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<東京怪談・PCゲームノベル>


『体内戦争〜病魔との戦い〜』

◆プロローグ◆
「……これと、これ。ああ、それからコレもくれ」
 真田久遠(さなた・くおん)は『アンティークショップ・レン』に所狭しと並ぶ大量の商品に目をやりながら、必要な物を見繕っていた。肩口の辺りで切りそろえたストレートの髪の毛を左右に揺らして、呪符や結界石などを指さし選んでいく。
「相変わらずいい目利きしてねぇ、あんた。若いのに」
「他のヤツの目が節穴なだけ何じゃないのか」
 煙管をくゆらせながら言う蓮の言葉を、にべ無くはねつけ、久遠は品物から目を離そうとはしない。
「いや、そんなことはないよ。ホント大したもんさ。うん」
 久遠の態度に嫌な顔をするどころか、尚も褒め続ける蓮を不審に思い、久遠は顔を上げて蓮の方を見た。普段の蓮ならこんな事は言わない。
「俺に何をして欲しい」
 肩に担いだスポーツバッグを背負い直し、久遠は鋭角的な目を細めて低い声で言う。
 その言葉にバツが悪そうに頭をかく蓮。久遠は溜息をつき、ファー付きの蒼いショートジャケットを翻して、体を蓮の正面に向けた。
「あんたの店には世話になっている。今回買う物をタダにしてくれって言うんなら、少しくらい無茶なことでも請け負ってやるさ」
 ぶっきらぼうな口調で言い、久遠は鋭い視線で蓮を射抜いた。
「まったく、叶わないね。あんたにゃ……」
 煙管を置き、蓮は真剣な表情になってカウンター側の椅子に腰掛けた。そして脚を組んで続ける。
「あんた、式神と鬼を使いこなせるんだろ?」
「それがどうした」
「そいつを具現化させて、サイズを小さくすることは出来るかい?」
「ああ、可能だ」
 久遠の言葉に満足そうに頷き、蓮はカウンターの下から一枚の写真を撮りだした。ソレを久遠に差し出す。
「この女は?」
 写真には十歳くらいの少女が写っていた。クセのあるショートヘアーと口を大きく開けて笑う様から、いかにも快活そうな印象を受ける。
「あと、十日なんだよ。その娘」
 残された命が、という事を暗に言い含め、蓮は再び煙管を手にした。
「現代医学じゃお手上げだってんで、その娘の保護者だか、知り合いだかがあたしの店に相談に来たのさ。そいつも結構なお得意さんでね。で、一応あたしも治せる手段を持ってはいるんだ」
「どうするつもりだ」
 久遠の問いに、蓮はチャイナドレスのポケットから小瓶に入った飲み薬を取り出す。
「コイツで体を小さくするのさ。で、体の中に入って病魔を取り除く」
 久遠は蓮の言葉を聞いて、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「無茶言うな。どうせ、消化されるのがオチだ。それに体の健康な部位を傷つける怖れだってある。危険な賭だ」
「だから、あんたの式神と鬼をアテにしてるんじゃないか」
 言われて久遠は言葉に詰まった。確かに、精神体である式神や神鬼と一緒に体内に入れば、彼らの能力を利用して蓮が言ったことを実行できるかもしれない。
「二体だ」
 嫌そうな顔つきで、久遠は突き放したように言った。
「は?」
「一度に具現化できるのは二体までだ。それ以上は俺の精神がもたん」
 久遠の言葉に蓮はホッと胸をなで下ろし、安堵の代わりに煙管をくゆらせたのだった。

◆胎内へ◆
「コチラです。どうぞ」
 流麗な振る舞いで櫻紫桜は自室の扉を開け、蓮と彼女が連れてきた男、真田久遠を招き入れた。蓮の話であれば彼が従妹を治す鍵を握っているらしい。一見して信頼できそうな雰囲気は持ち合わせていないが、強い力を感じることは確かだ。どんな手法を用意しているのかは知らないが、アテにしてもいいだろう。
「へぇ、なかなか良い部屋じゃないか」
 紫桜の部屋に入った蓮は軽く頷きながら中を見回す。対して久遠は興味なさそうに、布団に寝かされている少女に目を向けていた。
