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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


『取り憑かれたカスミ』
◆プロローグ◆
 昼休み。学校の屋上でヒミコと一緒に昼食を取っていた雫は、突然後ろから声をかけられた。
「雫さぁーん……」
 目の下に隈を作り、やつれた表情で声を掛けて来たカスミに、雫は思わず食べていたサンドイッチをジュースと一緒に噴き出しそうになる。
 ゲホゲホと激しく咳き込み、気道に入りそうになった食べ物を何とか飲み下した。
「ど、どーしたのカスミちゃん!? その顔!」
 栗色の髪の毛からは艶が消え、まるで何日も手入れしていないかのようにあちこち跳ね上がっている。目は充血して血走り、大きく落ちくぼんだ双眸のせいで一回りほど年を取ったように見えた。
「実は、私……幽霊に取り憑かれちゃったみたいなのぉー」
 力無くその場に崩れ落ち、カスミは何かを訴えかけるような視線で雫達を見た。
 鼻をすすらせ、涙声で途切れ途切れに話すので理解するのに昼休みすべてをつぎ込むハメになったが、要約するとこうだ。
 最近、自分の部屋に置いてある物が知らないウチに別の場所へ移動しているらしい。
 カスミはマンションに一人暮らし。誰かを部屋に呼ぶことなど滅多にないので、第三者がやったとは考えにくかった。それでも最初の頃は、誰が侵入して部屋を物色しているのではないかと思っていたのだが、金品の類に手が付けられた形跡は全くないのだ。
 それどころか、知らない間に部屋は綺麗に整理整頓され、床はピカピカに磨き上げられている。さらに欲しいと思っていた生活必需品なども、朝起きたら枕元に取り揃えられているというのだ。
「なんだ。別に悪い霊じゃないじゃん」
「そんなこと関係無いわよぉ。それに私が寝ている間に何かしてるみたいで、朝起きた時から、もークタクタなのぉ……」
 確かにソレは切実な問題だ。
 泣き崩れるカスミの肩にそっと手を置き、雫は力強く言った。
「わかったわ、カスミちゃん! 日頃の恩返しも含めて、この瀬名雫が一肌脱いであげよーじゃないの!」 

◆門屋心理相談所◆
「なるほどねぇ」
 雫の話を聞き終え、門屋・将太郎(かどや・しょうたろう)は鷹揚に頷いた。
 白を基調にした清潔感漂う室内。心理学、精神医学、法律など分厚い背表紙の蔵書に囲まれた樫の木のデスクに肘を突き、将太郎は青白い顔をしているカスミに視線を向ける。
「それで、いつもの美人が台無しになってるって訳か」
 くっく、と声を押し殺して笑いながら眼鏡をとる。彫りの深い端正な顔立ちが露わになった。短く切りそろえた黒髪に、血のように紅い双眸。一八〇はある長身と、不敵に歪めた口元からは、溢れんばかりのエネルギーを感じさせられた。
「そーなのよー。ねー、将ちゃん。何とかならない?」
 一回り以上違う少女になれなれしい口調で話しかけられるのは慣れてはいるが、『将ちゃん』という呼び名はいつまで立っても違和感を払拭できない。
 眉間に寄った皺を指先で揉みほぐしながら、将太郎は溜息をついた。
「まー話を聞く分には、悪霊って訳じゃあなさそうだ。カスミの容態を考えるとすぐにでも除霊してやりたいんだが、とりあえずは話を聞いてみないか?」
「どーやって? 幽霊とカウンセリングでもするの?」
 茶化したような口調で言う雫に、将太郎は得意そうに鼻を鳴らす。
「ああ、そうさ」
 完全読心術。読心術とは相手のちょっとした仕草から深層心理を読み取る方法だが、将太郎の場合は少し違う。
 目を直接見ることで、対象の心の声を聞くことが出来る。人間相手は勿論のこと、動物や機械、そして幽霊と言った物の怪の類にも通用した。
「すごーい、将ちゃんってば何でも出来ちゃうんだー」
 感嘆の声を漏らす雫。『将ちゃん』に精神的なつまづきを感じるものの、雫が送ってくる羨望の眼差しに妙な優越感を感じる。
