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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


月夜に踊る殺意



【オープニング】

「頼む、草間武彦。あんたの知り合いで適当な人材が居たら紹介してくれないか」

ふらりと草間興信所を訪れたその男は、真剣な表情でそう切り出した。
彼の名は汐・巴。全身を黒で固めた退魔師である。
話によると、ある富豪が自分の邸宅内で幽霊を目撃し、自分を殺しにきた悪霊だと思い彼にコンタクトを取ってきたのが事の発端のようだ。
「で……俺と、相棒の魔術師の二人で夜な夜な来る幽霊の撃退をしていたんだが、その数が尋常じゃねぇ。おまけに大将格の女幽霊を潰さねぇ限り、次の夜には全てが復活していやがる」
苦々しげに彼は言う。
更に運の悪いことに、相棒の魔術師が何故かこの仕事を降りてしまったとか。
どうにも、外せない別件が出来たのだー、とか。
そして彼はまた―――依頼主の富豪と女幽霊の間に何かあったのでは、と睨んでいる。
「俺も腕に覚えはあるがね……正直、依頼主を守るだけで精一杯だ。腕の立つ人材も欲しいし、やっぱり個人的には事件のバックグラウンドも知りたい」
「それは一人では、無理だけれども?」
「そういうことだ」
だから、人材を紹介してくれないかと彼は頭を下げたのだ。
「頭を上げてくれ。分かった、何人か当たってみるよ」
「本当か!?ありがたい!」
ぱっと、巴は顔を輝かせる。
「見つからないかも知れないぞ?それと、報酬に煩い場合もある」
「なぁに、構わんさ。なんせ依頼主は富豪様だ。金に糸目はつけんだろう」
ぱらぱらと頭の中で知り合いの連絡先を列挙しながら、半眼で武彦が問う。
やや意地悪な質問にも気分を害さず、巴は席を立ちながら微笑んだ。
「敵は、日を置くこともあれば連続で来ることもある。今夜にも来るかも知れないが……なに、幸い数日の間は明るい月になりそうだ」
歌うように、彼は最後の一言を呟く。
好戦的な笑みを浮かべながら。



「――騒々しいにせよ、静かなものにせよ。暫くはさぞかし雅な宴になるだろうさ」






【1】

「汐・巴だ。どうか、以後宜しくな」
「……櫻・紫桜です」
にこやかに手を差し出してくる男の手を握り返して、会釈する。
微笑んでいる彼の目に、悪意の類、或いは何か含んだところは見られない。
(悪い人間ではない……)
それが、巴に対して紫桜の抱いた第一印象だった。


そもそもの事の始まりは、武彦から緊急の依頼が寄越された数時間前に遡る。

『あんた、化物を殴るのが得意じゃなかったっけか――――?』

色々と間違っている気がしてならない武彦の第一声は、今も覚えている。
それはひとまず留保しておき、依頼の詳細を尋ねると―――喫茶店の住所を教えられた。
そこで依頼者が待っているから、話を聞いてやってくれと。そういう次第である。

そして今。
彼は汐、と名乗る退魔の術者と対面している。
「倒しても女幽霊がいる限り復活するとは、余程の事情があるのではないでしょうか」
事件の内容を聞いて、彼が真っ先に抱いたのはそんな感想であった。
「それを見つければ、今のループ状態から抜け出せると思うのですが……」
「……やっぱり、君もそう思うか」
ううん、と巴が唸る。彼もその点は気になっていたらしい。
「個人的にも、調べたいところではあるんだが……恥ずかしい話、戦闘だけで精一杯でな」
「俺も、顕著な探索能力はありませんよ」
彼の嘆息に続くようにして言ってみるが、彼はいやいや、と手を振る。
「戦闘用の人材も欲しかったんだ。一人でも居れば大分違うよ。それに……」
―――にやけていた彼の顔が、鋭い気色を孕んだ。
「武彦の言う通りだな。君は、大分“使う”人間のようだ」
「いえ、俺は別に」
「謙遜なんざ不要だ。期待してるぜ、相棒」
やんわりと首を振る紫桜の肩を、彼はぽんと叩いた。
その挙動が―――お前を信頼するよと言っていたように感じられた。
紫桜もまた、彼が信用に足る人物だと確信する。これで問題の一つは解決だ。
そして。
「ところで……パフェ、食べないのか?俺の驕りだぞ?」
「いえ……」
もう一つの問題は、未だ自分の前にでんと佇んでいたりするのだが。
すなわち。この店自慢の巨大なパフェである。
「あの……巴さん」
意を決して、彼はその問題も解決しようと発言する。
「うん?」
「俺、夕飯をまだ食べていないのですが」
「知ってるよ」
当然だ、といわんばかりに巴が頷く。
それはそうだ。会ってすぐに、夕飯を頼んでも良いかと自分は彼に聞いたのだから。
「だからさ、ほら」
不可解なことをいう奴だ。そんな瞳で、巴は視線を動かす。
紫桜の前に聳える、大きなパフェに。
「夕飯」
「………巴さんにあげます」
彼のそんな提案に、巴の表情が輝く。
「良いのか!?」
「ええ。ですから、俺は普通の品をオーダーします」
「物好きな奴だな!でもありがたく頂戴する!」
「…………どうぞ」
(悪い人間ではないけど………)
少し変な人だなぁ、なんて彼への評価を修正しつつ。彼はウエイトレスを呼ぶ。

櫻・紫桜。

普通の高校生であるところの彼も――こうして、この物語に関わることになった。





【2】

「水上・静馬と申します。この度は事件の解決に助力頂けると言うことで………いくら感謝しても、感謝の念が足りません」
どうか宜しくお願いします、と。
男は折り目正しく頭を下げた。



依頼を受ける全員が顔を合わせたのは、一時間前。
「うん、それじゃ早速だが。噂の富豪に会ってみようじゃないか」
―――そんな、軽い口調で巴が提案したのも一時間前。
故に、巴の助っ人達は今回の「事件」の発生場所へ足を運び。
今後の方針を話し合う間もなく、件の富豪と会見を果たしていたりするのである。