 十畳ほどの広さを持つ畳敷きの部屋。それが紫桜の自室だ。布団や机、時計など必要最低限の物しか置かれていない部屋は殺風景ではあるが、その分広々としていた。
「アイツか」
 目を細め、久遠が無遠慮に従妹に近づく。彼女――渡瀬未玖(わたらせ・みく)は荒い呼吸を繰り返して、額に大量の汗をかいていた。久遠は未玖の前で片膝を突き、そっと体に触れる。
「なるほど。こりゃ病気なんかじゃない。医者に治せるわけがないぞ」
 フン、と鼻を鳴らして皮肉めいた口調で揶揄した。
「その通りです。だがら蓮さんに相談に行きました」
 余命十日。病院からそう通告され、家族と未玖本人の希望もあって自宅で療養する事になった。未玖は母方の姉弟の娘だ。快活で人当たりがよく、スポーツ万能だった彼女は学校でも人気者だった。しかし小学五年生になった時、急に身体に異常をきたした。
「病気じゃないって、それじゃなんなんだい?」
「魔人に見初められたんだよ。召鬼(しょうき)にして下部にしようとしたんだが、この女の身体が魔人の体組織に適合していなかった。だからこうなったんだ」
 召鬼――魔人の体の一部を埋め込まれることで精神を支配された者の呼称。召鬼の能力や性格はベースとなった人間に依存するが、獰猛で攻撃的な性質のモノが多く、たとえ平和的なモノであっても主である魔人には絶対服従であるため、退魔師とは常に敵対関係にある。
「その召鬼って、なってしまったら元には戻せないんですか?」
 心配そうな顔つきで紫桜は聞いた。
「さぁな。幸い魔人の体組織とこの女の癒着は完全なものじゃない。戻るかどうかは、お前次第だ」
 興味のなさそうな口調で突き放すように言う。
「お願いします。大切な従妹なんです」
 未玖の両親は彼女の治療のため、病院に貯蓄の殆どすべてをつぎ込んでいた。それが底を突きかけたある日、担当医からこんな提案を投げかけられたらしい。
『未玖さんの病気はコレまで見たことのない病気のようです。もしですよ。もし仮に、彼女の病気を研究させてくれるのであれば、以後の治療費はすべて病院側で負担いたしますが……』
 それはつまり、未玖をモルモット扱いにしていいか、という提言だった。勿論、未玖の両親は断った。それから治療費を稼ぐため父親は仕事を増やし、母親もパートを探して毎日夜遅くまで働いていた。
 そして未玖が入院してから二年の月日が経った時、悲劇は起きた。
 車で未玖のお見舞いに行く途中、極度の疲労から父親はハンドル操作を誤った。対向車線へと飛び出した車はトラックと正面衝突。父親と、助手席に乗っていた母親は即死だった。そして未玖は、紫桜の両親に引き取られることになったのだ。
 未玖の体を見て紫桜は感じた。とてつもなくドス黒い妖気を。二年かけて成長したのだろう。初めてお見舞いに行った時は、感じることが出来なかった。
「頑張るのは俺じゃない。お前だ。蓮から話は聞いてるな。早速始めるぞ」
 視線を未玖から紫桜に移し、鋭い視線でコチラを射抜きながら久遠は短く言った。
 蓮の話では、まず薬で紫桜の体を小さくする。そして久遠の護衛を付けて未玖の体に入りこみ、直接病魔を叩くという作戦だった。
「頑張りなよ」
 蓮はチャイナドレスの胸元から小瓶を取り出すと、紫桜に投げてよこした。そして躊躇うことなく中の液体を飲み干す。ドロリとした感触が喉に張り付き、不快感を惹起させた。
「よし」
 それを確認して久遠は屈んだまま、両手で複雑な印を次々と組んでいく。そして最後に右手を畳に強く押しつけ、大きく叫んだ。
「使役式神『玄武』『六合(りくごう)』召来!」
 久遠の眼前に膨大な量の空気が収束していく。ソレは徐々に光を帯び、円柱型に立ち上る白いシルエットとなった。
(式神……)
 久遠と蓮の体が大きくなっていく――つまり自分が小さくなっていくのかを感じながら紫桜はさっき久遠が発した言葉を胸中で反芻した。