「さて、幽霊が出るのはカスミが眠った時らしいな。多分、本体の意識レベルの低下を感知して表に出てくるタイプなんだろ。隣の部屋に診療用のベッドがあるからソコに寝かせてくれ」
「オッケー」
 親指を軽く立てて雫が応じる。足下をふらつかせているカスミをしっかりと横から支え、雫は開けっ放しになっている扉をくぐった。
(巧く行ってくれればいいけどな)
 催眠治療の本を取りだし、パラパラと内容を確認しながら、将太郎は小さく呻り声を上げた。

「ここは母親が用意してくれたベッドだ。何も心配することはない。お前周りには味方ばかり。みんな、お前を守ろうとしてくれている」
 白いシーツの敷かれたベッドの上にカスミを寝かせ、将太郎は彼女の眼前に軽く手をかざす。期待に熱のこもった視線を向ける雫を横目に、将太郎の催眠は進んで行く。
「ほぉら。だんだん瞼が重くなっていく。当然だ。ここ一週間お前はろくに睡眠をとっていない。心身共に疲労困憊。押し寄せる睡眠欲に抵抗などできはしない」
 カスミの瞼が徐々に下がり始める。二度三度とカスミの目の前で手を振るウチに、両目は完全に閉ざされた。そして数秒後、すぅすぅと安らかな寝息が聞こえてくる。口元には笑みすら浮かべ、安心しきった表情で眠りに落ちてた。
「よし……」
 付け焼き刃で行った将太郎の催眠が効いたのか、それとも本当に睡眠不足だったのか、どちらか分からないが、とにかくカスミは眠った。後は、取り憑いた幽霊が出てくるのを待つだけだ。
 雫がゴクリ、と喉を鳴らす。時計の秒針が特を刻む音が妙に鮮明に聞こえた。耳が痛くなる程の静寂。時折遠くで聞こえる車のクラクションだけが唯一の闖入者(ちんにゅうしゃ)だった。
「う……」
 どれくらい立ったろうか。時計を見るが五分ほどしか進んでいない。
 まるで何時間も待たされたような疲労感を将太郎が感じる中、カスミの瞼がゆっくりと開いていった。
「あ、れ? 部屋じゃない?」
 上半身だけを起こし、カスミは不思議そうにまばたきを繰り返す。キョロキョロと辺りを見回しながら、将太郎と雫の姿を確認した。
「よぉ、お前か? カスミに取り憑いた幽霊ってのは?」
 将太郎の声にカスミの体が大きく震える。そして怯えたような視線を向けながら、ガタガタと震え始めた。
「あ、あの。退魔師の方ですか?」
 自分が除霊されると思ったのだろう。カスミが絶対に言わないような言葉を、カスミの顔と声で幽霊は紡ぐ。
「いや、俺は単なるカウンセラー。そんでコッチのちっこいのは単なる中学生。お前の話を聞きたいんだ」
「『ちっこい』は余計よ。将ちゃん」
 ほっぺたをふくらませながら語尾を強調し、雫が不満を漏らす。
(こいつ……俺が『将ちゃん』ってのを嫌がってるの知ってやがるんじゃあ……)
 思わず邪推したくなるが、今はどうでもいいと気持ちを切り替え、カスミの前に座った。
「なぁ、お前何でカスミに取り憑いてんだよ」
「そ、それは……」
 言いたくないのか、幽霊は下唇を噛んで俯く。本当ならば心を解きほぐしていって聞き出すのだろうが、今はそんな悠長な事を言っている場合ではない。
 将太郎は顔をカスミの方に寄せると、真っ向から視線で射抜いた。途端にノイズ混じりの声が、将太郎の頭の中に直接響く。
《音楽室でカスミ先生は……僕を直して……お礼をしたい……ずっと一緒にいたい……》
「音楽室?」
 将太郎の声に、幽霊はハッとなって顔を上げた。
「どうして、それを……」
「『直す』ってお前、普通の幽霊じゃないのか?」
 続けて言った将太郎の言葉に、幽霊は諦めたように肩を落とす。
「僕の心を読めるんですね。なら隠しててもしょうがない。僕がカスミ先生と初めてあったのは三ヶ月ほど前でした……」
 そして溜息混じり声で喋り始めた。
「僕は誰かが死んで成仏しきれない幽霊ではありません。『オルガンの霊』です。焼却炉の隣にある倉庫の中で置き去りにされているのをカスミ先生が偶然見つけてくれました」
