コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


論理の使徒

 厚いガラスの向こうに、白い空間が広がっていた。
 何者かが横たわるベッドと、その周りに配されたモニター、全てが無機質で構成された空間の中で作業をしている人物の表情は、フルフェイスの防護服で見えない。
 雰囲気は病院の集中治療室に似ているかもしれない。
 しかしそこに生命を繋ぐ緊迫感はなく、淡々と作業だけが続けられていた。
 防護服の黒いマスク部分に映りこんだ部屋は現実感がなく、ルーカ・バルトロメオはふとその中に闇だけが包まれているような不安にかられた。
 ――くだらねぇよ、各務。
 ここはIO2の研究施設の一つで、ティターニア計画を担う妖精ラボの一角だった。
 総責任者・各務雅行の推し進めるティターニア計画は、不可視領域にある存在をこちら側に実体化するという途方もないものだ。
 虚無の世界より呼び出されるもの――虚神。
 虚神を見る事のできる『妖精眼』を作り出すのが計画の第一段階で、それは不安定ながらも成功している。
 魔物の構成情報を取り入れたジーンキャリアは、限定条件下だが数体の虚神を視覚化・実体化し、妖精ラボは虚神の捕獲に成功している。
 ベッドの中央に横たわるものはまだ成長途中の子供の大きさで、性別や年齢はルーカから判別できない。
 いや、人間の規格に当てはめて考えるのは間違いなのかもしれない。
 先日捕獲された虚神の情報を取り入れ、現行のジーンキャリアよりもより『向こう側に近付いた』それの輪郭は絶えず変化し、観測者を幻惑している。
 ――混沌の神、ね……。
 額部分に開いた真紅の第三の目を皮肉気に見つめ、『燃える三眼』という名を持つ存在をルーカは思い出した。
 それは狂気と混乱をもたらすとされている。
 ――狂気の神に、人の狂気で対抗するか。
 一度は頓挫しかけたティターニア計画を再編した各務は、やはり狂気をその身体に抱えているのだとルーカは思う。
 ――マトモな神経でやれる事じゃねえ。
 実験に使われるジーンキャリアの意志を無視した各務のやり方を、ルーカは許せない。
 が一方で、各務の有能さは認めざるを得ない。
 各務はルーカの属する魔術ソサエティにも一時期身を置き、術式と召喚技法を研究していた。
 ごく稀に、年月による経験値を飛び越えて力を身に付ける者がいる。
 数ヶ月で騎士団クラスの実力を身につけた各務を、当時ようやく白鍵騎士団候補に挙げられたルーカは羨まずにはいられなかった。
 各務は無駄の無い論理思考を武器に、ティターニア計画の総指揮者にまで上り詰めた。
「待たせたな」
 ルーカの後ろに白衣姿の各務が立った。
 ――呼び出しておいて謝らない男だよな。
 直接ルーカに各務から連絡が来た時は、ただ「時間が取れないか?」と聞かれただけだった。
 軽く舌打ちしてルーカは単刀直入に言う。
「仕事の話なら受ける」
 言外に、仕事以外の事は聞く耳を持たないと匂わせる。
 もっとも各務が私用で、ルーカにどんな用件があるか想像も付かないのだが。
「勿論」
 各務は当然、といった風に頷く。
「仕事だ」


 ルーカが通された部屋には春蘭の鉢が置かれていた。
 無機質がデフォルトの研究棟で植物が置かれているのは珍しい。
 各務の趣味、にも思えなかった。
 黒いテーブルに萌黄色の影を落とす蕾を眺めながら思い当たる人物を考えていると、 各務が珈琲カップを二つ運んできた。
 コーヒーベンダーからではなく、自分で淹れてきたものらしい。
