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<ホワイトデー・恋人達の物語2006>


世界はそれほど怖くは無いから

□Opening
【ホワイトデーのプレゼントに花束はいかがですか?】
 店内のポップを見て、木曽原シュウは溜息をついた。もうすぐホワイトデー。花屋『Flower shop K』では、ホワイトデー戦線に向け、花束のお返しを前面に打ち出していた。
 ……。
 のだが。
『いやよぅ、嫌、嫌』
 主力商品である薔薇の花が、頑なにそのツボミを閉ざしているのだ。
 木曽原に、花の声がかすかに届く。
『だって、怖いもん、大声で売られて暗い箱に詰められて』
『そうよぅ、怖い』
『きっと、もっと怖い事も有るんだもん』
 それは、市場でのセリの事だ。この時期の薔薇は、どの花屋も欲しい。売る方だって必死だ。多少の怒号は飛び交うし、落札したら即箱に詰めて輸送だ。
 しかし、その様子に、薔薇達は驚きすくみ上がってしまった模様。結果、全く咲く気配が無い。これでは、売り物にならないのだ。
――そんな事は無い。
――この薔薇達は、これから恋人達の幸せな時間に同席できるのだから。
 木曽原は思う。
 けれども、それを上手く言葉には出来なかった。彼は、人より少しばかり口下手だ。
 しかし、もうすぐ、花束を求めて客も来店するだろう。
 どうにかして、この花達に、世界はそんなに怖くは無いと伝えなければ……。

□01
 門屋・将太郎は、いつか来た事の有る花屋へ今まさに足を踏み入れたところだった。小さな店内の壁側には、可愛くリボンの掛けられた鉢植えが並べられている。入り口近くに設置された透明なガラスケース……、いや、大きな冷蔵庫か、の中には、色とりどりの生花が展示されていた。
 将太郎の目的はその展示されている生花だった。
 早速とばかりに、店員らしき人物に声をかける。
「あのー、花束を買いにきたんだけど」
 その店員は、店奥のカウンター近くにどんと立ち尽くしているようだった。じっと下を向いているので、その表情までは読み取れない。
「俺、花束なんて見舞い用しか買ったことないから、プレゼント用の花をコーディネイトしてくれないか?」
 自分の話を聞いているのか? 
 疑問に思い、生花から目を離してカウンターに歩み寄る。
 そうして、将太郎の足音に、ようやく客の存在に気がついた――そんなそぶりで、店員はゆっくりと顔を将太郎へ向けた。
 その表情は、どこか、迷いとも取れる、いや……、
「どうした、困った顔し……」
 そう。
 その図体のでかい店員の表情は、困惑したものだったのだ。
『やだぁ』
『怖いよぉ……』
 どうしたのかと問おうとした、まさにその時。
 将太郎の耳に、声ならぬ声が届いたのだった。

□02
『怖い』
『うん……怖いよ』
 見ると、男性店員のその足元に、薔薇の束が飾られていた。いや、飾られていると言うには、少々語弊が有るか。水の入ったバケツに、無造作に入れられているというほうが正しい。
『嫌よ、嫌』
『そうね、だって、きっと、怖い』
 耳をすます。
 やはり間違い無い。
 どうやら、その薔薇達は、何かに怯えているようだった。
「あのよぉ、その薔薇」
 改めて、店員を見る。その薔薇、と言った所で、店員がぴくりと反応を返した。
「いや……、この薔薇達はまだつぼみばかりで……、売り物には……」
 店員の困惑の表情は、やはりその薔薇達のようだった。しどろもどろになりながら、店員は首を横に振る。
「何だか、怯えてるみたいだな?」
 もう一度、薔薇の声を確認する。
 小さく、震えるような声で、やはり『怖い』と聞こえた。
「ああ、仕入れの時にちょっと有って、な、咲かないんだ……」
 咲かない薔薇は売れない。そんな風に、もう一度店員は首を横に振った。
「なるほど、そう言う事か」
 将太郎は少し考えた後、はっきりと店員にこう言った。
「そこの薔薇達と話をしてもいいか? 俺にはこの薔薇達の声が聞こえる」
 店員――木曽原シュウは、少々驚いた。
 のだが、
 自分ではどうしようもない事は分かっていたので、頷き、薔薇達をゆっくりと将太郎の目の前に移動させた。

