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<東京怪談ノベル(シングル)>


ゆったりと、ゆっくりと。〜カガミ〜


 『書棚はその人自身を映し出す鏡』
 ……らしい。
 真偽のほどは分からない。出展も勿論知らない。けれど何となく頷ける格言だとは思う。納得がいくっていうか……『暖簾に腕押し』みたいな、って、それは違うか。
 書棚っていうのは一つの財産。それも、その人物特有の。興味があって自分の金を投資して、積み上げて積み上げて作り上げたもの。それがあの四角形の箱の中に詰められている。ぎっしりと。
 ふむ。
 そう考えると、やっぱり『書棚はその人自身を映し出す鏡』なんだろう。納得は深くなるばかり。疑問を挟む余地はない。
 ……なんて。
 そうは言うけれど、それなら俺の場合はどうなんだろう?最近書庫を見るたびに考えてしまう。
 整然と並んだ書庫は荘厳な雰囲気すら漂わせている。これが俺の人生の財産だと、そう思えば正直悪い気はしない。それくらいの多さ。けれど雑然としていた時とは違う悩みも確かに生まれてきていた。綺麗になったからこそ、よく見えるようになったからこその、悩み……か。
 一つ一つの本を見ながら、意識して仕分けしながら気付いたこと。確認したこと。
 ……認めざるを得なかったもの。
 書庫の中にあるのはほとんどが新書、古書を問わず心理学関連のものばかり。でも、その片隅に「悪」に関するものが含まれていた。
 

 ―――――『悪』


 ため息が漏れる。
 俺は何を思ってこういったものを買ったんだろう。別に、買ったこと全てを疎んじているわけじゃない。「悪」と名の付く物を全く買わない自分だとも思っていない。どんなに善人な人間だろうと、「悪」に惹きつけられない保障はない。その逆も同じ。人間は何時も危ういバランスの上を歩いている。歩かされていると言っても……過言ではないかもしれない。
 脳裏には今日の患者の話が浮かんだ。昼間、明るい光の中で不似合いとも思える話を聞く。それが俺の仕事。分かっているし、そのことをどうこう思っているわけじゃない。
 とにかく、俺は患者の話を聞いていた。

 「先生、俺だって全部が全部悪ってわけじゃないんだ。そりゃ、あまり人には言えないこともしているけど、そういうことがほとんどだけど!時には良い物に目がいく。綺麗な物を綺麗だって思うこともある。褒められることをしたいと思うことも!」
 ―――――分かっていますよ。
 「だけど、そんなのは一瞬で」
 ―――――そんなに思いつめなくても大丈夫だよ。

 言いながら、自分に言い聞かせているようだとも思った。
 明るい光の下で、患者の話を聞きながら自分のことを考える。健全とは思えないその思考の中、ゆらゆらと揺らぐ何か。
 ……黒い、もの。
 光と、影。陰と陽。善いもの、そして悪いもの。
 全てにおいて、二面性がある。
 「善」と「悪」二つの側面。例外なく、勿論、俺もだ。
 書庫は、その書庫すらも無意識のうちに、俺の心の中、あるいは俺自身を反映させようとしているのではないかとも思えた。
 もう一人の俺が買い揃えた、そういうことも十分に有り得る。
 けれど
 「どちらにしても『俺』ってことかな」
 独り言。
 独りきりの部屋でぽつりと呟く。
 俺が買って、書庫に置いた。そのことに何ら変わりはない。中身がこの俺だろうと、
 もう一人の俺だろうと。
 『俺』は『俺』
 その事実が消えない以上、俺は俺として生きていかなくちゃいけないし。俺のしたこと、俺が積み重ねてきたもの。
 その全ての責任を『俺』が取らなくちゃいけない……。
 「そうだよな……なあ?『俺』」
 書棚という鏡を目の前に、俺は一際大きなため息を吐いた。

 
 ―――――この時、俺はまだ微塵も気付いてはいなかった。
 『悪』そのものと言っても良い、もう一人の俺が徐々に目覚め始めていることを。


 ―――――そして、そいつに支配されてしまうことも……。
 俺はまだ気付いていなかった。