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雨に問う
◆ ◇
漆黒の闇が覆い尽くす。
夜空に輝くはずの星の光は見えない。
月の光すらも遮る、厚い雲。
聞こえてくるのは雨音だけ。
パタパタと、まるで誰かが泣いているかのように・・・
けれど、嗚咽は聞こえて来ない。
何故なら雨は涙ではないから。
何故なら雨は感情を持っていないから。
何故なら―――泣けない・・・から・・・。
◇ ◆
地面に散らばった紙が雨に濡れ、書かれていた文字がジワリと滲む。
よく分からない記号も文字も、見る人が見たならば退魔系の札であろうと理解が出来るが、知らない人から見ればそれはただの紙くずでしかない。
ゴミや廃材の積み重なった路地裏。
その中央では1人の男性が何処を見るでもない瞳で蹲っていた。
誰が見ても分かる・・・“人”としての感情を狂わされてしまった“モノ”。
路地裏にある全ての“モノ”の上に降り注ぐ雨は、冷たいのか熱いのか良く分からなかった。
―――雨音が響く。
菊坂 静は静謐に沈むその場所で、ただ一人・・・“人”として立っていた。
周囲には人の気配はおろか、生き物の気配さえしない。
先ほどまでの“騒ぎ”が嘘のように、今は静まり返っていた。
散らばった道具を足で蹴ると、静は目の前の人物―――最も、もう“人”ではないのかも知れないけれど―――に語り始めた。
その声は酷く落ち着いていて、優しくて・・・無邪気な笑顔はあまりにも穏やかだったが、この状況にまったくそぐわない笑顔は冷たい恐怖を醸し出す。
「貴方も僕に気付かなかったら、こんな事にならずに済んだのにね。」
優しい声はすぐに雨音に掻き消される。
一種の狂気を含んだ穏やかな瞳は、目の前の人物に注がれており・・・けれど、その焦点は微かに合っていないようにさえ感じられた。
どこか遠くを見るかのような、何も見ていないかのような―――
「子供だから倒せると思ったのかな?」
にっこりと“子供”らしい笑顔を浮かべながら静は首を傾げた。
勿論その質問に答えなど必要としていないけれども・・・・・・。
「名を上げるチャンスだったのに・・・惜しかったね。」
パタンと、静の髪に雨粒が落ちてきた。
隣のビルから伸びる庇から落ちてきたのだろうか。大粒のそれは、静の髪を伝って頬に落ちた。
ツゥっと、一筋の跡がつく。
「ふふっ・・・。貴方から見たら、僕は確かに化物だよ?家族すら犠牲にした、化物だよ。」
口調が強くなる。
それでも表情は変わらないまま。・・・先ほどと同じ、穏やかな笑顔のまま。
パタン・・・再び雨粒が静の髪に降りかかる。
けれどそれは、静の毛先にしがみ付いたまま動こうとはしなかった。
「・・・・・・殺さないよ。」
ややあってから紡ぎ出された言葉は、確実な色を含んでいた。
絶対的な言葉を前に、静の笑顔はあまりにも曖昧だったけれども・・・。
「だけど、この後の貴方がどうなるかまでは知らない。」
そう言って、ふわりと顔を近づける。
決して合う事のない視線は、これからの2人を暗示しているかのようだった。
もう二度と会う事はない。
そればかりか、双方が今日と言う日を覚えているかどうかすら・・・。
相手にソレを求める事は出来ない。すでにその意識は、深い闇の狭間で彷徨っているのだから。
静は・・・はたして今日と言う日を覚えているだろうか・・・?
狂気じみた笑顔をたたえながら、優しい言葉は残酷な音を含んでいる。
「・・・って、もう何も聞こえないかな?」
そればかりではなく、もう何も見えないのだろう。
静のそんな笑顔も、手にした道具の数々も、そしてきっと、もう感じてはいないのだろう。
この・・・降り注ぐ雨の温度も、全て―――全て―――。
◆ ◇
そっと、静は目を閉じた。
途端に闇に沈む世界。
音と感覚だけが支配する世界・・・。
雨の声が酷く大きく聞こえる。
まるで静を責めているかのように、パタパタと響く音が疎ましい。
目を開ける。
飛び込んでくる男性から目をそらし、空を見上げる。
厚く覆う雲間から落ちる、真っ白な粒――――
「どうして・・・なのかな・・・?」
ふっと、力を抜いて微笑む。
悲しそうな笑顔に降り注ぐ、冷たい雨。
目に入り、滲む世界が朧気で・・・目を閉じると、俯いた。
ゆっくりと、肺に溜まった空気を外へと押し出す。
―――そして、静はその場にしゃがみ込んだ・・・・・・・・・
◇ ◆
何故自分は生きているのか
何故生きる事を否定され続けるのか
何故笑えるのか
いつから・・・泣かないのか・・・
そんな静の問いは、今はまだ
この雨に・・・流されて・・・・・・
≪ END ≫
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