コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


Gnawing


 陰鬱とした場所には、『そういうモノ』がたまりやすい。
 一体誰がそんなことを言い出したのだろうか。それは確かに間違いではないのだが、しかし今この場にいるものは一見そういうモノとは全く無関係のように見えた。

 鮮やかな金髪が揺れる。埃臭いその中を、ゆっくりと歩いていく。

 既に使われなくなってしまった工場は、どこか退廃的でもの寂しい。
 過去に一体ここで何を作っていたのだろうか。うち捨てられた機材を見ても、専門的な知識がない彼女には何の情報も得られない。
 しかし、そんなことはどうでもよかった。
 このうち捨てられた工場は、何処か何時かの自分に似ていて心地よい。それに、ここには自分以外の誰もやってこない。
 一人の時間を好む彼女にとっては、廃工場はとても心地よく、都合のいい場所だった。



 カサっと、ビニール袋の軽い擦れる音が妙に大きく響き渡る。適当に座る場所を見つけ、彼女はそこに座り込む。ビニール袋の中に入っていたのは、パックのジュースだった。
 ストローをさし、それに口をつける。すぐに独特の甘みが喉を潤していく。
 幾ら彼女が人間でない血を引いていたとしても、嗜好品の一つや二つはある。金は別に働かなくても手に入る、ある意味で悠々自適な生活を、彼女はそこで送っていた。

 ここを見つけ、ここに居座ってから一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 人ならざるもの。それが彼女の正体。そして、その姿のときここは色々と都合がいい。
 誰もこない。だから何をしても平気。

 しかし、何処にどんな目が潜んでいるかは彼女にも分からない。
 事実長くここを使いすぎた結果、ここという場所はとある人間達に細くされていた。

 曰く、滅ぼすもの。
 曰く、守るもの。
 即ち、退魔師。

 彼らにとって、彼女は滅ぼすべき対象である。この地は、彼らにとっても色々と都合がいいのだ。
 誰も来ないのならば、遠慮する必要がないのだから。



「〜〜〜…♪」
 彼女から、鼻歌が漏れる。何を考えているのだろうか、暇を持て余すように空になったパックを揺らしながら、空を見上げていた。
 時折遠くに聞こえる、車の通る音くらいしか物音はない。そこに、ジャリッと。その地を踏みしめる音が鳴り響く。
「……」
 見上げていた視線を下ろすと、そこには一人の女性が立っていた。
 トレーナーにジーンズという、いたって普通の動きやすそうな服装は、聊かここには不釣合いに思える。しかし、彼女はそんな女に笑みを一つ漏らす。
「あら…何しにきたわけ?」
「見れば分かるだろう、アヤカ・レイフォード」
 女は憎々しげに吐き捨てた。その手に持った、刀を鳴らし。
 何処で調べてきたのか、その名前に彼女は小さく笑った。
「いいわ、丁度暇を持て余していたところだし。楽しませてよ?」
 背筋が凍りそうな微笑を、アヤカはその美貌に浮かべた。





* * *



 キンと。甲高く乾いた音が、誰もいない廃工場の中に響き渡る。
 何か金属同士が当たるようなその音は、静かな工場の中ではただ只管に高く、五月蝿い。
「どうした!?」
 その後に、女の叫び声が続く。同時に閃く、光一閃。また、キンと甲高い音が響いた。

 アヤカと退魔師の女は、広いはずの工場を所狭しと駆け巡り、切り結んでいた。とは言っても、アヤカの刃は己の爪なのだが。
 最初はあれほど笑っていたアヤカなのに、今は不気味なほどに静かにただ女と殺し合いを繰り広げている。
(余裕がないのか? なら…)
 それを女は自分に圧されているからだと判断し、さらにその剣筋の鋭さを増していった。
「はぁっ!」
 気合とともに放たれた一撃は、アヤカの前髪を少し舞わせ、そしてその場にあった何かの機械を一刀の元に両断する。
「ぁ…」
 ふと、何か気の抜けた声が上がった。その切断された機械に足をとられたのか、アヤカが一瞬バランスを崩したのだ。
「そこっ!」
 無論その一瞬を逃す退魔師ではない。刀を振った勢いのまま放たれた蹴りが、アヤカの腹部を打ち、そして吹き飛ばしていた。

 派手な音を上げて、アヤカが壁へと叩きつけられる。その威力のためか、何処かグッタリと顔を落とし。
 退魔師の女は、そのままトドメをさそうと刀を構え、アヤカへと駆け出して行く。
 一足の元に、その距離を詰める。そして、刀がアヤカを貫こうとしたその瞬間、
「バーカ」
 アヤカが、嘲笑とともに顔を上げていた。

 刀の切っ先は、アヤカの喉元でピタリと止まっていた。否、止まっていたのは刀だけではない。
 退魔師の女の体も、まるで空中で貼り付けられたかのように、その場で止まっていた。
「っ…なんだ、これは…!?」
 女が必死にもがく。しかし、自分の体が全く動いてくれない。
「ぷっ…あはははっ、最高に格好悪いわね今の貴女!」
 そんな彼女の様子に、耐え切れないとばかりにアヤカが大きな笑い声をあげた。
「何が…可笑しい…!」
 笑い続けるアヤカに、女が憎しみを込めた瞳で睨みあげる。その瞳に、また楽しそうに笑って、アヤカは自分の喉下に突きつけられていた刀を叩き割る。
「だってさぁ…さっき貴女こう思ってたでしょう?
 私が苦戦しているって。あわせてやってただけなのに調子に乗って、一人で舞い上がってる姿は最高に滑稽だったわ」
 動けない女の頬をそっと触って、アヤカは立ち上がる。先ほどまで見下されていた立場が、今は見下す方に変わっていた。そして、指をパチンと鳴らす。
「ぁ…なっ…!?」
 すると、女の右腕がしなるように、ありえない方向へと曲がっていく。ゆっくりとゆっくりと、骨の関節など全く無視するように。そして、
「〜〜〜……ッッ!?」
 何かが折れる鈍い音が、工場の中に響いた。
 あまりの激痛に、女の悲鳴は悲鳴にならなかった。その様子を、ただアヤカは楽しげに見つめている。
 人の負の感情は、彼女にとって何よりのご馳走なのだ。

