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<東京怪談ノベル(シングル)>


狙われた力


 東京のどこかにあるという断崖絶壁に建つ古城……ここに異能力至上主義にして異能力育成機関でもある『アカデミー日本支部』が存在する。ここには毎日のように将来有用な能力を秘めた者や、どの組織にも属さないすばらしい能力を持つ者のデータが送られてくる。それを丁寧に目を通すのは、教師を束ねる地位にある主任の風宮 紫苑だ。事前に他の教師が重要と認識したデータはすべてプリントアウトされ、主任閲覧用としてファイルされている。彼はそれを読みながらダージリンティーを飲むのが日課になっていた。老若男女を問わずピックアップされた書類の中に、たったひとつ『要調査』と赤文字で書かれたものがあった。紫苑は疑問の表情を浮かべつつも首を傾げながら、黙って内容に目を通す。だが記入項目のほとんどは空欄で、手がかりは目撃者の談話しかなかった。

 「これは……確かに調べてみる価値はありそうですね。」

 紫苑はその事例を見るなりティーカップを静かに置き、自らの手でデータ分析を始めた。もしこれが真実ならアカデミーの存在意義はより大きなものになる。軽快にキーボードを叩く指と同じく、彼の心も少なからず踊っていた。その不敵な笑みからはさまざまな感情が読み取れる。紫苑の目的はいったいなんなのか?


 それから少し時は過ぎ、汚染された小さな湖に美しい乙女が現れた。なぜか太陽が頂点に達しないうちにと急いできた感もある。彼女は人目をはばかりながらも、なんと空を飛んでここまでやってきた。青い髪に長い耳、そして背中には透明な翼……彼女を見れば、誰もが「妖精」と呼ぶだろう。清らかなる霊衣『ツィーアリヒ・フラオ』に身を包んだ乙女の名はアンネリーゼ・ネーフェ。天上の妖精の楽園『シュテルン』で自然とともに生きる光の妖精・ラインである。彼女は滅びゆく地球、いやエルデの自然を蘇らせるために地上界に遣わされたのだ。再生を司るリヴァイアとして。
 アンネリーゼは周囲に人間がいないことを確認すると、いつものように湖やその周囲を見渡す。向かって右手には工業地帯が広がっており、湖には大きなパイプが備えつけられていた。これで大量の水を汲み上げるのだろう。今は稼動していないようだが、その理由は誰が見ても一目瞭然である。工場が無理な給水を繰り返した結果、水質汚染と水面低下を引き起こしたのだ。今は周辺住民からの強い非難を受けたからか、ご機嫌を伺う意味で稼動を停止している。
 そんな工場と住民の駆け引きを、そして再び穢れを生もうとする人間の心根の悪さをどれほど理解しているかは定かではないが、アンネリーゼは実に素直に『この湖には早急な対策が必要』と判断した。すぐさま彼女は目を閉じて手を重ね合わせると、しばし天に祈りを捧げる。そして両手をゆっくりと下ろしながら腕を開き、汚染された湖に救いの手を差し伸べるかのような姿を見せた。

 「蘇りなさい……エルデの自然よ。凛とした輝きを帯び、多く澄んだ水を今ここに……」

 奇跡が起きた。リバイバル・ブレスという名の奇跡が。
 もはや湖底と汚泥だけを晒していた湖が彼女の祈りとともに輝きを増し、目映いばかりの光はその場の穢れを祓う。そして光は形を変えて湖岸を満たすと、それは清らかなる水へと変化した。山奥で静かに湧き出る源泉よりも美しく、水面は静かで穏やかな流れを作り出す。アンネリーゼはゆっくりと目を開いた。彼女の仕事は、今まさに終わった。
 すると突然、後ろから拍手が響く。彼女はとっさに浮遊し、湖の中心まで逃げた。アンネリーゼはすぐに人間だと気づいた。

 「あなたは……?」
 「私の名は風宮 紫苑。まずは隠れていたことをお詫びいたします。私は異能力育成機関『アカデミー』の主任を務めております。アンネリーゼ様のお噂を耳にしたのですが……にわかに信じがたい報告でしたので、ここで一部始終を見せて頂いた次第でございます。」