「は、はぁ……その、全力で当たらせていただきます」
礼儀の正しい態度に面食らいながらも、櫻・紫桜が応答する。
(………何だかさ、ちょっと予想外だよね?)
(ああ、そりゃ同感だ。もっとこう、心身共に不健全な輩だと思ってたぜ)
(でしょ?なんていうか、目も背けたくなるような感じの!)
(まさしく。敬語なんか一度も使ったこと無いイメェジの輩だなっ)
その後ろで、こそこそと話しているのは桜月・理緒、宵守・桜華の両名である。
「ま…………幽霊に殺されかけてる金持ちなんて前評判だけで想像すりゃ、もっと駄目な野郎かと思うわなぁ。かくいう俺もそうだった」
「楽しんでるわね、貴方……」
そんな彼らを見て笑うのは、今回皆を事件に引き込んだ張本人、汐・巴である。
子供のような思惑に、傍らでシュライン・エマが嘆息していた。
「はは、そうでしたか……でも、結構僕も駄目な男なんですよ」
そんな面々の反応を見て笑いながら、静馬は小さく笑う。
「………本当に、嫌な男なんです」
「………」
小さく呟いた彼の口に浮かぶ、その笑み。
―――それはどちらかといえば、自嘲のそれであった。
(……ふぅん?)
そんな挙動を、シュラインは見逃さない。
否。その場に居た誰もが、実際のところそれに不審を覚えてはいた。
(まっさらな人間は、そうは居ないものね)
湧いた考えをそう締めくくってから、シュラインが早速質問する。
「それじゃ、静馬さん?少し聞いても良いかしら?」
「ええ。私に答えられることなら」
「それじゃ、お言葉に甘えて。単刀直入にお聞きします……」
表面上は完璧に。
発する声も礼儀正しく、発音する。
「過去に、女性に恨まれた心当たりはお有りですか?」
「それは……」
半ば予想はしていたのだろう。
彼は一度だけ目を伏せると、すぐにその質問に切り返してきた。
「―――少なくとも、身に覚えはありません」
「そうですか……」
わかりました、と明瞭にシュラインも応対する。
彼女もまた、半ばの予想はしていたに違いあるまい。
「ま……身に覚えの無い恨みのが多いのが人生だ。金持ちってな、それだけでその属性を内包しちまうからなぁ」
苦笑する響きで、ぼんやりと桜華が思いをこぼす。
「そう言ってやるなよ、桜華。この旦那はまだまだ若い」
「そうそう、若い人をあんまり苛めるのは良くないね」
何故か同時に、ぱたぱたと手を振って巴と理緒が擁護する。
というか。二人は明らかに静馬よりも年下なのだが、幸か不幸か突っ込む者は居ない。
「へいへい、分かってますよっと……さ、そろそろ行こうぜ。御大は女絡みの心当たりはないと言ってんだ。地道な情報収集にかかろうや」
「そうですね……夜の戦闘に対する方策も練りたいですし」
ひら、と両手を挙げる桜華。
彼の台詞はもっともだ。あえてこの場に留まる意味合いは今や薄い。
「オーケイ。それじゃ、働くとしようか」
にやりと笑って、巴が場を締めくくる。
「それじゃ静馬の若旦那。精々、養生してくれ」
あんまりと言えばあんまりな台詞を残し、誰よりも早く彼は身を翻す。
四人がそれぞれに辞退の台詞を告げ、慌ててその後を追った。
「……どうか皆様、宜しくお願いします」
部屋には、深く頭を下げる水上・静馬だけが残る。

「……………女性との過去、か」

―――にこやかだったその顔は、見ればやはり憔悴していた。







「それじゃ、これから全員で情報の収集と行きましょうか」
さて、とこれからの指針を話し始めたのはシュラインであった。
その隣で、ぴ、と指を立てて理緒が確認する。
「私とエマさんは戦闘に参加しないで、夜も調査続行で良いんだよね?」
「ああ、そうしてくれ。俺たち男性陣は使用人たちに聞き込みでもしよう」
「そうですね……俺達は、そういった技能はありませんし」
桜華と紫桜が、共に目線を交わし頷きあう。
兎にも角にも、調査能力に長けるシュラインと理緒の邪魔をしないことが肝要であった。
「頼もしいな……幽霊が来るのは決まって深夜だ。まだ時間はあるから頑張ってくれ」
「アンタは聞き込み、やらねぇのか?」
「やりたいところだがな。生憎と俺にも仕事がある」
一人だけ楽はさせんぞ?と視線で問う桜華に、巴は苦笑しながら背を向ける。
「……旦那の部屋に、退魔の結界を張らなくちゃならねぇ。相棒が抜けてから、女幽霊を引きとめて置けないもんでな。なにせ山のような亡霊を相手に立ち回るんだ………目下のところ、相棒の代わりを術に求めている次第だよ」
「そうかい。ま、サボるわけじゃないんなら良いんだ」
「へ、俺は真面目な男だぜ?」
ではな、と手を振りながら巴は去っていく。
「……俺達も動きましょう。幸い、今日はまだ時間があります」
「そうね。それじゃ、頑張りましょう」
残った四人も、思い思いの行動をせんと動き始める。
紫桜が言ったように日は未だ高く、世は生者が己の生を謳歌している。
―――霊の類が跋扈するには、まだ多少の猶予があった。





【3】

「紫桜、後ろだ!」


―――――深夜の水上邸、その広大な庭園に巴の声が響き渡る。


既に、日は己が役割を終えて沈んでいる。
空にはいっそ畏怖さえ抱かせるような、見事な満月。
草木や虫も眠るであろう深夜に、しかしこの庭園だけはざわめきに満ちていた。
「……ふっ!」
巴の警告を受けて後ろへ向く紫桜は、その勢いのままに回し蹴りを放っている。

練りこまれた気を込めたその一撃、威力は如何程であったのか。

目標であった半透明の男霊は、爆発と見紛う衝撃を受けて速やかに四散する!
「……数が多いですね!」
相手が生身で無いからといって、それは鈍重とイクォールではない。
次々と襲い掛かってくる亡霊を素早く捌きながら、紫桜が吐き捨てる。