□03
 将太郎は、目の前の薔薇達に目線を合わせる様にしゃがみ込む。
 そして、できるだけやわらかな声で、薔薇達に話しかけた。
「お前達、何を怖がっているんだ? 俺に聞かせてくれ」
 硬くつぼみを閉ざし震えていた薔薇達は、その問いかけにしばし沈黙。
『あのね、……、怖かったの』
 そして、意を決したように、一本の薔薇が語り始めた。
『凄くね、大声で売られたの、大きな市場……、それに、詰められた箱は暗くて』
 先ほど、店員は、仕入れの時にと言った。
 つまり、この店に並ぶ前、卸売りの場で、薔薇達はそんな体験をしたのだろう。
「ふぅん……お前達、ここに来る時、相当怖い思いをしたんだな」
 それで、薔薇達は恐怖を感じている。将太郎は、納得したように頷き、そして、にっと笑顔を見せた。
「大丈夫、それはここに来るまでの話だ」
『そうだよぉ、ここに来るまで、凄く怖くて……』
 将太郎の笑顔にも、薔薇達の言葉は細く小さかった。
 怖いと言う思いだけ、ずっとぐるぐる回っている感じだ。将太郎はその様子に、臆する事無く、当然と言う風にこう言う。
「今は違う」
『え?』
 薔薇は、何を言われたのか良く分からなかった。
 ずっと、怖かった。そして、きっとこれからもずっと同じだと、そう思ったからこそつぼみを硬く閉じたのだ。
「今は違う、お前達は恋人同士の縁をより深めるためのキューピッドなんだ」
 もう一度、違うと言う言葉を重ね、将太郎は軽く片手を上げた。
『今は……違う……』
 薔薇は、将太郎の言葉をゆっくりと復唱してみる。
 怖いと言う感情と、何か違うモノ。
 違う――。
『キューピッド?』
 違う薔薇も、いつしか将太郎の言葉に引き込まれていた。薔薇達は、一つまた一つと黙り込む。それは、今まで聞こえていた、『怖い』と言う囁きが小さく無くなって行くと言う事だった。
「そう、恋人達の幸せの時間に同席できるんだぜ? それは、何よりの幸福だと思う」
 ざわざわざわ、と。
 薔薇達が、また騒ぎ始めた。
 幸せ……、幸福……。
 薔薇達は、それまで恐怖だけだった。
 だから、そんな言葉、自分達では思い浮かばない。戸惑い、そして、将太郎の次の言葉を待った。
 将太郎は、そんな薔薇の様子を感じ取り、こう締めくくった。
「そういうことができるお前達ってすごいよ、だから……もう怖がるな」
『凄い?』
 小さな薔薇の、控えめな質問に、将太郎はしっかりと頷く。
『怖がらなくて……良いの?』
 別の薔薇も、静かに質問する。
 将太郎は、それにも優しく首を縦に振る。
 ざわざわざわ、と。
 薔薇達は、また少し騒ぎ始める。
 しかし、将太郎は感じていた。頑なな恐怖の感情が、和らいだ事を。

□Ending
「店員さん、薔薇を一輪もらうよ」
 将太郎と薔薇達の様子を静かに見ていた店員――木曽原は、その言葉にはっとした。
 自分だけでは、あんなに驚きすくみ上がっていた薔薇を、こうも心静かにはできなかっただろう。
 感謝の意味を込め、木曽原は静かに頷いた。
「……、しかし、まだきちんと花開いたわけでは……」
 のだが、やはりすぐに満開と言うわけにはいかない。
 薔薇は、まばらに、つぼみを少しだけ開いた程度だった。
 それが、今後どうなるのか、木曽原にはわからなかった。だから、少々、この薔薇を渡すのに躊躇したのだ。
「ああ、この薔薇に外の世界を見せてあげたいんでな」
 その木曽原の迷いを感じながら、将太郎は静かにほほ笑んだ。
『外の世界……』
 また、薔薇が少しだけ花びらを広げた。
 そう、だから、世界はそんなに怖い事だけでは無い。それを感じられるのは、きっとこの店を出てからだ。
 将太郎の力強い思いを感じたのか、木曽原は薔薇を一輪ラッピングした。
 その薔薇は、最初に将太郎に事情の説明をはじめたものだった。
 どうか、この薔薇が、恐怖以外の幸せな気持ちを感じられますように。
 木曽原は、そんな願いを込めて、将太郎にその薔薇を手渡す。
 将太郎は、しっかりと木曽原の思いを受け取り、大切に薔薇を手にした。
「じゃ、行くか」
 そして、薔薇を一輪伴い、店を後にした。
<End>

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】

【 1522 / 門屋・将太郎 / 男 / 28 / 臨床心理士 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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□門屋・将太郎様
 こんにちは、お久しぶりです。ライターのかぎです。この度は、ノベルへのご参加、ありがとうございました。
 流石は、心の専門家と言いましょうか、薔薇達の不安な心は静かに解消されました。
 お渡しした薔薇に、楽しい世界を見せてやって下さい。
 それでは、また機会がございましたらよろしくお願いします。