 長く使われた物には、使っていた者の思念が染みつき、それで一つの人格が形成されることがある。今回もそのパターンなのだろう。
「壊れてボロボロになっていた僕をカスミ先生は直してくれました。専門の人を呼んで、自分のお金で。新しいオルガンを一つ買うよりも高いお金を払って、僕の体を新品同然にまでしてくれました」
 実にカスミらしいと将太郎は思った。こういう打算の無い優しさが、生徒からの人気を集める理由なのだろう。
「だから、せめて何かお礼をしたいと思って……。悪いとは思ったのですが、カスミ先生を体を借りて寝ている間に、色々と身の回りの世話をさせていただきました」
 すべてを話し終え、気が楽になったのか幽霊の顔が少し晴れたように見えた。
「まーねー。カスミちゃんってばアレで結構、雑なとこあるからねー。丁度良いんじゃないの?」
「そうなんですよー。毎日疲れて帰ってくるせいか、洗濯もろくにないで。まぁ、僕としてはそっちの方がお世話のし甲斐があるんですが」
 はっはっは、とにこやかに笑って、幽霊は明るい声で雫に返す。
「で、”疲れ”ついでに”憑かれ”た、と」
 何気なく言った将太郎の言葉に、診療室の温度が一気に氷点下まで下がった。
「将ちゃんもそろそろいい年だからねー」
 冷ややかな視線を将太郎に向けながら、雫はオッサンというレッテルを貼る。
「と、とりあえず、だ。世話をするのは良いんだが、それでカスミがこんな状態になったんじゃあ本末転倒だろ」
 咳払いを一つして体中にまとわりつく粘着質な空気を払い、将太郎は幽霊に提言した。
「カスミへのお礼の件は俺達が十分に伝えておくから解放してやってくれないか?」
 その言葉に幽霊は再び肩を落とし、重い溜息をついて「そうですね」と苦渋に満ちた納得の声を出す。
「お礼のつもりがカスミ先生を苦しめたのでは、さすがに僕も心苦しいですから。分かりました。出ていきます」
 と、カスミの輪郭が二重にブレたように見え始めた。
「それじゃあ、どうもお世話になりました。カスミ先生にヨロシクお伝え下さい」
 声が茫漠とした物に変わったと思うと、カスミの体から何かが抜け出ていくのが見えた。そしてカスミの上半身がベッドに倒れ込み、再び寝息が聞こえ始める。
「一件落着か?」
「そうね。将ちゃんの寒いギャグも聞けたし」
「ほっとけ」
 こうして、カスミに取り憑いていた『オルガンの霊』は姿を消した。

◆終わらない悪夢◆
「で、なんでまだそんな顔してんだよ」
 一週間後。神聖都学園にある将太郎のカウンセリングルームに、雫が顔色の悪いカスミを連れて来た。
「このヤブ医者! カスミちゃん全然良くならないじゃないの!」
 剣呑な眼差しを将太郎に叩き付け、雫は開口一番暴言を吐く。
 白衣を着直し、将太郎は訝しげな視線をカスミに向けた。眼の光が失われている。かなりの重傷だ。このまま放置すれば命に関わりかねない。
「だって、お前も見たろ? 幽霊が出ていくの」
 状況の飲み込めない将太郎に、雫は持っていた手紙を突き出す。ソレを受け取り、将太郎は中身を読んだ。
『カスミ先生、大好きです。僕とずっと一緒にいて下さい。数日貴女から離れて分かりました。僕には貴女が必要なんです。無理なお願いであることは百も承知です。それでも僕は貴女から離れたくない。絶対に離れません。絶対に』
 筆跡はカスミの物だった。と言うことは、例の幽霊が再びカスミに取り憑いて、カスミの体で書き上げ事になる。
「あんのガキ!」
 憤慨して将太郎は手紙を握りつぶした。
 恐らく、この幽霊はカスミの死すら厭(いと)わないだろう。むしろ衰弱死させて自分と同じ世界に引きずり込むつもりかもしれない。
「おい! カスミをよこせ!」
 苛立ちを隠そうともせず、将太郎は雫からカスミを取り上げた。グッタリしてるカスミを左腕で支え、右手を額に当てる。
(民間の催眠術とちがって、なかなか目が覚めねーけど我慢してくれよ!)
