夜中どれだけ動いても問題はない。つまりベッドのように落ちる心配をしなくても済むということだ」
 目覚めたばかりの割にはっきりとした口調で――いや、むしろ深刻に寝ぼけているのかもしれないが――淡々と語られるアドニスの言葉に、彼の言わんとする事を理解したモーリスは、不審一転、破顔して軽やかな笑い声を上げる。
 昨夜、長湯を終えた二人を出迎えたのは、きちんとそろえて敷かれていた二組の布団。入浴前にモーリスが食器を下げてくれるよう連絡を入れたのだが、後片付けついでにしっかり床も設えていったらしい。
 日本の旅館ならば、何もかもが当たり前に等しい光景。
 だがしかし、この国の伝統にはあまり馴染みのない二人に――特に日頃、廃教会で過ごしているアドニスには――とっては、なかなかに衝撃の出来事だったわけで。
 しかも、日頃はベッドの上に敷かれているはずの寝具が、床の上に直接置かれているのだ。これを疑問に思わぬはずがない。
 けれど入浴後の気だるい余韻が残る二人にとって、そんなことがいつまでも大きな問題だったはずもなく――そうして棚に上げられた問題は、都心とは明らかに異なる静観さに満ちた朝へと持ち越されたらしい。
「まったく、貴方ときたら目覚めて一番にそれですか!」
「悪いか?」
「いえ、全く。もう本当に面白いったらありません」
「……そこまで笑う必要はないだろう」
 冬の気配が濃いせいか、生憎小鳥の囀りが二人の耳を楽しませることはなかったが、代わりとばかりにモーリスの笑い声がアドニスの鼓膜を振るわせ続ける。その中にマイナスの色が全く含まれていないのは、本人も気付いていることだろう。
 ゆるゆると過ごす事のできる、至福の一時。
 触れ合った肌から伝わるほどよい熱が、再び眠りに誘われそうに心地良い。
「ん?」
 欠伸をかみ殺しながら軽く伸びをした瞬間、何かに気がつきアドニスは首を傾げた。
 枕に触れていた横髪の一部が、動くと不自然に引き攣れる。
「……これは?」
 モーリスを腕の中に抱き込んだまま、違和感の正体へと手を伸ばす。
 それはいつの間にか髪に結わえられていた、両サイドにラインが刻まれたシンプルなシルバーのリング。
 内側に光るのはモーリスの瞳と同じ色のエメラルド。
「ちょっとした、プレゼントですよ。ほら、今日は……でしょう?」
 花やチョコレートを贈る代わり、です。
 敢えて言葉を告げない代わりに、モーリスは自身の唇を、軽くアドニスのそれに重ねた。それから幾度か、啄ばむように何度も。
「たまにはこういうゆったりとした時間を過ごすのも、良いでしょう? ちょっとしたサプライズも添えて」
 くすくすと絶える事ないモーリスの忍び笑いを聞きながら、掌中に収めたリングを握り締めたアドニスも甘く微笑む。
「そうだな……確かに、悪くない」
 ゆっくりと腕を腰に回し、壊れ物を扱うように抱き締める。
 それから、感謝の意を込めたキスを額に一つ。
「お楽しみ、頂けましたか?」
 彼らの日常とは異なる、けれど探そうと思えばいつでも手に入る不思議な非現実。温かな胸に額を押しつけ、ゆるりと瞳を閉じながらモーリスは問う。
 答えなら、分かりきっているのだけれど。
「もちろんだ。次は俺がどこか探すとしよう」
「それはそれで不安な気もしますけど」
 微かに感じる外の気配に、人々がざわめく様子が混ざり始める。けれど、このままもう暫く。
 別に急ぐ旅路にあるわけではないのだから。
 うつらうつらと、幸福な眠りが二人においでおいでと手招きする。
 Happy Valentine's Day!
 悠久の時を過ごす恋人達のもとに、いつもと違う、けれど喜びに満ちた時間を。
 それは少し不器用だけれど、決める所ではしっかり決める素敵な人や、恋人へのプレゼントが実はプロミスリングの代わりだったりしたのに、それをそうと告げない天邪鬼で可愛い人の下へも。