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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


天下裏五剣 斬之参“鬼真柄三本杉”

◆鬼真柄三本杉◆

現代を遡ること四百年余。時は戦国、世は乱世。
数多の英傑が天下に覇を唱え、戦のなかに散っていった。
そんな乱世の世にあって『鬼』と呼ばれし武門の一族が在った。

其の名は真柄一族。
身の丈を遥かに超える大太刀を自在に操り、
数多の敵を屠り去った屈強の武士。

天下裏五剣のひとつにして真柄家重代の宝刀。
刃長六尺五寸、柄長五尺三寸。地肌は柾目、刃紋は三本杉。
鬼の爪牙を以って鍛えられたと伝う大太刀。
其の銘を鬼真柄三本杉と云う。

†††

蓮の許へその報せが届いたのは、何者かに鬼真柄が奪われてより一週間後の事だった。
「で、一体どこで見たんだい?」
『実際に私が見たってワケじゃないのだけれど……』
電話口の相手は、蓮の数ある怪しいコネクションのうちのひとつ。
大きな声では言えないが警察関係者……と言うやつである。
『蓮さんが探してるっていう……その、なんでしたっけ?』
「……鬼真柄」
『そう、それです。その鬼真柄によく似た巨大な刀剣を持った怪しい人影を見たって言う噂があるんです』
確かに、あれだけ巨大な物を人目に付くような場所で持ち歩けば、人の口端に上らない訳がない。だが、
「噂? 実際に何か被害が出てる訳じゃないのかい」
『ええ、いまのところ実害はありません。私達が手出し出来るような『物理的な』被害は……ですが』
電話口から伝わる息を飲む気配。
「……と、言うと?」
『その……怪しい人影を見たって言う人達が原因不明の昏睡状態に……』
いったい誰が、何の目的で鬼真柄を盗み出したのかは判らない。
だが、何かが起こっていることだけは間違い無さそうだ。
「行ってみるしか……ないか」
受話器を下ろし、溜息ととも呟く。
鬼真柄が目撃され、謎の昏睡事件が起きているというその場所……
日本史上最大の野戦が行われた血原血河。滋賀県、姉川。


◆黒い壁◆

―― a.m. 00:17. ――
日本史上最大の野戦が行われたと伝えられる古戦場。滋賀、姉川。
時計の針は既に頂点を行き過ぎたこの夜更けに、こんな場所を訪う物好きな輩などいる訳もない……かと、思えばさにあらず。
車の通りも疎らな夜の道路。その路肩に関東方面のナンバーが記された一台のRVが停まっていた。
「……これは、いったい何なんでしょうか」
「さぁな。それが判れば苦労はせん。判らないからこそ、俺たちはこうして木偶のようにボーッと突っ立ってる訳だからな」
凛とした視線を真っ黒な夜の闇へと向けた学生服の青年が漏らしたそんな言葉に、小麦色のがっしりとした体躯と銀色の髪が印象的な長身の男が、乱暴……と言うよりも些かなげやりな、そんな口調で事も無げにそう答える。
「確かに、“何であるか”は不明だが……これが俺たちの目的と何らかの関わりがあると言うのは確かだろうな」
「そうですね。鬼真柄の消息を追って辿り着いた因縁深いこの土地で……偶然と言うには余りに出来すぎている」
そんな二人のやり取りに横合いから加えられる第三、第四の声。
先の二人とはまた異なった雰囲気をその身に纏う声の主は、ともに年の頃は20台半ば、日本人としては珍しい赤い瞳が視線を惹くどちらかと言えば痩身の男と、黒髪黒瞳という典型的な日本人の容姿を持ちながらも、どこか常人とは異なる雰囲気を発する男。
そんな、外見的に言えばてんでばらばらの四人の男達。だが、彼らはとある人物の頼みを受けてこの地へとやってきた、共通の目的を持つ“仲間”とでも言うべき間柄だった。
「まぁ、暫くすれば“中”の様子を探りに行かせた灰司も戻ってくる。これからどう動くかは……それからでも遅くはないだろう」
銀髪の男、ディオシス・レストナードはそう言うと、路肩に停めてあったRVへとその身を預け、そのエメラルドを思わせる青緑の瞳を“それ”に向ける。それに倣うように他の三人もまた無言のままで視線を投げる。
四人の男たちの視線の先にあるもの。学生服の青年、櫻・紫桜(さくら・しおう)が何であろうかと問わずにはいられなかったもの。
夜の闇が最も深くなるであろうこの時にあってなお、圧倒的な存在感を持つ“黒い壁”。黄泉比良平坂にあると云う常世と現世とを隔てる大岩の如く、それは然としてそこに立っていた。
「しかし、本当に何なんでしょうね、この“黒い壁”は。触れたところで害はなく、さりとて“向こう側”への進行を妨げている訳でもない」
黒髪黒瞳の男、加藤・忍(かとう・しのぶ)が眼前に聳える“黒い壁”へと歩み寄り、無造作にその手を壁へと差し入れる。
だが忍が言う様に、差し出されたその手は別に何かに弾かれる訳でも遮られるでもなく、ごく自然な有様で壁の中へと進入を果たす。
強いて言うなら“壁の内側”へと入った瞬間に、ほんの僅かに違和感を感じたという程度。しかしそれは、優れた第六感を持つ忍や何がしかの霊的な能力を持つものであっても、ともすれば見落としてしまう様なそんな僅かな違和感だ。
少なくとも、そこに生あるものに対して直接作用するような強力な何かがあるようには到底思えなかった。
「……む、戻ってきたようだな」
そうやってどれくらいの時が過ぎた頃だろうか。天高くそびえるその壁を見上げる様にして眺めていた赤瞳の男、上霧・心(かみぎり・しん)が、そこから飛び出してきた青い影を眼に留めて小さくそう呟いた。
その“黒い壁”の空中部分から飛び出してきたその影は、ふわりふわりと宙を舞うように漂いながらも確実に四人の下へと向かって来る。そして、
「只今戻りました、我が主」
RVにその身を預けるディオシスの元へと舞い降りると、そう言ってその影、壬生・灰司は、まるで臣下が主にするかの如く地に膝を着いて恭しく頭を垂れた。
「ご苦労だったな。で、首尾は」
対するディオシスもまた、それが当然の事であるかの様な堂々とした振る舞いでそれに応じる。
「結論から言うと、我々の求める“鬼真柄”はこの“中”にあります。俺たちのような“魔剣”だけが発し感じ取れる独特の“におい”の様なものが感じられた。おそらく間違いない」
ディオシスにそう訊ねられた灰司は、膝をつき頭を垂れた姿勢を解くと、己の報告を待ち侘びていた四人に向かって、自分がこの“黒い壁”の中で何を視て、何を聴いて、何を感じたのか、それを静かに語り始めた。