 脂汗を浮かべながら、それでもアヤカを睨む女に、アヤカはまた笑って、指を鳴らす。今度は、女の左腕の小指がありえない方向を向いた。
「ぎっ…ぁ…!?」
「全部遊びよア・ソ・ビ。だって、こうでもしなきゃ退屈で仕方がないでしょ?」
 また指を鳴らす。次は、親指が曲がった。
「貴女はただの哀れな操り人形。私の糸に絡まされたただのマリオネットだったわけ。どう、可笑しいでしょ?
 今の貴女を見てると、ホント笑いしかこみ上げてこないわ!」
 また指を鳴らすと、アヤカの張っていた禍糸がピンと張り詰め、薬指が折れ曲がる。その様子に、アヤカはまた笑い声を上げた。



「……ぁ…」
 女の、か細い声が小さく響く。その様子を、心から楽しいといった様子でアヤカが見下ろしていた。
 彼女の細くもしっかりと伸びていた腕は、もう見る影もなく無残に折れ曲がり、言われなければ腕とは思えないほどに変形していた。
 断続的に続いていた痛みに、女からあがる悲鳴も小さくなっていた。
「情けないわね退魔師さん」
 漆黒の髪をぐっと引っ張り、涙で濡れたその顔を見ようとアヤカが覗き込む。すると、
『ペッ』
 何か生暖かいものが、アヤカの顔を汚した。
「ふぅん…まだそんなことする余裕があるんだ」
 張り付いた唾を拭い怒るかと思いきや、アヤカの顔に浮かんだのは楽しげな笑みだった。
「いいわよ、その精神力。そういうやつほど、泣かせたときの負の感情は大きいのよね」
 ケラケラと笑い、また指を鳴らす。今度は、女の体が柱に縛られたようにまっすぐに立ち上がる。
「ふん」
「ぅあ…っ!」
 伸びたその爪を、アヤカは容赦なく女へと振り下ろす。女の着ていたトレーナーが、彼女の皮膚と一緒に引き裂かれ赤い雫を舞わせる。
 女の小さな、しかしはっきりとした痛みへの反応を、アヤカは見逃さなかった。続けてまた爪を振るい、その柔肌へと無数の傷をつけていく。細く滲むような傷からは、少しずつ少しずつ赤い血が流れ落ちていく。
 痛みに顔を歪める女の髪を再び引っ張り、その顔を覗きこむ。
「ねぇ、本当の拷問って、どんなものか知ってる?」
 その言葉に、女の唾を飲み込む音がはっきりとアヤカには聞こえた。その音が、アヤカに更なる悦びをもたらしていく。
「本当の拷問っていうのはね、相手のことなんて一切考えないものなのよ。
 教えてあげるわ、痛みの本当の恐怖をね。徹底的に辱めて、滅茶苦茶にして、これ以上ない絶望を与えてあげるわ。
 その時の貴女の顔、想像するだけでゾクゾクするわ」

 アヤカの顔が、狂喜に歪んだ――。





* * *



 気付けば、元々暗い廃工場の中に真の闇が降りてきていた。
 随分と冷え込むのは、春先であろうと夜ならば仕方がないことなのだろう。
 空に雲はない。ただ真円を描く月が爛々と輝いていた。

 破れたドアの隙間から、月の光が覗き込む。その光が、惨状を照らし出した。
 廃工場内の一角は、真っ赤な血で染め上げられていた。真紅の月の光が、それをさらに禍々しく見せる。
 その中に、よく分からない何かの塊があった。見れば、綺麗な黒髪が血に濡れている。
 それを見下ろしながら、その中心でアヤカが一人笑っていた。
 細い白魚のような指から、血が滴り落ちていく。しかしそんなことには一切気にかけず、彼女はただ笑っていた。

 あの気丈で、きっと人望も厚かっただろう彼女は、その手にかかり事切れていた。
 その光景を思い出し、アヤカは一人身体を振るわせる。



『いやあぁぁぁぁもうやめてぇぇ、お願い殺してぇぇぇ!!』
 アヤカの爪に引き裂かれ、糸に締上げられ、ただ無残に傷付けられていくだけの彼女の心は、遂に折れた。
 その泣き叫ぶ声が、アヤカに更なる悦びを与える。
 アヤカはその涙で濡れた顔をあげさせ、こう言った。
『嫌よ』
 そして、また笑った。
『言ったでしょう、痛みの恐怖を教えてあげるって。
 貴女の身体が耐え切れなくなるまで、まだまだ楽しませてもらうわよ』

 じわじわと、痛みに心が蝕まれる。彼女の心は既に耐え切れていなかった。しかし、生きている。だから、アヤカは彼女の命が消えるまでその手を振るい続けたのだ。



 今はもう、彼女は動かない。死という平安を手に入れて、静かに眠りについている。
 その絶望に歪んだままの顔を踏みにじり、アヤカは小さく笑った。
「貴女の絶望、本当に最高だったわ」
 その余韻に浸り、アヤカはもう一度笑う。この瞬間が永遠に続けばいいのにと思うほどに。

 誰もいない廃工場の中に、笑い声だけが響いていた――。





<END>