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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


明日から、来ない

 僕はオキベンしている。
 学校の机の中に次の日の授業で使う教科書を置いて、その日は帰宅することだ。
 僕の机の中には、国語、算数、社会の三つが入っている。もう、40日くらい前からずっと。
 そして僕は40日くらいずっと、その教科書を触ってないし見てない。
 教科書どころか机も黒板も、教室も廊下も、学校そのものも見てない。というより、行ってない。
 40日くらい前の朝、起きたら酷く頭痛がして、お腹も痛い気がして、学校に行けなくなった。医者は何処も悪くないと言った。
 別にいじめられてるわけでもないし、勉強が嫌いとかいうわけでもない。
 そもそも、行く気がなかったら前の日に教科書を置いて帰ったりしない。
 ただ何となく行きたくなくなっただけ。
 
 ちょっと前にお父さんとお母さんが離婚して、僕の名前が変わった。
 毎日行けたらいいなあと思いながらベッドから出られなかったのが、途端に行く気そのものが失せた。
 学校に行ったら出席を取られる。僕は自分の名前が変わってしまったから、前とは違う名前で呼ばれるんだけど、それが嫌だ。
 前まで僕は「卜部君」だった。ちょっと変わってる名字だと思っていた。それが何日か前から、僕は「鈴木君」になった。
 その名前を先生に呼ばれるのが嫌だ。なんとなく。下の名前も嫌いになった。呼ばれたくない。「勇ましく太い」なんて、全然僕に似合わない。
 小学校5年生の僕は、もしかしたら反抗期なのかも知れない。
 だから今日はお母さんが「嫌なら家にいなさい」って言ったのを振り切って学校に行こうとしているんだと思う。
 大体、いっつも何も言わない癖に、急に行かなくても良い、みたいなこと言われると気分だって変わる。
 明日からはまた行かない。今日だけ行く。
 だから今日、一日だけ付き合ってくれる人を探してる。
 まだ誰も来てない早朝の5年2組の教室で。
 
 今日の時間割は、1時間目が社会、2時間目が算数、3時間目が学活で4時間目が体育、5時間目が国語、6時間目はその延長で習字らしい。
 
 40日前のオキベンは全部役に立つようだった。

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 最悪だ、本当に。
 僕が自分の席に座って最初に考えたことと言えばそれだった。
 とうとう担任の先生まで僕を無視した。
 変に声をかけたら悪いと思ったのかもしれない。最近の不登校児に対する気配りって妙に歪んでる部分がある。
 それにしたって一言くらい、今日は全員揃って嬉しいです、とか朝の会で言っても良いと思うんだけど。こう言えてしまうってことは僕はそれを望んでいたのかな。
 あと、朝の出席が無くなってた。呼ばれるかと思った僕の名前は呼ばれなかった。他のみんなの名前も。どういう方針に切り替わったのやら。
「いた」
 廊下側の端っこの席に座る僕に、女の子が声をかけた。今朝も誰もいない教室で声をかけてきた子だ。
 その女の子は朝、「鈴木勇太」とだけ呼びかけた。僕が僕であることを確かめるみたいにが僕がその名前に振り向くことを要求しているような雰囲気だった。
 朝の薄い光に学校特有の埃がきらきら反射する教室の中で、髪の長いその子は言った。
「亜矢坂9・すばる。今日一日付き合いに来た」
 なんか変わった名前だけど、後から他にも色々変わってる部分があったから気にならなくなった。大体名前が変わってるなんて言ったら、自分の名前にすらおかしな拘りがある僕自身にも自分で一言何か言いたくなる。
 