 強力催眠術。完全読心術以外に持つ、将太郎の能力の一つだ。強制的に相手を昏睡状態にさせる事が出来るが、数日間眠り続ける危険性も孕んでいる。
『また、お前か』
 しゃがれた声。カスミの意識と入れ替わるようにして、幽霊の人格が目をさました。
「テメェ、この前言ったことはウソっぱちだったのかよ!」
 カスミの体から手を離して距離を取り、敵愾心を剥き出しにして将太郎は凄む。
『ウルサイ。やっぱり僕にはカスミ先生が必要なんだ。邪魔するな』
 長身の将太郎を下から睨み付けるようにして、幽霊はカスミとは違う声で威圧した。
『カスミ先生から離れたときの不安感、孤独感……お前にわかるか!? 何年も使われることなく暗い倉庫に閉じこめられていた僕の気持ちが、お前に分かるのか!?』
「分かる訳ねーだろ、このタコ! いいから、とっととカスミの体から出ていきやがれ!」
 中指をおっ立てながら、将太郎は怒りも露わに幽霊に怒鳴りつける。
 幽霊は馬鹿にしたように鼻を鳴らし、腕を組んで斜に構えた。
『この単細胞が。お前はカスミ先生の気持ちを理解していない。カスミ先生だって僕と一緒にいることをきっと望んでいる。だからあんなに親身になって助けてくれたんだ』
「勝手な妄想にひたってんじゃねーぞ、このストーカー野郎! テメーがその気ならコッチにも考えがあるからな! 雫!」
「は、はぃ!」
 突然名前を呼ばれて驚愕に目を見開く雫の手を将太郎は取り、カウンセリングルームを飛び出した。

 雫を抱きかかえ、将太郎は神聖都学園の廊下を全力で走る。校則にうるさい教師に注意されたが、そんなくだらない事にかまってはいられない。
「どこ行くの!?」
 お姫様だっこの状態で雫が聞き返す。
「音楽室だ。オルガンをブッ壊す」
 物に宿った霊というのは、その寄り代が無ければ現世に留まることは出来ない。原形をとどめないまでにオルガンを壊してしまえば、カスミの体から出て行かざるを得ないだろう。
「将ちゃん、かっげきー!」
「うっせ」
 腕の中で歓声を上げる雫を落とさないように気を付けながら、将太郎は五階へと駆け上がった。音楽室はこの階の一番端にある。
 将太郎の視界の中で、音楽室の扉が急速に大きさを増していった。そして扉の前に立ち、雫を下に降ろす。中から音楽は聞こえてこない。授業は行われていないようだ。
 好都合都とばかりに、将太郎は乱暴に扉を開け放った。
「どれだ!? 最近ここに入ってきた、新しいオルガンは!?」
 教室内には百を越えるオルガンがずらりと並んでいる。
「アレよ!」
 雫が指さしたのは教師専用のグランドピアノの前。もしカスミがあそこに座ったとすれば、彼女から一番近い場所だ。そこに他とは僅かに色の違うオルガンが置かれていた。
「よし!」
 頷いて将太郎は教室の一番前まで行く。そして目的のオルガンにたどり着く直前、突風が将太郎の接近を妨害した。
「なに!?」
 両腕で顔を庇い、薄く眼を開きながらオルガンの方を見る。