野球が出来るどころか、更にサッカーまで同時にプレーできそうな洋館の庭。
そこでは惜しみない数の霊と、巴。そして新参の紫桜が踊っていた。



「報酬が良い分、大変でな!」
軽口で彼に応じるのは、黒の退魔師。
霊と霊の間を軽快に駆けながら、軽々と刀を振るい敵の数を減らしている。
「なんのことはない、重労働ってコトだよ!」
「そのようですね!」
紫桜もまた、絶えず動き回って敵を撹乱している。
その機動こそが彼らの武器であり、盾ですらあった。
「せああああ!」
紫桜はだん!と強く踏み込みながら、力強い突きで正面の霊を一撃。
そこで終わらず、更に踏み込み――たむろしている数人へ、苛烈な薙ぎ払いをかける!
たまらず、彼らは全てが霧散してその場から消えてしまう。

気を込めた達人の腕は凶器と呼んでも差し支えない。

霊験あらたかな道具でも、数百の刻を身に刻んだ妖刀でもなく、

磨き上げた己の体術。その唯一にして最高の武器で、彼は敵と渡り合っていた。
「おー、凄い凄い!やるじゃねえか!」
………そんな状況の中で、緊張感のかけらも無い声が上がる。
「見事だな。うん、これは一見の価値アリだ」
漆黒の頭髪と、目元に飾られた丸眼鏡。年は巴とそう変わらない。
のんきに彼らの戦闘を見守る彼は、言わずもがな桜華であった。
「桜華、お前も手伝え!」
「本業の手並みを拝見しているのさ。女霊も、とうに富豪の部屋へと消えたみたいだな」
「他人事みたいに言うなぁぁぁ!?」
怒号を上げてくる巴を適当にいなしながら、彼は戦況を見守っている。
無論、彼とて凡夫ではない。その身には彼らに負けない異能が眠っている。
だが悲しいかな。彼らの術ほどに汎用性は無いのが泣き所である。
(………さて。女は、どうなったか)
くつくつと笑いながらも、頭ではそんな思考をしている。
あの後、改めて富豪に今回の事件と関係のありそうな話を聞きに行ったのだが、あまり成果は芳しくなかった。彼自身の覚えるところではないのかもしれない。
だが。
それは昼間の台詞のように、「本当に恨みを買っていない」ことと同義では有り得ない。
シュラインと理緒などは、得られた使用人達の証言と過去の資料を見て今も唸っている。
「少し、見てくるかね……」
思い立てば、実行に移すのは早い。
彼はすらりと立ち上がり、くるりと館へ身を向けながら言葉を発する。
「悪ぃ。俺、館に戻るわ」
「何だと!?」
「二人とも頑張れ!応援してるぜ!」
「なっ……おい紫桜、アイツを殴って来い!俺が許す!」
「む、無理ですよ!」
「ええい、不甲斐無い!俺が何のために君を雇ったと思っているのだ!」
「いや、亡霊との戦闘のためでしょう―――――!?」
そんな、何処か間抜けな会話を背中で聞きながら。
いや、本当に頑張ってくれ。そう思いつつ、桜華は館へ姿を消した。






「中々、見つからないねー……」
薄く輝くパソコンのディスプレイを覗き込みながら、理緒が呟く。
「そうね…はい、珈琲」
同意しながら、シュラインが彼女の傍らにカップを置く。
ありがとう、と礼を言いながら彼女は視線を逸らさない。貪欲に情報を捌いていた。
彼女達は現在のところ、完全に調査へ全力を注いでいる成員である。

調査はそれなりに成功し、それなりに難航していた。

使用人からの聞き込みは、館の規模から予想していた通り凄まじい時間がかかった。
しかし―――これは、と思う情報は中々得られなかったのが実状である。
女性関係を主に、事件の前後で変わったことは無かったか、静馬の挙動に変化は無かったか、等々の質問を手分けして重ねたのだが。芳しい情報結果は集まらない。
更にシュラインの指摘から、霊の出没日時と富豪の日中スケジュールや周囲の方の行動パターンを洗い出し、霊出没以前の日常の行動との比較も行った。重ねて、彼の学生時代の学友にまで質問をする行動力を見せたものである。

しかしこの富豪、誇張抜きで中々に堅実な人生を歩んできたらしい。
彼を強烈に怨む者の存在などはついぞ浮上しなかったのである。
静馬も特に変わった行動はしておらず、完全なイレギュラが身に降り掛かったとも言える。


一方、収穫が無かったかといえばそれも違う。
膨大な聞き込みの結果、彼にどうやら恋人が居るらしいことが明らかになった。

『…確か、ハルカって名だった気もするけど。彼、あんまり饒舌じゃなかったからねぇ』

とのことで、辛うじて彼とつながりのある女性のヒントを得られた。
日が暮れてからというもの、シュラインは集めてきた様々な資料と、理緒はインターネットから得られる情報と睨み合っている状態だ。
なにしろ名前以外に殆ど情報が無い。
シュラインなどは先程まで巴に霊の数や変動、詳細について尋ねていたがこれもつまらない。

取り巻きの亡霊は結構にランダム気味であり、変動はある。
時間は凡そ決まっているが完璧に定まってもいないし、ロクに奴等は喋らないらしい。
そして、女幽霊の容姿について訊いてみれば。




「――――分からん。あの女……白い仮面を、してやがるんだよ」




顔を顰めながら、巴はうそぶいた。
髪の長い女という特徴のみが、巴の知る女幽霊の情報であった。
そんなわけで、調査は難航していたのだが――――

「…………あった。きっと、これ」
ついに理緒が、「引き当てた」のである。
「本当に!?」
「うん、多分間違いない……これ、見てよ」
驚きを隠さずに、理緒が覗き込んでいた画面をシュラインに示す。
そこには――――
「遥・利恵……」
「ハルカっていうのは、名字だったんだね。中々分からないはずだよ」
ふぅ、と嘆息しながら理緒が呟く。
記事を見れば、当時彼女が通っていた大学は静馬の大学と同じ学校であると分かる。
ならば、彼女と静馬が知り合い出会った可能性もゼロではない。