「一応もてなそうとか気を遣ってるのか?」
「いや、ベンダーのは薄くて飲めない」
 あくまで不味いものは飲みたくないらしい。
 ルーカの分はついでなのだろう。
 ――そういう男だよな。
「そう言いつつ、結構ガブ飲みしてるだろ」
 各務の机に置かれたコーヒーベンダーのカップからは、いつも湯気が立ち上っていた。
「淹れる時間が惜しい時は」
「あー……そう」
 簡単に切り替えられるその合理的な思考に嫌味はないので、ルーカはそれ以上何も言わず珈琲を口にする。
「で、用件は?」
「虚神召喚の術構築式プログラムに穴が無いか見て欲しい。
今、書き換えている最中だ」
 虚神の運用に術者の魔力や熟練度を必要としなくてもいいよう、各務がティターニア計画に携わってからは、魔術シンボルの描画や呪文詠唱をコンピュータに任せている。
 ちょうどティターニア計画が第四次期に入った頃ショアのアルゴリズムが発表され、量子コンピュータが発展・進歩した事も更にプログラムに進化をもたらした。
 最終的には、魔術知識の無い人間にも恩恵をもたらすのが計画の目的なのだろう。
 ティターニア計画のスポンサーとなっている人間は、資金力はあっても魔術を扱えないのだから。
「プログラムは俺の管轄外だ」
 額に落ちかかった髪を指で上げて、ルーカは答えた。
 自分にできない事までは安請け合いしない。
「プログラム自体は他のスタッフがチェックしている。
見て欲しいのは構築式の部分だけだ」
 ルーカは眼鏡の奥で青い瞳を細めた。 
「……術式体系が違うんじゃないのか?」
 異世界の存在を呼び出す方法は一つではない。
 数限りない方法が古来より試行錯誤されてきた。
 ルーカの属する魔術ソサエティ『矢車菊の守り手』も、これまで対象によって術式を絶えず書き換えている。
「計画当初からベースになっている術式は、『矢車菊の守り手』白・黒の両騎士団から提供されたものだ。
私が計画の指揮を執ってからは、記述も私が書いた」
 冷めるのが早い、とルーカは思いながら珈琲を口にする。
 暖房は効いているというのに。
「それならチェックも自分でやればいいだろ?」
 各務がルーカを選んだのは、その実力を買っているからだった。
 多少内部事情に通じているだけの人間には任せられない。
「それでは意味が無い。
自分のミスには気付けないよう、人間はできているからな」
 ――それで自分が人間だって自覚してるつもりかよ。
 相手によっては不快な発言だが、各務は己に奢る所もなく、本気でそう思っているのだからたちが悪い。
 各務が厚いファイルの束をルーカに手渡す。
 その厚さと、びっしり書き込まれている構築式の緻密さにルーカは作業の前からうんざりした。
 しばらく研究棟に通い詰める事になりそうだ。
「どうする?」
「今決めろっていうのか!」
 カラビニエリの方でも何件か抱えている事件がある。
 部下に任せる事もできなくはない。
 彼らにもそろそろ一段上の捜査を任せる時期が来ているのかもしれない。
 ――あいつらも子供じゃねぇんだしな。
「……いつまでにできればいいんだ?」
「チェックを始めて二十日、という所だな」
 ――計画日数に余裕を持てよ。
 ルーカは大きく息を吐いた。
「三十日だ。
それ以上早くしろってんなら、それなりの待遇もなきゃやれない。
ホテルのスイートぐらい取ってくれ」
 ――ボランティアじゃないしな。
 各務はあっさりと要求を呑んだ。
「わかった。
研究棟に一部屋用意する。そこを使うと良い」
 ――全然わかってねぇじゃねえか!