『貴様……そんな僕が邪魔か!』
 オルガンの蓋が自然に開き、それを口の様に開閉させて、しゃがれた声が発せられていた。さっきカウンセリングルームでカスミの口から聞いた声と同じモノだ。
「だからさっきから、そう言ってんだろーが!」
 風の勢いが増す。重心を低くして踏ん張る将太郎の脚が床を上滑りし、徐々に後ろへと押されていった。
『渡さない! カスミは僕の物だ! 一生僕と一緒に居るんだ!』
「ふざけたこと言ってんじゃねー!」
 近くのオルガンを掴み、何とかその場に踏みとどまるが、風の強さは更に増していく。耳元で激しく渦巻く暴風の悲鳴で脳を揺さぶられながらも、将太郎としっかりと目を見開いてオルガンを睨み付けていた。
「きゃー!」
 後ろで雫の悲鳴が聞こえる。片目を瞑りながら肩越しに後ろを見ると、小さな体が宙に浮き、壁に叩き付けられていた。そのままズルズルと重力に引かれて床に落ち、糸の切れた人形のよう崩れ落ちる。叩き付けられた時の衝撃で気を失ったようだ。
「て、めえぇぇぇぇぇぇ!」
 怒気を叫声に孕ませ、将太郎は更に体を低くする。風を受ける面積を極限まで小さくして脚をたわませ、バネを思い切り解放した。
 指先がオルガンに触れる。だが掴むまでには至らない。
(掴めれば! 掴むことさえ出来れば!)
 人格崩壊。将太郎の持つ三つ目の能力。幽霊相手に試したことはないが、意志を持っている以上有効だろう。
「クッソオオォォォォォ!」
 風の勢いが青天井に増していく。他のオルガンが床を擦って嫌な音を立て、後ろに下がり始めた。そして最後部では雫が気を失っている。このまま風が強くなれば、オルガンが凶器となって雫に襲いかかることは目に見えていた。
(出直しか!?)
 奥歯をギリ、と噛み締め、自分の至らなさを自責する。
「な――」
 諦めかけたその時、さっきまでの凶風が嘘のように止んだ。体を苛んでいた重荷から解放され、一気に軽くなる。
『カスミ、先生……』
 オルガンから唖然としたような声がした。
(カスミ、だと?)
 幽霊がここにいると言うことは、カスミは今カウンセリングルームで眠って居るはずだ。将太郎の強制催眠術のせいで二、三日は目を覚ますはずがなかった。
 しかし、教室の後ろの扉近傍。壁にもたれ掛かるようにしてカスミは立っていた。
「カスミ……どうして……」
 目覚めるはずがない。目覚めるはずがないのだ。
「門屋、さん……私に、お話し……させて下さい……」
 立っているのも辛いのだろう。壁に体重をあずけたまま、脚を引きずってコチラに近づいてくる。
 ゆっくりと、まるで一歩一歩確かめるように緩慢な動きでカスミは歩を進めた。
 そして、たっぷり五分かけてようやく将太郎の元にたどり着き、オルガンの前に座る。
「……話は聞いたわ。辛かったでしょう? あんな薄暗い場所にずっと一人でいたら気がおかしくなっちゃうわ……」
(話を聞いていた?)
