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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


返呵


 手を伸ばして。その場所に届くまで、さあ、手を伸ばして。
 足を踏出して。もうすぐきっと届くから、さあ、足を踏出して。
 手を、足を。伸ばして、踏出して。……さあ。


(ここは)
 守崎・北斗(もりさき ほくと)は、ぐらりと辺りの景色が揺れたのを感じた。ゆっくりと深呼吸をし、今一度辺りを見まわす。
(ここ、は)
 見慣れた部屋、見慣れた天井、見慣れた風景。
(ここは、家だ。俺の……)
 北斗はそう思い、ぎゅっと何かを握り締めた。そっとそれに目をやると、そこには押さない手で握り締められた女の子用の髪飾りだった。真っ赤で大きな花がついた簪は、花から垂れている金具が、鈴が、ゆらりと揺れて涼やかな音を鳴らした。
 しゃり。
 しゃりり。
 北斗はその涼やかな音に微笑み、空を見上げた。太陽の光に照らされた簪は、きらきらと光って綺麗だ。
「どこに、いったんだ?」
 北斗は呟き、走り出した。簪を持って、北斗は探していた。大事な存在を。大事な兄を。
 守崎・啓斗(もりさき けいと)を。
 小さな声で「どこ?」と呟きながら探し回っていると、どこからか音がしてくるのが聞こえた。
 てん、てん、という、鞠つきの音だ。
 北斗はその音を辿っていく。ぱたぱたと走り、時に音を聞く為に耳を澄まして。そうして辿り着いたのは、縁側の隅の方だった。
 そこで、啓斗が鞠つきをしていた。煌びやかな七五三姿の、幼い啓斗が。真っ赤な鞠を、小さな手で何度も打つ。
 てん、てん、てん。
 リズムよくつくその音は、しんと静まり返った家の中によく響いていった。北斗はにこ、と微笑み、啓斗の元へと駈けていった。
 縁側で靴を履くのもまどろっこしいように、北斗は外へと飛び出した。そんな北斗に気付き、啓斗は鞠つきの手を止める。
 すると、てん、と言う音を最後に鞠つきが止まってしまった。
 北斗は啓斗を見てにかっと笑い、簪をそっと啓斗の髪に挿した。綺麗な格好をした啓斗に、綺麗な造型の簪が、驚くほど良く似合った。
 そんな啓斗を見て北斗が誇らしそうに笑うと、啓斗は一瞬小首を傾げてからそっと微笑んだ。
 その笑みが、余りにも綺麗で。
 その微笑が、余りにも優しくて。
 その微笑が、余りにも暖かくて。
 北斗はどうしようもない感情がこみ上げてきた。嬉しいとか、誇らしいとか、そういった種類の感情が。
 そうして、啓斗の頬にちゅっとキスする。可愛いものに対して、それ相応の行動を取るかのように。
 啓斗はそっと頬に手をやり、やっぱり綺麗で、優しくて、温かな笑みをこぼした。
 手にしていた真っ赤な鞠を、また再びつき始める。そうして、時折北斗へ向かってバウンドさせる。
 てん、と音がして啓斗から北斗へ。
 てん、と音がして北斗から啓斗へ。
 言葉はいらず、会話も要らぬ。ただいるのはタイミングと、互いに配る目線だけ。
 てん、てん、てん。
 リズム良く鞠は跳ねる。手から手へと、代わる代わるにつかれて。
 暫くそれを繰り返した後、北斗は鞠を啓斗に渡すのを止めた。やってきた鞠を返す事なく手に取り、そっと傍に置いた。啓斗はやって来ない鞠を見つめる。そんな啓斗に、北斗はにかっと笑って縁側へと引っ張る。
 そこには、多数の折り紙が散らばっていた。
 色とりどりの正方形の紙たち。中には和紙やレースといった紙までもが含まれている。
 鶴を折る。亀を折る。舟を折る。犬を折る。
 手の中から、様々なものが生まれていく。花を、箱を、籠を。ありとあらゆるものが、正方形の紙から作られていく。
「……北斗」
 何匹目かの鶴に着手した時、不意に啓斗が尋ねてきた。北斗は返事をする代わりに、目線を手元から啓斗に移す。
「北斗は、お兄ちゃんとお姉ちゃん、どっちがいい?」
 北斗の目線に気付かないかのように、啓斗は一心不乱に折り紙をしている。啓斗が手にしているのは、薄紅の千代紙。
 薄紅の千代紙で、花を折っている。
 まるで、桜のような花を。桜という花を、啓斗が厭わしく思っているのは知っているから、桜ではないかもしれない。
(厭わしく思っているのを、知っているから)
 知っている。その事実に、北斗はゆっくりと自分の意識がはっきりしていくのを感じた。
(俺は、兄貴を……知っているから)
 少なくとも、北斗の知っている啓斗はこんなに小さな子どもではない。自分と同じ年なのだから、子どもの筈が無い。
(これは、俺の幼い頃の……だから、兄貴は)
 一応の納得をするも、自分が今の意識を持ってしまったのだからどうしようもない。北斗は小さく溜息をつき、幼い啓斗に向かって口を開く。「兄貴」と。
 言われた啓斗は、突然言われたその言葉にきょとんとしながら小首を傾げた。そして、だんだん俯いていって、ついにはひっくひっくとしゃくりあげ始めた。
 幼い肩が、何度も上下している。
 小さな体が、震えている。
 北斗はその事実に驚き、慌てて幼い啓斗に近寄る。
(兄貴、泣いちゃったじゃん!ど、どうしよう)