 式神――陰陽術の権威、安倍清明が使役したと言われている強力な使い魔。体に宿すことで術者の能力を飛躍的に向上させ、また具現体として召喚し、自律的に行動させることも出来る。
 中でも久遠が喚んだ式神は、十二神将と呼ばれる最強クラスの式神。ソレを二体も保持しているのだから相当に強靱な精神力の持ち主だ。
「コイツを護衛してやってくれ」
 光がその強さを弱め、白で形取られた二つの人型に久遠はぶっきらぼうに言った。
 一人は腰の曲がった老人だった。仙人が着るような白くゆったりとした衣を纏い、深い皺の刻まれた顔で徳の高そうな笑みを浮かべている。長く蓄えた緑色の髭を撫でながら、豆粒ほどの大きさになった紫桜に会釈した。
 もう一人は若い女性。ハッキリとした輪郭の目鼻に、彫りの深い顔立ち。どこか異国的な雰囲気を持つ彼女は腰まである長い黒髪を手で梳きながら、蒼い瞳で紫桜を見て柔和な笑みを浮かべた。フリルの突いた白のニットカーディガンと、足首まである黒のロングスカートが明確なコントラストを生み、上流階級のお嬢様を思わせる。
「話しは大体分かっとるよ。櫻紫桜殿じゃったかの。ワシの名前は玄武。短い間じゃが、ヨロシクたのむぞ」
 玄武、と名乗った碧髪の老人は口に笑いを含ませてそう言い、見る見る小さくなって紫桜と同じ大きさになった。
「私は六合と申します。紫桜様、微力ながらお手伝いさせていただきますわ」
 上品な女性、六合も玄武と同じく、紫桜と視線の高さを合わせられるまでのサイズとなる。
「それじゃ、三人とも頑張ってきな」
 蓮は膝を折ってしゃがみ、右手を差し出した。紫桜と玄武、そして六合が掌に乗ったのを確認して蓮は未玖を抱き起こし、手を口元に持っていく。
(未玖……)
 二日前から昏睡状態に入り、意識を取り戻していない。何も食べておらず、体力は減るばかりで病状は悪化の一途をたどるばかりだった。
(すぐに、楽にしてあげるから)
 確固たる決意を胸に、紫桜は隣にいる玄武と六合に視線を向ける。そして目で合図した後、口腔内に飛び込んだ。

◆病魔の本体は……◆
 食道を滑り降り、胃の入り口へと到達した紫桜が見た物は目を背けたくなるほどに禍々しい光景だった。玄武の持つ杖から放たれる明かりによって照らし出されたのは、胃壁から触手のように伸びる管。ソレがまるで蛇のように蠢動し、ぬめる表面を黒光りさせている。
「これは……」
 呆然として紫桜は上を見上げた。
 まさかこんな物が未玖の胎内に巣喰っているとは想像もしていなかった。間歇泉のように吹き出す胃液に注意しながら、紫桜は左の掌に力を込める。青白い燐光が放たれたかと思うと、刀の柄が顔を覗かせた。それを右手に持ち一気に抜き放つ。
「ほぅ、お前さんもただ者ではないようじゃのぅ」
 表面に薄い水の膜が張られたかの様に透明感のある光沢を放つ刀。それに目を向け、玄武は瞠目して感嘆の声を漏らした。
 紫桜の気を糧に斬れ味の増す刀だ。自らの胎内に宿り、紫桜の呼びかけによって現出する。
「二人とも。向こうもコチラに気付いたようですよ」
 凛とした六合の声。見ると五、六本の蛇が、ミミズの様に無貌な頭部をこちらに向けいた。そして頭に十字の切れ目が入ったかと思うと、粘着質な音を立てて『口』を開ける。縦と横に口を裂き、四枚の花弁を開かせた黒い蛇は、内蔵された鋭い牙を剥いて紫桜に肉薄した。
「はあああぁぁぁぁぁ!」
 裂帛の気合い共に、紫桜は刀に自分の生気を注いでいく。僅かに刀身が輝きを増し、ドクンと胎動したように見えた。
 閃光。そして重い物が落ちる音。
 無謀に首を伸ばしてきた一匹を一刀の元に切り捨て、紫桜は息を吐く。目の前には鋭利な断面を晒した蛇の残骸。赤黒い肉の詰まった黒いチューブからは、緑色の体液が噴出していた。
「一気に片を付けます。玄武さんと六合さんはサポートをお願いします。攻撃は俺が担当します」
