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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


桜の物語



風に春の気配が混じり始めましたね。冬ももう終わりです。
四季の中でも色鮮やかな花々に彩られるあの季節は、出会いの季節でもあり、また別れの季節でもあります。
ああ、あなたの中には「桜」に纏わる思い出がありますね。
あの美しく、儚く、時に妖しい花に魅せられましたか。惑わされましたか。
それとも、桜に囚われてしまった誰かとの縁があったのでしょうか。
あなたの記憶の彼方で風に舞い散る桜の話をお聞かせ下さい。
忘れ得ぬ、春の物語を。



■桜の木の下には

 少女はソファにもたれかかり、いつの間にか眠っていた。
 愛らしい口元からは規則正しい寝息が漏れ、傾げた頭が時々揺れては艶やかな黒髪が僅かに揺れる。
 コンクールに向けて忙しい生活を送っているということであったから、疲労が溜まっているのだろう。あどけない寝顔を見ては、起こすのも忍びない。
 だがこの部屋に長時間いることは好ましくなかった。下手をすれば問題のコンクールに間に合わなくなるどころか、帰れなくなってしまう。
 とは言っても、彼女が物語を紡がないことには「ここ」から出ることもかなわない。この部屋は存外融通が利かないのだ。
 そんな私の思いに応えるように、彼女の膝の上に収まっていた映写機が、かちゃりと小さな音を立てて動き始める。テーブルの上に置いてあったというのに、どうやってあんな場所まで移動したのやら。どうやら彼女の力になりたいらしい。人間年齢に換算すると老年に達する「かれ」は、彼女のような清楚な雰囲気を湛えた少女に無条件に弱い。
「さて、じゃあ、お前、どんな物語を語ってくれるんだい」
 苦笑混じりに呟けば、白い壁に少女の顔のアップが現れた。


 場所はどうやら洗面台らしい。
 音は聞こえず、ただ映写機の稼働する音ばかりが室内に響いている。
 少女の今より幾らか幼さを感じる面が、小首を傾げながら鏡に映る自分を見つめている。
 着せられている感の強い真新しい制服と、少女の輝く表情とが、高校に入学して間もないことをこちらに伝える。もしかしたら入学式当日なのかもしれない。
 彼女は長い髪を櫛で梳き、可愛らしい髪留めやヘアピンを使用して、ああでもない、こうでもないと、己のヘアスタイルと格闘している。そのバリエーションはこちらが驚くほどだ。最後に桜色のリボンを引き出しから取り出して、髪を結い上げ、頷く。ようやく気に入ったらしい。
 その姿は、少女の柔らかく清らかな印象のせいだろうか、どこか大正浪漫的な雰囲気を醸し出している。
 玄関に向かって駆けだしていく少女に、兄弟だろう、面差しの似た青年が声を掛けている。彼の口唇が「はいからさん」と動くのが分かった。どうやら誰もがそういった感想を抱くようだ。言われた当人はその言葉の意味する所が分からないらしく、戸惑った表情を見せる。ジェネレーションギャップだ、と画面の中の兄も、また私も嘆く。