彼女が見つけたのは、十年前に起こったある事件についての記述だった。



「遥・利恵さんの家に、強盗が押し入ったのね……?」
「うん。そして彼女は、運悪く強盗に見つかってしまったんだ」
二人が、事件の情報を読み上げながら整理する。
それは。
眉を顰めずにはいられない、不幸の一端だった。
「それで、犯人の男は利恵さんの顔を刃物で何度も切りつけてから逃走した……」
「………最低ね」
「全面的に同意。私も、こういう馬鹿な男って大っ嫌い」
二人とも、知らずの内に顔つきが険しくなる。
「でも、彼女が静馬さんと関係があったとして……どうして静馬さんを恨むのかな?顔の傷を理由に、彼女を捨てたとか?」
「その可能性は薄そうね」
理緒の疑問に、シュラインが即答する。
「彼の人となりは、聞き込みの中で大体理解できた……そこまでの人非人じゃないと思う」
「……それも、同意かな」
二人で、釈然としない面持ちのまま画面を見詰めてしまう。
その三十分後、今度はシュラインが情報を掘り当てた。
「その利恵さん、静馬さんと恋人だったのは本当かも知れないわよ」
そう言いながら彼女が広げて見せたのは、これも十年程前の女性週刊誌。
紙面には、「○○の富豪の悲劇!目をつけていた美女が一晩で醜女に!」という文字。
「低俗な記事よ」
大分誇張されてるけど、我慢して読んで頂戴、とシュライン。
「流石に名前は伏せられてるけど、静馬さんと利恵さんが恋人同士だったことがバレたみたいね。そして、彼女が遭遇してしまった事件も」
「成程………でも、やっぱりおかしいね」
十年も前の記事を見ながら話し合う二人の顔は、やはり釈然としていない。
「これ。なんだか、その後も静馬さんが利恵さんを愛し続けたって記述されてる」
「そうなのよね………事実を曲解したのかも、知れないけど」
だが、この記事の通りなら昼間の静馬の態度にも「説明はつく」のだ。
つまるところ。二人は破局せずに続いたのだから。
ならば、ただでさえ主の恋愛を知らなかった使用人たちも、継続してこの話題を知らずに済む。
女は騒がず。
世間を沸かせる醜聞でなく、ひっそりと終わる美談となる場合もあろう。
「事件の半年後に、彼女は病気で死去、か………分からないわね」


この遥・利恵なる女は、まず間違いなく静馬の恋人だろう。

しかし、現在の情報を吟味すると彼女が静馬を殺しに来るようには結論できない。

ならば、女幽霊は別の人物で、自分達の与り知らぬ事情でもあるのだろうか?

「或いは、静馬さんと何の関係も無い幽霊が殺しに来たか……」
シュラインの思考を代弁するように理緒が呟く。
得られた情報と現実に起きている事件との齟齬に悩みながら、彼女達は夜を明かした。








――――その部屋の前に、「彼女」は立っていた。
自分を取り巻く霊と退魔師は、今も庭で戦っている。第一の関門は突破した。
なればこそ、自分は独りでこの部屋の扉を見詰めている。

第二の関門は、まさしくこの扉であった。

「………っ」
彼女には分かる。
この部屋には、強力な結界が張られているのだ。
無理矢理に入ろうとすれば、自分は消滅するかも知れない―――
「………」
だが、諦められない理由が。
どうしても進まねばならない、強き意志が内に在る。
「………!」
彼女は意を決したように、自身を蝕むだろう扉へ歩を進め、




「へぇ。その「仮面」を取ったら美人かもしれないな、アンタ」




そんな、軽薄そうな男の声に身を硬直させた。
「!」
振り向けば、いつの間にやら廊下の先に一人の男が立っている。
黒い髪。銀の瞳。
その目元を飾るのは、丸眼鏡である。
「……っ!」
「なんだ、そんなに怒るなよ。まだ俺は何もしてねぇぜ?」
やれやれと嘆息するが、女幽霊には届かない。
「貴方も……」
「あん?」
搾り出すように。
「……………貴方も、あの人に私を逢わせないつもりか………!」
ようやく発せられたまともな日本語には、紛れも無い敵意が宿っていた。
「いやいや、誤解だな。俺は―――」
弁解しようとしていた彼、桜華の瞳がやや細まる。
女は、こちらを殺そうと動き始める算段のようだ。
―――ならば。
「動くな」
す、と彼は掌を女幽霊へ向ける。
「俺に近寄るんじゃねぇぜ、お嬢さん」
何の変哲も無い挙動だが、彼女はその意を敏感に汲み取った。
「………っ」
「喧嘩は嫌いだね。俺は成程、『理』を犯すことに特化しちゃいるが……代償もある」
だから、殺し合うのは止めようぜ?
彼は無言のままに、女幽霊へそんな意志を伝えている。
「なぁ、アンタは一体―――」
「!」
女の事情と正体を探ろうと桜華が口を開くが、しかし遅かった。

険しい顔をした女霊は、一瞬でその姿を消してしまう。

「ち……潔いじゃねぇか」
軽く舌打ちして、腕を降ろす。今夜の茶番はこれで終わりだろう。
何の問題も無く、朝が来る。
「ふむ」
そんな中、彼は釈然としない顔で。
「……ちょいとばかり、俺の。否、俺達の予想と違うな」
そんな言葉を口にした。





【4】

「やっぱり、この事件はおかしいと思うんだよね」
そう主張しながら、理緒は朝食のクロワッサンをつまむ。
「………そうなのか?」
仏頂面で珈琲をすする巴が、ちらりと理緒を見て疑問の声を紡いだ。