「ワシらには直接的な攻撃力はない。もとよりそのつもりじゃ。ならばワシはお前さんを護る盾となろうかの」
「では私は傷ついた部位の修復に当たります。ソレでよろしいですか?」
 二人の進言に紫桜は頷く。そして先程切り落とした蛇の背中を足場代わりにして、紫桜か跳んだ。
 正面から二匹、そして右から三匹。それぞれバラバラの動きで紫桜に襲いかかる。
「右はワシが引き受けた! お前さんは正面に集中せい!」
 一緒に跳んだ玄武が叫んだ次の瞬間、紫桜の右に琥珀色の空間が広がった。ソレは正六角形を象(かたど)って安定し、蛇の猛攻を見事に遮断する。まるで檻の外から暴れ狂う猛獣を見ている時のように、蛇は突然現れた半透明の壁に頭を叩き付けていた。
「静謐(せいひつ)を経て慟哭(どうこく)へ、万象を鳴動させる咆吼を上げよ!」
 紫桜の声に応えて刀が輝きを増す。そして刀身が五メートルほどに伸びた。
「喰らい尽くせ! 深淵の闇を!」
 ソレを正面の蛇に叩き付けるように振り下ろす。紫桜の体を丸飲みできるほどに大きく開かれた口に刀の切っ先が食い込んだかと思うと、殆ど抵抗もなく蛇の体に滑り込む。そして顎下から抜けた。
「はぁぁぁ!」
 刀を返し、下から逆袈裟にもう一匹の頭部を半分に割る。
 耳をつんざく絶叫を上げて崩れ落ちる蛇の頭を蹴り、紫桜は右へと跳んだ。
「玄武さん! 防御の解除を!」
「承知!」
 琥珀色の空間から色彩が失せ、薄紅の胃壁が再び露わになる。カッ、と大きく開眼し、紫桜は三匹の蛇が生えている根本の胃壁に傾注した。
「我が胎内に根を這わす漆黒の従者! 怨嗟を吐き出し、悉(ことごと)く正界へと向かえ! そして光明を我が手に!」
 五メートルだった刀身が、更に倍近くまで伸びる。少しでも気を抜けば昏倒しそうになる意識を精神力で強引に繋ぎ止め、紫桜は刀を振り下ろした。
 蛇を中空に繋ぎ止めていた胃壁との連結部から切り離され、三匹の体がほぼ同時に落ちる。その体に着地して、紫桜は片膝をついた。
「っく……! はっ、はっ、はっ……」
 胸を押さえ、荒く息を吐く。刀の力を使いすぎた。失った生気が半端ではない。すでに刀身は元に戻り、淡い光を放つだけになってしまっていた。
「大丈夫ですか!?」
 六合が心配そうに声を掛けてくる。
「じっとしていて下さい。すぐに楽になりますから」
 そして丸まった紫桜の背中に手を当て、口の中で何かブツブツと呟く。恐らく、紫桜の体力を回復させようとしているのだろう。
「お、俺は大丈夫。ソレより、傷ついた胃の治療を……」
 片目を瞑り、苦しそうに真上を見上げる。胃壁の一部に裂傷が走り、鮮血を迸(ほとばし)らせていた。先程、三匹の蛇を切り落とした時に傷つけてしまったのだろう。細心の注意を払うつもりだったのだが、意識を保っているだけで精一杯だった。
「で、でも……」
「頼みます。従妹には少しでも負担を掛けたくないんです」
 真剣な視線で六合の蒼い目を見る。
「わかり、ました……」
 紫桜の強い意思が伝わったのか、六合は力強く頷いた。そして傷ついた胃壁に手を向ける。離れていても治癒の力が使えるのだろう。近づけば回復も早まるかもしれないが、あの高さまで足場も無しに飛んでいける能力を誰も持っていなかった。
「ここは片付いたようじゃのう。ワシらは次の臓器に行くか?」
 呼吸を整え、玄武の言葉に頷こうとした時、足下が大きく揺れる。まるで直下型の地震にでも見舞われたように、ただでさえ滑って不安定な蛇の表面が大きく波打った。剣を突き立て、何とか強酸の海に振り落とされないように踏ん張る。
 そして脈動が収まった時、六合の声が上がった。
「紫桜さん……あれ……」
 さっきまで自分が治療していた傷口のそばを指さす。そこは胃壁に取り残された蛇の根本があった場所。今そこはスッポリと抜け落ち、大きな穴が開いていた。
「あの状態で、まだ生きていたのか……」
 根本から先がどこに繋がっているのかは分からない。しかし頭部を切り落とされても動けるとなると、凄まじい生命力だ。
