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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


VD攻防戦2006
●局所限定的な暦
 それはもはや、暦に組み込まれていた。
 立春や秋分が毎年必ず訪れるように、そのイベントもまたここ――草間興信所においては当然のごとく訪れるものとなっていた。
 イベントの名は、言わずと知れたバレンタインデー。世間一般では愛の告白だとか言われているが、草間興信所ではちょっとした攻防戦の行われる日なのである。
 そして今年も、2月14日は迫っていた。

●敵は逃亡中
 2月13日、バレンタインデー前日の草間興信所――シュライン・エマはいつものごとく、ソファにて書類の整理に追われていた。主である草間武彦は朝から出かけていて留守で、残っているのは台所で洗い物をしている草間零のみであった。
 それにしても、この時期はどうしてもあれだ。確定申告の準備に時間を取られてしまい、本来の仕事の書類をまとめるのが遅くなってしまう。しかし、去年シュラインがやいのやいのと言ったせいだろうか、草間は1月中にはどうにか領収書を全て揃えて出してきていた。おかげでシュラインは去年よりも早く、確定申告の書類を仕上げることが出来たのであった。
(毎年ああだったらほんと助かるんだけど)
 領収書の入った箱を抱えた草間の姿を思い出し、くすりと笑うシュライン。さて、来年以降も草間がそれを継続出来るか、とても見物である。ともあれ納税は国民の義務、申告はお早めにお忘れなくだ。
「んっ……んん……ふう」
 書類にいい所で一区切りつけ、シュラインは両腕を上げて背伸びをした。背筋が縮こまっていたか、ぐっと伸びる様子が心地よく感じられた。
 その最中、室内にあった時計がシュラインの目に入った。時刻は午後3時になったばかりであった。
(一休みするにはちょうどいい頃合ね)
 午後3時、いわゆるおやつの時間だ。シュラインは台所に居る零に向かって声をかけた。
「ねえ、零ちゃん。一休みして、おやつにしない? お菓子持ってきてるから」
「あ、はい、分かりました」
 零のはきはきとした返事が台所からして、ざーっと水の流れる音とガチャガチャと食器が触れ合う音が聞こえてきた。やがて水の音が止まり、また零の声がした。
「コーヒーで大丈夫ですか?」
「そうね、和じゃなくて洋だし、コーヒーで問題ないわよ」
 零の問いかけに優しく答えるシュライン。持ってきたのは和菓子ではなく洋菓子の部類なのだろう。
「分かりました、コーヒーにしますね」
 台所を動き回る零の足音が聞こえてくる。コーヒーカップを出し、インスタントのコーヒーの準備を……。
「あ」
 『あ』? 何故か零の短い驚きの声が、シュラインの耳に届いた。
「どうしたの、零ちゃん?」
「あの、すみません……」
 シュラインが尋ねると、間髪入れず零が謝ってきた。はて、何があったというのか。
「コーヒーを切らしたみたいなんです」
「え? 奥に買い置きがあったでしょう?」
 記憶を頼りに零に教えるシュライン。
「奥にもありませんでした。確認はしたんですけど」
 困った様子の零の声。まあ、ない物は仕方がない。
「じゃ、後で買いに行きましょ。でも、うっかりしてたわね……」
「すみません、シュラインさん」
「何言ってるの、零ちゃんのせいじゃないでしょう? きっと武彦さんが知らぬ間にぐびぐび飲んだのよ」
 今頃盛大にくしゃみでもしているかもしれない――草間は。
「あのー……お茶でもいいですか?」
 コーヒーがないなら、せめてお茶でも。そう思ったか、零がシュラインに尋ねてきた。
「いいわよ」
 シュラインが答えると、また台所で零が動き回る足音が聞こえてきた。コーヒーカップを仕舞い、代わりに湯飲みを出してきて、お茶の用意を……。
「あ」
 また『あ』? 今度は何があった?
「零ちゃん?」
「すみません……緑茶がなくて、プーアル茶しかありません」
「プーアル茶……だけ?」
「そうです」
 そこでシュラインは考え込んでしまった。果たして今日持ってきたお菓子は、プーアル茶と合うのだろうかと。
「いいわ、プーアル茶持ってきて」
「分かりました。もうちょっと待ってくださいね」
 プーアル茶、決定。