 4時間目が終わった。クラスメイトは授業中も休み時間も、僕がいてもいなくても同じようだった。
 先生が二人組になって柔軟体操をやれ、って言った時に初めて、彼女の存在をありがたく思ってしまった。
 それまでは1時間目も2時間目も、休み時間にぼーっと座ってる僕に「いた」と言ってただずっと傍にいるだけだったから。
 久しぶりに学校に来て、しかも女の子相手に校庭で遊ぼうとか昨日のテレビ見たかとか饒舌に喋れるほど、僕は社交的じゃない。だから、てっきり引っ張ってリードしてくれる子なんだと思っていたら、すばる(だって自分で自分のことをこう呼ぶんだから僕がこう呼んでもおかしくないだろ)もまたあんまりそういうことをしないみたいで、ちょっと困った。
 1時間目が始まる前に少しだけ会話したんだけど、何だか言うことが先生みたいで僕にとってあまり実のある話ではなかった。
「今後も何かしら学校に行く必要はあるだろう。そのことに慣れないと駄目なんじゃないのか?それともその度に相手を見つけていくのか?」
――これだ。本当に極めつけ。なんでこんなこと聞くんだろ。
 よりによって話の核心部分を朝っぱらからど真ん中ストライク。ある意味ここまで直球なのはすごいと思う。
「そりゃそうだけど、今は今!」
 僕は答えにならないことを言って算数の教科書を机の中から引っ張り出した。
 すばるは目で、問題を先送りにしているだけじゃないか、と言っていた。それが1時間目の休み時間の会話だ。2時間目、3時間目は「いた」で始まって「じゃあ」で終わった。なんなんだ。
 そんな調子だから4時間目の柔軟体操でやっとすばるのありがたさを感じた。
 女の子と組むなんておかしいかもしれないと思ったけど、それも別に周りは気にした様子もない。なんだか徹底して僕を無視しているみたいだ。言っとくけど別に不登校児であることに胸を張るわけじゃない。
 すばると背中合わせになって腕を組みながらそんなことを思った。分かると思うけど、これはよくあるお互い持ち上げっこの姿勢だ。すばるに上体を思いっきり引き上げられて見上げた空は久しぶりに青かった。
 ぼくはすばるより5pくらい背が高いから、小柄な彼女に持ち上げられるのはちょっとひやりとした。……………すばるが重かったかどうかは言わない。
 4時間目が終わって教室に帰る途中、初めて僕がみんなに見えてない訳じゃないことを知った。
 体育のテストの練習ってことで50メートル走とか幅跳びとかのラインを引くことになって、そのための石灰をすばるが両手で抱えて運んでいたら、何もないところでこけた。
 前を歩いていた僕の状態は推して知るべし。ちなみにこけたすばるも真っ白な石灰の中に頭から突っ込んだ。二人揃って頭真っ白だ。頭の中も外も。
 先生が慌てて頭を洗ってきなさい!って大声で言ってくれなかったらそのまま立ちつくして4時間目を終えるところだった。
 しかし頭は洗えても体操服はどうにもならない。びしょ濡れで体操服は不自然に白いまま、給食の準備で慌ただしい廊下を並んで歩いたら、通り過ぎる人に笑われた。
 なんで何もないところで転ぶんだよ。お陰で真っ白じゃないか。まるでここで転んで二人で真っ白になりましょうって計算してるみたいだ。
 そんなこと考えてる間に、すばるが二人分の給食を持ってきた。
「昼は食べておいた方が良い」
 と言って僕の机に給食が乗ったトレイを置くと、すばるは自分の分の給食を抱えたまま動こうとしない。
「い…いっしょに食べようよ。今日一日付き合うって約束だし」
 僕が言ってみるとすばるは、うん、と小さく言って周りを見回した。僕もつられる。
 すると周りはみんなトレイを持ったままあちこち移動している。
「今日は好きな場所で食べても良い日なんだそうだ」
「なんだ、それでみんな外で食べたりしてるんだ」
 僕の席の反対側の窓の向こう、小さく見える生徒達は暖かそうな草の上で給食を手にしていた。
「じゃあ僕たちも外に行こう」
 言ってから、初めて自分がリードしたと思った。すばるはトコトコついてきた。
 階段に来てこれから降りるって時に4時間目の嫌な記憶が思い出されて、僕はすばるの給食を全部自分のトレイに乗せて、空になったすばるのそれを自分のトレイの下に重ねた。
「すばるが転ぶと思ってるのか」
 二人分の給食を持って慎重に階段を下りる僕に、後ろからすばるが言った。
「だって、4時間目、大変だったじゃないか」
「確かに転ばないという保証はないが」
 あと二段。
「あなたが転ばないという保証もない」
 どきっとした時には階段を下りきっていた。
「な、なんでそういうこと言うんだよ!ほんとに転んだらどうすんだ!今日の給食無くなるんだぞ!昼食べておいた方が良いって言ったのすばるだろ!」
 心臓に悪い!僕は声を荒げながら再び給食を一人分ずつに分けた。すばるの声は妙に無機質な気がするのにどこか血が通ってるから、言ったことも本当になってしまいそうで怖いと思った。
 裏庭の日が良く当たる芝生の上にトレイを置いて僕たちも座る。みんな中庭とか校庭の脇とかに陣取っているようで、ここの裏庭は穴場らしい。あんまり人がいない。
「1時間目の話だけどさあ」
 僕はパンをちぎりながら何となく口を開いた。
「僕、ほんとに明日っから来る気ないんだ。だからすばるが言ってる今後ってのもあんまり考えられないんだけど、それってどうかなあ。だいたい学校って義務教育だけど強制されるほどのもんでも無いと思うんだ」
「…でも大半の者はそれをやるべきこととしている。世間の大人も、子供自身も」
「だって、じゃあ僕みたいな考えはおかしい?間違ってる?」
「間違うと言うより、学校に行くのを意に沿わないと感じていることが」
 少し残念かもしれない、とすばるは牛乳を開けながら言った。
 僕には、何故すばるがそう言うのか分からなかった。
 この給食の時間に分かったのは、とにかくすばると僕は主張が逆ってことだ。なんでそれなのに今日一日相手してくれるんだろう。
 二人で給食室に食器を返しに行って教室に戻る途中で予鈴がなって慌ててしまった。
 教室に戻ると黒板には、5時間目の国語は図書室で本を読むことが書いてあって、今目的地を通り過ぎてきたのが骨折り損だった。
 僕は端っこが好きみたいで、図書室でも一番後ろの端に座った。そういえば電車に乗る時も端を選んでる。
 すばるがその隣に座ってくれる。この子、一緒のクラスだったんだ。
 しかし図書室ではいてもいなくても一緒だと思った。僕もすばるも他のクラスメイトも。
 僕の学年では習っていない漢字ばかりが表紙に並ぶ分厚い本をめくるすばるの向こう側で、三人の女子が固まって本を選んでいた。三人がかりで読む本なんてないだろうに。
 すばるが持ってきた作文用紙は一向に埋まりそうにない。
 この時間中に読んだ本の感想を書いて提出しないといけないのに。
 家ではネットで映画のレビューとかリレー小説とかやってみたこともあるのに、紙が相手だとさっぱり手が動かない。
 結局、僕はその時間に提出出来なくて、他数人の生徒と同じように宿題にされてしまった。どうせ明日から来ないから関係ないけど。
 6時間目は習字だった。お手本を見て墨で文字を書く。僕は多分こういう伝統モノに弱いと思う。だって全然楽しくない。こんなどうでも良い文字を書いて何になると言うのか。それよりパソコンのキーボードを繰ってる方が楽しい。
 僕は適当に良いと思ったものを選んで、無言で教卓に提出すると、早々に習字道具を片付け始めた。離れた席で僕の様子をうかがっていたすばるも同じように新聞紙で硯に残った墨を拭いていた。
 みんなも習字セットを片付け終わると、先生になるべく見つからないようにオキベンの準備を始める。6時間目が終わったらもう後は帰るだけだ。
 来る気もないのに僕は明日の時間割を確かめて机の中の教科書を一回ざっと引き出すと、これは使う、これは持って帰る、と選別する。
 誰かが「休んでる奴のプリント持って行ってやれよ」と言った。


