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<東京怪談ノベル(シングル)>


蜘蛛の巣に引っかかった竜

 ファルス・ティレイラは、本来竜族である。別世界から異空間転移した、紫色の翼を持つ一族の一体だ。
 けれど訳あってこの東京へやってきて以来は、目立たないように人の姿をとっている。
 とまあ、理由はどうあれ――
 ファルス・ティレイラは竜族なのである。
 少女の姿をしていても竜族なのである。
 誰が何と言おうと竜族なのである――

     **********

 それはある日のこと。
 現在フリーター状態であちこちで働いているティレイラは、一番よく働きに行く、魔法薬屋から帰ってきた。
 手に、ひとつの瓶を持ったまま。
「えへへっ。許してね!」
 実はこっそりと薬屋から拝借してきてしまった薬の瓶。
 蓋を開けると、ふんわりととてもよい香りがした。
「だってこの香り……たまんなかったんですよ〜」
 甘いような、爽やかなような、とにかくたまらなく心地いい香り。
 その香りで自分の部屋を満たしたくて、ティレイラはその瓶の口を開けたまま部屋の隅に置き、そして次の仕事へとるんるんと出かけた。
 帰ってきたときにはきっと部屋は素敵な空間になっている。そう信じて――


 ティレイラが出かけてしまい、誰もいない部屋……
 つつつ、と天井から降りてきた生き物がいた。
 ずばり、蜘蛛。

 つつつつ―と天井から糸を垂らして降りてきた蜘蛛は、たまたま香水瓶の口に着地した。
 しかし、その小瓶の口は滑りやすかった。
 蜘蛛は見事に滑って、ぽちゃんと小瓶の中の香水に沈んだ。

 ほんの一瞬の間。

 パリン!
 小瓶が割れた。
 香水があたりに染み渡る。そしてその上をさっかさっかと歩くのは――

 大人一人分くらいのサイズに巨大化した、蜘蛛……

 蜘蛛は早速ティレイラの部屋に巣を作り始めた。
 さかさかさかさか。
 蜘蛛の動きは素早かった。
 とても綺麗な輪状の巣を張り、そして――
 己は巣の隅に待機して、獲物を捕らえる体勢へと……


 獲物は、数時間もしないうちに部屋へと戻ってきた。

     **********

「あ〜疲れた〜!」
 ティレイラは体を伸ばしながら、るんるんと自分の部屋を開ける。
 思ったとおり甘い爽やかな香りがする。
「ああ何ていい香り――!」
 このままベッドに飛び込んだらきっと、ものすごく気持ちいい……!
 ティレイラは夢心地のままそれを実行しようと、ドアからベッドに向かってダイブ――