 場面が切り替わる。
 
 青い空に雲が浮かび、白く輝く道を少女は歩いていく。先ほどと違って口元を引き締めた表情は凛々しい。
その胸に湧き上がるのは、新しい環境への決意だろうか、それとも不安だろうか。
 少女は何か気になるのだろう、途中何度も立ち止まっては髪のリボンに手をやっては、形を確かめる。上手く結べていないのかもしれない。
 突然画面に異国情緒の趣を備えた校舎が映し出される。校門には入学式を知らせる看板が立てかけられている。やはり高校の入学式当日だったらしい。
 校門を通り抜け、校舎へと続く道の途中で、ほどけかけていたリボンが、歩く振動のせいか、はたまた髪をなびかせる強い風のためか、直そうとした少女の手を振り払うように、リボンが宙を舞う。
 青い空に線を引くように飛ぶ、桜色のリボンを少女は追いかけていく。
 風が止んで、勢いを失ったリボンは音もなく、白い桜の絨毯の上に舞い落ちた。
 リボンから目をあげれば、満開の桜の木が吹く風に花を散らせている。家の周りの桜は三月の末に既に散り去っていたというのに。
「……待っていてくれたんだな、って思ったんです」
 不意に眠っていたはずの少女が口を開いた。どこかぼんやりとした視線で、桜の大木が映った画面を見つめている。
「私たちの入学を祝うために、待っていてくれたんだなって」
 画面の中の彼女もぼんやりとしている。カメラは桜の下にいた少年へと移り、彼は佇む少女へと近づく。その手にはリボンがあった。
「まるで、古い映画のようなシチュエーションですよね。その時の私もそう思いました。呆然としながら、彼も新しい制服を着ていたから、私と同じで入学生なんだろうな、なんて頭の片隅では思ってました」
 少年の顔が大きく画面に映し出される。その口が分かりやすく動いた。
 これお前のか?
 桜の白のなか、陽射しに晒され輝く銀色の髪。青い瞳は人なつっこそうに細められる。優しげな笑顔が、桜の鬼のごとき容姿の彼を人間たらしめる。
「有り難うございますって言ったら、もう飛ばされないようになって声をかけてくれて。それがきっかけで色々お話するようになりました」
 桜が二人を見守るように散る。
 画面の中の少年に向かって、映写機を抱えた少女は微笑みかけた。
「私、人見知りな方なのに、この時は自然に言葉が出てきたんです。彼の気さくな人柄なせいだったのかもしれません。けれど」
 画面一杯に広がる桜に少女は笑顔を向ける。
「桜が手助けをしてくれた、そんな風に思えてならないんです」
 あれも桜の魔力の一つだったのかな、そう呟いて彼女は懐かしげに目を細め、
「有り難う」
 そう告げた。 




■桜雨

少女が桜の木の根元で、椅子に腰掛けチェロを弾いている。
 秋成にはあまり音楽の素養はないのだが、その曲が映画「ニューシネマ・パラダイス」で流れていたことだけは知っている。郷愁を促すメロディラインだ。
 深みのある音色は彼女が名手であることを聞く者に伝える。少女の音色に酔うように桜がちらちらと雨のように散り、風に舞う。
 頭を掻きながら周囲を見渡せば、夜桜見物がしたくなるような宵闇であり、見事に咲き誇る桜がある。
 自分がどうしてこんな場所に入り込んでしまったのかは分からない。 確か仕事の途中であったような気がするのだが、具体的なことは思い出せなかった。
「どこに入り込んでしまったものやら」
 溜息混じりに呟いた秋成の声が合図であったかのように、闇の中から一人の青年が現れる。こちらに向かって深々と一礼した。
「ようこそ、お待ちしておりました。どうぞ」
 指し示されたそこには、敷布が敷かれ、白磁の徳利とお猪口が用意されている。和装の青年は害意などひとかけらもないといった風情で笑いかける。
「よい桜でしょう。この桜の下には死体が埋まっているので、こんな美しい薄紅の花をつけるんですよ」
 何でもないことのように告げるこの空間の主人に、秋成は肩を竦める。
「梶井か。俺は檸檬爆弾の方が好みだな。清々しくて」
「残念なことに舞台となったお店は閉店なさったとか。世知辛い世の中ですね」
「……随分とあちらの世知に長けて居るんだな」
「情報を制するものが世界を征すると申します」
 戯けた青年の言いように秋成は小さな笑い声をたてる。
「それで? 君は何者で、何が目的なんだ?」
 秋成の問いかけに彼はゆっくりと頭を左右に振った。
「ここは異世ですから、名乗りあいなど野暮というものです。私もあなたの名前を尋ねはいたしません。もっとも、あなたのようなご職業の方は不用意に己の名を明かしたりはしないでしょうが」
 白い手がすっと差し出され、秋成に再び座すように促す。
「美しい花に、澄んだ音色、そして口に合うかは分かりませんが、酒も用意してあります。花に音色に酒に、酔わねば語れぬ思い出をお持ちでしょう?」
 こちらを見透かしたような主人の言葉に、秋成は深い溜息をついた。頭上を見上げれば花が空を覆うようにしてある。桜を見る度に、やるせなさを覚えずにはいられない、そんな思い出が確かにあった。
「つまりここはそういう場所なんだな」
「つまりここはそういう場所なんです」
 ここは物語を求めている。語らなければ戻ることもかないません。青年は淡々とそう告げたのだった。