「確認しないと」
 蛇がどこに逃げ帰ったのか。ソレを確かめてトドメを差さない限り、従妹の病魔を駆逐したことにはならない。このまま先の臓器に進んで蛇を倒しても、息の根を止めない限りはすべてが無意味となる。
「あの穴から外に出ましょう」
 一番最初に切り落とした蛇の根本。食道の出口に最も近い場所に穿(うが)たれた穴は紫桜の頭ほどの高さにあった。あの程度ならば、辛うじてよじ登れる。
 蛇の残された体を伝い、紫桜に続いて玄武と六合がいったん胃の入り口へと戻る。そして有る程度の浸食を覚悟して、紫桜は胃壁に手を掛けた。
「く……!」
 粘りを帯びた強度の酸が、紫桜の手を灼く。痺れるような痛みが手から全身へと伝播していくのを感じながら、紫桜は胃の外へと這い出した。そして近くにあった肋骨に飛び移る。
「なっ!?」
 上を見上げた紫桜の目に飛び込んできたのは予想を遙かに超える光景だった。
 薄い横隔膜を介して視界に映る心臓に、黒い影が張り付いていた。そこから尻尾のように伸びた蛇の頭。紫桜が切り落としたせいで赤黒い断面を晒している六本も、その影に繋がっていた。
「どうやら、アレが本体のようじゃのぅ」
 隣りに立った玄武が呟く。
 読み間違えていた。今まで病魔の根元だと思っていた蛇は、あの本体の尻尾しかなかったのだ。肺や肝臓、大腸や脾臓にも、黒い尻尾が突き刺さっている。思わず目を背けたくなるような光景だった。
 だが、希望はある。あの黒い影が本体ならば、アイツを倒せば従妹は、未玖は救われるのだ。
「行きましょう」
 低い声で良い、紫桜は肋骨を足がかりに上へと上っていく。そして肝臓の上へと跳び移り、黒い尻尾が横隔膜に開けた穴を通って心臓の真下まで来る。
『我を倒すというのか』
 未玖の呼吸と合わせて上下する横隔膜に立った紫桜の耳に、地獄の蓋が開いたかのようなエコーがかった声が届いた。
 心臓に抱きついていたのは黒い狐だった。逆三角形の鋭い目つきで、馬鹿にしたようにコチラを睥睨している。鋭い直毛を逆立て、威嚇するように自分の体以上に大きな尻尾を紫桜の目の前で止めた。
『その程度の力で?』
 尻尾の先が四つに割れ、蛇の時と同じく口を開けて牙を剥く。紫桜は殆ど反射的に、刀をしてからすくい上げるようにして振り上げた。
『おお、痛い痛い』
 緑の体液を紫桜にまき散らせ、黒い狐は喉を震わせて低く笑う。
『斬られた尻尾は、ちゃんと治さねばなぁ』
 嬉しそうに言った次の瞬間、さっき斬り落とした尻尾の肉が内側から盛り上がり、黒い皮でコーティングされて再生した。
「馬鹿な……」
 驚愕に目を見開き、他の尻尾も見る。胃で紫桜の刀により先端が欠失していた尻尾も、同じようにして何事もなかったかのように揺らめいている。そして横隔膜が大きく揺れた。未玖の呼吸の間隔が早くなっている。
(まさ、か……)
 紫桜の脳裏に最悪の考えが浮かんだ。
『気付いたか? 我とこの体は一心同体。我を傷つければ、修復の力はこの体より補給される。さぁて、困ったなぁ』
 黒い狐は耳元まで裂けた口を笑みの形に曲げて、愉悦に顔を歪ませる。
(どうすればいい……)
 病魔の元凶を取り除くため、コイツを傷をつければ未玖を傷つけることになる。中途半端な攻撃は、未玖の死を早めるだけだ。
(一撃だ。一撃でとどめを刺す)
 久遠が言っていた。『まだ完全には癒着していない』と。ならば未玖から力を吸い取る暇すら与えずに殺してしまえば、あるいは……。
『我を一瞬で殺せば、と考えているな。だがよく見ろ、我が居るこの場所を』
 心臓。
 体の中で最も重要な臓器。未玖を救うには心臓に触れることなく、黒い狐だけを斬り刻まねばならない。
(出来るのか。俺に)
 刀に生気を奪い取られる中での精密な剣さばきが求められる。自信はなかった。だが、このまま放っておけば後一週間ほどで未玖は死んでしまう。