「寝床とメシだけ置いて、ホテルって言うつもりか?」
「多少は譲歩する」
 無駄を嫌う、最も効率の良い手段を常に選ぶ男なのだとルーカは改めて思った。


 数日後、再びIO2を訪れたルーカに宛てがわれた部屋は階下の植物研究棟を見下ろす場所にあった。
 閉鎖的な空間が多い中、吹き抜けの下に見える緑は開放感があった。
 カラビニエリにIO2からも正式な要請が入り、ルーカはほぼ一ヶ月をここで過ごす事になった。
「まあまあだな。スイートには遠いが」
 同時に数台のパソコンでプログラムを走らせる必要があるため、部屋というよりもワンフロアを仕切って、片隅にベッドなどが置かれている状態だ。
「必要なものがあれば、言うと良い」
 ――メイドが欲しいって言ったら本気で用意しそうだな。
 思考以外の全ての時間を他人に任せて効率が上がるのであれば、それも善しとする男なのだ。
「今は他に思いつかないな」
 急ごしらえにも関わらず、生活スペースには簡単な調理もできるようシンクが設けられ、調理器や食器も用意されていた。
 各務の気が利かない分を、彼の元で働く人間が利かせているに違いない。
「好きな時間に作業してくれ。連絡は直接私に」
「ああ」
 各務が出て行った後、渡された資料にルーカは目を落とした。
 どれも極秘事項に値する、一般人が見ても理解できないだろう魔術シンボルや構築式が隙なく書き込まれている。
 所々手書きで注釈が入っていた。
 それは各務の文字だ。
 ――変則的な召喚方法は取っていないようだな。
 ざっと流し読んだだけでは、基本的な構築式をランクアップさせたものに見える。 
 ルーカは几帳面な文字を目で追いながら、一方ですでに組まれているプログラムを立ち上げる。
 いくつかに分かれたファイルが個別に呼び出され、それぞれ独自に展開、そして他のファイルに影響を与えながら更に発展していく。
 虚神を呼ぶための媒介がいないこの場では何も起こらないが、不確定存在の出現が観測された時、プログラムはそれをこの世界に確定し、従属させる。
 召喚された者を使役する時、新たに名前をつけて従わせるのと同様だ。
 召喚術に名前が大きな意味を持つのはこの場合も同じ。
 良くできている、とルーカは思った。
 一つ一つの構築式はルーカも知るものだが、トリガーになる式が仕込まれ、発動すればその組み合わせと効果が波紋状に展開する。
 ――これのどこに穴があるって言うんだかね。
 コンピュータのプログラムも問題なく動いている。
 ――いや、しいて言えば完全すぎるような……?
 描かれる魔術シンボルも幾何学的調和の取れた、美しい形をしている。
 椅子にもたれさせた背筋を後ろに伸ばし、ルーカは唸った。
 丹念にプログラムの動作と構築式を付き合わせる日が三週間ほど流れ、期限まで残り一週間を切った頃。
 バグといわれるものも無く、予定よりも早くチェックが済みそうに思えたのだが。
「……これ、どういうつもりで……こんな……っ!」
 ルーカの言葉は途中から怒りを滲ませる。
 何気なく構築式を逆からたどった時、ルーカは元の構築式へ戻らない事に気がついた。
 波紋状に展開される構築式だからそれは正しいのだが、構築式の意義自体が途中からすり替わっている。
 この方法で召喚を実行すれば、媒介になったジーンキャリアは虚神を受け入れ、別の存在へと変貌する。
 虚神そのものになってしまうのだ。
 虚ろな神の入れ物、それがティターニア計画におけるジーンキャリアの使われ方だった。
 ――あいつらにも心があるってのに、物みたいに扱いやがって!
「各務! 今から行くから身体明けとけ!!」
 一方的に電話でそう言って、各務の執務室にルーカは向かった。
「俺を試したな!?」
 ノックもせずに執務室に入るルーカに、各務は眼鏡の奥からにこりと笑いかける。
「予想通りに気が付いたな」
 二十日、といったのはこの事を刺していたらしい。
「……仕組んでやがったのか」
 机を挟んで向かい合っている、この距離さえルーカには憎かった。
「気が付かなければ、その先を任せる資格はないと思っていた。
これが、その先の構築式だ」
 各務が今度は若干薄めのファイルを手渡してきた。
 苛立ちを押さえてルーカはそれをめくる。
「……馬鹿げてる!」
 バン、とファイルを机に叩き付け、今度こそルーカは各務の胸倉を掴み上げた。
「リスクが大きすぎる!!