 そんなはずはない。カスミは昏睡していたのだ。
「貴方の気持ち。よく、分かるわ。それに私だって、ずっと貴方には側にいて欲しい。だって、愛情を込めて直して貰ったんですもの。私の安月給でね」
 くすくすと笑いながらも、どこか辛そうに喋る。
「だから、この音楽室には毎日来るから。毎日、沢山お喋りしましょう」
 カスミはオルガンの蓋を開けた。
 細く白い指を鍵盤に添える。そして流れるような動きで十本の指が動き始めた。高い音域のバラード曲が奏でられる。
 将太郎の知らない曲ではあったが作者の意図は伝わってきた。胸の中に安らぎが染み入ってくる。さっきまでの悪夢が嘘のように、爽やかな雰囲気へと塗り替えられていった。
 将太郎は、曲とカスミの指の動きに見惚れながら、時間を忘れて音楽の世界に浸っていた。
 序盤、高く明るかった曲調が、徐々に低く悲しい調べへと変わっていく。そして一際低い音を立てて、カスミの演奏は終わりを告げた。
「ね。毎日こうやって弾きに来るから。それとも、これじゃダメかな?」
『……有り難うごさいます』
 その幽霊の声にカスミは満足げに微笑み、つっかえ棒が取れたかのように鍵盤に突っ伏した。
「カスミ!」
 将太郎は慌てて抱き上げる。極度の疲労で意識を失っているだけだ。命に別状はなさそうだった。
「そーゆーことだからよ。ちゃんと、ここで大人しくしてろよ」
 オルガンからは答えがない。だがその無言を肯定と解釈し、将太郎はカスミを背負った。
(ったく。強いね、この女は。無意識の人格ってヤツか?)
 カスミは間違いなく昏睡していたのだ。だが、オルガンへの想いがカスミの体を動かした。本来、認知できるはずのない言葉を聴き、認識することの出来ない存在を観た。恐らく目を覚ましても何も覚えていないだろう。恐がりであるならば、なおのこと。
(ま、そのくらいはサービスしてやるか)
 オルガンの方を見ながら、将太郎は微笑を浮かべた。

◆エピローグ◆
 ――最近、夜な夜な音楽室からオルガンの音がする。
 そんな噂が流れ初めのは、事件の三日後からだった。
(大したモンだよ。あの女は)
 神聖都学園のカウンセリングルーム。将太郎は読んでいた医学雑誌から顔を上げ、窓から音楽室の方を見た。
 時刻は八時過ぎ。校内に残っているのは当直の先生と将太郎、そして――
(始まったな)
 音楽室の方から聞こえてくるオルガンの音。カスミの演奏会が今夜も幕を開けた。
 結局、カスミは将太郎の強制催眠のおかげでグッスリと睡眠を取ることができ、目覚めと同時に本調子に戻ることが出来た。そして予想通り記憶を失っていた。雫に連れられて将太郎のカウンセリングルームを訪れて以降の事を全く覚えていない。だが毎晩、時間を作って例のオルガンを弾きに来る。まるで会話するかのように、何度も何度。
『何となく、そうしなければならない気がするのよ』
 将太郎が理由を尋ねると、カスミは困ったように頬を書きながらそう答えた。
(俺が教えるまでもなかった、か……)
 嫌な幽霊だったが、それくらいはサービスしてやろうと思っていたのだ。だが、説得の必要なくカスミは自主的に実行してくれた。例え記憶にはなくても、体が覚えていたのだろう。この日課をやり遂げないと落ち着いて眠れない、そんな様子だった。
(また、取り憑かれなきゃいいけどな)
 苦笑しながら雑誌に目を戻す。
 カスミの演奏をBGMに、将太郎は夜は今日もふけて行った。

 【終】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号:1522 / PC名:門屋・将太郎 (かどや・しょうたろう) / 性別:男性 / 年齢:28歳 / 職業:臨床心理士】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、門屋様。飛乃剣弥(ひの けんや)と申します。どうも、ご発注有り難うございました。『取り憑かれたカスミ』いかがでしたでしょうか? 性格パラメータが思いっきり「防御」なのに、力一杯「感情」剥きだしというキャラクターの作成には骨を折りました(汗)。結局、こんな感じに仕上げてみましたが、イメージと合っていましたでしょうか?
 また、別の物語でお会いできれば幸甚です。では。
 
 飛乃剣弥 2006年2月11日