◆黒の結界◆

―― a.m. 0:32 ――
「まず、この“黒い壁”が覆っている範囲だけど……パッと見でも判る通り相当なモンだ。事前に調べたこの地方の地図……っと言うか、古戦場“姉川”の地図に照らすと、そのほぼ全域を覆っている形になる」
背後に聳える“黒い壁”を指差しながら灰司はそう切り出した。
「……覆っている? と、言うコトは……コイツはバカほどデカイ“結界”ってことか」
「その通りです、我が主。俺が空から見た感じだと……ココ。姉川古戦場を流れる河原の、この辺りを中心にしてドーム状の“壁”に覆われていることになる」
灰司はRVのボンネットの上に懐から取り出した地図を広げ、その上を指で大きく円を書くようになぞり“結界”の範囲を指し示す。確かにそれは姉川古戦場をすっぽりと覆う巨大なものだった。
「なるほど。“結界”の規模はおおよそ理解できました。となると、次に気になるのはその意味や効果ですが……」
「この“結界”の意味とか効果とかは、正直に言ってこの“結界”を張った本人にしか判らない。けど、結界の外縁部から中心に向かうと……うん、この辺りからだな。“鬼真柄”のものと思しき“吸精”の効果が現れ始める」
「……思った以上に広いな」
忍の問いを受けて報告を続ける灰司の言葉に心の呟きが重なる。
「ああ、でもこの辺りは気をしっかりと持っていれば活動に支障はないレベルだ。問題なのはこのあたり……“結界”の中心であると同時に“吸精”の中心でもある地点から半径約30メートル。ここから先は何の準備ナシじゃあ俺だって入り込めない。おそらく、これが“鬼真柄”本来の“吸精”の効果範囲なんだろう。東京を発つ前に蓮から聞いた“鬼真柄”のデータとも合致する」
「……って事は、この“結界”は」
姉川古戦場を覆う“結界”の範囲。その内に広がる“吸精”の範囲。そして、更にその奥に存在する灰司ですら容易に立ち入ることの出来ない区画。
地図上に示されたそれらの情報に見入っていた紫桜が不意に声を上げる。そして、それに頷く灰司。
「たぶん紫桜の思っている通り。この“結界”の役割のひとつは“鬼真柄”による“吸精”の強化と拡大に間違いない。加えて“結界の中にあるモノ”が外部に出ないようにする、そんな効果もあるみたいだ」
この“結界”の内側に於ける“吸精”の強さの度合いを記した地図上の線が、そこに何者かの意図が介在しているとしか思えない綺麗な波紋を描いていることからも、それは明白だった。
「ちょっと待て。“吸精”の範囲が強化・拡大されている……だと? それじゃあ、この“結界”内側にいる一般人はどうなっている。無事、なのか!?」
蓮から伝え聞いた情報に拠れば、この地方の住民が次々に謎の昏睡状態に陥っているらしい。もしそれがこの“結界”と“鬼真柄”によるものだとしたら、そして今なお住民がそれに晒され続けているとしたら……。
「……残念だけど、俺が見た限りこの“壁”の向こう側に“生きてる人間”は一人もいなかった。あんなキツイ“吸精”に晒され続けたら、普通の人間は……」
僅かに息を荒げそう訪ねる心の問いに、灰司は最後まで答えるどころか目を合わせることすら出来ない。だが、そんな灰司の態度こそが何よりも心の問いへの明確な答えだった。
「……ッッ」
また罪のない人が死んだ。天下裏五剣に関わる事件の中で、これまでいったい何人の無辜の人々が命を落としたことだろう……。
そのことを思うと唇端を噛まずにはいられなかった。

「おし。このクソったれな“結界”がどんなもので何に注意すべきかは大体判ったな。俺達が目指すブツは……おそらくココ。“結界”の中心にあると見て間違いねぇ。問題は目的地に至るまでの障害と、誰がここに行くか……だが」
一通り灰司からの報告を聞き終えたディオシスが、胸の前で拳と掌とを打ち鳴らしながらそう呟く。その声音からは常日頃の彼からは感じることの出来ない、熾火の様な静かな“怒り”が感じられる。
「さっきも言ったけど、“結界”の内側には相当数の怨霊とか、亡者とか、そういった類のバケモノども、魑魅魍魎が巣食っていた。おそらくは結界主が放ったものだろう」
「と、なると……全員で目的地の結界中心部まで一点突破……か?」
灰司の言葉に心が応じる。たしかに少数で多数を相手にする場合の戦術としては悪くない。だが、
「いや、この“黒い壁”の内側はまさしく敵地。全員が固まって行動すれば敵の術中に陥った際に全滅してしまう恐れもあります。ここはひとつ……」
各々が別の地点から突入し、それぞれに“結界”の中心を目指す。一人或いは二人であれば敵の目から逃れ進むも容易となる。
「そうですね。俺もその方が良いと思います。相手の真意が見えない以上、迂闊に戦力を集中するのは避けるべき、だと思います。それに、それぞれが役割を分担して事に当たれば見えないものも見えてくる」
慎重に、そして確実に。盗賊の心得を説く忍の意見に紫桜が応じる。
「なるほど……ココはひとつ、潜入のスペシャリストでもある忍の意見に従うとするか」
いつのまにか、皆のまとめ役の様な感じになっていたディオシスのその呟きに、他の四人も頷きを返す。皆無言ではあったが、その瞳に宿る色にはそれぞれの強い意志の光が見て取れる。
「よし……それじゃあ、行くぜ。お前ら、絶対に死ぬんじゃねぇぞ」
これ以上誰も死なせたくない。誰も、死なせない。ディオシスの放つ出陣の言葉に込められた思い。
その言葉に再び頷きだけを以って返し、五人はそれぞれ役目とそれぞれの戦いを果たす為、夜の闇へと消えていった。