既に日付は変わり、館にて朝食を摂っている最中である。

眠そうにしている彼の隣では、それと同じくらい眠そうな紫桜が居た。
「でも、皆さんの情報を整理すると……そうですね。あの女幽霊がその遥さんだったとして、単純に静馬さんを殺しに来るとは考え難い。勿論、俺達の知らない事情、知らない心変わりがあった可能性は否定できませんが……」
ふむ、と考えながら発言する。
ほぼ連日連夜の戦闘で朝はゾンビと化している巴とは違い、彼はまだ思考能力があるようだ。
「利恵さんとは関係ない、ないしは彼女が不遇だと思い込んだ知り合いの犯行という線が濃厚かしらね。こうなると」
はぁ、と嘆息気味に言うのはシュライン。彼女も寝不足のようである。
「だが、あの女は仮面をつけていた…傷を隠すため、なんて推測するのもアリだぜ?」
「そうなのよね……ああ、決定打が無いと辛いところだわ」
桜華の台詞に、彼女はしぶしぶと頷く。
「それと―――あの女、必ずしも静馬氏に敵意があるとは限らん」
と、続けるのはまたしても桜華。
しかし妙なことに、その言にはほのかな自信があった。
「どういうことですか?」
「いやな、昨日あの女を観察していたんだが……」
揺ぎ無い確信ではないのだろう。やや言い難そうに、彼は続けた
「確かに、強い意志は感じ取れた。でもな、必死な様子だけど、殺意はこれといって…」
無かったんだと、彼は言葉を濁すようにして締めくくる。
「そんな馬鹿な!現に俺と巴さんが戦った奴等は、殺意があった」
「うん……つーか女の方も、少なくとも俺等の前に現れたときは殺意があったね」
その意見に否を唱えたのは、夜に戦いに明け暮れていた紫桜であった。
テーブルに頭を載せる姿勢から、巴も同意する。
「いや、そうなんだが……分からねぇよな。俺も、姿を見せた途端に敵意をやられたしさ」
「――――ねぇ、巴さん。疑問があるんだけど」
そんな彼らの様子を見ながら何かを考えていたシュラインが、唐突に声を上げた。
「何だ?」
「貴方の相棒の魔術師さんは、静馬さんの護衛をしてたのよね?」
「ああ」
「それじゃその、静馬さんの近辺にいた彼から見た女幽霊の印象は、聞いてる?」
「………ああ、それか」
いつか聞かれるとは思っていたのだろうか。
返答自体は用意していたらしく、淀み無く巴が答える。
「いや、どうにも妙な話なんだが……確かに途中から、俺とあいつの役割を分担してな。二人しての迎撃をやめて、相棒には旦那の護衛を頼んだんだ。で………相棒は旦那の部屋の前で、見事に女幽霊と遭遇したらしいんだな」
「それで?」
「うん……まあ、結界自体はその頃にも張っていたし、相棒も一級の魔術師だ。女は退散した。何も問題は無かったんだが……次の朝、相棒が急に態度を変えて帰ってしまったのさ」
「何か言っていなかったんですか?」
「言われたよ。なんでも、『別に僕らが出張る事件じゃない。否、正確に言えば君だけで十分な事件だから僕は降りるよ』、とか………確かに部屋には結界の防護があったから、奴のいうことにも頷ける。だから特に深い意味はないと思ってたんだが……変といえば変なんだ。俺の相棒は変な野郎だが、いくら結界の加護があるとはいえ―――血気盛んな亡霊と、それに殺されそうになっている護衛対象を放り出すなんてことはありえない」
むう、と巴が黙りこくる。
食卓に居たほかの面々も、同じように黙ってしまった。
何か、気持ちの悪い状態だ。





部屋の前では殺意が無かった、という女幽霊。

そして、その女幽霊と接触した次の朝に態度を変えた巴の相棒。

十年前の事件。

顔に傷をつけられた富豪の恋人。

恨みは無く死んでいったらしい、その女。

符合しない情報。

噛み合いそうで、噛み合わない現実――――――

何が悪いのだ。

何が?





「………あの、さ」
そんな奇妙な沈黙を破る、声。
声の主は先程から沈黙を守っていた、理緒だった。
「ひょっとして。本当に小さな可能性でしかないんだけど……」
「何か思いついたのか?」
巴が、驚いた面持ちで彼女を見る。
「うん。なんていうかさ………」
躊躇うように、己の推理を口にする。
「もしかして、ほんの少しだけ勘違いをしてるんじゃないかな?」
「勘違い?」
桜華の疑問符に、うん、と彼女は頷く。
「そう。女幽霊を利恵さんだとして、そして、彼女は巴さんと、その味方らしい私達に敵意を持っている。彼女の取り巻きの霊は、私達を殺そうとしている。これは正しい。そして、私の推測の上では巴さんの相棒が洩らした『巴さんだけで十分』という意味も説明できるよ」
「だが、それでは……」
「分かってる。つまり、さ」
良い?と。半信半疑ながら、彼女は彼女なりの決定打を放った。






