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<東京怪談ノベル(シングル)>


いつか守りたい誰かのために


 目が、覚めた。
 ただただ黒く染まった闇の中。
 勇愛は周囲をぐるりと見回して、眉をひそめた。
 光も、音もない。静か過ぎる闇の世界は、勇愛の心に不安を呼んだ。
「ここは……?」
 声に出し、身体を起こそうとして初めて気付いた感覚に、勇愛はハッと身を強張らせた。
 立つべき世がない。地面はなく、けれど落ちることもなく――妙な浮遊感だけがある。
 どこか、ここ以外のところへ。
 そう思ってもがいてもみたけれど、手足は虚しく空(くう)を切るだけで、前にも後ろにも進んでくれそうになかった。
 なにがどうなっているのだろう?
 訓練の際の怪我が原因で倒れた、それは覚えている。意識を失う直前、母が迎えに来てくれたのもなんとなく……覚えている。
 自室で目覚めて、抑えきれない溢れる力をどうにかして制御する、その方法を学ばねば――そう、思って。けれど疲れた身体はまたすぐ睡魔に襲われた。
 だから、そう。
 自分は部屋にいたはずなのだ。
 すくなくとも、眠った時までは。
「っ!?」
 引っ張られる感覚に、勇愛は思考を中断させられた。
 周りは相変わらず闇で。周囲の様子はわからない。
 けれど身体が、どこかひとつの方向にむかい加速していくのがわかる。
 不安と恐怖。
 自分はどこに行ってしまうのか。
 必死に自分の心を立て直し、引き寄せられる先を見据えたその時――光が、見えた。
 光がどんどんと近づき、視界いっぱいに広がっていく。
 その、次の瞬間。
 世界は闇の一色から色鮮やかな風景へと変貌していた。
 だがその色は、決して、気持ちのよい色ではない。
 赤。
 鈍い銀色。
 血の色。
 高い剣戟の音を響かせる剣の色。
「なに、これ……」
 数万はくだらないだろう人間が殺し合う。
 その光景はすぐに弾けて消えて、けれど次に見えたのも殺し合い。
 黒い銃身が赤い火を噴き、白い煙をたなびかせて。
 人の身体を血の華で彩る。
 妖魔と人間の戦いもあった。
 強大な力もつ妖魔は人間を引き裂き、人間は時に呪いにも近しい術で対抗する。
「いや……」
 憎しみや、恨みや。
 そんなもので戦っているのならば、まだ、いい。
 もっと怖いのは、なにも感じていない人たち。
 それが正しいと信じて、傷つけることを躊躇いもしない。
 ただ楽しむためだけに他を傷つける者もいた。
 ……日本は、平和だ。
 大変な力と運命を背負って生まれてきてしまった勇愛だけれど、こんな争いは見たことがなかった。
 生まれて初めての光景。
 恐ろしい……とは、少し、違う。
 怖いけれど、それだけじゃない。
 勇愛はこの感情を表現する言葉を知らない。
 ただただ気持ちが悪くて、内臓ごと締め付けられるようで。
 それを吐き出したくて、けれど、吐き出すものなどなにもなくて。
 胃の中がぐるぐると気持ち悪いモノで満たされて、逆流していく。
 目には涙が滲み、手は思わず口元を抑えていた。
 いつまでこんなことが続くのだろう。涙ながらにそう思っていたその時、また、世界が変わる。
 今度の光景も争いであったけれど、それまでのものと少しばかり違っていた。
 戦っているのは、溢れんばかりの力を振るい周囲に瘴気を撒き散らす妖魔と、銀色の狼。そしてその狼を従える男の人。
 妖魔は時に獣の姿で、時に人の姿で。
 両者共に圧倒的強大な力を持ち。
 けれど両者とも、どこか、哀しそうだった。
「どうして……」
 戦いたくないのならば、止めることもできるはずなのに。
 そうしてその力を、大切なものを守るために使えばいい。

 それなのに!!


 ふいに、視界が暗転し、もとの暗闇の中へと戻っていた。
「その力で何を望む?」
 目の前にいたのは。その問いかけをしたのは、銀狼だった。
「力……」
 その、強大なる力。
 自覚する。
 それを自分も持っていること。
「私の力で何ができるかわからない」
 一歩間違えれば、自分の力があのような争いを引き起こしてしまうかもしれない。
 でも、だからこそ。
「さっきみたいな光景が続くのは嫌」
 だからこそ、辛い訓練にだって耐えてきたのではないか。それが必要だと、勇愛はきちんと知っていた。
 今まで明確な言葉になっていなかった想いを、言葉へ変えて紡ぎだす。
「私は私の好きな人を守るためにこの力を使いたい!」
 いまだ制御も叶わぬ力だけれど。
 きっときっと、誰も傷つけない力にしてみせる。
 叫んだ声に、銀狼が笑った気がした。
「ねえ――」
 貴方は、何者?
 聞こうとした問いは、最後まで告げられることはなかった。
 銀狼の姿が崩れ、銀色の優しい光となって勇愛の身体へと飛んでくる。





 パッと布団から飛び起きて、勇愛はしばし呆然とした。
 目覚めた瞬間、気付いたのだ。
 なんとなくだけれど……身体が、軽い。
 そしてそれから、勇愛は少しだけれど力の制御が楽になった。
 あれはいったいなんだったのだろう……?
 不思議に思えど、答えをくれる者はなく。あの夢がただの夢だとは思えなくて。
 胸の中で、叫んだ答えを反芻する。
 大好きな人たちを守るために。
 この力はそのためにあるものだから。
 一歩ずつでいいから、前へと進んでいこう。
 いつか守りたい誰かのために。