◆白い影◆

―― a.m. 1:04 ――
オオオオォォォォォ……。
「……ハァッ!」
紫桜が振り抜いた右手に握られた魔刀の一閃が、この世ならざる怨嗟を上げて襲い来る亡者の群れを薙ぎ払う。
半実体・半霊体の彼らの身体はまるで枯れ果てた古木の枝のように弱く脆い。
紫桜の一刀にその身を晒した彼らの悉くは、まるで風に吹き散らされる薪のように四散して、そのあるべき姿、すなわち塵へと還ってゆく。
「……いくら亡者だって言っても、あんまり気分の良いものじゃないな」
夜闇の中を駆ける脚の動きは留めずに、走りながらも紫桜は吐き捨てるようにそう呟く。
皆と別れ、姉川を覆う“結界”の西側の平野部からその中へと突入した紫桜は、一寸注意を怠れば転げそうになる足場の悪い田圃に面した農道を、灰司が指し示した“結界”の中心に向かって直走っていた。
幸いにして紫桜の選んだルートには、その悪い足場意外に障害と言うほどの障害もなく、“結界”の内側を徘徊する怨霊や亡者どもの数もそれほど多くはなかった。
『それにしても、いったい誰が、何の目的でこんなことをしているんだ……』
何の縁か、これまでにも天下裏五剣を巡る事件の幾つかに関わってきた紫桜だったが、事件のたびにその思いは強くなってゆく。いったい“誰が”、そして“何の目的で”これらの事件を起こしているのか……それが判らない。
『今回の事件にも“あの人”が関わっているんだろうか……』
東京で起きた事件の時に対峙した男の顔が脳裏を過ぎる。
相模・影正(さがみ・かげまさ)と名乗った圧倒的な剣の腕を持った一人の男の顔。訊けば鬼無里で起きた事件の時も彼の姿があったという。そう言えば、“結界”に覆われた土地で起きた怪異という点では今回の事件と鬼無里の事件では何かと共通する点が多い。
「わからないことが……多すぎる」
考えれば考えるほど思考の迷路は深まってゆく。自分たちが一連の事件の真実には露ほども至っていないことを改めて思い知らされる。
『せめて、事件の関係者から直接話を訊ければいいんだけど……』
相模影正。鬼無里の事件の犯人。“鬼真柄”を奪った何者か。そして、
『謎の、白い法衣の人物……』
今回は出発直前になって舞い込んだ別の事件の調査のため東京に残った蓮が、事件について調べた中でその姿を見せた謎の人物。
「そいつと接触できれば、或いは……」
事件の真実に近づけるかもしれない。何故かは判らなかったが、紫桜はその話を聞いた時からずっと、そんな確信めいたものを感じていた。
ガアアアアァァァァァ……ッ!
目的地に向かって走れば走るほど、近づけば近づくほど、怨霊や亡者どもはその数を増す。
戦国の鎧具足を纏う落ち武者然とした亡者。飢えに苦しみ死んだのか、下腹がまるで餓鬼のように膨れ目だけを獣のように爛々と輝かせた怨霊。その様相は実に様々で中には目を覆いたくなるような悲惨な姿をしたものもいた。
「くそッ……」
当然、休むヒマなく襲い掛かってくる亡者や怨霊を振り払うことに専心せねばならない紫桜は、だんだんと事件のことに思考を巡らせる余裕がなくなってくる。
そんな、時だった。
―― 蕭。
『……なんだ!?』
銀鈴を鳴らしたかの様な凛とした音が、唐突に紫桜の耳へと届く。
―― 蕭。
二度目の鈴の音。それは決して錯覚などではない。
時を止めた世界に響くかのように悠然と、亡者どもの怨嗟を引き裂くかのように毅然と、確かすぎる存在感を以って、その音は“結界”よって閉ざされた世界の空気を震わせる。
『誰だ!? いったい何処から……』
己の置かれた状況すら忘れて紫桜はその鈴の音の源を探す。そうしなければならない。そんな胸の奥から突き上げるような焦燥感に駆られて。
そして、縦横無尽に視線を巡らせ、最後に辿り着いたその場所で、紫桜は見た。
『……えっ!?』
いままさに自身が駆けていた細い細い道の先。そこにぽっかりと口を開けた暗い暗い森の入り口。
ゆらりゆらりと身体を揺らしてそこに立つ白い法衣。その手の内に握られた艶やかな扇子のその先で、妖しく光り音響かせる銀の鈴。
追わなければ!
そんな思いが一瞬の内にして紫桜の思考を満たす。そして身体は忠実に主の脳を満たすその思考に従い身体を動かす。しかし、
「……待てッ!」
ようやく思考が言葉を紡ぐに至ったときには、既にその場所に白い影の姿はなく、ゆらりゆらりとまるで紫桜を誘うように暗い森の中へと消えてゆく。
罠かもしれない……と、紫桜は思った。だが、それを恐れて退けば事件の真実には届かない。追うべきか、それとも退くべきか……。
『ここで、事件の真意を確かめなければ』
一瞬の逡巡があった。だが、すぐに紫桜は決断し、手にした刀を構え直し暗い森の中へと向かって駆け出した。