 べちょっ。

「……へ?」
 ティレイラは全身にからまったねっちょりとした感触に、ぽけっと声をあげた。
 ふと、視界に黒い影が落ちた。
 おそるおそる顔をあげると――
 そこには、巨大な蜘蛛が――
「ひいいいいいい!?」
 蜘蛛の八つの目がティレイラを認めると、くるりと背後を向いた。
 そして後部にある糸を噴き出す部分から、ぷしゅーとティレイラめがけて糸を噴き出した。
「きゃああああ!」
 ティレイラはとっさに炎を生み出し、糸を燃やした。
 しかし、
「ああああっ!? 糸を伝わって私にも……ああ私まで燃える――!」
 一度くっついた糸はなかなか取れない。ティレイラは慌ててものすごく苦手な水の魔法を思い切り放ち、なんとか自分に迫ってこようとする火を消した。
 ねちょねちょねちょと嫌な感触がする。
 いまやティレイラは、粘着質たっぷりの蜘蛛の糸まみれとなっていた。
 巣の一部が壊れたことで、蜘蛛はティレイラを敵とでもみなしたのだろうか。
 八つの目がくるりとティレイラのほうを向く。
 ぎらぎらと輝く八つの目は、巨大化している今見てしまうと、ものすごく気色悪かった。
「いいいいいいっ!」
 ティレイラは火を放つ。
 しかし蜘蛛は、信じられない素早さでまたもや後ろを向くと、ぷしゅーと糸を噴き出して火を相殺した。
「うそっ!?」
 ありえない。ものすごくありえない。
 しかし実際に蜘蛛はそんなわざをやってのけてしまった。
 蜘蛛は側面を向き、八本ある足の一本をティレイラに向かって振り下ろした。
「わあああっ! まっ、待ってえええええ」
 ティレイラは必死で避けた。しかし体にまだ粘着質の蜘蛛糸がからまっていてうまく動けない。
 ティレイラの腕すれすれのところを、蜘蛛の爪が通りすぎた。
 よく見ると蜘蛛には、八本の足のそれぞれ一本ずつにさらに三本ずつの爪があるのだ。
「あわっあわっあわっ」
 爪がうまく当たらないと判断すると、今度はまた尻からぷしゅーと糸攻撃。
「いやー!」
 火を放とうとすると、生み出した火が自分にからまっている糸に燃え移った。
「………っ!」
 幸か不幸か。
 蜘蛛が新たに噴き出してきた糸が火を包み込んで消してしまった。
 が、
 ティレイラはさらに糸まみれとなった。
 蜘蛛は糸を噴き出し続ける。
 ティレイラの両手が包まれるように糸にくるまれていく。
「ここここれじゃ、火が放てない、火が放てないよお〜〜〜!」
 この状態で手から火を生み出したりしたら自分の両手を燃やすようなものだ。
 何とかこの糸まみれを切らなくては――
「何か切るもの、切るもの……っ」
 ティレイラは両手がまるで手錠でつながれたような状態になりながら、必死で辺りを見渡す。
 と、蜘蛛は糸を噴き出すのをやめて、足を一本振り下ろしてきた。
「―――!」
 賭ける!
 ティレイラは振り下ろされた蜘蛛の足に向かって、糸まみれの両手を差し出した。
 さくっ――
 ティレイラの糸が蜘蛛の爪に切り離される。
 もちろんティレイラの両手も無傷ではいられなかったが――
「ふっふっふ……手、手さえ自由なら……っ。負けないわ――!」
 炎!
 ごおうっと渦巻いた火が蜘蛛を襲う。
 蜘蛛は再び糸を噴き出して相殺しようとしたが、
「今度は連発よ……!!」
 ふはははは、と悪の女王かのような高笑いをしながら、ティレイラは大きめの火を連発した。
 さすがに大きいのを連発されては立ち向かいようがなかったのか――
 蜘蛛は、炎に燃えつくされて――……
 徐々にサイズを小さくし、最後には元の大きさに戻って燃え尽きた。
「ちょ、ちょっとだけかわいそうだったような」
 元のサイズに戻るさまを見て、ティレイラは少しだけ後悔した。
 とは言え、巨大蜘蛛に捕食されるわけにはいかない。何と言っても、
「私は竜なんだから……!」
 ティレイラはぐっと手を握ろうとして――ふと気づいた。
 体中にまだ、粘着質の糸がからまって取れていない。
「や、やだ、これどうやったら取れるの――って動いたらもっとからまるじゃないのー!」
 とかあーだこーだとやっていたら、

 ぷすぷす……

 あんなに心地よかった香りの中に、焦げ臭い香りが混じり始めた。
「……ん?」
 ティレイラは部屋の中に顔を向けた。そして、
「きゃー! 火事ーーー!」
 ……あれだけ炎を連発すれば当然のこと。
 蜘蛛のいたあたりの床が見事に火まみれとなって、煙がもうもうと部屋に立ち込め始めた。
「いやー! 私水の魔法はダメなんだったらー!」
 ティレイラは蜘蛛の糸まみれのまま部屋から逃げ出し、119番通報した。
 電話を終え、自分の部屋からどす黒い煙が吹き出してくるのを見ながら、
「あああ……気持ちいい香りに包まれて、ベッドで心地いいひと時を過ごすはずだったのに、どこをどう間違えたの私……」
 ティレイラはだーと涙を流した。いつの間にか、手が蜘蛛の爪で糸を切る際についた傷で血まみれになっている。
 ねちょねちょと体を少し動かすたびに蜘蛛の粘液が音を立てる。
 火事に気づいた近所の人たちが家から飛び出してきて、火事よりもティレイラの姿に悲鳴をあげた。

     **********

 ファルス・ティレイラは、本来竜族である。別世界から異空間転移した、紫色の翼を持つ一族の一体だ。
 けれど訳あってこの東京へやってきて以来は、目立たないように人の姿をとっている。
 とまあ、理由はどうあれ――
 ファルス・ティレイラは竜族なのである。
 少女の姿をしていても竜族なのである。
 誰が何と言おうと竜族なのである。たとえ何が起ころうとも。どんな目に遭おうとも、どんな姿になろうとも――


 ―Fin―