「彼女は、『静馬さんを殺そうとしていない』―――これが、きっと解答なんだよ」





その言葉から続いていく、彼女の推理の詳細。
しかしそれは、まさにこの事件の真相だった。




【5】

――――朝の会話から時は移ろい、夜である。
今宵も月は欠けることなく。その光が地上を仄かに照らしていた。
「さて……」
その大地の下で。
闇をこそ強調したい、と主張しているような黒ずくめの男、汐・巴が口を開く。
「―――準備は良いか、紫桜?」
「ええ、万全です」
ちら、と彼が隣を見据えれば、そこには気概に満ちた紫桜が居た。
どちらも臨戦態勢といった雰囲気で、水上邸の庭に立っている。
「そうか」
それは頼もしいな、と彼は笑う。
……彼がいつも見せる陽気な笑みではなく。犬歯を剥き出しにした好戦的なそれで。
「それなら、そうだな。祭りも滞りなく進められるだろう」
「そうですね。俺も、今夜は脱落するつもりはありません」
二人は言って頷きあう。
………そう、彼らが万全であるというのなら問題は無い。
既に彼らの前には、女幽霊と雲霞の如き霊の群れ。役者は揃っているのだ。
まさか、彼らを取り囲む雲霞の如き幽霊の群れに不足などは無かろう―――
「来るぞ……では紫桜、くれぐれも死なぬようにな!」
「はい!」
それが契機であったのか。霊たちが一斉に二人へ襲い掛かってくる。
「は―――――」
しかしその怒涛の流れに臆する二人ではなかった。
何の虚仮脅しかと叫ばんばかりの勢いで、真っ向から駆けて行く!
「はあああ!」
ばん!と紫桜が大地を蹴って飛ぶ。
その跳躍はそのまま攻撃であり、事実彼は初弾から見事なソバットで霊の陣を打ち崩す!
加えて彼は気の扱いに習熟した戦闘者。その攻撃は肉体を持たぬ霊にとっても十分な脅威だった。
「崩れたな、たわけ!」
生まれた隙を活かすのは退魔師である。
彼もまた跳躍を以って軍勢の綻びへ到達し、すらりと抜き放った刀を思い切り振るう!
「……遅いっ!」
「はぁっ!」
穴を埋めんと群がる霊たちに劣るものかと、二人が必殺の攻撃を重ねていく。
しかしその挙動は、愚作ではないのか――――
「暫し俺を預ける!紫桜、守り切れよ!?」
「―――全力を以って!」
無論、数に押される運命に抗うことは彼らもとうに考えていた。
巴が攻撃を止め、おもむろに目を閉じて何かを呟き始める。

「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク………」

呼応するように、夜気が熱を帯び始める。

「―――サラバタ タラタ センダマカロシャダ ケン ギャキギャキ……」

東洋の神秘の一端を、真剣に唱えること数瞬。
…真言に込められた奇跡が具現すれば、彼らに都合の良い状況が作られる。
「ち……せあっ!」
その、殺し合いの場において決して短くない時間を稼ぐのは、必死の紫桜だ。
己も持つ技量で、やっと数秒を、しかし得難いイニシアティヴを叩き出す!
「くっ………」
ついに猛攻を続けていた彼の腕が霊の集団に掴まれる。
今までの反撃と、一気に群れへ引きずり込まれる寸前に―――
「大変有能だ、紫桜………火界呪ッ!!」
巴の起死回生の一手が、間に合った。
轟!と、清浄な炎が沸き起こる。
荒れ狂う炎が紫桜を蹂躙せんとしていた亡霊を、激しく犯していく。
「っ……あああああ!」
その隙を逃す紫桜ではない。
単体であるはずの彼は、炎に乗じて包囲網を一気に崩した!
「このまま、押し切る………!!!」
彼は疾風と呼ぶに相応しい速度で戦場を蹂躙する。

目に付く霊の一人目の頭部にハイキックを浴びせ。

左右に控えていた二人を、拳をさながらハンマーのように叩きつけ粉砕する。

更に止まらず、くるりと前へ飛びながら―――鈍器よろしく踵を四人目の脳天へ落とす。

猛禽類を思わせる柔らかな着地を見せた彼に、再び霊たちが群がるが、

「紫桜、使え!」

空から、巴の投げた刀を受け取り、これも押し返してしまう。
古武術とは本来、得物の扱いにも習熟して然るべきもの。ならば彼にとって刀は友だった。
「良いね、上等だ……」
昨夜とは打って変わり、術を惜しみなく使いながら巴がちら、と戦況を見る。
自分達が取り巻きの霊「だけ」に執着している内に、女幽霊は消えたようだ。
初志貫徹をその身で表すために、今夜も静馬の居る寝室へ向かったのだろう。
「……本当に、上等だな」
にぃ、と巴は笑う。
庭を見渡せば、紫桜の獅子奮迅の働きで大分敵は減っていた。
「あと一息だ!さっさと片付けて追いつこうぜ!」
「ええ!この事件に関わった以上、俺も最後を見届けたい!」
「へ―――良く言った!ならば、速やかに前座を片付けるとしよう………!」
かなり開けてきた戦場で背中を合わせながら、二人が再び頷き合う。
彼らの言う通り、この場は今夜の物語の前座に等しいのだ。
「「はああああああ!!」」
然るべき場所にて行われる、フィナーレに顔を出したいと思うのは当然のこと。
二人は共通の思いを胸に、雄叫びを上げながら戦い続ける。




【6】

巴と紫桜が戦っている合間に、「彼女」は今夜も目的地に着いていた。
「……」
目の前には、結界が張られているはずの扉。
それは彼女に優しい代物ではなく、或いは猛毒に等しい。
等しいのだが――――意を決して、扉に触れる。
「………っ!?」
予期していた衝撃に備える。
だが、受け止めようとしていた痛みはいつまで経っても訪れなかった。
「?」
「今夜は無粋な罠は無い。ちゃぁんと開いているぜ、美人さん?」
思わず訝しむ彼女の背後にかけられたのは、桜華の声だ。
「!?」
昨夜敵と認めたはずの彼が紡いだ言葉に、信じられず彼女は驚愕する。
「疑わなくても良いわ。本当に、貴女はその先へ行けるのよ」
「そうそう。それが、このループを解決させる道なんだから」
やや遅れて、シュラインと理緒の声。
どちらも柔らかく、同時に真摯な響きで発せられた台詞である。
「…………」
女幽霊。仮面を付けた彼女が、予期しなかった展開だ。
彼女は暫く、呆然と三人を見詰めた後に。
「……………ありがとう」
小さく、しかし礼儀正しく『お辞儀をした』。
きぃ、と音は立てることはせずに。幽霊らしく扉をすり抜けていく。
「さて……どうやら、推理は当たりみたいだな」
ほ、と安堵したように桜華が胸を撫で下ろす。
「さあ、行こうや。中々信じられねぇ話だから、御大に前説明はしてないんだし」
「そうね。ちゃんと説明してあげないと、解決しない」
三人は頷き会って、やや遅れて扉を開け部屋に入る。