◆鬼を追うもの、再び◆

―― a.m. 1:19 ――
紫桜が謎の白い影が響かせる鈴の音に誘われて暗い森の中へと足を踏み入れたのとほぼ同時刻。
「やはり、貴方もこの地に来ていたのですね……」
姉川の“結界”、その南側から中へと進入した加藤・忍は、天下裏五剣を巡る事件に携わる中で出会い、これまで二度、刃を合わせる機会を得た“あの男”と、
「……相模・影正さん」
これで都合三度目となる奇しき出会いを果たしていた。
「また、貴様か……」
相も変わらぬ淡々とした口調ではあったが、その静かな口調の中にはまるで旧友との再会を喜ぶ様な、そんなどこか安心したようなそんな穏やかな空気が感じられた。
「そういえば、まだ名前を訊いていなかったな」
「忍。加藤・忍です」
月の光すら届かぬような鬱蒼とした森の中で交わされる会話。
かつては命のやり取りすら繰り広げた仲だというのに、いや、だからこそと言うべきなのか、二人の間には言葉では言い表せない奇妙な絆があった。
「貴方は……影正さんがこの場所にいるという事は、やはり……」
「この地から鬼の“匂い”がする。俺はそれを追ってきた。奇妙な結界に覆われている所為で正確な場所こそ掴めんがな……」
鬼。忍の問いに応えて影正がそう口にした瞬間、殺気とも怒気ともつかぬ異様な空気が影正から噴出し、数秒前まで穏やかなものを感じさせていたはずの空気が一瞬にして凍りつく。
『……くッ、なんて凄まじい気!』
忍の右手が無意識に腰の差料に伸びる。それを全身の理性を総動員して押し留める。
「で、加藤殿はいったい何の様でこの地に?」
しかし、それも一瞬のこと。腰の差料へと向かった右手を下ろし再び視線を影正へと戻したときには、既にその異様な空気は霧消して果て全く感じられなくなっている。
「はい。天下裏五剣のひとつ……いえ、影正さんの“骨喰”ではなく別の、東京のとある神社から盗み出された“鬼真柄”と言う一振りの行方を追ってこの地に来ました」
「ほぅ、“鬼真柄”か、なるほど……そう言えば、この地は戦国に勇名を馳せた“真柄”一族因縁の地だったな……」
忍の言葉を聞き何やら一人得心した様子の影正。
そう言った瞬間に端正なその顔が僅かに歪んだように見えたのは……おそらく目の錯覚だ。忍はそう思うことにした。
「刀の行方に関して何か心当たりでも?」
「いや……そうだな、加藤殿になら話しても良いだろう」
そんな影正の様子に何か知っている事があるのかと問いを投げる忍に、影正は一瞬の逡巡をみせたが、すぐにそれを振り払いゆっくりと話しを始めた。
「加藤殿は、“真柄”一族が鬼の血を引く一族であったという話を知っておいでか?」
戦国にその名を馳せた大刀遣い“真柄”一族。忍たちが追う“鬼真柄”は、その銘からも分かる様にもとを正せば彼ら“真柄”一族の重代の大太刀であったと聞いている。
そして、その“鬼真柄”が鬼の爪牙を以って鍛えられたと言う話や、いま影正が口にした“真柄”一族が鬼の血を引いていたという話もまた東京を発つ時に諸々の情報と共に依頼主である碧摩・蓮から伝え聞いていた。
忍は静かにゆっくりと頷いて、影正に話の続きを促す。
「なるほど、ここまでは知っているか……ならば、その“真柄”一族で最も鬼の血を濃く顕現させた男が命を落としたのが、この姉川であると言ったら……」
そこまで聞いたところで忍の思考はひとつの可能性へと辿り着く。
「ま、まさか……“鬼真柄”を奪った人物の目的は……」
かつて、忍が携わったひとつの事件。鬼女の御霊が眠る鬼無里の地で起きたあの事件。其処に貼られた大規模な“結界”と、そこで出会った四匹の式鬼。そして、それを操っていた謎の人物。
もし今回の事件が、あの事件と同種の目的を持つものだとしたらどうだろう。
強大な力を持つ御霊が眠る地に持ち込まれた、御霊の拠り代と成るに十分な因を秘めた武具。“何か”を目的として張られた大規模な“結界”。そして、“術”の行使に必要な膨大な量の精気を集める力を持った“鬼真柄”。
すべての準備は既に整っていると言えた。
「おそらく間違いない。加藤殿たちが追う“鬼真柄”を奪った者の目的はおそらく……」
それは今日まで伝わる数々の道術や法術、魔術の秘蹟などの中でも、最大の禁忌とされる外法中の外法。
「……反魂」
掠れた声でそう呟く忍の言葉を、影正はゆっくりと首を縦に振って応えた。