 帰り道、すばるが送ってくれるというので一緒に歩いた。家が同じ方向なんだろうか。
 西日が差し始めた道を買い物帰りのおばさんが自転車で素早く駆け抜けていく。僕たちを追い越した。
 大通りに面した道まで来て、すばるが足を止める。気付かずに先を歩いてしまった僕は慌てて振り向いた。
「なに?なんかあった?」
「あなたは明日から来ないんだな」
 すばるは思い出したように言った。西日を背負った彼女は少し大人びて見える。
「うん、多分ね。来ないと思う」
 言いながら何となく辺りを見回す。僕らが出てきた住宅街の道とこの大通りを繋ぐ角には花屋があって、そのシャッターはしっかりと降りていた。
 辺りには紙くずやらガラスやら葉っぱやら、何か細かいゴミのようなものが散らばっている。
 ふと、僕は明日からも学校に行っても良いかなと思った。この花屋のシャッターが上がるところを見たい。今日設定したオキベンを久しぶりに活用してみたい。
 でも、すばるを見る限り、何だかそれは無理そうだった。学校に行くことが正しいって主張のすばるを見てそう思うのは変だけど。
「来ないのか」
 彼女が言う。
「うん」
 僕も答えた。
 もし、40日前からも毎日ずっとこの道を通っていたら、この辺は交通量が多いことを忘れなかっただろうか。

