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弥生の戯れ。
よく晴れた三月の昼下がり。ようやく空気が春らしく感じられるようになってきた。
木々に目をやれば、僅かであるが芽吹きも始まっているようだ。
そんな中、今日も一人で街を歩く曙紅は、またしても街中を彩っている白と青の装飾に首をかしげていた。
一ヶ月ほど前にも似たような風景を見た。だが今回は色の甘さが無い。
――自分の知らない空間。
日本で暮らして随分経つが、まだまだ知らないことのほうが多い。一般的な知識が足りなすぎるのだ。
ふぅ、とため息を漏らしながら、曙紅は一つの店の小さなポスターに目をやった。青いリボンに吊るされた旗のようなものだ。
そこには『ホワイトデー』と書かれている。
「……ほわいと、でー」
思わずぽつり、と言葉が漏れる。
その言葉を頭に叩き込んだ曙紅は、そのまま街外れにある小さな本屋へと足を運んだ。
先月のイベントにかかわっているらしいということは雰囲気で解る。ならば先月の二の舞は避けたいと思ってしまうのは当然と言えば当然か。
だから彼は、自分の力で言葉の意味を調べようと思い立ったのだ。
曙紅が迷わず足を進めた先は辞書関係の棚。
そこで辞典を適当に見繕い、一冊を取り出す。辞書を引くことくらいはひとりでも出来る。そこに自分が今まで培ってきた基礎的な知識をぶつければ、答えくらいは出てくるだろう。
徐にページを捲りだした曙紅は、それから暫くその場を動くことはなかった。
一方、時を同じくして。
ホワイトデーの意味をきちんと理解している眞墨は、その時間を楽しみながら曙紅への『お返し』を用意していた。
『それの意味、ちがう……僕は、違うから……っ!!』
先月の曙紅の慌てようには驚きつつも、自分を楽しませてくれるだけの要素が充分詰まっていた。
あの様子から今回の彼の反応を想像するだけでも、自然と口角が上がってしまうのは無理も無い話しだ。
「…………」
らしく無い行動だと思いつつも、こういう機会にも慣れてきた。
曙紅とこれからも一緒に暮らす以上は、丸い部分が出てきてしまっても仕方が無いと言ったところか。
思わず表情が緩んでしまうのを何とか通常に戻し、眞墨は自分が用意したプレゼントをテーブルの上へと飾り立てるかのように置いた。
綺麗に包装された小さな箱。
その中身はバラジャム入りのピンクのマシュマロに氷翡翠のバングルが添えられているという、華やかなものだった。
一見からしてもお返し用のプレゼントだと丸解りな上に、『曙紅へ』と書かれたカードまで用意されている。
「……さて、どういった反応を返してくれるかな」
一歩、テーブルから離れてプレゼントの全景を眺める眞墨。
曙紅が出かけていってからもう小一時間ほど経つ。そろそろ帰ってきても良い頃だろう。
そうこうしていると、玄関先から人の気配がした。ゆっくりと開けられる扉、程なくしてきちんと閉められる施錠の音。そのタイミングすら読めてしまう自分に苦笑しながらも、眞墨は曙紅に気づかれぬように自室へと戻った。もちろん、これからの彼の行動を『観察』するためにだ。
「ただいま……」
本屋での調べ物を済まし、自分なりに納得できたのか、帰宅した曙紅。
廊下とリビングを繋ぐ扉を開けながら、彼はその先に眞墨の気配が無いことに気がつき内心ほっとした。
先月の件があってからというもの、眞墨とはますます顔を会わせ辛くなってしまった。
同じ屋根の下に住んでいるのに、まともな会話すら生むことも出来ない。
後ろ手で静かに扉を閉め、曙紅は小さくため息を吐いた。
「…………?」
何気にテーブルのほうへと視線をやると、見たことの無い包み紙が置いてあることに気がつき曙紅は自然とそちらに足を向ける。
「――――」
一歩、足を進めたところで頭の奥で何かが鳴った様に思えた。足を止め、振り向いても勿論何もあるわけも無い。
気を取り直して再びテーブルへと歩み寄る。
「……え」
テーブルの上に置かれたものが何だったのか。
曙紅はそれだけで理解できたのであろうか。『曙紅へ』と書かれたカードの後ろには、華やかに飾られた小さな箱があった。
差し出した手が、震えている。
思わず開かれた口も、閉じることさえ忘れられてしまい曙紅は固まった状態になっていた。
やけに冴えた頭の中で、彼は先ほど調べてきた『ホワイトデー』の意味を思い出す。
――バレンタインデーの贈り物のお返しとして、キャンデーなどを贈る日。三月一四日。
「え、……でも、……え…?」
先ほどの、頭の奥で鳴ったシグナルのようなものは、これの報せだったのかと思うと同時に、グルグルと回りだすのは、辞典で引いた部分だ。
どう対処していいものか、自分でも判らない。
だが目の前のプレゼントは間違いなく自分へと贈られたもの。
手にしたカードにも、きちんと名前が綴られている。この流麗な文字には見覚えがある。
「…………っ」
急激に、曙紅は自分の頬の辺りに熱を帯びたのを感じて両頬を手で覆った。
そして何回か首を振り、その熱を冷まそうと必死である。
暫く、その場でやり場の無い思いを抱えながらの曙紅の慌てようは続けられていた。
そしてプレゼントの贈り主である眞墨本人だが。
曙紅の反応を一通り影から『見守って』いた彼は、思わず噴出しそうになり慌てて自室へと篭った。
これほどまでにおかしいことも早々無い――傑作だ。とさえ思える現状に、眞墨は非常に満足していた。
思い描いていたイメージ通りにといっても過言では無いほど、曙紅は期待を裏切らない。『単純だ』と言ってしまえばそれまでだが、それで片付けられない何かがある。だから眞墨も楽しんでいられるのだ。
――これは一体何の感情だろうか。
人間嫌いだった自分が、ここまで揺れ動かされる存在。
もしかすると、彼と出会ったのは『偶然』と言う『必然』だったのかもしれない。
そう思いながら眞墨は扉へと背を預けた。
曙紅の『想い』は彼より熟知している。だが、自分はどうだろう。
彼はこれから、自分の何よりも必要な存在へと変わっていくのだろうか。否、もしかしたらもう既に変わってしまっているのかもしれない。
失いたくない、と思う感情も確かにあるからだ。
「どうしたものかな」
ぽつり、と漏れた言葉。
その表情に困惑の色は無い。むしろ楽しんでいるままの表情だ。
遠く無い未来に、この二人にはまた変化があるかもしれない。
コンコン、と背中に響く控えめなノックの音。
扉の向こうには曙紅が居る。それは随分前から気配で解っていた。
プレゼントの礼でも言いにきたのだろう。それでも行動を起こすまでに時間が掛かったようであるが。
眞墨は楽しそうに笑いながら、くるりと振り返る。
そして取っ手に手を掛け今まさに扉を開けようとしていた。
曙紅は今、どんな表情でいるのだろう、と思いながら。
-了-
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田中眞墨さま&李曙紅さま
いつも有難うございます。
今回は前作の続編のような感じで書かせていただきました。
少しでも楽しんで頂けましたら幸いに思います。
またの機会があります時は、よろしくお願いいたします。
今回は本当に有難うございました。
朱園ハルヒ
※誤字脱字がありました場合は、申し訳ありません。
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