◆黄泉より還りて◆

―― a.m. 1:56 ――
「なぁ、灰司よ……もし、俺の言ってることが間違ってたら遠慮せずに言ってくれ……」
眼前で繰り広げられるこの世のものとは思えぬ光景に、ディオシスは手にした蛇腹剣に向かって語り掛ける。
「コレは、夢なんかじゃねぇ。間違いなく、現実……だな」
『残念ですが現実です、我が主。これは夢でもなければ幻術の類でもない』
ディオシスの問い掛けに、手にした剱、壬生・灰司の真なる姿でもある魔剣が応える。
「……反吐が出る」
灰司の言葉を諦念を以って迎えたディオシスは、再び目の前の光景を瞳に収め、吐き捨てるようにそう呟いた。実際にこの光景を引き起こした人物が目の前にいたのなら、その顔面目掛けて唾を吐きかけているかもしれない。
あのあと、皆と別れたディオシスは、灰司の報告で最も亡者や怨霊が多く徘徊していたとされる“結界”の東側から剱の形態へと戻した灰司を携え突入した。
灰司の事前に調査したとおり、そこは見渡す限りの魑魅魍魎。舗装された道路に面した建物群から這い出し、生ある者への怨嗟を叫びながら群がる亡者に纏わりつく怨霊。
昂ぶる心と身体のままに、それらを片っ端から蹴散らして、そして辿り着いたその場所でディオシスと灰司を待っていたもの。それは……
―― たすけて、たすけて、たすけて!
男が、女が。
―― いたい、いたい、いたいよぉ……
大人が、子供が、老人が。
―― だれか、だれかぁ! だれでもいい、たすけてくれッ!!
父親が、母親が、兄が、姉が、弟が、妹が、祖父母が、言葉も喋れぬ赤ん坊が。
―― ああああああ、いたい、いたい、いたい、いたいいたいいたいいたいッッッ!!!
切り刻まれ、擦り潰され、圧し潰され、引き千切られ、噛み砕かれ、そして……喰われる。
それは、おそらくついこの間まで生きていたこの街の住人。“鬼真柄”の“吸精”に晒されて命を落とした無辜の人々。
そんな人々の魂が、この“結界”に囚われたその魂が、そこで力の総てを取り戻し、現世へと黄泉還らんとしている一匹の“鬼”への供物とされていた。

「カッ、カカカッ、クカカカカカァッ!」
総身で十尺をゆうに超える“鬼真柄”をまるで並の太刀の如く片手に持ち、ボロボロの鎧具足を身に着けて、巨大な“鬼”が楽しげに哄笑う。
その姿からは、四百年の昔にその勇名を天下に轟かせた希代の一族“真柄”の面影は欠片も感じられない。ただ人を喰らい貪ることにのみ悦びを見出す穢れた化け物へと成り下がっていた。
「……醜いな。アレが、鬼か」
『まこと、道具たる物は遣い手により運命を決められるもの……同じ剱として“鬼真柄”、貴様が醜悪な鬼に遣われること……』
ディオシスが呟き、灰司がその身を震わせる。
同じ“武器”として世に生を受けた“鬼真柄”が、同属の剱が、いまあのような境遇にあることが灰司には不憫でならなかった。
「グッ、カ、ハァァァァァッ……」
幼子の魂を嬲りながら喰らっていた“鬼”が、己の聖域に現れた侵入者の存在に、ディオシスと灰司の存在にようやく気付く。
未だ完全に現界叶わぬ半実体・半霊体の身体をガクガクと揺さぶり、まるで新しい玩具を手に入れた事を悦ぶ子供のように目を爛々と輝かせる。しかし、それは新しい玩具を“壊せる”ことに悦びを見出す人外の喜悦。
そして、右手に持った“鬼真柄”をグルグルと振り回し、その鋒をディオシスと灰司へと向ける。
「おもしれぇ……あのバケモノ、俺たちとやり合う気だ」
『相手にとって不足はない。“道具”の“心”を解さぬ化物風情が、我と我が主の絆、断ち切れると思うなら、やってみせよッ!』
対するディオシスと灰司もまた、その意と鋒を鬼へと向けて構えを取る。
ディオシスは猛っていた。彼が愛する人間の、その魂を貪る醜悪な存在に。
灰司もまた猛っていた。この世すべての“道具”の代弁者として。
「ギシャァァァァァァッ!!!」
『オオオオオォォォォッ!!!』
叫ぶ“鬼”。雄叫びを重ねるディオシスと灰司。
それを合図とするかのように、三者の戦いの幕は切って落とされた。


◆真柄切・青木兼元◆

―― a.m. 2:00 ――
刻は正しく丑三つ刻。
草木すらも眠りに落ち、生あるものすべてが眠りの中で朝を待つ。夜の闇が最も濃くなるこの時間に動くもの、それは生の亡きものと魔に属するもの。
「まったく、とんでもないな……ここで、狙ったように丑三つ刻か……」
ディオシスと灰司、そして“鬼真柄”を携えた“鬼”が激闘を繰り広げる“結界”の中心部から距離にしておよそ30メートル。即ち“鬼真柄”の“吸精”領域そのギリギリ外側。
姉川に掛かるとうの昔にその役目を終えた古い木造の橋の上に、上霧・心の姿があった。
「真逆……とは思っていたが、やはり“敵”の狙いは“真柄”を現世に黄泉還らせることだった訳だ」
姉川、真柄、白い法衣の影、骸から出た人形、影正の追う鬼。旅立ちを前に、巡る思考に自分なりの結論を出していた心だったが、
「やれやれ。どうしてこう厭な予感ばかりが当たるのか……」
こうなってくると、事件の背後に“何者か”の意思を感じざるを得ないというものだ。
心はそうして様々なことに考えを巡らせながらも、朽ちかけた欄干の上に片足を乗せると、件の鬼とディオシスたちとが戦いへとその“眼”を向ける。
竜の血を引く者のみに許された人の域を超えた身体能力と七百年余の時を生きる魔剣とが繰り出すその業はまさに天震地鳴の激しさだ。だが、
「このままじゃあ……勝てない、な」
その激しさを眼にしてなお心はそう呟きを漏らす。
剣術こそ我流のものだったが、それでもディオシスの持つスピードとパワー、そして様々な能力を持ってすれば、如何に強大な敵であってもそう簡単には負けはしない。
そう、決して“敗れ”はしない。ただ、“勝てない”のだ。
ディオシスの放つ斬撃が、焔が、剣気の刃が、そして重力結界が。幾度となく“鬼”の躯を捉え、攻め刻み、焼き尽くし、圧し潰す。
だが、攻撃が過ぎ去った次の瞬間には“鬼”はまるで何事もなかったかのように“再生”し、その爪牙と“鬼真柄”をディオシスへと向けるのだ。
『この“黒い結界”と“鬼真柄”が吸い集める大量の精気のせいで、どんな致命傷を負わせてもたちどころに“再生”される。この“結界”の中にいる限り、俺達に勝ち目は……ない』
ディオシスの左手を鬼の爪が掠め浅く抉る。とっさに流れ出る血を薬として傷を塞ぐ。いかに灰司の力で敵の“吸精”を阻んでいるといっても、血も体力も有限でありいつかは尽きる。ディオシスの表情に焦りの色が浮かび始めていた。
『だが、“これ”を使えば……』
心はディオシスたちの様子を見るのを一時中断すると、手にした太刀袋からスルリと油紙に包まれた三本の刀を取り出す。
鞘もなく鍔もなく、柄すら合わせられていない。俗に“打ち下ろし”と称される状態の、刀鍛冶が打ち上げたそのままの刀。勿論、この三本の作刀者は上霧・心その人。
そして、東京を発つ前に打ち上げたこれら三本の刀は、三本が三本とも“ある刀”を模して造られたもの。
「贋作だが……それでも“真柄切”青木兼元。これならば……ヤツを、やれる」
それは、戦国の世にこの人ありと謳われた美濃の国に住まう希代の名工“孫六兼元”が鍛え上げ、ここ姉川に於いて“真柄”を討ち果たす際に用いられ“真柄切”の名を冠することとなった天下の名刀“青木兼元”。
心はそう言って、おもむろに刀を包む油紙を解き、刃に己の指を押し当て軽く引き血を呑ませ手に持つと、橋の欄干に足を掛けまるで地に膝を立てる様な姿勢で左手を前に突き出し右手を引き絞る。それは正しく弓を弾くが如く。
『わが身は弓。我が手にありし刀は矢。……貫かざれば死。中らざれば死。久しからずば死』
心が心の内で唱える言葉。それは現代の弓道に於ける射法八節とは掛け離れた、実践弓術の真意。貫は鎧すらも貫き通す威力、中は即ち命中力、久はその二つを持続する力をそれぞれ意味する。
そして、いつもは閉じたままの左目を、開く。そこにあるのは緋色の瞳を宿す右目とは全く異なる左の瞳。
黒は白、白は黒。視えざるもの、果てにあるもの、終には未来へ至る軌跡すら見通す魔眼“無色”。
“無色”が捉えたもの。それは遙か遠くで“鬼真柄”を手に吼える一匹の“鬼”。その末路。
「悪いが……その先はもう、“視えた”」
心が口を開くのとほぼ同時。
血を呑み、意を乗せ、力を孕んで引き絞られた一本の“矢”が、遂に心という名の“弓”のもとから放たれた。