これだけの規模で虚神呼び出すのに、何体ジーンキャリア必要だと思ってる!?
制限かけないで実体化させりゃ、その場の物質いくら引き換えにするかわかって……!!」
 新しくもらったファイルには、大規模な召喚実験の概要と構築式の改良点が記されていた。
 ルーカの判断を待たずに、すでにプログラムはほぼ完成していた事になる。
 ルーカの憤りは試された事へではない。
 以前各務はジーンキャリアを一体失っている。
 あれが故意の事故で無かった事は、その後の各務の悲嘆に暮れた様子から明らかだった。
 あの時悲しんだ記憶があるくせに、どうしてまた心ある存在を自らの手で消そうとするのか。
 それが理解できない悲しさからだ。
 喉元を圧迫される苦しみに各務は顔を歪めたが、態度はあくまで冷静だ。
「わかっているから、この方法を選んだ。
現時点で最も有効な方法、理論。
それに最適な人材。
新しい世界が見たいと思わないか?」
 目をそらさずに、各務は言葉を続ける。
「虚神をこの世界に呼べれば、世界は姿を変える。
変わる世界、変わる人間の輪郭……外見だけでなく精神から変化する。
それをまだ人間と呼ぶかは、今議論すべき事ではないが」
 狂気への嫌悪感でルーカは各務のシャツから手を離した。
 禁忌の領域までこの男は手を伸ばそうとしている。
「君はそれを目撃するに値する、と私は思う」
 各務はずれたネクタイを直し、再びルーカに話しかけた。
「最終的に我々に協力するか、その判断は任せる。
まだ第四世代のマスプロが用意できていない今、答えを急ぐ必要もない」
 治まらない動悸を抱えたルーカが聞き返した。
「マスプロ?」
 大量生産を示す言葉だ。
 ルーカは怪訝そうに聞き返した。
「赤い目の、不定形のジーンキャリアを見せたろう?
あれに意志はない。
絶えず他者の干渉を受け、自己を観測・確定できないので一つの姿に留まれない。
生きた虚神の入れ物だ」
 ――防護服の職員が観察していた、あの赤い三つ目のが……。
 ジーンキャリアの第四世代は、全身を覆うパワードプロテクターの魔力や腹部に施した刻印で姿をこの三次元に固定していると聞いた。
 彼らは元々人間だったが、第四世代のマスプロはどう呼び、扱えばいいのか。
「あのフロアは今日で閉鎖する。
君に対する試験も兼ねていたとは言え、長期の拘束に対する支払いは別途行う。
……協力への返答は後で良い」
 このまま苛立ちを募らせれば、今度は各務を殴ってしまうだろう。
 ルーカは無言で踵を返した。
 が、扉の前で立ち止まり、ルーカは振り返った。 
「各務」
 執務室に入った時と同じ、精神の小波すら見せない顔を各務はルーカに向ける。
 穏やかな表情の下に、狂気を潜ませている男。
「この計画で……例えばまた、手をかけて育てた者を失くしても構わないのか?」
 かつての経験から、理論と情をつりあわせる方法を各務は学んだのだろうか。
 すぐにルーカが何の事を指して言ったのか思い当り、各務は口元を吊り上げて笑った。
「今度は失くさない。
二度同じ事を繰り返すのは、愚かな事だ」
「そうか」
 現在の各務は――過去、親しい者を失った悲しみに崩れた各務に連なる存在なのだと、ルーカはわずかに安堵する。
 しかしティターニア計画が危険なものである事は変わらない。
 ――答えを出すのはもう少し、今の各務を見てからにするか……。
 各務が何かに仕えているとしたら、その神の名は『論理』だとルーカは思った。
 狂気のロジック。
 

(終)