そこでは―――――予想通り、水上静馬が狼狽していた。



「う、うわああああああ!?」
結界が張ってあったと安心していたが故だろう。
それなりの大人である静馬は、女幽霊を見て大声を上げている。
「な、何で!?どうしてお前がこの部屋に居るんだ!」
「………」
女幽霊は黙して語らない。
だが。彼女の目に敵意や殺意といった類のものは、一切見られないのだった。
「落ち着いて、静馬さん」
狼狽し、怯え切っている彼へシュラインが声をかける。
自分の護衛を引き受けた三人を見て、安堵よりも先に恐怖から彼はシュラインに叫んだ。
「あ、あたなたち!何をしているんですか、この幽霊を早く―――」
「安心して。彼女はあなたに害を及ぼさない」
「なんて戯言を!現に、こいつは私を」



「……殺そうとしたことは、あったのかい?」



冷静に。わめき散らす静馬へ、桜華が問うた。
「彼女が。彼女自身が、あんたへアクションを起こしたことは?」
「い、いや……だが、現に周りの悪霊は!」
悪い奴じゃないですか、と彼は反論する。
そう、だから自分は間違っていないと。その首領である女幽霊も悪だと、彼は主張するのだが。
「そこ。そこが、間違っちゃいけないところなんだよね」
それを軽く受け流すのは、理緒だった。彼女もまた冷静に言葉を並べる。
「落ち着いて聞いて、静馬さん。彼女は貴方を殺そうなんて考えていない」
「それは、」
「いいから。そして、こっちも重要なんだけど―――でもあの取り巻きの霊たちは、貴方を殺そうとしている。理解しなくちゃいけないのは、そう……『そこの女幽霊は取り巻きの霊と仲間ではなく、命令権も何も持っていない』という点なんだ」
「!!」
理路整然と、彼女がこの事件の真相を話し始める。

そう。それは、些細な誤解から生じた事件の拡張だったのだ。

「そんな……だが、巴さんは女幽霊から殺意を感じたと!」
「それも、問題だったんだね……いい、静馬さん?確かにその殺意は本物だよ。そこに居る彼女は、巴さんに殺意を抱いた。抱いたけれど―――それは、静馬さんに殺意を向けたというわけじゃないの」
「なっ………」
一つ一つ。だが確実に、誤解が紐解かれていく。
女が邪魔をする気配は無い。
その沈黙が、すなわち肯定を意味していた。
「………霊は、会いたい人が居るならその人に会いに来ることがある」
ぽつりと、静寂の間にシュラインが言う。
「静馬さん。貴方の目の前に居るその人はね……十年前に死んだ、利恵さんなのよ」
「――――――!?」
真実を告げる彼女の口。
目の前の女幽霊は貴方の恋人なのだ、と告げるシュライン。
それは、しかし常識を備えている静馬に許容できることではなかった。
「仮面を付けているのは、傷を貴方に見られたくないから」
「嘘だ……」
ぱくぱくと、口を動かす。
「彼女はこの世に未練があった。でも会えない事情があって身を潜めていた」
「嘘だ……そんな」
酸欠の金魚のように、ぱくぱくと。
「―――彼女の貴方へ向ける想いは強かった。性質の悪い悪霊を集めてしまうほどに」
そこで言葉を切り、彼女は静馬の傍で俯いている女幽霊へ視線を投げる。
否。仮面を着け、己を恥じ入る利恵を見た、というのが正しいのか。
「霊ってな、俺たちよりもファジィな存在だからな。そういうこともあるんだろうさ」
どこか遠い眼で桜華が話を引き継ぐ。
その瞳は、陽気な普段からは想像もできないくらいに寂しげに揺れていた。
「会いたいのに会えない状況は、地獄だったんだろう。で、ついに我慢できなくなった彼女は………見詰めるだけなら。遠くからアンタを見ることくらいは許されるだろうと思い、少し前からアンタの屋敷の庭に現れるようになった」
悲しいことだな、と彼は呟いて利恵を見続けている。
「それで貴方が、彼女、「得体の知れない幽霊」が自分を殺しに来たと勘違いして巴さんを雇った……彼女からすれば渡りに船だったんだね。邪魔な悪霊を引き受けてくれる間に、彼らの目をどうにか逃れて、貴方に逢いに来れば全てが解決するんだから」
「あ………」
長い長い、真相の説明。
此処に来てようやく、水上静馬はことの誤解に気付き始めたらしい。
入れ替わるように続く三人の説明。
それは、何処か常識から乖離した現象に感じられた。
「そう……でも、俺の張った結界が彼女を邪魔してしまった」
新たな声が、扉の方から聞こえてくる。
皆が申し合わせたように其方を見れば、巴と紫桜が、堂々と立っていた。
「だから次に遭遇する時から、そこの彼女は俺に敵意を抱くようになったんだろう……俺はそれを、静馬の旦那。あんたへの殺意と同義だと勘違いして、そう報告しちまったんだ」
許してくれ、と彼は悔いるように頭を下げた。
「巴さんの相棒さんはその辺を理解していたんでしょうね。もう少しお人好しな人だったら、ちゃんと説明してくれたんでしょうけど………ともあれ、誤解は今の今まで解けていなかった」
………長かった、説明が終わりを迎える。
だから、と。理緒が最後の台詞を口にした。
「彼女はこの世から消える前に、最後に一度だけ、静馬さんに愛して欲しかった。醜い傷跡の残る顔を隠して、それでも貴方が愛しくて……………羞恥に身を焦がれながらも、ずっと貴方に会いたかっただけなのよ」
「そんな………」
そんな馬鹿なこと、が、と静馬が口にする。
ぎ、と音が聞こえてきそうなほどに硬い動きで、彼はようやく目の前の女を正視した。
「利恵……なのか?」
「………はい」
愕然とした彼の問いに、彼女は俯きながら答える。
確かに、彼に気付いて貰えたのは嬉しい。
だが、とうに自分の顔は――――そんな、痛ましい感情に心が揺れていた。
「利恵」
そんな彼女と打って変わって、静馬はいつのまにか冷静になりつつある。
彼は、驚愕ではなく真摯に自分の死んだ恋人を見た。
「利恵。顔を………顔を、見せておくれ」
「!」
びくりと、利恵の体が震える。
「利恵、お願いだ」
静馬はしかし構わない。優しく、彼女に問いかける。
問いかけ続ける。
「向き合わせて、おくれ」
「………静間、さん」
ついに彼女が、折れた。
躊躇いながらも――――彼女は顔全体を覆っていた仮面を外す。
巴達の位置からは見えない。
しかし、誰もそれについて何かを言おうとはしない。
ただ、十年ぶりに互いを意識した恋人達を見守り続けるのみである。
「ああ……利恵。本当に、利恵だね」
彼女の顔。その傷にも、彼は頓着していないらしい。
静馬は本当に、懐かしげに目を細めて恋人の名前を呼ぶ。
「あまり、見ないで下さい……恥ずかしい」
「――――――なんの、気にすることは無いよ」
そして、おもむろに彼女を、最早肉体を持たない彼女を優しく抱きしめた。
愛しげに。儚い、代え難い硝子細工を腕に抱くように。
「あ―――」
「誤解していてすまなかった。利恵、私は今でも君を愛しているよ」
「はい………はい、静馬さん……私、も…私も、愛して………愛して、います」
十年ぶりの抱擁。
酷く不器用なそれを見て、理緒も、シュラインも、桜華も、紫桜も微笑んでいた。
やがて――――彼女が、淡く輝き始める。
「未練は消えた。彼女は、消えるのですね」
目を細めながら紫桜がそっと呟く。
その眼前で、まさしく利恵は消え始めている。
ただし、その顔は美しく。着ている白衣は、豪奢な着物へと変わっていた。
「おさらばで御座います。どうか、幸せになって下さい」
「………君も、元気で」
短く、別れを告げる静馬と利恵。
そして彼女は消える直前、こちらへ微笑みながら向き直り、
「ようやく旅立てます。ありがとう、ございました―――」
深く深く、頭を垂れた。