†††

―― a.m. 2:10 ――
「グギャラォアアアアァァァァッ!!!」
この世のものとは思えぬ絶叫が、この世のものではない“鬼”の口から放たれる。
「……あれは!?」
ディオシスと“鬼”との戦場となっていた河原。戦況不利に陥っていたその闘争を文字通り切り裂くように飛来した一本の“刀”。それはまるで意思を持って喰らいつくかの様に“鬼”の右肩に深く深く突き刺さっていた。
『……心だ! あの刀からは心の“におい”がする』
突然の出来事にほんの一瞬停止した思考が灰司のその言葉で一気に奮い立つ。
いったいどんな魔法を使ったのか知らないが、これまでどんな方法を用いてもダメージを負わせることが叶わなかったあの“鬼”が、突き立った“刀”には手も足も出ないようだ。
「どうやら……あの“刀”で負わせた傷は、ヤツの力を持ってしても“再生”できねぇようだな……なら、やる事ァはひとつッ! いくぞ、灰司ィ!!」
『了解、我が主!(イエス、マイマスター!)』
闘争のダメージを気合で無理やり吹き飛ばし、苦しみ悶える“鬼”との間合いを一気に詰める。狙うはヤツの右肩に突き立ったままの心の“刀”。
「終わりだ、化物ッ!」
突き刺さった“刀”の柄の部分を空いた左の手で掴み取り、叫ぶと同時に一気に振り下ろす!
「ガァァァァァァッ!!」
再び上がる“鬼”の悲鳴。だが、こんなものでは終わらない。ディオシスは右手に握っていた灰司を宙へと投げ捨て、そのまま左手の“刀”を両手で握り、返す刀を再び“鬼”の右肩へ。
―― ブンッ!
振り抜いた刀が風を切る音と、“鬼”の右腕が宙を舞う音が重なり響く。悲鳴は既に苦悶へと姿を変え、汚らわしいその声が耳に届く事はない。
「確かに、天下裏五剣のひとつ“鬼真柄三本杉”、返してもらった」
そして宙を飛んだ“鬼”の右腕に握られていた“鬼真柄”を、いつの間にか人のカタチへと変化していた灰司が中空でしっかりと受け止める。同時に“鬼真柄”の“吸精”を封じる符を貼り……
「任務、完了……だな」
その様を遠く橋の上から眺めていた心が静かにそう呟いた。


◆鬼を繰るもの◆

―― a.m. 2:25 ――
魑魅魍魎の溢れた森を抜けたそのとき。目の前で広がっていたその光景に紫桜は驚愕する他なかった。
「ディオシスさん、それに灰司さん!」
「ん、おお紫桜じゃねぇか。一足、遅かったな」
そこに居たのは、気を失っているのかピクリとも動かない身の丈五メートルを超える化物と、そいつを前にして封印の符が貼られた“鬼真柄”を構えるディオシス、そしてその傍に控える灰司の姿。
「え、あ、いや……俺、コッチに向かう途中で例の“白い影”を見つけて、それでその後を追ってたんですけど……」
森を抜けると、そこは目的地でもある結界の中心地で、そこには既に事を済ませたと思しきディオシスと灰司の姿。
思わず駆け寄って声を掛けてしまったが、なんとなく気まずい。
「自分は役に立たなかった、なんて思うなよ。俺も、我が主も、そして紫桜も、やるべき事はやったんだ」
そう言ってクスリと笑う灰司にますますバツが悪くなる紫桜。
「おいおい、あんまり紫桜を苛めてやるなよ」
「そうですよ。今回の件、役に立ったかどうかと訊かれたら私だって似たようなものです」
ほどなくして合流した心と忍が、その様子を見て助け舟を出す。
どうやら誰一人として欠けることなく、この目的地である“結界”の中心部に辿り着けたようだ。
「おかしいなぁ……俺、確かにあの“白い影”のすぐ後ろを走ってた筈なんですけど……ディオシスさん、灰司さん。本当にだれも森から出てきませんでした?」
「ああ、誰かが出てくれば気配で判る。紫桜以外は誰一人こなかったはずだ。なぁ、灰司」
「ええ。いくら戦闘で疲労していたとしても、背後から近づく気配を俺や我が主が見逃す事はないさ」
しきりに首を傾げる紫桜に、真摯に応えるディオシスと灰司。二人の様子には一欠片として嘘をついている様子はない。そもそも嘘をつく理由がない。
そうして、五人はしばらくの間、分かれてから何があったのか等と言った報告を済ませながら、つかの間、事件が終わったことの安堵に身を委ねていた。