「六合さん。貴女の治癒の速さはどのくらいですか?」
 六合に顔を近づけ、小さな声で呟く。
『何をコソコソとしておる』
 黒い狐の声と同時に数十本の尻尾が、紫桜に降り注いだ。
「やれやれ。もっと労(いたわ)って欲しいモンじゃ」
 嘆息混じりに呟いた玄武を中心として、琥珀色の盾がドーム状に広がる。黒い尻尾は中に侵入することは出来なくなったが、構わずにどんどん数を増やして取り囲み、巻き付いていった。
「私の治癒速度はそれほど早くはありません。しかし再生であれば比べ物にならない早さで治すことが出来ます。でも……」
「でも?」
 言葉尻を濁した六合に紫桜が先を言うよう促す。
「その場合は代償を必要とします。つまり、貴方の生気を……」
 死ぬかもしれない。
 六合の言葉で紫桜の脳裏にそんな予感がよぎった。
「再生であれば、傷ついた物でも一瞬で治せるんですね」
 目に力を込め、確認するように繰り返す。六合が首を縦に振ったのを見て、紫桜は満足そうに頷いた。
「俺が合図したら、躊躇わずに再生を始めて下さい。お願いしますよ」
「紫桜様、貴方いったい何を……」
「おい! そろそろやばいぞ!」
 切羽詰まった声で玄武が叫ぶ。琥珀の盾は尻尾によって真っ黒に塗り潰されていた。そして黒が徐々に迫って来ている。強引に締め付けて、圧死させようとしているのだろう。
「説明している時間はないようです。とにかく俺が合図したら使ってください」
 早口で言って、今度は玄武に視線を向ける。
「玄武さん、俺の合図でこの防御を解いてください。俺が尻尾を蹴散らして突破口を開きますから、その隙に六合さんと一緒に逃げ出してください」
「お前さんは、どうするつもり何じゃ?」
「俺は――」
 やるしかない。例え、この身が果てようとも。
 覚悟を決め、紫桜は断言した。
「アイツを倒します」

◆最後の力◆
 玄武の防御が解かれる。つっかえの取れた黒い尻尾がうねりを上げて接近した。
「闇を喰らいし降魔の剣! 我が魂の楼閣(ろうかく)を崩落させ、力と成せ!」
 居合いの構えから繰り出した剣撃を目の前の尻尾に叩き付ける。液体が急速に蒸発するような音を立てて、尻尾で出来た黒い壁に穴が穿たれた。
 それが新しい尻尾で覆い隠される前に紫桜は跳び出す。そして上を見上げた。
 嘲笑を浮かべて、悠然と心臓にしがみつく黒い狐。その顔を睨み付け、紫桜は肺を蹴って三角飛びの要領で駆け上がった。
『何!?』
 まさか向かってくるとは思わなかったのか、狐の顔に狼狽の色が浮かぶ。
『貴様正気か!?』
 尻尾はまだ、すべて下にある。戻りきるよりも紫桜の斬撃の方が早い。
「生と死と魂の盟約に従い、すべての力を解放せよ!」
 刀を両手で逆手に持ち、狐の頭に狙いを定める。
『くっ!』
 大きく輝きを増した紫桜の刀を見て、狐は心臓に顔を埋める。だが、それでも紫桜は刀の切っ先を動かさない。視界が急激に白くなっていく。意識が茫漠とした物になり、耳の奥で甲高い音が鳴り始めた。体を包み込む浮遊感。そして高所から失墜に似た悪寒。
 周囲から音が消えた。
 まるで自分だけが世界から切り取られ、置き去りになってしまったような錯覚。
 ――重い手応え。
 自重を乗せた上からの斬撃が、狐の眉間を見事に捕らえていた。しかし勢いは止まることなく、その下――未玖の心臓に刃が喰い組んでいく。
「――!」
 紫桜は叫んだ。だが何も聞こえない。
 六合にはちゃんと伝わっただろうか。『未玖の心臓を再生してくれ』と。
 その不安を払拭するように、紫桜の体からありとあらゆる感覚が抜けていく。
 白い視界か狭窄し、体が自分の意思から解放される。まるで遠くの方から自分を見ているような感覚。酷く出来の悪い合成写真の中に閉じこめられてしまったようにも思えてくる。
(未玖……)
 刀から手が放れた映像を最後に、紫桜の意識は白い霧の中へと埋没して行った。