 うやうやしく礼をするような紳士がこの湖を汚したとは思えない。彼女は警戒しつつも湖岸に立つ紫苑に近づくと、不思議そうな顔をして質問した。

 「紫苑さん、私に何かご用でしょうか?」
 「我々アカデミーは才能ある方を分け隔てなく扱い、人知を超えた偉大な力を持つ者が一日も早く世界に認知され、その社会的地位を確立するために日々努力しております。アンネリーゼ様のお力は実にすばらしい。ぜひアカデミーでその力を発揮していただけないかと思い、失礼ついでにお声をかけさせて頂いた次第でございます。」
 「私の力は……エルデを蘇らせるものです。他者を支配するための力ではありません。」

 彼女がアカデミーの勧誘をきっぱりと断った。だがその瞬間、なんらかの異変をその身に感じた。何かがおかしい……だがそれに気づいた時、紫苑はすでに彼女の視界から消え、アンネリーゼの頭上にいた! しかも金属の触れ合うような音を奏でながら、長い髪が生き物のように蠢いている! しかし彼女は冷静だ。目前にまで迫ろうとする凶器にも恐れはしない。そして自らの武器の名を呼んだ!

 「出でよ、レト・ミューズ!」
 「はっ! い、いない?!」

 人間が持つにはあまりにも強大で偉大な力である『超加速』をいとも簡単に避け切り、アンネリーゼは光の弓『レト・ミューズ』を対岸にいる紫苑へと向けた。だが、彼女の心中は穏やかではない。彼が遅らせた時間はほんの少しであり、本気を出せばどこまで行動を遅らされるかわからない。そう、彼女は一瞬にして『神速の脚』の正体を見破っていた。

 「私の『神速の脚』と『呪縛の毒蛇』を避けるとは。やはり魅力的なお方ですね。そのお力は瞬間移動、いや転移でしょうか。すばらしい。」
 「誰かの私欲を満たすために、私の力は存在するわけではありません!」

 自分の信念を曲げないことを強調しながら、アンネリーゼは光の弓から複数の魔力の矢を一斉に放つ!
 彼女が行使する属性の力を帯びた矢は種類によって射撃の早さが変化する。紫苑は空も飛べず、魔力も霊力も持ち合わせていない。それでも、彼には切り札である『超加速』があった。なんとか全力ですべてを避け切った紫苑だが、地面を転がったりしたのでせっかくのタキシードが台無しになった。

 「瞬時に出現させた弓から繰り出された矢の数は約20発。それにも関わらず、ご自分の信念を貫き通した。私のことをエルデ、おそらくは地球を汚す存在ではないと判断したあなたはわざと手加減して攻撃した……今日のところは退散します。アンネリーゼ様、何かご用命のある時はこの風宮 紫苑をお呼び下さいませ。」
 「紫苑さんも素直ではないのですね。あなたも私に攻撃を加えようとしておきながら、実際には本気ではなかった。私が避けなければ、あなたは必ず攻撃をやめていた。違いますか?」
 「ふふふ……それはご想像にお任せします。この場の処理は私が手配させて頂きます。二度と工場による汚染が起こらないよう、アカデミーが手を打ちます。アンネリーゼ様はどうぞ安心してご自分の使命を果たされますよう。」
 「今はあなたを信じます。ですが私が再びここに戻ってくる時は、必ずあなたの名を呼びます。」
 「次にお会いする時は、ぜひ別の場所でお会いしたいものです。」

 紫苑はアンネリーゼの使命を理解した上でこの場は引き下がった。だが、彼は彼女を諦めていない。長い目で彼女を獲得することを考えていた。そしてさらにアカデミーとして理想の世界を構築するには、このような所業を捨て置くわけにはいかない。さまざまな理由はあれど、紫苑は自発的に妖精が救った湖を二度と汚さないと誓った。去っていく紫苑の背中を静かに見送ったアンネリーゼは弓を消し、彼とは違う方向に森の中を縫うように飛んでいった。


 数日後、マスコミなどを通じ『奇跡的に蘇った湖を守ろう』というキャンペーンが大々的に打ち出された。工場側は「蘇った湖からまた水をたくさん汲み上げよう」などと企んでいたが、日増しに高まる世間の批判を押し切ることなどできるはずもなく、しぶしぶ巨大なパイプを撤去したのである。そして対面に掲げられていた看板もなくなり、湖は元の美しい姿を取り戻しつつあった。もちろん紫苑が、いや正確にはアカデミーがそうなるように仕向けたのだ。
 彼はその新聞記事を見るたびに、あの美しく凛とした妖精のことを思い出す。まぶたの裏に美しい彼女の姿が……まだ残っている。