―― そうやって、どれくらいの時が過ぎた頃だろう。

「さて……と、お喋りはこのくらいにして、そろそろ後始末にかかりませんか? “コイツ”をこの後どうするかを含め、相談しなきゃいけない事は沢山ありそうですからね」
「……まったくだ。さすがに鬼の屍骸なんてモノを警察に預けるわけにはいかんからな」
そう言って、忍と心がピクリとも動かなくなった“鬼”の屍骸へと向き直ろうとした……その時だった。
―― 蕭。
「ん、何だこりゃ……?」
「こんな場所で……鈴?」
突然、辺りに響いた鈴の音に紫桜以外の四人が怪訝そうな表情を浮かべる。
「……こ、この音は」
あの“白い影”が現れる直前。そして森の中を追いかけていたその最中にもずっと聴こえ続けていた、あの“鈴の音”に間違いない。
―― 蕭。
鈴の音が、またひとつ。
まるで、事件が終わったことを喜ぶ五人の様子を見て笑っているかのような。
まだ何も終わっていないよ、と何者かが耳元で囁いている様な、そんな鈴の音。

「まさか、せっかく苦労して黄泉還らせた真柄の鬼をやっつけてしまうなんて……いやぁ、ほんとうにビックリしました」

囀るような、歌うような、何よりも鈴を転がすようなその声が、一同の間にあった空気を完璧に凍りつかせた。
「あそこ、“鬼”の……“鬼”の肩です!」
誰もがその声の主を探して視線を走らせる中、一番最初にその姿を眼に納めたのは誰あろう、誰よりも多くあの鈴の音を聴いていた櫻・紫桜だった。
「なッ……!?」
そして、その紫桜の声に全員の視線が動かなくなった“鬼”の、その右肩にちょこんと腰を下ろす“白い影”へと向けられ、そして絶句する。
「お前、いったい、誰だ」
五人の中の誰かがそう言った。
「ああ、そう言えば自己紹介がまだでしたね。もう何度か会っている人もいるものだから、もう済ませた気になっていましたよ。ごめん、ごめん」
五人が視線を向けるその先にいた者は……一人の少年だった。
いや、少年の様にも見えるが、青年と言っても差し支えない歳なのかもしれない。男性の様でもあるし、女性の様でもある。
どちらでもあり、どちらでもない。そんな“あやふや”な雰囲気と、上から下まで真っ白な特徴的な法衣を身に纏った人物が、そこに、いた。
「そこの学生服のお兄さんとはさっき森の中で会いましたよね。そちらの盗賊のお兄さんとも以前お会いしていますけど……覚えていませんか? “これ”を取りに行ったときのことですよ」
そう言って、ぶらりと揺らす右手には……
「なッ!? い、いつのまに“鬼真柄”を!」
つい、今の今までディオシスの手に握られていたハズの“鬼真柄”がしっかりと握られている。いったい何時、どうやってディオシスから奪い取ったのか。奪われた当の本人であるディオシスすらも判らない風だ。
「わたしにはまだ“これ”を使ってやらなきゃいけないことが残っているので……申し訳ありませんが、貴方がたにお渡しする訳にはいかないんです。はい」
決して膂力があるようには見えないその身体で、武器としては超級の部類に入るであろう“鬼真柄”を、右手一本で軽々と掲げ、空いた左手には艶やかな紋様が施された扇子を開きひらひらとさせている。
そして、その扇子を動かすたびに先端にあしらわれた銀の鈴が、蕭、蕭、と涼やかな音を立てるのだ。
「そうそう、自己紹介でしたよね。私の名前は藤原・千方(ふじわら・ちかた)。別に、覚えて頂かなくても構いません」
藤原・千方。それは今を遡ること千年以上の昔。金鬼、風鬼、水鬼、そして隠形鬼という四匹の鬼を従えて、ときの朝廷に反旗を翻し天位を簒奪せしめんと企てし大逆人の名。
「藤原・千方……」
「ええ、そうです。自分で言うのもなんですが、とても良い名前でしょう?」
その名を記憶に刻み込もうと名を繰り返す五人を見ながら、笑い顔で形作られた能面のような顔で千方は言う。その流々とした口調からは一切の悪意、敵意は感じられない。
『いったい何なんだ、コイツは……』
表情からも、言葉からも、立ち居振る舞いからも。まったく、何も見えてこない。底が知れない。まさにその言葉を体現したような人物だと誰もが思った。
「さて、と。自己紹介も済みましたし、今日のところはこれで失礼させて頂きます。実を言うと、私も何かと忙しい身で、何時までもひとつ所に留まっているという訳にもいかないんです」
そう言うと、千方は扇子を閉じて帯に指し、空いた左手を懐に差し入れて何か小さな“紙片”を取り出す。
「それはッ!?」
それは忍や紫桜にとって見覚えのある代物。かつて鬼無里で出会った鬼を討った際、その遺骸の中から現れた“形代”の符。
「ええ、鬼無里でも使った、“式鬼”の符です。これを、こうして、“鬼”の身体に埋め込んでやると……」
すぶりすぶりと千方の左手が鬼の脳蓋へと差し入れられ、
「グ、ウゥゥゥゥゥゥ……」
そして、引き抜かれた瞬間。力を失い活動を停止していた“鬼”が、ゆっくりと低い唸り声を上げて活動を再開する。その様はまるで新しい命を吹き込まれたかのようにも見える。
「なんて、ヤツだ……」
目の前で繰り広げられるその様にディオシスが拳を握り締めながらそう呟く。
退治するのにアレほど苦労したというのに、それをこんなにも簡単に復活させてしまうなんて……。それを考えると言葉では言い表すことの出来ない感情が、じわりと心の底から湧いてくる。
「制御出来ねぇ力ってのは、誰にとっても毒にしかならねぇ。テメェがいったい何をしたいのかは知らねぇが……諦めた方が身のためだぜ」
過ぎたる力は身を滅ぼす。それは強大な竜の力をその身に宿すディオシス自身が誰よりも知っている。このことに敵とか味方とかは関係ない。ただ、知っていて欲しい。
「制御できない? この程度の鬼を? 馬鹿を言わないで下さい」
しかし、そんなディオシスの苦言が目の前の人物に届く事は、なかった。
「それでは、さようなら皆さん。今日はなかなかに楽しいものを見させて頂きました。もしかすると、またどこか出会うかもしれませんが……そのときは是非ともお手柔らかにお願いします」
そうして、藤原・千方と名乗った人物は“式鬼”と化した“真柄”を伴って、夜の闇へと姿を消した。