●意外な反応、意外な結果
「お待たせしました」
 プーアル茶の入った湯飲みを持って、零が台所から出てきた。シュラインは書類をテーブルの隅に寄せ、湯飲みを置ける空間を十分に確保した。
「……武彦さんはまだ戻ってこないのよね」
「今日は遅くなるって言ってましたよ」
 草間の不在を改めて確認するシュライン。バレンタインデーの攻防戦は毎年のこと、向こうも結構警戒しているのかもしれない。極力事務所に居る時間を減らそうとしているのではなかろうか、シュラインはそんな気もしないでもなかった。
「そ。ちょっとね、零ちゃんに試してもらいたいお菓子があるの」
「何ですか?」
 興味ありといった視線を零がシュラインに向ける。そしてシュラインが取り出したのは――。
「これなの」
 何の変哲もない煙草ケース、2つだった。
「…………」
 無言で交互にシュラインの顔と煙草ケースを見つめる零。その表情はきょとんとしているというか、怪訝な様子というか……。
「シュラインさん」
「ん?」
「インフルエンザは大丈夫ですよね?」
 腰を浮かせてシュラインの額に手を当てる零。
「熱はないみたいですけど……」
「ちょ、ちょっと待って、零ちゃん! とりあえず、両方とも開けてみて」
 思わぬ零の反応に対し、慌ててシュラインが言った。
 言われた通り、煙草ケースを開いてみる零。中には普段草間が吸っているマルボロが詰まっていた、どちらともに。
「一緒に病院へ行きましょう、シュラインさん!」
 がしっとシュラインの手をつかんで、真面目に零が言った。どうやらシュラインが壊れてしまったと思ってしまったようである。
「だーかーらー……そうじゃなくってね、零ちゃん。よーく見て。匂いも、ほら」
 思わずシュライン苦笑い。それを聞いて、零がマルボロを凝視し、軽く匂いを嗅いでみた。
「あっ! これ……まさか、チョコですか?」
「はい、ご名答。よく出来てるでしょう? こっちが生チョコベースで、そっちがケーキベースなの。零ちゃんに試食してもらおうと思ったんだけど、まさかこんな反応されるなんてね」
「す、すみません!」
 零、平謝り。
「いいの、こっちも気合い入れ過ぎたみたいだから。でもこれで、武彦さんには十分通用するわね」
 ぐっとこぶしを握るシュライン。もはや勝ったも同然、草間がこれを口にくわえてうっかり火をつけてむせ返る光景が目に浮かぶようである。
「さ、食べて感想聞かせて、零ちゃん」
「はい! いただきます」
 シュラインに促され、両方口にする零。その感想は、どちらも美味しくて甲乙付け難いというものであった。
 しかし、それとは別に大きな収穫が1つ。プーアル茶は、チョコレートによく合うということだった。これは意外である。
「何でも試してみるものね」
 シュラインがぼそっとつぶやいた。
「そうですね」
 こくこく頷く零。と、思い出したように零がシュラインに尋ねてきた。
「そういえば明日はお休みなんですよね?」
「ええ、事務所のお仕事はお休み。少し前から武彦さんには伝えてあるから。けど、置きに来なくちゃいけない物もあるし……夜には顔を出すと思うわ」
 その時に、シュラインは先程のマルボロに模したチョコレートを草間に渡そうかと考えていた。
「分かりました、夜ですね。それまで草間さんに内緒にしておきますね」
 毎年のことだから、もう零も心得たものであった。
「ん、ありがと、零ちゃん」
 笑顔を見せ、シュラインは腕時計を見た。時刻は午後3時35分を示していた。
「あら、ずいぶん一休みしちゃったわね。もうちょっと頑張らなきゃ」
 そう言って書類の整理へ戻るシュライン。零は湯飲みを手に、台所へ戻っていった。

●そして、14日は過ぎ行く
 2月14日、バレンタインデー当日の草間興信所――ではなくて、草間興信所へ向かう夜道。シュラインが紙袋を提げて、とても慌てた様子で夜道を駆けていた。
(何でこんな時間になっちゃったの!?)
 ちらと腕時計を見るシュライン。時刻は午後11時54分、バレンタインデーも残り6分しかない。
(うう、急にあんな仕事が入るからっ!!)
 頭を抱えたくなるシュライン。さて、今からこうなってしまった理由を説明しよう。
 それは昨日夕方のこと、自宅に戻ったシュラインがチョコレートを製作している時だった。電話が鳴り、出てみるとそれは本業関係の仕事の依頼。しかも諸々の事情で、どうしても断ることの出来ない急ぎの仕事であった。それからすぐに作業開始、シュラインは仕事に没頭したのだった。
 やがて夜が明けて朝になり、シュラインは1度草間興信所へ向かった。あいにく草間は留守であったが、昨日零に言った置くべき物を、取り急ぎ置いてまた自宅へUターン。それは、無理な仕事を押し付けられた時にもらったお菓子。差し入れに持ってきたのだ。
 そして再び仕事に没頭。何とか終えることが出来たが、その頃にはとっぷりと夜も更けていて……現在に至る、という訳である。
(日付が変わったら意味ないじゃない!)
 急ぐ、急ぐ、シュライン。とにかく少しでも先へ駆けてゆく。夜道を抜け、階段を昇り……ようやく事務所の前に辿り着く。
 シュラインはそこで腕時計を見た。時刻は午前0時を無情にも3秒過ぎていた……。
「お……終わったわ……」
 壁にもたれかかり、シュラインはがっくりとうなだれた。残念無念、タイムアウト。今年はシュラインの不戦敗になってしまったようである。
 と、ガチャリと事務所の扉が中から開いた。
「何やってるんだ、そんなとこで?」
 中から、怪訝な顔をした草間が覗いている。
「あ、武彦さん……」
 とりあえず返事はしてみたものの、仕事の疲れと間に合わなかったショックで、シュラインは会話を続ける気力があまり残っていなかった。
「寒いだろ、早く中へ入ったらどうだ」
「うん……そうね」
 草間に促され、足取り重く事務所へ入るシュライン。その間も草間の言葉は続いていた。
「全く、あと15分で日付も変わるぞ」
「え?」
 シュラインは耳を疑った。だって、ついさっき日付は変わったはずなのに。
 その時、シュラインの視界に事務所の時計が飛び込んできた。昨日も見たそれは、午後11時45分を過ぎていた。
(ええっ!?)
 自分の腕時計を見直すシュライン。こちらは午前0時を1分ちょっと過ぎている。これはひょっとして……。
(事務所の時計、遅れてる?)
 そうかもしれない。シュラインの時計は、つい数日前にテレビの時報に合わせて時刻を直したばかりだったのだから。遅れてるとしたら、事務所の時計の方である。
(……さて、どうしましょ。素直に話した方がいいのかしら。やっぱり話すべきよねえ……)
 気分がすっかり凹んでいたシュラインはそんなことを考えつつも、とりあえず件のマルボロに模したチョコレートの詰まった煙草ケースを草間に差し出してみた。
 草間の反応は、言うまでもないだろう――。

【了】