 時折強い風が吹いては枝から引きはがすように花を散らせ、その花片は闇の中に吸い込まれていく。花の行方を見定めることは出来ない。
 お猪口を片手に秋成は花に覆われた天を見上げた。
「後悔のない人生なんてないんだろう。誰しも、もしあの時、と思ってしまうような出来事を積み重ねて、歩いて行かなければならないんだろうな」
 青年は黙して、紡がれる言葉に耳を傾けている。チェロの音色だけが先を促すように美しい旋律を紡ぎ続ける。
「もう彼女の顔もよく思い出せないのに、あの時感じた苦しみや悲しみを、桜を見る度に思い出す。きっと桜が花を咲かせる限り、忘れ去ることなど出来ないだろう」
 明るい笑顔を浮かべる人だった。前向きに物事を考える人だった。そんな風には思い出すことが出来るのに、具体的な出来事は輪郭が曖昧で遠い。それもまた哀しい。高校時代は随分遠くなってしまった。
「俺と彼女が出会ったのは高校の部活動でだった。陸上部で、おれはスプリンターで一つ上の彼女はマネージャーだった」
『生まれつき身体が……ちょっと心臓の方が弱くてね。自分では激しいスポーツは出来ないの。でも、スポーツ観戦、大好き。ちょっとでもその世界に携われたらなあ、って思ってマネージャーになったの』
「でも親しく話すようになったきっかけは本だった。俺も彼女も体育会系にはあるまじき本好きで」
『あ、都築君、それはこの間新聞の書評に載ってた本……。司書の先生入れてくれたんだね。あー先を越されちゃった。読み終わったら回してね』
 耳に蘇る声に思わず、口元が緩む。しばらく思い出すこともなかった、楽しげな、朗らかな声。
「その頃の俺は、まだ今のようには退魔の力を制御出来ていなかった。自分の力に自信もなかった。彼女も体調が悪くても明るく振る舞うような人だったのが……あの結果を招いたのかもしれない。彼女は影に憑かれていたいたんだ」
 彼女の背にのし掛かるように見えた黒い影。邪な念を抱えたそれは、彼女の生気を吸い、成長していくタイプのものだった。宿主の生気を吸い果たすとまた新たな主を探す。そういった類の魔。
 また、明日。そういって手を振っていたというのに。そんな明日は自分たちには来なかった。
「俺の敗因は、気づくのが遅かったことだ。慌てて帰路についた彼女を追いかけたよ。でも」
 黄昏時。日は消え、薄闇に包まれた空き地に倒れ臥す、細い身体。浮かび上がる投げ出されるようにしてあった、白い四肢。
 秋成は眉間に深い皺を寄せる。
「倒すのはそれほど難しくなかった。けれど彼女の身体はもう冷たくなり始めていた」
 先輩と繰り返し、繰り返し、こちらに引き留めるように何度も呼んだ。手遅れなのは秋成も分かっていたが呼ばずにはいられなかった。
『……都築君……桜……見に行こう?……』
 その時彼女の目に何が映っていたのかは分からない。ただ、微笑みながらそう言い残して眠るように逝ってしまった。
「最後の瞬間、彼女の目には未来が映っていたのかもしれない。あの空き地は今も何故か空き地のままなんだが、その周囲の道は拡張工事の折に、街路樹に桜が植えられた。もうそろそろ桜のトンネルが見られるだろうな。散る季節になれば、美しい桜吹雪が見られる」
 秋成は猪口の酒を嚥下する。淡い苦味が口中に広がる。
「彼女はあの桜を見て居るんだろうか。どこかで」
 空になった器に青年が酒をつぐ。
「見ていらっしゃるでしょう。あなたが桜を見て彼女を思うように、その方もあなたを思いながら。それはきっと彼女とあなたを繋げる細い糸になる。……またいつかきっとお会い出来ますよ」
 意味深長なその言葉に、秋成は微苦笑で応える。
 面影も思い出も、あの頃の自分の思いさえももう曖昧で、けれど、忘れることだけは出来ない人。
「……随分気の長い話になりそうだな」

 少女のチェロが最後の音を丁寧に鳴らした。
 消えゆく音色と共に、桜の花が雨のように降る。あの日、流し忘れた涙のようだった。


END




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
桜の木の下には
【 3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16 / 高校生 】
桜雨
【 3228 / 都築・秋成 / 男性 / 31 / 拝み屋 】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ライターの津島ちひろと申します。
今回もぎりぎりお時間頂きまして申し訳ありませんでした。
お待たせいたしました。少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。