†††

―― a.m. 2:50 ――
「遂に、見つけた……」
藤原・千方を名乗る謎の人物と五人のやり取りを気配を、殺して窺っていた人物がいたことを彼らは知らない。
「ふ、ふふ、ふふふ……」
去り往く千方と“鬼”の後姿に、昏く輝く視線で見つめていたその男。
“鬼”に家族を喰い殺され、その敵の行方を追うなかで、冥府魔道へ足を踏み入れたその男を。
何時の頃からだろう。“仇”のことを心に思うたび、この身体が、相模影正という男の魂が、殺気でも怒気でもない、ましてや剣気などではありはしない、異様な気を発するようになったのは……。
「ク、クカカ、カハァ……ッ」
気を抜けば腹の底から込み上げそうになる哄笑いと、その気を押さえるのに影正は必死だった。
いま悟られてはならない。ようやく見つけた“仇”に己の存在を悟られてはならない。影追うものの存在を悟らせてはならない。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
ようやく、落ちついた。呼吸こそまだ荒いが、大丈夫。自分は、冷静だ。
高鳴る胸とカチカチと耳障りな音を立てる腰の“骨喰”を力いっぱい押さえつけ……そして、影正はゆっくりと行動を開始する。
『人の心には鬼が住むものです。いつか、貴方自身が“鬼”にならない事を、私は祈っています』
唐突に、ある男の言葉が脳裏を過ぎる。それは、これまでに二度ほど剣を合わせたことのある義賊の男……たしか、加藤・忍と名乗ったあの男が去り際にポツリと呟いた言葉。
「俺が、この俺が、“鬼”になる……だと?」
馬鹿馬鹿しい。そんな事は有り得ない。妻の、娘の仇の“鬼”などにこの俺自身が成り下がるなど……。
影正はの売りを過ぎったその言葉を一笑に付すと、すぐに慮外の外へと追い出した。
しかし、彼は知らない。己が発する様になった禍々しい気の正体を。
それが“鬼気”と呼ばれるものであることを……。


■□■ 登場人物 ■□■

整理番号:5453
 PC名 :櫻・紫桜(さくら・しおう)
 性別 :男性
 年齢 :15歳
 職業 :高校生

整理番号:5745
 PC名 :加藤・忍(かとう・しのぶ)
 性別 :男性
 年齢 :25歳
 職業 :泥棒

整理番号:4925
 PC名 :上霧 心(かみぎり・しん)
 性別 :男性
 年齢 :24歳
 職業 :刀匠

整理番号:3737
 PC名 :ディオシス・レストナード(でぃおしす・れすとなーど)
 性別 :男性
 年齢 :348歳
 職業 :雑貨『Dragonfly』店主

整理番号:3734
 PC名 :壬生・灰司(みぶ・かいじ)
 性別 :男性
 年齢 :720歳
 職業 :魔剣


■□■ ライターあとがき ■□■

 注1:この物語はフィクションであり実在する人物、物品、団体、施設等とは一切関係ありません。
 注2:筆者は滋賀県観光協会の回し者でもありません。
 注3:滋賀県。特に姉川近辺にお住まいの皆様&日本全国の真柄さん、心の底からゴメンナサイ。

 と、言うワケではじめまして、こんばんわ。或いはおはよう御座います、こんにちわ。
 この度は『天下裏五剣 斬之参“鬼真柄三本杉”』への御参加、誠に有難う御座います。担当ライターのウメと申します。

 日本史上最大の野戦が行われた古戦場後で巻き起こる事件。如何でしたでしょうか?
 ようやっと一連の事件の黒幕っぽい人が顔を出しました。ドコの誰かは中を読んでのお楽しみ。
 ちなみにその人は、ちゃんとした史書にも名前が載ってるエライ人です。興味があったら調べてみると吉!
 今後も続くシリーズモノの予定なので、その周辺とか全国の鬼伝説とか調べておくと嬉しかったりするかもしれません。

 さて、続編の発表時期は……現在のところ未定です。
 でも、楽しみに待っていて下さる方がいれば、気合と根性でナントカするかもしれません。
 最後になりますが、ご参加くださった皆様への感謝とご多幸をお祈りしつつ……あとがきを締めさせて頂きます。

 それでは、また何時の日かお会いできることを願って、有難う御座いました。