 北斗は泣き続ける啓斗を慰めようと、そっと手を伸ばした。柔らかく小さな頭を撫でてやろうと、そう思って。
 だが、その手が頭に触れる事は無かった。
 頭に触れる前に、幼い啓斗によって手は掴まれてしまったのだ。先ほどまでしゃくりあげながら泣いていたと言うのに、体を震わせていたと言うのに。俯いたまま、強く強く北斗の手を掴んでいる。
「……じゃあ、返せ」
 啓斗はそう言って、ゆっくりと顔を上げた。顔を上げると、それはすでに幼い啓斗ではなかった。
 今の、北斗と同じ姿形をした啓斗だ。
 掴んだ手は気付けば大きくなっていて、震えていた体も今と同じ大きさになっていた。
 ただ、頭に挿している簪だけが、色あせる事なく真っ赤だ。
 自分達がいる場所も、既に家ではなかった。真っ暗な空間。真っ暗な闇の世界。視界の端に、てんてんとついていた赤い鞠が入るだけだ。
(……兄貴?)
 北斗が驚くのも気にする事なく、啓斗は笑う。優しくも、暖かくも無い笑みで。
 それでも綺麗な笑みで。
「手を、返せ」
(……なっ!)
 啓斗が言った瞬間、啓斗が掴んでいた北斗の手はなくなってしまった。啓斗はそっと笑み、残っているもう片方の手にも触れる。それで、両方の手がすっかりなくなってしまった。すらりと伸びていた指は、既に何処にもない。
 痛みは、全く無かった。
 驚く北斗を無視し、啓斗は微笑んだまま続ける。
「足を返せ」
 啓斗はそう言い、北斗の足に触れる。その途端、ふっ、と足が消え失せる。体を支える足が無くては、立っていることも出来ない。北斗はその場にごろりと崩れ落ちた。
 血など流れない。赤い血など、流れなくて当然だといわんばかりに。
 赤なら間に合っているから。
 啓斗の頭にある簪に、視界の端にある鞠。それだけで、赤はもういいから。
「腕を返せ」
 啓斗はしゃがみ、そっと北斗の腕に触れた。すると、肩から下が完全に消えてしまった。まるで魔法のように、はたまた儀式のように。
「腹を返せ」
「肩を返せ」
「首を返せ」
 立て続けに紡がれる言葉と、触れられる体。その度にその部分の感覚が失せていく。
(啓……)
 啓斗は微笑んでいる。返せと言い、その部位に触れる。北斗の体が一つ一つ奪われていくたび、奪った啓斗の表情は生き生きとしてきていた。とても幸せそうに。
 それでいて、不幸に見えた。
「鼻を返せ」
 失せてしまう、嗅覚。
「頭を返せ」
 消えてしまう、頭。
 それでもじっと赤を見ていた。視界の端の、鞠。啓斗の頭の、簪。真っ暗な中、啓斗と赤だけが強烈な印象として焼きついていく。
 そんな北斗の目を、ついに啓斗はそっと塞いだ。そして、ゆっくりと口を開く。
「目を返せ」
 ふ、と真っ暗な世界が訪れた。赤も、啓斗も、何も見えなくなった。とうとう視覚まで奪われてしまったのだ。
 すると、突如啓斗は笑い始めた。あははははは、と半ば叫ぶように。
「……足りない」
 啓斗の声は、懇願にも似た涙混じりの声。
「足りない」
 言葉に混じって紡がれるのは、ヒステリックな嘲笑。
「まだ足りない!」
 あはははは、と啓斗は笑った。泣き叫んでいるように、それでも笑って。笑って、泣いて。狂人にも思われるその言動。
 そうして、啓斗はそのままの状態で北斗の傍を離れ始めた。視覚を奪われたが、気配を感じる事は出来た。だからこそ、感じた。
 啓斗が、ふらふらとどこかに行こうとしている事を。
(追いかけないと)
 足が無い。
(縋らないと)
 手が無い。
 啓斗を止める為の術は残されてはいない。全て、啓斗が「返せ」という言葉と共に、奪っていってしまったから。
 せめて泣きたい、と北斗は思う。だが、残念ながら涙さえ流す事は許されない。目も、奪われてしまったのだから。
 あははははは、という笑い声が聞こえた。残された、聴覚。
(後は、何が残っている?)
 追いかける為の足は無く、縋る為の手は無く、泣こうにも涙が出ない。そんな北斗に残されているものは、聴覚。そして……声。
(声が……声が残っている……!)
 北斗は気付き、闇の中で啓斗のいる方向を探す。赤い鞠、赤い簪。そして、啓斗。啓斗を。
 闇の中で、たった一つだけできる事を。


「……啓!」
 北斗は叫び、がば、と起き上がった。全身が震えており、どっと汗が流れていた。はあはあと肩で息をし、北斗は目を大きく見開いたまま暫く身動き一つ取らなかった。
 見慣れた部屋、見慣れた天井、見慣れた風景。
 少し薄暗いが、確かに見えるその風景に北斗は漸く実感する。
「夢、か」
 何度か深呼吸をし、両手をそっと見つめた。小刻みに、まだ震えている両手。そっと体を確認すると、夢の中で奪われた筈のものは全て揃っていた。
「……足がある」
 追いかける為の。
「手がある」
 縋る為の。
「目がある」
 泣く為の。涙を流す為の。
 北斗は全身の震えが止まらないまま、ぐっと喉奥が熱くなるのを感じた。無理に押さえつけようとしても、それすら許さぬほどの熱がこみ上げてきた。
 今すぐ、啓斗に会いたいと思った。同時に、今は啓斗に会いたくなかった。
 その矛盾した思いに、北斗は思わず布団を強く強く握り締めた。それでも、赤と啓斗の声が頭から離れなかった。
 そうして、北斗の布団にはぐしゃりと握り締めた皺が深く刻み込まれるのだった。

<返せという呵責が耳に残り・了>