そして光に包まれ、彼女はこの世から消え去った。
後にはただ、静かに涙を流す静馬のみ。
「………ようやく、俺もこの事件から降りられるか」
此処に、幽霊騒動の物語は完結を見たのである――――――





【7】

「いや、なんとか事件が解決したな!良かった良かった」
水上邸を後にしながら、巴が嬉しそうに声を上げる。
他の者も、概ね彼と同じ気持ちらしい。緊張は殆ど存在していない。
「うーん、ぶっつけ本番が一番良いと思ってお膳立てしたけど、何の関係も無い女悪霊の仕業じゃなくて良かったよー。その時は死ぬ気でフォローに入らなくちゃいけなかったからね」
ふぅ、とため息をついているのは理緒である。
美少女にも美少年にも見える彼女は、可愛らしく小首を傾げながら発言していた。
「とりあえず、報酬もいっぱい貰えて満足かな♪」
「うむ、労働とは良いものだな!」
はっはっは、と彼女の肩を叩きながら桜華が賛同する。
懐事情が一気に改善された彼の頬は、この場の誰よりも緩みまくっていたりした。
「ま、救われない魂程、悲しいモノは無いってな。大成功じゃねぇか」
女幽霊を強制的に排除する方針ではなく、満足を抱かせて逝かせてやれたことも嬉しいらしい。
「同感ね……あとは、静馬さんが幸福に生きてくれれば最高だわ」
「大丈夫でしょう。ステレオタイプな金持ちと違って、大分まともな人でしたし」
「……ええ。紫桜君の言うとおり、かしら?」
最後尾を歩いていたシュラインと紫桜が、目線を交わしながら笑い合う。
―――最後に礼を言ってきた静馬の目は、とても綺麗だった。
思い出すのは、そんな彼。だからきっと大丈夫だ。
「うむ、これにて一件落着!なんつーか、こう、俺が食事でも奢ってやろう!」
すたすたと先を歩いていた巴が、わー、と一人で上機嫌にはしゃいでいる。
「………まさか、パフェずくしじゃないよね?」
「む、鋭いな理緒」
「お、俺はまともなものが食べたいです……」
「?パフェもまともな食べ物じゃねぇか?」
「ふはは、良く言った桜華!それでこそ男だぜ!」
「ほどほどにしましょうね………そうだ、武彦さんにお土産でも買っていこうかしら」
などなどと、賑やかに彼らは歩いていく。
誰かが、一度だけ屋敷を振り向いた。そして眩しそうに目を細める。



そこは、そう。
自分達が最初に訪れた時より、明るい雰囲気の中に在る気がして――――


<END>





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5453/櫻・紫桜 (さくら・しおう)/男性/15歳/高校生
0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
4663/宵守・桜華 (よいもり・おうか)/男性/25歳/フリーター&蝕師
5580/桜月・理緒 (おうつき・りお)/ 女性/17歳/怪異使い



・登場NPC
汐・巴

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■         ライター通信          ■
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櫻・紫桜様、初めまして。ライターの緋翊です。
この度は「月夜に踊る殺意」にご参加頂き、どうもありがとうございます。
単純に女悪霊が男を殺しに来て、それを撃退する――というものとはやや趣の異なる仕上がりにしました。
後半はケレン味重視より、淡々と会話で進んでいくことと相成りましたが、お楽しみ頂けたでしょうか。



紫桜さんは今回、巴にお付き合い頂き、完全な戦闘組に回って貰いました。
実はバストアップ画像を見て剣術使いだと勘違いしてしまっていたのですが(苦笑)
特殊能力を使うことも考えましたが、今回はベーシックに獅子奮迅の働きを見せる武道家のイメージで描写をさせて頂きました。個人的には古武術の側面も、もっと前面に押し出して戦わせたかったですねっ。
真面目で、体術に優れる高校生といった印象を崩さぬように、楽しく書かせて頂きました。


予想とは違う出来かもしれませんが、
それでも、これも悪くないなと楽しんで読んで頂けたらこれほど嬉しいことはありません。

それでは、また機会がありましたら宜しくお願い致します。

ノベルへのご参加、どうもありがとうございました。