 紫桜が未玖と最初にあったのは六歳の時だった。当時、未玖は四歳。叔父さんに連れられてやってきた未玖は勝ち気な顔で、頬に擦り傷を作っていた。昔からヤンチャな子で、よく泥だらけになるまで遊んで親に怒られた。
 お互いの家は電車で十分程度の距離。電車に一人で乗れるようになると、紫桜は毎週日曜日に未玖の家に出かけた。
『しーにーちゃん。おっきくなったらミクを、もらってくれる?』
 しー兄ちゃん、というのが紫桜の呼び名だった。ママゴトをしている時に言われたその言葉。『貰う』という意味がよく分からずに、約束だけした。
『しー兄ちゃん、おそーいっ』
 かけっこは、いつも未玖の勝ちだった。二つも年下の女の子に勝てないことが悔しくて、紫桜は毎晩、家の周りを走って特訓した。
『あたし、しー兄ちゃんのホントの妹だったら良かったな。それしたらずっと一緒にいられるモンね。あ、でも、そしたら結婚できないかっ』
 顔を赤らめてカラカラと陽気に笑う未玖。
 あの屈託無い笑顔が紫桜の網膜に張り付いて離れない。
『え? これ、くれるの?』
 未玖の十一回目の誕生日。紫桜は靴をプレゼントした。一生履いて大事にすると言い、紫桜の誕生日にお返しをするからと約束した。
 しかし、その約束が果たされることはなかった。
 誕生日から一ヶ月後、未玖は突然の高熱に倒れた。そして生死の境を彷徨った。一命は取り留めたものの以前のように快活な未玖は影もなく、以後二年間病院から出ることはなかった。
『ピクニックに行きたいな、二人きりで。しー兄ちゃんがくれた靴履いて』
 病院のベッドで窓の外をながら、未玖は消えそうな声で呟いた。
 もう一度みたい、未玖の笑顔を。
 無邪気に笑う未玖の顔を。
 失いたく無い、大切な人を。

 ――未玖のためなら、俺は命を投げ出せる――

◆エピローグ◆
 最初に目に映ったのは未玖の顔だった。
 半分ほど目を開けたところで、ソレが視界いっぱいになる。
「しー兄ちゃん!」
 涙声で未玖は何度もその言葉を叫び、紫桜の胸に顔を埋めてしゃくり上げた。
「俺、は……」
 辺りを見回す。自分の部屋だった。整然とされすぎて、あまり生活感がない。だが一番落ち着く空間。さっきまで未玖が寝ていた布団に、紫桜は横になっていた。
「あんたも無茶するねぇ。まったく」
 右から蓮の声がする。そちらを向き、紫桜は上体を起こした。
「俺は、どうなって……。何で生きてるんですか?」
「滅多なこというモンじゃないよ。この子がどれだけ心配したか分かってるのかい?」
 煙管をくゆらせ、蓮は視線を未玖の方に向ける。
「未玖……」
 耳元で切りそろえたクセのある黒髪。ソレを振るわせて、いまだに未玖は泣き続けている。
「よかった。無事、だったんだな」
「それはあたしのセリフよ!」
 勢いよく顔を上げ、未玖は気の強そうな視線を紫桜に向ける。
「しー兄ちゃんが死んじゃったら、あたし生きてる意味無いじゃない! バカ!」
 言いながらも涙は溜まり続け、目尻から止めどなく溢れ出ていた。そして再び紫桜の胸に顔を埋める。
「蓮さん、俺どうなって……」
 自分は確かあの時力を使い切ったはずだ。刀だけではなく、六合にも生気を吸われて。自分で言うのも何だが、生きられるはずがないのだ。それほどの激しい消耗だった。
「式神があんたを外に連れ出した後、久遠が生気を分けてくれたのさ」
「あの人が……」
 限界以上の生気を消費した紫桜が、この短時間で復活できるほどに生気を分け与えた。
(いったい、どれだけの力を持って居るんだ。あの人は……)
 式神を二体も具現化させただけでもかなりの精神力を要するはずなのに、休むことなく紫桜に生気を注いだ。久遠の体にかかった負担は並ではないはずだ。
「そう言えば、あの人はどこに?」
「ああ、とっくに帰ったよ。しかも平然としてね。あの子ホントは残った二体の式神と鬼も出せたんじゃないのかい?」
「残った、二体……」
 蓮の言葉に紫桜は愕然とする。