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「今日一日、みんな僕が見えてると思ってたんだけど、それは違ったんだ」
 勇太は鞄を抱え直して、失敗を恥じるような苦笑いですばるに言った。
「体育が終わった後、みんなはすばるを見て笑ってたんだよ。気付いてた?」
「ああ」
「僕の席に入ってた教科書、河田の名前が書いてあった。さっきオキベンする時に見た。普通確かめないよね、自分の机に入ってる教科書に自分の名前が書いてあるかなんて」
「河田は、今日は風邪で休みだった。あなたが来ない間にあのクラスは席替えをした」
「辻褄、合わせてくれてありがとう、すばる。おかしいと思ったんだ。君が途中から一緒のクラスになってたのも、休み時間になるべく会話しないでくれたのも」
 勇太は俯く。
「それなりの道具も知識もあるからな」
「会話しないでくれたのも?」
「すばる一人で喋ってたらおかしいじゃないか」
 何の躊躇いもなくそう言いはなったすばるに、勇太はひどいなあ、と笑った。
「学校に、明日も来たかったか?」
 無表情で勇太の顔をややのぞき込むように見てみる。オレンジの光に染まった短髪が茶色い。
「うん、多分来たかったと思うな。じゃないと今日学校に行ってないよ」
「あなたのその体操服も、鞄も靴も、今朝、ここであなたの母親が持って帰った」
 すばるのその言葉に、勇太は誰かを慰めるような淋しそうな笑顔になった。
「………トラックだった」
「そっか」
 少し間をおいたすばるの言葉に短く答えると、勇太は背を向けて歩き出した。
「すばる、家はどこ?早く帰った方が良いよ。こんなところで一人で喋ってないで」
 すばるは何か答えようとしたのだが、思いとどまり、作り上げた体育の時間に抱えた、自分より広い背中を見送った。
 オレンジの光はすっかりその背中を透き通らせて、その向こう側を歩く老人を見せている。
 やがて勇太の体はそのまま形を失って、すばるの目の前には夕暮れの大通りが広がった。
「明日から、来ない」
 すばるはぼんやり呟いた。



 
 
 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2748/亜矢坂9・すばる(あやさかないん・すばる)/女/1歳/日本国文武火学省特務機関特命生徒】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、亜矢坂9・すばる様、ライターの相田と申します。
「明日から、来ない」、お疲れ様でした。
そしてご参加ありがとうございました。
学校の持つ雰囲気って私個人の中でどこかハッキリしない独特の靄がある気がします。
どこまでが霊っぽくてどこからが生身っぽい、という点をぼかしているのもそういう雰囲気を出せていればなあと思います。
そこにすばるさんのようなクールな方をどう入れていくか考えるのがとても楽しかったです。
勇太、本当は親とか家とか色々なことへの気持ちもあったと思うのですが、そこはあえてご想像にお任せいたします。
すばるさん自身に何か感じたところがあれば幸いなのですけども…!
それでは長らくのお付き合いありがとうございました。
また機会がありましたらお目にかかれると光栄です。