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<東京怪談ノベル(シングル)>


 邂逅の鬨

 其れはシリューナの営む、或る魔法薬屋内での事。
 何時も通り、魔法薬屋の店仕舞いを終え、此れで漸く一段落と言う処に。魔法の装飾品が扉のノブに飾られた、一見変哲も無い部屋の奥から妙な違和感を感じ取り、シリューナは其の脚を止めた。

 其の装飾品は、特殊な異空間を生み出す際扱う物で。其の都度、常時有りと有らゆる事柄に多用されて居る。
 未だ自身を駆り立てる直感に、暫く扉の前で思案に耽って居たシリューナであったが。軈て部屋の中へと立ち入る事を決すると、ノブに手を掛け躊躇いも無く眼前の扉を押し開いた。

 ――……すると、其処には。
 途端に鼻を突く、黴と湿気の立ち込める独特の臭い。陽光の射し込まぬ仄暗い屋内に、灯りの一つすら燈る事の無い、古めかしい廃墟と化した洋館。
 ……今迄この眼に留めた事の無い、シリューナでさえ知り得ない空間が広がって居た。

 其の中で、一際色褪せた朱の絨毯を踏み締める、この上無く場違いな自身。

(道具の誤作動――……の様ね)

 装飾品の不具合に因る物か、或いは何等かの存在の干渉か……。
 兎も角も、通常と異なった世界の空間へと、道が繋がって仕舞ったらしい事を逸早く察したシリューナは。先ずは状況の把握を優先し、口元に軽く手を添えると両の世界の狭間で、状況の打破を検討した。

 ――……キイィィ……――。

 其の時。奇妙な音波と共に、無数の羽音が辺りへと響き渡り、シリューナが顔を上げる。
 すると、其処には幾羽もの。白い蝙蝠の羽根、獣の胴体を模した魔物が――……群れと為って、上方からシリューナを睨め付けて居た。
 其の世界の魔物らしき者達は、飽く事もせず、次々とシリューナの周囲を飛び交って。紅く充血した眼と、剥き出した牙。既に交戦体勢であろう其の姿に、シリューナは軽く息を吐く。

『如何やら、話し合う迄も無い――……と言う事かしら』

 片手で軽やかに、自身の艶やかな漆黒の髪を梳き。一言、そう呟くと、この野蛮な魔物の群れの、魔法薬屋への侵入、暴挙を危惧し。シリューナは後ろ手にドアを閉め、固く施錠を施した。

『シャアァァ……ッ!!』

 其の瞬間、シリューナの動作に反応した魔物の群れが。奇声と共に、周囲へと唾液を撒き散らし乍ら、一斉にシリューナへと襲い掛かる。

『――……矢張り魔物とは、何処へ行っても野蛮な物ね』

 些かうんざりと独りごちた、シリューナの手元が不意に妖艶な光を放つと。魔物が突如方向性を失い、或る者は地面に。或る者は、群れの魔物同士で衝突をし始めた。
 ――……シリューナの得手とする系統の呪術、視力低下の呪いだ。

 軈て上空で、混乱を極めた魔物の群れの中。死なば諸共と思ってか、内一匹がシリューナへと向かい、闇雲な特攻を仕掛ける。
 足掻いて速度だけを頼りに、突進して来た魔物に動じる事も無く。不敵な笑みを浮かべると、シリューナは前面の空間を歪ませ、姿無き障壁を作り出し。思わぬ強靭な防御壁の出現に、敢え無く弾かれた魔物は、僅かの時宙へ留まると……――。遂に力無く、足下へと墜落した。

『悪いけれど……。貴方達に費やせる時間は、其れ程長くは無いの』

 そうして仕上げとばかりに、シリューナが前方へと片手を翳し。緩りと其のしなやかな指先が揺蕩うと、魔物の群れが一匹と残らず、見る間に精巧な石の塊と化す。
 対象を言葉無い化石と為す拘束の呪いを以って、羽撃きを失った群れは其の重力に引かれる儘、或る者は無残な欠片と散って。一転其の場に、魔物達との遭遇以前の静謐が、顔を覗かせた。
 見様に依っては、何処か歴史有る建築物の様に見て取れる現状に、シリューナは満足気に眼を細める。

『装飾として、此れも使えるかしら。――……何て、ね』

 柄に無く、けれど相変わらずの妖艶な笑みを溢し呟くと。シリューナは勿論、此度の騒動の元と為った代物等、安易に持ち帰る様な事はせず。
 無事に防衛を完遂した、扉の施錠を解くと既に何事も無かったかの様に、颯爽と魔法薬屋へと向かい踵を返した。

『此れは暫く、調整の必要が有るわね』

 閉じられた扉の向こうで、告げられた言葉に。次いで装飾品の、鈴の音の様な接触音が、辺りへと響き渡り。

 ――……其の瞬間。

 ふ――……と。仄暗く、今は静やかな時が齎された、或る一つの洋館が。
 最初から丸で、何も存在して居なかったかの様に。跡形も無く、消えて無くなった。



【完】