 久遠が保持していたのは玄武と六合だけではなかった。更に二体の強力な使い魔を従えている。紫桜の考え得る常識のレベルを遙かに逸脱していた。
「そんなことより。もう可愛い妹さん心配させるんじゃないよ」
 笑いを含ませて言い、蓮が立ち上がる。
「それじゃあたしは帰るから。あんまりお邪魔しても悪いからね」
 意地悪そうに口の端を曲げ、蓮はそそくさと部屋を出ていった。
 残された紫桜、そして未玖。
「未玖、もう大丈夫だから」
 優しく言って、そっと頭を撫でてやる。
「うん……うん……」
 鼻をすすらせて、顔を上げないまま未玖は何度も頷いた。
「ねぇ、覚えてる? 昔した約束」
「ああ、ピクニックだろ。未玖の体も治ったことだし、今週末にでもどこか行くか?」
「ダメダメ。来月の十二日が良い!」
 未玖は顔を大きく横に振り、激しく否定する。
「来月の十二日って……平日じゃないか」
「だってその日、しー兄ちゃんの誕生日なんだもん」
 口をとがらせ、拗ねたような口調で言った。
「靴のお礼まだしてないもん」
 その言葉に「ああ、そうか」と紫桜も頷く。学校はあるが一日くらいならサボっても大丈夫だろう。先生に見つからないように、遠方の行楽地に行かなければならない。
「で、何をくれるんだ?」
「あたし特製の『スペシャルふるこーすランチ』!」
 紫桜の顔が引きつった。以前に一度食べさせて貰ったことがある。叔母さんの料理を手伝ったらしいのだが、まさに壊滅的な不味さだった。ちょっと未玖が手を加えただけで、あの料理上手な叔母さんの食べ物のグレードがあそこまで下がるのだ。すべて未玖が作ったお弁当を想像すると背筋が凍った。
「なによ。そのいやー、そうな顔は」
 思わず顔に出てしまったのか、未玖がジト目になってツッコミを入れてくる。
「もっと大きくなったら一生あたしの料理を食べないといけないんだから。今のウチから、よーっく慣らしておいてねっ」
 屈託無く笑った未玖の顔が、悪魔の微笑に見えた。
(……ん? ちょっと待て。今なんか変なことを……)
 未玖のセリフに違和感を感じて紫桜は聞き返す。
「『一生食べないと』って、どういう意味だ?」
「もー、忘れちゃったの? やーくーそーくー」
 右の人差し指を立てて振り、『約束』を一つ一つ区切って強調した。
「約束って……ピクニックだろ?」
「もう一つあったでしょ。昔にした約束が」
 言われて紫桜は記憶を掘り起こし、そしてたどり着く。
「まさかお前……!」
「ふっふふー。絶対に逃がさないんだからー」
 満面の笑みを浮かべ、未玖は紫桜に抱きついたのだった。

 【終】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号:5453 / PC名:櫻・紫桜 (さくら・しおう) / 性別:男性 / 年齢:15歳 / 職業:高校生】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちはっ! 櫻様! ちょっとテンション高めの飛乃剣弥ですっ!
 いや、前回あれだけいじり倒した櫻様より、再びご発注いただけるとは思っても見なかったものですから、はい。性格変化、そこそこ楽しんでいただけたと解釈してもよろしいのでしょうか?(汗)
 さて、病気少女との関係が『従妹』とのプレイングを見た時、「コレは萌えだ!」と確信いたしました(笑)。で、ラストはこんな風に底抜けにハッピーエンドにしてみましたが、いかがでしたでしょうか。
 戦闘は『死神』がおらず、飛翔を使えなかったので書くのに苦労しました(汗)。その分、櫻様を全面に押し出し大活躍させてみました。ご満足いただければ幸甚です。
 なお、私はこの受注を最後にしばらくお休みさせていただきます。公募の用の長編小説を執筆したくなったからです。数ヶ月後の復帰時に、またお会いできれば幸甚です。では。
 
 飛乃剣弥 2006年2月18日